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―― 第一章:マスク ――

【九】マスクの集中力

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「――はい、梓藤です」

 仕事用スマートフォンの画面に表示されている坂崎の名前を見て、梓藤はすぐに電話に出た。

『梓藤。斑目がいなくなったんだ』
「なんだって?」
『俺が少し席を外した時に、待機場所の職員室を出たようだ』
「坂崎さんは今、何処にいるんだ?」
『職員室に戻った』
「そこを動かないで待機してくれ。俺と高雅も今行く」
『分かった』

 通話を切った梓藤は、険しい表情で高雅を見る。

「学園に戻るぞ」
「え?」
「斑目の姿が無いらしい。マスク関連かもしれない」

 斑目は引き際を心得ているように見えて、その実行動派でもあると、梓藤は知っている。嫌な予感と胸騒ぎに襲われながら席を立ち、困惑している様子の高雅を促して、梓藤は会計を済ませ、駐車場まで足早に向かう。

「あ、あの! 俺、自分の分は出します!」
「そんな場合じゃない」

 ピシャリと言い切り、梓藤は運転席に乗り込んだ。慌てて高雅が助手席に座り、シートベルトを締めたのを確認してから、梓藤は車を発進させる。片手でハンドルに触れ、先程よりも早い速度で車を走らせる。

「えっと……そんなに緊急事態なんですか……?」
「――二人一組での行動は規則だ。それを破っただけでも、探す理由になる。ただ……それよりもマスクと遭遇した可能性を俺は危惧している」

 梓藤はそう言うと、赤信号で停車した時、ポケットからプライベート用のスマートフォンを取り出して、高雅に渡した。

「え? これは?」
「俺と斑目は、お互いに何かあった時に備えて、プライベート用のスマートフォンに、GPSによる位置特定アプリを入れていたんだ。起動して、斑目の居場所を確認してくれ」

 それを耳にした高雅が、慌てた様子でスマートフォンを操作する。
 特にパスワードなども無い。

「本当に、親しいんですね、お二人。位置まで分かっちゃうなんて……」
「無駄話をするな。位置は特定できたか?」
「は、はい! 学園の地下みたいです」

 その言葉に、梓藤は眉を顰めた。勿論梓藤も地下があるとは、知らなかったからだ。そのため、隠しカメラも存在しないと知っている。あるいは、斑目は地下に監視カメラを設置しに行った可能性もある。職員室には学校の見取り図もあったはずだ。

 そう考えながら、梓藤は学園の駐車場に車を停めた。
 そして早足で、職員室を目指す。梓藤には、高雅が必死についてくるのが分かった。
 電気がついていて明るい職員室の、開いていた戸から中に入ると、椅子に座っていた坂崎が立ち上がった。こちらは険しい表情だ。

「悪いな、俺が席を外したばっかりに」
「それは後で報告書に記載してくれ。斑目の位置を特定した。地下にいる。急ごう」

 梓藤の声に、坂崎が真剣な顔で排除銃を取り出す。
 同じように梓藤も銃を用意し銃把を握る隣で、慌てた様子の高雅もそうするのが、梓藤には見えた。
 こうして排除銃を手に、三人で階段を降り階下へと向かう。地下へと続く扉は、開け放たれていた。

「ここを進んだのか。坂崎さん、高雅。俺が先に降りる。その後ろから降りて、バックアップを頼む。もしも階下でマスクを目視したら、俺は頭部を撃つ。銃声が聞こえたら、すぐに降りて、二人も多数のマスクがいた場合には頭部の破壊を。よし、行くぞ」

 そのように決め、まず梓藤が先に降りることになった。
 すぐに血や腐肉が混ざり合った死臭を嗅ぎ取り、腐ったナニカがそこにあると梓藤は理解した。人間以外の血肉の可能性も捨てきれないが、ピチャピチャと手で掬うような音が響いてくるため、マスクで間違いないと、梓藤の直感が訴える。

 階段の最後の段に立った時、梓藤はチラりと、明かりが見える方角見た。
 そして眉間に皺を刻み、息を呑む。

 中央にある乱れたスーツ姿の、骨格的に男らしき遺体は、胸から臍の部分までが開腹されている。そこに手を突っ込んで、臓物や肉喰べ、血を啜っているマスクが六体いた。男の遺体には頭部が無い。既に食べきられたのかもしれない。

 これは絶対に排除しなければならない。そう考えて、一番下の床を踏んだ時、梓藤の左足が、何か丸く硬いものが触れた。梓藤は何気なく視線を向け、目を見開いた。そこにあるのは、人間の頭部だった。

