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―― 第一章 ――
【十五】行ってらっしゃいのキス
しおりを挟む――八月が訪れた。僕の背中の傷はだいぶ癒え、軟膏を塗りこめられる夜にも、僕は慣れてきた。クライヴ殿下とは、ほぼ毎日同じ寝台で眠っている。抱かれる日もあるが、どちらかというと抱きしめられて眠る夜が多く、その腕の中で僕はいつも微睡んでいる。
恐らく、僕の体に気を遣ってくれているのだろう。それを申し訳なく思いながらも、僕は甘く、『《おいで》』と囁かれると、それに抗えないし、クライヴ殿下の隣にいるといつの間にか安心するようになってしまって、気づくと瞼を閉じている事が多い。
日中、最近ではクライヴ殿下は、月神セレスの祝祭の準備でこのコーラル城を出る事が多く、僕は毎朝見送りに出る。今もそうだ。
「ルイス」
「はい」
「行ってらっしゃいのキスは? 《してくれ》」
「……っ、はい」
僕は瞼を閉じて、少しだけ背伸びをした。すると屈んだ殿下が、僕を抱きしめるようにする。そのまま触れるだけのキスをしてから、僕は目を開けた。頬が熱くなってくる。朝、出かける前に、必ず僕は、キスをするようにと《命令》されている。
「行ってくる」
こうしてクライヴ殿下は、馬車へと乗り込んだ。その影が遠ざかっていくのを眺めてから、僕は踵を返して、エントランス・ホールを通り抜ける。
僕には僕の仕事がある。妻相当の配偶者の方は、夫の不在時、城を切り盛りするという仕事がある。僕が歩いていくと、すぐに執事のバーナードが、僕の後ろに付き従った。城の侍従や侍女達は僕を見ると歩みを止め、頭を下げる。
この城に来てから、二週間と少しが経過している。僕は、周囲の対応にも少しずつ慣れ始めた。真っ直ぐに自分の執務室へと向かった僕は、執務机の上の書類を見る。同性同士が伴侶となった際には、領地の経営にも携わる機会があるのだと、知識上では僕も知っていたが、いざ仕事が始まってみると、慣れない事ばかりでまだ上手くはこなせない。
今日の執務は、大広間のカーテンを新調するので、その色彩の決定が一つ。もう一つは、半年後の冬に備えた準備の開始となる。冬、この王領は降雪するから、秋に収穫したものを蓄えておく必要があるそうだ。他にも冬は流行り病などが民の間に広がる事も珍しくはないというから、魔法薬を中心とした医薬品の準備もある。
侯爵家で暮らしていた頃の僕は、ただ自室で嘆いてばかりだった。何を任される事もなく、日がな一日寝台の上で、絶望ばかりをしていた。だから出来る事は本当に少ないのだが、いざ仕事を与えられると、生活に張りが出る。
「どうぞ」
バーナードが紅茶を淹れて、僕の執務机の端に置いた。そちらを見て、受け取り礼を述べる。アールグレイの香りに浸りながら、こうして僕は執務を開始した。
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