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ブラックベリーの霊能学
【三十八】特技①
しおりを挟む――僕は本日の出来事を振り返っていた。
僕が存在しないと確信していた、火朽桔音なる編入生がいきなり目の前に現れたからである。
正直、焦った。
不意に開いた扉を見て、扉もまた壊れてしまったのかと悩んでいたら、ふと人の気配を感じて視線を向けたら、正面の席に、暗い茶色の瞳の青年が、腕を組んで座っていたのである。
……僕は普段、お世辞にもテンションが高いとはいえない人間だ。
そして、オカルト現象否定派でもある。
が、小さい頃から僕は、信じてこそいないままながらも、周囲から『怪異への向き合い方』を教わって過ごしてきた。
ここでいう怪異とは、本日を切り取って振り返るなら、存在しなかった人物がいきなり出現した事ではない。僕の正面、火朽くんの周囲には、赤にも青にも見える炎が揺らめいていたのである。
僕は過去にも、同じ色彩の炎を見た事があった。
数少ない僕の経験ある心霊現象――では、ない。
あれは、墓地での事だった。享夜さんと昼威さんと共に、藍円寺の前住職御夫妻の三回忌に出かけた時の記憶が、最古だ。あの時、享夜さんは凍りついて僕に抱きつき、昼威さんは冷静に言った。
「人骨にはリンが含有されている。リンは、60度で発火するんだ。この墓地は、火葬が始まるのが非常に遅かったからな、夏にはよく、こういった発火現象――俗に言う狐火が見られる」
それを聞いた時、享夜さんは大きく首を振り、僕ではダメだと思ったのか、僕の横に立っていた祖父の着物の裾もギュッと握りはじめた。
すると祖父が呆れたように享夜さんを見ながら、大きく溜息をついた。
「火が見えたという事実や証言から、様々な推測をすることは可能じゃ。問題は、なぜ推測するのかであり、答えは簡単じゃ。理解できないものに対して、人間は恐怖する。よって理屈をつけて納得することで、恐怖を半減させるというわけじゃな」
それから祖父は享夜さんの頭を軽く叩いた。
「しかし真の問題はそこではない。その現象が、わしらにとって『有害』か『無害』か、だ。享夜よ。確かに害の有無に問わず、強い力は同一のある種の畏怖をもたらすが、いくら怖くても無害であれば、問題はなかろう? わしらにとって、そこの狐火は別に無問題であるが、この墓場を飛んでいる蚊子は、非力ながらに非常に有害である、違うか? 刺されると痒い」
僕は、祖父の声に、幼いながらに非常に納得した記憶がある。
だからあの日の帰り道、祖父に尋ねた。
「ねぇ、お祖父ちゃん」
「うん?」
「有害な現象に遭遇した時に、それが蚊子と違って防虫スプレーでは撃退できないような、それこそ頭の中で理解して落ち着かいないといけないような存在だった時は、どうすればいいの?」
すると祖父は、僕の声に優しい顔をした。
「笑い飛ばせば良い」
「え?」
「――そんな有害現象は存在しないと断言し、ひたすら元気よく、笑うのじゃ。実は蚊子を撃退するよりも、よほど簡単な事なのじゃよ。特にわしらのような、玲瓏院の人間にとってはのう。人間が『実在しない』と決めてしまえば、いかに有害な現象とて、存在証明が困難になる。よって、無視せよ」
「うん。次に狐火を見たら、それがもし悪いものだったら無視する」
僕が頷くと、後部座席の隣に座る祖父は、僕の頭を優しく撫でた。
それから少しだけ、真面目な顔をした。
「だがのう、もしそれでも消えないような怪異であるならば――あるいは、人の姿を形作る事が可能な程度の強い”魔”が相手ならば、別のもっと良い方策がある」
祖父はそう言うと、小さく頷いてから続けた。
「気づかぬふりをする事じゃ。この時は逆に、その対象を、決して妖魔のたぐいと認めてはならない。先手を打って、『人間である』と断言し、以後は人間として扱い、決してこちらが疑っている事に気づかれてはならぬ。さすれば、多くの存在は、人間として振る舞い始める。人間として認識される限り、その者は自分の存在を証明するために、人間らしくする傾向が生まれるのじゃよ」
この時の僕には、難しかったが――その後、民族学の本などを読む内になんとなく理解した気がする。ただ知識を得ても、結局の所、祖父の提案が適切だったという思いが強い。
一言にするなら、『笑い飛ばす形で、あまり刺激せず、相手を人間として扱う』という事になる。そのために必要なのは、僕が嘘をついていないと信じてもらうための術だ。
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