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―― 第一章 ――
【二十二】楽しいはずなのに
しおりを挟むクライヴ殿下がよく通る声音で、人々を労い、収穫を祈って言葉を捧げる。
初公務とはいっても、僕はその隣に立っているだけだった。こうして挨拶が終えると、開幕が宣言され、正式に月神セレスの祝祭が始まった。
「さて、もう少し見て回ろうか」
子供達の舞が二曲披露された後、クライヴ殿下がそういって僕の手を握った。頷いて僕は、一緒に会場を見て回る。カラフルなひよこが物珍しくて、思わず目を丸くしてしまった。初めて目にするものばかりだ。侯爵家の邸宅にいた頃には、想像すらしていなかった祝祭の風景に、いちいち胸が高鳴ってしまう。
領民との距離も近い。僕はこれほど多くの人に囲まれた記憶がなくて、問いかけられても言葉に窮してばかりだった。傍らで微笑しながら応対しているクライヴ殿下を見る。とても楽しそうな顔をしているように思えた。
「どうぞ」
その時、歩み寄ってきたバルラス商会の会長が、僕にシャンパンの入ったグラスを渡してくれた。
「有難うございます」
そう口にするのも、僕にはやっとのことだった。熱気がすごいから、微炭酸のアルコールで喉を癒すと、体が少し楽になる。そんな僕を見て、会長が苦笑した。
「やはり侯爵家の方には、こういった催しは馴染みがありませんよね」
「え?」
「退屈ですか?」
「いえ……その……」
実際には、僕は今、とても楽しいと思っている。だからその問いかけに困惑していると、会長が苦笑を深くした。
「お笑いにならないものですから、心配しておりまして」
「っ」
その声で、僕は自分の表情筋が、動かなくなって久しい事を思い出した。言われてみれば、今日の僕も、終始無表情だ。確かに胸中では楽しいと思っているというのに、僕の顔に張り付いた氷のような無表情は、ピクリとも動いてはくれない。
本当は、笑いたい。いいや、気持ち的には、僕は笑っていると思う。
なのに、その気持ちが顔に出てこない。僕は慌ててしまい、焦ってグラスを取り落としそうになった。なんとか握り直してから、僕は無意識にもう一方の手でクライヴ殿下の腕の袖を掴む。動揺していた僕は、必死に言葉を探しながら、そうして改めて会長を見た。
クライヴ殿下の片腕が僕の腰に回ったのは、その時の事だった。
「――ルイスの笑顔を最初に見るのは、俺の予定だから、心配は不要だ。会長、それに俺達は今、とても楽しいし、充実したひと時を送っているぞ。これも、会長達が尽力し、この場を整えてくれたからだよ。ありがとう、感謝している」
明るいクライヴ殿下の声が響くと、目を丸くしてから、両頬を持ち上げて会長が頷いた。それから茶色い顎鬚を撫で、空を見上げる。つられて僕も空を見た。月が輝いている。
「いえいえ、もったいないお言葉ですよ。月がお二人に笑顔をもたらす事を祈ってますが、ね。来年の祝祭には、もっともっと盛り上げますから!」
快活な声で笑ってから、会長はクライヴ殿下にもシャンパンの入ったグラスを渡して、別の方角へと歩いて行った。
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