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しおりを挟む自分が自分であるという自覚を取り戻した時、務は車いすに座し、白いレースのカーテンを握っていて、窓から差し込む光に顔を撫でられていた。
青色の小鳥が飛んでいて、新緑に萌える薔薇が見えた。
「――と思ってるんだ。だから俺はさ、夢子よりアトラスの方を推薦したいのは山々なんだけどな、やっぱり。務はどう思う?」
囀りを遮るように、つらつらと耳に入ってきたのは、よく覚えのある声で、二度、務は現実を認識しようと瞬きをした。
「……務? お前今、瞬き」
「え?」声の主を確かめようと、正確には思い出そうとして、ゆっくりと務は首だけで振り返った。すると左手の、飴色の椅子に腰を下ろした間宮の、驚いたような姿が目に飛び込んできた。
「お前……意識が戻ったのか?」
意識が。間宮のその声に記憶を辿る。最後に覚えているのは、鼻孔から虫が出入りする感覚と、目の上に産卵された事実で、ただその状況の記憶はあるというのに現実感がまるで沸かなかったものだから、務は腕を組もうとした。
そして力の入らない体躯と、右腕から伸びる点滴のチューブを自覚する。
「僕、一体どうしたの?」
「良かった。すぐに医者を呼んできてやるからな」
「待って。僕、いつから此処に?」
此処が何処なのか分からなかったが、務は、窓の外の緑を再度一瞥し、自分の記憶がどこまで正確なのかを必死で考えた。
「俺が見に行ったら、お前虫に集られて倒れてたんだ。大分前、もう十年は経ったな」
「虫?」
「っ、覚えていないのか?」
「覚えてるよ。ねぇ、それってさ、誰の体に沸いた虫?」
覚えてはいた。けれど、いつか誰かに、夢だと言われたその声が両耳を責めるものだから、怖くなって務は訊ねた。
「誰って……そんなの決まってるだろ。お前の実のア」
「うん。有紗じゃないよね?」
戸惑う様子の間宮に向かい、確認の意味を込めて聴いた。そうでなければ、今でもありありと思い出すことの出来るあの皮膚を食い破られる感覚も、右足の指をかじられた感触も、ふくらはぎの上で蠢く感触も、全てが夢だったと言うことになってしまう。あれほどおぞましい感覚を伴う夢など、これまで務は見たことがない。それでも、地下に二人いたはずなのに、こうして陽光のような暖かい光や、生きた他の動物を眺めている現状が、自分の記憶に否を唱える。
「……何言ってるんだよ?」
驚いたように、真顔で間宮は間をおいた。
「有紗に決まってるだろ。他に誰が、あんな、あんな」
「……え?」しかし返ってきた返答が予想外のもので、聞き返してから、何度も何度も務は瞬いた。
「お前の様子があの頃あんまりにもおかしかったから、俺、務の家に見舞いに行ったんだろ? そうしたらお前が倒れてて、お前の妹が死んでて、それで虫がさ」
「間宮、何を言って」
「それは務だろ? 全く、意識が戻ったと思ったら何を……ま、戻っただけでも良かったよ。俺心配すぎて、毎日看病に来ちゃってたんだからな」
「まさか。じゃあ、ここは一体」
「病院だよ。俺の祖父ちゃんの所」
「病院? だって街は核弾頭で」
「……核弾頭? お前、それ、本気で言ってんの?」
間宮の困ったような眼差しに、務はそれでもまだ、記憶と現実の整理がつかなくて、ただ静かに首をひねる。自身の記憶が正常である自信など無かった。けれど、あの記憶が偽りであるとは到底思えない。その上、相手はあの間宮だ。もう、だまされてはならない相手だ。
「ごめん。そうだね、そんな事があるわけがないよね。記憶が錯綜してるのかな」
けれど、確かにマキナエルライトが暴走しただの、核爆弾が投下されたのだという自身の記憶は滑稽無糖に思えた。だからひとまず相手の出方を窺おうと決意し、静かに唇をなめる。
「ああ、そういう事か。なら、しょうがないな。まってろ、すぐに先生、あ、お前の家族も呼んでやるから」
しかし、間宮が、また嘘をついているのだとしたら、実現不可能であるようなことを言うものだから狼狽えた。もう、一緒に暮らしていた家族など、誰も生きてはいないはずなのに。ここにきて、漸く温度を持った感情を取り戻し、務は強く目を瞬かせた。
