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【三】握りたいのは弱み
しおりを挟む現在亘理大尉は、 大貫中佐の配下にある。
大貫中佐の指揮下にある師団の中で隊長を務めている。
亘理大尉が指揮する小隊の任務は、大貫中佐の補佐だ。
大貫中佐には勿論正規の副官がいるし、階級的に、大尉が中佐の副官をすると言う事は、現在の軍の規則的にあり得ない。しかし大貫中佐の本当の副官は、別の師団の総括指揮をしているから、常に大貫中佐のそばにいる事はない。大貫中佐のそばに常に付き従っているのは、亘理大尉であるのが事実だ。
森永少佐は、率直に言って、大貫中佐が好ましくない。
これが単なる性格の不一致だったならば、森永少佐とて大人な対応をする。
けれどそうではない。大貫中佐は、統括軍部である中央の要人であるにも関わらず、軍にとって害になる行為に手を染めている。
横領や脱税――それだけだったならば、他にも腐った軍人はいるから、そこまで咎める気にはならない。森永少佐自身、裏金作りをしていないわけではないからだ。勿論、大貫少佐のように私利私欲に使ったりはしないし、決して露見しないように工作してもいる。
大貫中佐の行動で、大問題なのは、情報の漏洩だ。
幸いなのは、その漏洩先が、他国に直接ではない事くらいだ。大貫中佐は、軍の研究所と提携企業が開発している、最先端の兵器の理論や設計図、新薬の情報を、国内の民間企業に流し、見返りに多額の報酬を得ている。この際、多額の報酬も良い。そして、国内の企業のそれぞれには、国防軍の中で森永少佐などの息がかかった監視がいるため、今のところは、国外に情報は流出せずに済んでいる。
だが――時間の問題かもしれない。
民間企業の提携先には、国外企業も当然多い。
中でも大貫中佐が、もっとも贔屓にしている民間企業は、『遇津コーポレーション』である。複合企業で、武器製作から大病院、各種研究所まで何でも取りそろえている、大財閥だ。この国に財閥制度が復活して久しい。当然こちらにも諜報員を放ってはいるが、遇津は相手が悪すぎる。
率直に言ってしまえば、軍部が放った諜報員の存在に遇津の人間は気がついているのだろうが、漏れても問題のない情報に関しては、つつぬけで『教えてくれる』のだ。本当に隠さなければならないような核心には、遇津は絶対に踏み込ませない。その部分で国外と通じているとなれば、最早軍部には打つ手が無くなる。今のところ遇津にそういった気配が無い事だけが、不幸中の幸いで、救いだった。
こんな状況である以上、証拠を固めて大貫中佐を排除してしまう事こそが、軍部のため、この国のためと断言できる。しかし、そう出来ない現状があり、最大の壁がある。
それが、亘理大尉なのである。
大貫中佐が情報漏洩をしているという証拠を、亘理大尉が全て消し去っている。横領の痕跡から、アリバイ工作に至るまで、全てにおいてと言っても良い。特に情報漏洩に関しては、何度か最悪な事に、漏洩するまでの間、情報が外部流出した事すら掴む事が出来なかった。
大貫中佐にそんな頭脳がない事は――これは個人的に嫌いで馬鹿にしているからかもしれないが――森永少佐にはよく分かっていたし、自分の部下達の意見を聞いても、ほぼ同意見だった。
ようするに亘理大尉という頭脳がいなければ、大貫中佐を失脚させて、軍から追放する事など、非常に簡単な仕事なのだ。だが、現実には、亘理大尉が存在するわけだ。
そしてこの亘理大尉が何を考えているのかが、さっぱり理解出来ない。
これも否定的見解を持っているからかもしれないからではあるが、大貫中佐の人柄は、お世辞にも褒められない。部下は副官であっても見下す。現在実質の副官代わりの亘理大尉にすら、あたりは厳しい。
大貫中佐の指揮下の師団の人間のほぼ全てが、上司である彼を嫌悪していると言ってもおかしくないほど――人望が無い。本当は心優しい、などというようにも思えない。
経費で暴飲暴食を繰り返している大貫中佐は、でっぷりと太っていて、あぶらぎった丸い鼻がてかてかと光っている。毛のない頭部も光り輝いている。背は小さく、風呂に入らない日も多い様子で、悪臭をまき散らしている。生理的嫌悪を覚える人間も、少なくない。
少なくとも森永少佐は、見た目も性格も頭も悪い人間を好意的には見る事は出来ない。
さらには、なんと大貫中佐は、仕事面でもからっきし出来ないのである。
彼が中佐になれたのは、めざとく上司の弱みを握って揺すったからだ。
中央に来られたのは、その時はまだ健在だった彼の母親のおかげだ。親の七光りを惜しげもなく使ったのである。大貫中佐は、何でも彼の母親の前では、非常に性格の良い好青年を演じていたようで、人の良かった彼の母親はそれを疑わなかったらしい。
大貫中佐の母親は優秀な軍人だったのだが、息子には甘かった。
しかし亘理大尉に、大貫中佐の母親と面識があるとは思えない。だから彼の母親に恩義を感じているとも考えられない。そして大貫中佐に恩義を感じているなどと言う事は、さらに考えられない。
だから何故、亘理大尉のように頭の良い人間が、大貫中佐の呆れた行為に付き合っているのかが、全くもって分からない。
純粋に、上司の命令だから、従っているのだろうか?
それとも――考えたくはないが、情報漏洩『させている』のが、亘理大尉自身なのか。
後者ならば、大問題だ。
大貫中佐が亘理大尉の掌の上で転がされているとすれば、それは軍部にとって最悪の事態である。
けれどそれは、どうやら違うらしいという判断も出来る。
そもそも亘理大尉は、漏洩するような情報に、大貫中佐経由でなければ触れる事はない。かつ、漏洩先の企業と直接接触を取る事も一切無い。見返りを貰ってもいない。何度か諜報員に確認させた限り、亘理大尉は、大貫中佐と企業の間で、どのような情報がやりとりされているのかも知らない様子だ。
だから本当に分からない。
忠誠を誓えるような相手ではない大貫中佐に、何故そこまで付き従い、そして守るのか。
亘理大尉のように頭の良い人間が、森永少佐は好きだ。
しかし、敵にまわれば、いかに怖ろしいかも分かっている。
はっきり言ってしまえば、味方につけたい。
森永少佐は、深々と溜息をついた。
何か、打開策は無いものか。そんな風に考えていた。
一つで良い、亘理大尉の弱みを握りたかった。
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