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―― 第二章 ――
【三十】ベルンハイト侯爵家
しおりを挟む翌朝、クライヴ殿下の腕の中で目を覚ました僕は、身支度を整えてからベルンハイト侯爵家へと向かう馬車に乗った。王都は、コーラル城の周囲よりも、まだ夏の残滓が感じられ、木々も青い。
元々がそう外出する方ではなかったせいもあり、王都に来ても、〝懐かしい〟というような感覚はない。寧ろ街中を珍しく感じる。ただ忙しなく歩く人々を車窓から目にすると、王都の時間の流れは、僕の日々よりも早いような、そんな錯覚に襲われる。
僕は膝の上に載せてある手土産の葡萄酒の箱を一瞥した。王領を出る前に、クライヴ殿下がお勧めしてくれたお酒だ。
暫く街路を馬車で進み、僕が漸く懐かしさを感じたのは、ベルンハイト侯爵家の王都邸宅が視界に入った頃だった。クライヴ殿下と暮らすまでの間、僕がずっと住んでいた生家の佇まいは、なんら変化を感じさせない。
停車した馬車の扉を、御者が開けてくれる。僕は馬車に刻まれた王家の紋章を一瞥してから、改めて家の前に立った。扉が開け放たれていて、そこにはずらりと使用人が並んでいる。僕に歩み寄ってきたのは、家令だった。僕が小さい頃から、侯爵家に仕えてくれている。
「おかえりなさいませ、ルイス様」
「……ただいま」
おかえり――その言葉が、適切ではあると思うのだけれど、なんとなく不思議に思えた。ここは確かに僕の家ではあるのだけれど、もう僕が住人ではないからなのかもしれない。
「旦那様と奥様、ジェイス様がお待ちです」
「うん」
頷き、僕は家令の後に続いて邸宅の中へと足を踏み入れた。正面には巨大な階段があり、そこを登っていくと、嘗ての僕の部屋があるはずだ。歩きながら、廊下の各地に点々と飾られている調度品を見る。昔は見慣れていたが、白い彫像は、あまりコーラル城にはないから、帰還したら美術品についても少し再考してもよいかもしれないと考える。僕は取り立てて造詣が深いわけでもなく興味があるわけでもないが、コーラル城を任せるとクライヴ殿下に仰っていただいているから、僕にできる事はしていきたい。
こうして応接間についた時、家令が静かに扉を開けた。
「ルイス、よく戻ったな」
すると父の声がした。視線を向けると、両親と兄が立ち上がったところだった。家令は中にいた執事の隣に歩み寄り、執事はお茶の用意を始める。漂ってきたよい匂いに、今度こそ懐かしいという感想を抱いていると、父が片手を出して、僕を促す。
「座ってくれ」
父は少し老けたように見えた。目の下にはクマがある。母は以前と変わらない。
僕は両親と対面する席に座し、窓辺の一人掛けのソファには兄が座った。
考えてみると、結婚前も僕は、そう頻繁に家族と話をしたことは無かった。最も多く話していたのは兄だが、兄は既に領地の経営に携わっていたから、王都ではなくベルンハイト領にいる場合が多かった。
僕はおずおずと葡萄酒の箱をテーブルの上に置く。
「父上、お土産です。よろしければ」
すると箱を一瞥してから、父が唇の両端を持ち上げた。
「ありがとう、ルイス」
それから家令に指示を出し、葡萄酒の箱を受け取ってくれた。この一連の流れに僕はホッと一息をついてから、改めて家族三人の姿を見る。僕がここにいるのは、呼び出されたからだ。本題にはまだ入らない様子だが。執事がカップを四つ、テーブルに置く。僕はミルクティが注がれるのを見守りながら、言葉を探していた。
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