甘いマスクは、イチゴジャムがお好き

猫宮乾

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―― 第一章:マスク ――

【三】一年半後の第一係

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 日々マスクへの対応をこなしていると、月日の経過はあっという間だ。
 真面目にノートパソコンへと向き合っていた梓藤のデスクに、その時プラスティックのカップが置かれた。顔を上げれば、微笑している斑目の姿がある。

「少し休憩したら?」
「ああ、それもそうだな」

 主任業というのは、なにもマスクを退治するだけではなく、何かと書類作業のような雑事も多い。集中すると没頭してしまうタイプの梓藤は、いつもこのように適度に休憩を促してくれる斑目に感謝をしている。

 梓藤の隣の空いていた椅子を引き、己の分のカフェラテを口に運びながら、斑目は梓藤を見る。

「そういえば、今日じゃなかった? 新人が配属されるの」
「あっ……そうだった。完全に忘れていた……出迎えないとな」

 億劫そうに大きく溜息をついた梓藤を見て、斑目が微笑を深める。
 梓藤はどちらかというと実戦向きだ。それを斑目はよく知っている。
 寧ろ己の方が書類仕事には適性があると感じているが、主任にしか閲覧権限が無い資料の数も多いので、手伝いたくても手伝えない。だから自分に出来る事として、働き者の梓藤に休息を促そうと、いつも考えている。斑目は梓藤のことを、誰よりも分かっている自信があった。それだけ付き合いが長いからだ。

 警察学校を出る前からの付き合いで、大学時代の同期でもある。性格が似ているわけではないのだが、斑目もまた梓藤同様、相手の傍がなんとなく居心地がよいと感じている。腐れ縁というものなのかもしれないし、親友と名付けてもいいだろう。班目は梓藤と同じ気持ちを抱いていた。

「なんだ? 新人が来んのか?」

 そこへ聞こえていたらしく、この第一係で最も古株の坂崎孝介さかざきこうすけが声をかけた。坂崎は三十六歳。たたき上げだからなのか理由は不明だが、不思議な事に昇進しない。だが、梓藤や斑目よりもずっと前から、この第一係に所属しているベテランの警察官だ。

 二人が揃って視線を向けると、長身の坂崎が黒い短髪を揺らして立ち上がり、口角を持ち合げてニッと笑った。少し意地悪く見える笑顔だが、心根は優しく、器が大きい――ようで、小さくもある。身内に甘い典型的な人物で、敵には容赦ないという事を、二人は知っている。黒い目は切れ長だ。

「そうなんだ、坂崎さん。でも、なんの用意もしてない」
「じゃあ俺が迎えに行ってきてやるかい?」
「いいんですか? お願いします!」

 梓藤が勢いよく頭を下げる。すると両頬を持ち上げて、坂崎が頷いた。それから坂崎が時計を見る。もうすぐ午前十時を指すところだ。

「何時に来るんだ?」
「十時です」
「そりゃぁ急がねぇとな。行ってくる」

 梓藤の言葉を頷きながら聞き、坂崎は本部を出て行った。入れ違いに、少しネクタイを緩めている青年が入ってくる。緑に近い茶色に髪を染めていて、後ろで緩く結っている。右目の下に泣きぼくろがあり、少したれ目だ。薄い唇で弧を描いた彼に、梓藤が声をかける。

「遅刻だぞ、静間」

 それを聞くと、静間青唯しずまあおいが目を伏せて苦笑した。

「昨日は帰りが遅かったんだから、許してよ」
「そういう場合は、きちんと連絡をして休んで欲しいと言ってるだろう」
「ごめんって、冬親ちゃん」
「その呼び方は止めろ、俺はこれでもお前の上司だぞ……」
「えー? いいじゃん。俺の方が年上だしー?」

 どこか間延びした楽しそうな声の静間に対し、疲れたように梓藤が肩を落とす。
 それを眺めながら斑目は、いつも通りの日常だなと考えつつ、穏やかに笑っていた。

 現在の警備部特殊捜査局第一係は、この四名で構成されている。だが本来は、五人で編成されるため、欠員が出ている状態だった。前任者は、半年前に殉死した。永沼香織ながぬまかおりという女性で、彼女も熟練の捜査官だったのだが、マスクに対してはキャリアなどなんの役にも立たないため、彼女は今、墓地に眠っている。第一係には、日常的に死の香りが溢れている。

 このようにして今日も本格的に、各々の仕事が始まった。
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