「ちょっと待ってな。すぐに呼んできてやるから」
立ち上がり、出て行った間宮を呆然と見送りながら、務は腕を組もうとした。けれど衰弱した体ではそれも思うように成らず、多大な労力を要する。
胸にきき手を当て、何度か浅く吐息し体を落ち着けた時、間宮が誰かを連れ戻ってきた。
「務、良かった、どうなることかと思ったぞ」
間宮の後に続き入ってきたのは、白衣を纏った青年だった。
「あ……梓月さん……?」
そこには母親の弟である、叔父、宇賀谷梓月の姿があった。確か蓬の大陸での事件以後、ずっと入院していたと聴いている。
「色々と災難だったらしいな。でもまぁお前が無事で良かった」
「梓月さんこそ、無事だったんですか?」
「健康体とは言えないが、まぁ日常生活に支障はない」
笑いながら腕を折って指を波のように動かして見せた叔父に対し、まさか本当に夢だったのだろうかと怖くなって務は訊ねた。
「此処、何処?」
「何? ああ、混乱してるんだったか」務の言葉に、間宮を一瞥してから、梓月は腕を組んだ。
「良和の所の病院だ。良かったな、最先端医療に関わりのある友人がいて」
「嘘だろ? だって街は、核弾頭で」
「核? なんだそりゃ。どういう事だ?」
「梓月さんさっきもいったじゃないすか。だから務の奴、今は……」
「なるほどな。でもこの様子じゃ……やっぱり、俺が引き取ろうか?」
「嫌、俺務の友達だし、やっぱずっと長く一緒にいた俺の方が、色々と手助けできると思うんだよな」
「え?」
「まぁそういう事ならそれで良いというか、甥を頼むというか――しかし務、お前も良かったな。こんなに良い友達に恵まれて」
眼前でなんの話が交わされているのか、いまいち理解できずに、務はうつむいた。
「ねぇ、沙希香は?」核爆発など無かったというような口ぶりを叔父にまでされたとはいえ、それでも姉の一件が夢であったなどとはどうしても思えない。
「亡くなったよ」間髪入れずに返ってきた叔父の声に、再度顔を上げる。
「梓月さん。今は刺激すんなってさっき言ったじゃ――」
「隠し通せる事じゃないだろう、良和。あのな、務。沙希香は、例の災害の時に亡くなったんだ。神野先生……義兄さんもな。有紗ちゃんの事も訊いた。辛いとは思うが、気を確かに持て。せっかく、こうやって自分も取り戻したんだしな」
「例の、災害?」亡くなったという自分の認識が正しいことには安堵しながらも、死因が分からず務は目を細めた。その上、有紗の件を、叔父は知っているという。
「梓月さん。これ以上は駄目だ。面会時間も終わってるんだし」
「ああそうか。ま、そうだな。時間はたっぷりあるわけだし。本当に頼んで良いんだな、良和」
「まかせとけって」間宮が力強く頷くのを、務は眺めていた。その前で、更に一言二言交わし、叔父は病室だというこの部屋の扉を押し、出て行った。
「務、元気出せよ、ってまぁ今すぐにっていうのは無理かもしれないけどな。ほら、これから少しずつでもさ。俺も手伝うから」
「ねぇ、災害って何?」
「ああ……爆発事故のことだよ。MIOの施設で、不慮の事故があったんだ。お前の親父さんも姉貴も、そこにいたんだよ。お前、何処まで覚えてるんだ?」
逆に問いかけられて、務は言葉を失った。
少なくとも、そんな爆発事故の記憶など、皆無だ。
「それを聴いて、お前が学校来ないから、俺心配して見舞いに行ったんだよ。そしたらお前が有紗ちゃんの部屋で……」
「日和ちゃんは? 君の妹は?」
「は? 日和がどうかしたのか? 明日にでも連れてきてやるよ」
首を傾げる間宮に、呆気にとられ、務は眉根を寄せた。
「あの件があってもう半年だ。その間、お前はずっと、生きてるのに死んでるみたいだったんだよ。茫然自失って言うのか? 心神喪失?」
「さっき十年て……」
「そんなもん冗談に決まってるだろ。ま、俺の体感的に、お前と話せない時間が長すぎる気がして、そのくらいに感じたのは本当だけどな」
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