 ――誰の頭部か?
 その顔は、どこからどう見ても親友の顔だった。
 瞼を開けたまま、頭部だけになっている斑目の姿。

 唖然とした梓藤は震えながら、屈んで頭部を持ち上げる。後頭部には、脳を吸われたらしく、一部が陥没した傷がある。首は、何か鋭利なもので……と、考えていると、血濡れの斧が床に落ちていた。

 全身に怖気が走り、梓藤は震えを必死に堪える。
 一度きつく目を伏せた後、開いたままだった斑目の両瞼を閉じ、床に優しく置いた。そして中央で食べられている、首の無い遺体を見る。そばに血塗れのネクタイが落ちており、そこにはおそろいで身につけていたネクタイピンが見えた。二人で旅行に行った時に、記念に買った品だ。あれはまだ新人の頃で、数日の休暇が許されていた頃だ。

 ピチャピチャと、音が響いてくる。

「新鮮な肉」
「美味い」
「新鮮な肉」
「美味い」
「美味い」
「美味い」

 目を眇めながら、梓藤は六体のマスクが、斑目の体を食べているのだと理解する。
 まだ、梓藤の存在に気づいた様子はない。食べることに夢中のようだ。
 マスクの特性だ。食べる時は非常に集中する。

 ――廣瀬は、マスクあるいはその関係者に命と尊厳を奪われた。
 ――だが、今は感傷に浸っている場合ではない。それが廣瀬への、報いにもなるはずだ。

 そう念じ銃把を握りしめ、梓藤は一体目に狙いを定める。一番近くで肋骨を手にしているマスクだ。すぐに排除銃の引き金を引く。すると特殊な弾丸が、一体目の額に命中し、マスクの頭が砕け散った。

 そこへ足音が響いてくる。次第に大きくなり、坂崎と高雅が姿を現した。

「大丈夫か!?  銃声が聞こえたから、予定通り降りてき――子供か、今回のマスクは」

 坂崎が制服姿のマスクを見渡している。
 それとほぼ同時に、梓藤は二体目の頭部を破壊した。
 横に立ち、坂崎も別のマスクの頭部を破壊する。
 するとすぐにマスクは沈黙し、残った体だけが床に倒れた。

「すみません……見てることしか出来なかった」

 高雅の声に、坂崎が振り返る。

「最初はそんなもんだ」

 そう伝えてから、坂崎は梓藤を見た。

「それで? 斑目は何処にいるんだ?」
「そこだ」

 梓藤が先程頭部を置いた場所を指さす。
 すると坂崎と高雅が目を見開いてから、ほぼ同時に青ざめた。

「殉職だ。斑目の家族は海外にいるから、恐らく来訪できない。俺達で葬儀をあげることになるだろう」

 感情が一切窺えない無表情で、梓藤が言う。そこには悲しみなど見えず、ただ事務的な処理をしているだけに見える。少なくとも高雅にはそう見えた。

「親友だったのに、そんな……悲しくないんですか?」
「高雅。止めておけ」

 すると坂崎が、高雅の腕を引いた。
 それを聞いて、立ち止まった梓藤は、俯く。

「斑目は、規則を守れなかっただけだ」
「二人一組じゃなかったからってそんな――」
「違う。第一係の唯一の規則だ。初日に教えただろ」

 梓藤はそう言うと、階段を上り始める。
 その内心では、本当は様々なことを考えていて、一段上る度に涙がこみ上げてきていた。暗い階段は涙を隠してくれるから、とても優しい。声を出さずに泣きながら、梓藤は階段を上っていく。

 ――どうして一人で……。
 ――馬鹿、なんで……先に逝くんだよ。

 そんな事を考えながら、一番上の一階の床を踏んだ時には、もう嗚咽が堪えられなくなり、梓藤はトイレの個室に入って、暫し泣いた。その後トイレットペーパーで、涙の後を拭ってから、それを捨てて水を流す。

 個室から出て、鏡を見る。そして無表情の、平静な姿を装う。
 ――大丈夫、出来るはずだ、厳しい上司の顔を維持し主任としての仕事を。

 そう考えながら、梓藤は職員室に行き、二人と合流した。
 その日は、三人で一度、帰路につくことになった。
 斑目の遺体は、翌日回収班が運ぶと決まっている。殉職時などには、この回収班を頼ることが、圧倒的に多い。飛び散った血肉などの処理もあるからだ。

 梓藤が運転する車の後部座席に、二人が乗り込む。
 車を発進させながら、梓藤は今度は苦笑した。

 また、一つの命が失われた、と。
 そう思うと、死が身近なものに感じられる。梓藤にも、いつ死んでも構わないという覚悟がある。斑目は、死を覚悟した瞬間が少し早かっただけなのだと、梓藤は己に言い聞かせながら、車を走らせる。

 次第に車体は学び舎から遠くなり、闇に紛れてその姿は見えなくなった。





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