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しおりを挟む「元気だしなよ間宮」
DKの飴色の椅子に座し、卓上でくんだ指の上に顎を載せ、うつむいている間宮に向かい、務はコーヒーカップを静かに置いた。褐色の液体が、静かに揺れる。ミルクと砂糖は無い。ブレンドコーヒーそのままの、心地よい香りが鼻腔を擽る。
「元気? どうやって出せば良いんだよ? 元気って何だよ」
吐き捨てるように笑った間宮は、乱暴にカップを手に取った。
祭りの夜、彼の妹は待ち合わせ場所には訪れず、彼はただ一人長時間、来るはずもない妹を待っていたのだという。今でも当日彼が纏っていた紺色の浴衣が、間宮の自室の壁に掛けてあることを、務は知っていた。
間宮を祭り会場から呼び戻した携帯電話の音は、彼に、病院の側で一部が欠けた少女の遺体の存在を伝えただけだったのだけれど、妹と共に浴衣を購入に出かけた彼にとっては、駆けつけ遺体を目にした瞬間に、その胴体が誰の持ち物だったのか、悟るには十分すぎたらしい。
もう三日前になるその一件以来、間宮はふさぎ込んだままだった。
時折冗談めかして笑いはするものの、気がつけば遠くを見つめ、追憶に耽るように双眸を細めている。
余程日和が亡くなったことが衝撃的だったのだろう。そんなことを考えながら、自分の分の珈琲を手に、務は、彼の正面に腰を下ろした。
「誰が……」
もう何度目になるのか分からない間宮の呟きを聴いた。間宮はずっと、誰が日和を殺したのかと、そればかりを気にしている。まるでとりつかれたようで、他の話題など、取るに足らないことであるかのような素振りだ。だからなのか、梓月から本当のことを聴いたのだと務が言った時も、梓月が直接、間宮に何故嘘をついていたのかと尋ねた時も、ぼんやりとしているままだった。
「あんまり考え込まない方が良いよ。現実を受け止めた方が良い」
「お前がそれを言うのかよ務。大体、お前結局外に出る方法を知っていたんだろ? だったら、お前じゃないのか? お前がまた殺したんじゃないのか? 日和は、日和は」
「また、っていうのがどういう事なのか、未だ僕は聴いてないけど。少なくとも、ここに来て、僕の病室に遊びに来てくれた日和ちゃんには、本当に感謝してるんだ。元気づけてもらったと思ってる」
そう口にして、務はカップを傾けた。苦い液体が、喉を濡らしていく。
「綺麗事は良い。正直俺はお前を疑ってる。お前は俺を恨んでるだろ? 日和が死んで、俺がこうやって落ち込んでいるのを見るのが、さぞ愉快で仕方がないだろ?」
「そんなはずないだろ。確かに、色々あったけど、間宮にも本当に感謝してる。間宮がこの病院で僕の面倒を見ていてくれたのはどうして? 間宮がいなかったら、やっぱり僕は今此処にはいないんだ」
務の言葉に、間宮は左手で眉間の皺を押さえた後、静かに顔を上げた。
「有紗を殺したのが俺だって言っても、同じ事が言えるか?」
「え? だって有紗は新型で」
「あの日、お前に有紗がベラベラ喋ったって話を聴いて、俺は化学準備室に置きっぱなしだったお前の鞄からカギを拝借して、お前の家に行ったんだよ。玄関の前に、カギが落ちていなかったか? 帰りにそこに落としたんだよ、俺が」
不意に発せられた言葉に、驚いて務は瞬きをした。背後で、火にかけてある鍋が啼く。ことことと、場違いな程のどかに、ビーフシチューが音を立てる。
「そもそもお前の妹は新型になんか罹患してなかったんだよ。そもそも邪魔になったんだよ、だから、うちの病院で、マキナエルライトの欠片を検査してる時に、E8を摂取したんだ」
「E8? 何それ?」
「ウイルスだよ。お前、どんなに近づいても移らなかっただろ? 当たり前だ。感染病になんか罹患していなかったんだからな、有紗は」
「じゃあ僕が、有紗から聴いたって言って間宮に話したから、だから有紗は君に殺されたの……?」
「お前のせいだって言ってるんじゃなくて、俺がやったって言ってるんだ。お前って本当、原因を内側に求めるよな。別にお前の存在なんて、微塵も影響しなかった。有紗が邪魔だった不要だった、それだけだ、俺にとっては」
「でも有紗は僕にとっては必要な、大切な妹だった」
「腐らせた奴がよく言うよ。でもまぁなんだ? その大切な妹とやらを殺したのは俺だって言ってるんだ。お前の父親を射殺したのも俺だ。お前の姉を解体したのも俺。ああそうだ、お前の家の猫にとどめを刺したのだって俺だ」
「猫?」
「ま、あれは最初に轢いたのは明菜の家の車だけどな。おかしいと思わなかったのか? 白い車って言ってただろ、あいつ。あいつが助手席に乗ってたんだよ。猫を最初に轢いた白い車の助手席にな。大体、都合良くスコップもってお前に声かけるなんてできすぎだろ。初めからお前が猫を埋めに言ったの知ってて、わざわざ店で買って追いかけたんだよ」
確かにあの時、前原明菜が、白い車と口走ったことを思い出す。考えても見れば、園芸店などあの辺にあっただろうか。
「臨海公園からお前のこと追いかけて、俺が車で通りかかって、まぁその時にとどめを刺しちゃったわけだ。ほぼ確信犯だったけどな。で、次の日明菜にその話して、俺からはお前に言わない約束で、口裏を合わせてもらったんだよ。俺は早退してないってな。お前この手紙のこと覚えてる?」
まくし立てた後、間宮が見覚えのある封筒を、机の上に叩き付けた。務は呆然としたままそれを見ていた。緑色のクローバーの縁取り。おずおずと手を伸ばして、しっかりと握り開封する。そこには、さび吉を轢いてしまったのは、自分の家族の車なのだと懺悔する言葉が並んでいた。
「なんでそんな事……」
「あの日、あんなに猶予がないとは思わなかったんだよ。俺としては? 何だ? 嗚呼、お前なんてどうせ神野先生の次の身体な訳だから、お前って言う人格がある内は、余計なことわめき散らされずに良きお友達として終わりたかったって、そういうことだ。嫌、本心としては、自分が病気何じゃないかって不安がるお前を見てるのが面白かったのかもしれないな。そういえば、お前、網膜認証した時喜んでたよな。父親に家族として認めてもらっていたんだって。馬鹿じゃないのか、お前の身体は、お前の父親のコピーなんだよ。認証できて当然だ。お前に何て生きている価値はないんだよ。身体だけだったんだよ、求められていたものは初めから。本当、馬鹿。誰もお前の中身なんて必要としてないんだ」
間宮が声を上げて嘲笑するのを、務は見ていた。無論、彼の言葉に対して理解も感情も追いつかないと言うこともあったのかもしれないが、おかしな程冷静な自分自身が一番理解に苦しむ対象だった。以前は、誰からも必要とされていない恐怖を、ありありと感じていたはずなのに、今この時務は、寧ろ自分を怒らせようとするかのように言葉を紡ぐ間宮に対して、哀れみさえ感じていた。
「じゃあ、僕と父さんは同じ人間なの?」
「体組織が同一なら同じ人間なのか? 一卵性双生児は同じ人間か? そういうことだよ。結局個人の定義なんて、今となっては、その記憶や人格と呼ばれるような曖昧なものでしかないんだ。だから記憶装置が生まれたんだろ。だから記憶装置の中身を移植するまではお前はお前。また日和を殺す可能性がある人として最低な部類の人間だって事だ」
「日和ちゃんも、コピーだったの?」
「黙れ」
それまでとは異なる低い声音で、間宮が務を睨め付けた。
「日和は、日和だ。ただそれだけだ」
凍てついた炎があるとするならば、それは、今の間宮の瞳の色によく似ているのだろうと務は思った。間宮は良く笑うし、よく喋るけれど、その奥底にある心情を覗けることは実に少ない。そしてそれが叶った時は、今のようにこうして冷たい怒りばかりだ。
「間宮、僕も妹を亡くしたから気持ちは分かるよ」
「何が分かるって言うんだよ? 気持ちが分かる? 馬鹿なことを言うな。何か? そうか、他人の妹を殺すのがどんな気持ちか分かるって、そういうことか? それ以外の気持ちが分かってたまるか、お前なんかに」
「他人なんかじゃない。君は僕の大切な友人だ。そうだろ?」
「友人? だからさっきも言っただろう。お前の大切な多くの人間を殺したのは俺だ。憎くて憎くて仕方がないだろ?」
「確かに許せることと許せないことはあるよ。だけど友人を憎んじゃいけない決まりでもあるの?」
「お前のその綺麗事には、偽善にはほとほと吐き気がするんだよ。善人者ぶるな」
「間宮こそ偽悪心を捨てたらいいよ。悲しいんだろ? 日和ちゃんの事が。今君がするべき事は、僕に糾弾される事じゃない。それともその方が気が楽なの? そうか、日和ちゃんのことで、自分を責めているのは本当は君なのかもしれないね。間宮のせいじゃないよ、僕が保証する」
「務……」間宮の瞳が、幾ばくか軟化したことを、務は見て取った。
「人間は、悲しい時は悲しまなければ駄目なんだと思う。僕がこのことを知ったのは、だけど多分、君がいつか屋上で僕に教えてくれたからだよ。無理をしちゃ駄目なんだ。言って楽になるなら言えばいい。最も聴いてくれる人がいれば、だけどね。僕でその役に足りるのであれば、いくらでも君の側にいるから」
些か自嘲気味にそう口にして、務は立ち上がった。背後で穏やかに啼き続ける鍋へと歩み寄り、用意してあった皿を目にしながら、僅かに開いていた蓋を取る。
「お前……なんで、こんな俺に、そんな事が言えるんだよ。それが偽善じゃないって言うんなら、いったい何なんだ」
「それが、友情、って奴なんじゃないのかな」
ビーフシチューをよそいながら、務は応えた。先ほどまで鍋の蓋を閉まらせなかった、白い右手の骨が、白い天井よりもなお白く、窓から差し込む陽光を反射している。
実際には、僅かに黄ばんでいたのだけれど、じっくり煮込んだ日和の腕の骨が、務には、純白に見えたのだ。
「食べなよ間宮。もう、三日も食べてないんだからさ」
務は間宮の正面に皿とスプーンを置き、再び席に着く。
「務……俺は、お前のことを誤解してたのかもしれない」
神妙な面持ちでスプーンを手にした間宮に向かい、務は満面の笑みを浮かべた。沙希香を食べている自分を眺めていた時の間宮も、今のように慈愛に満ちた心地だったのだろうかと考える。背後の閉まらない鍋の蓋を一瞥してから、務は指を組み、口へとビーフシチューを運ぶ間宮を眺めた。
鍋の中で、天井を掴もうとしている風情の骨が、ただ静かに温度を失っていく。
向かい合う二人、穏やかな時間。
間宮が生ゴミ処理機の中から、右腕の骨を目にするのは、その翌日のことだから、この時の二人の間に横たわっていた気配は、真に穏やかなものだったのかもしれない。
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