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火朽桔音という現象
【二十七】火朽桔音という現象③
しおりを挟む帰宅した火朽は、表情こそ普段通りの微笑を保ちつつも、非常に苛立ちながら、冷蔵庫の前に立った。彼を苛立たせているのは、玲瓏院紬である。
怒りをぶつけるようい、ナスを乱雑に切りながら、火朽は目を細めていた。
こうして完成した麻婆茄子は、いつもよりナスの形が適当であった。
火朽が食卓にそれを運ぶと、上機嫌のローラと、それを見ている砂鳥がいた。
他には、豚しゃぶのサラダと、ひじきを作った。グラタンもある。
無秩序だが、火朽は気にしない。火朽以外も気にしない。
いつも火朽の作る料理には、統一性が無いからだ。
席に着きながら、ニヤニヤと楽しそうなローラの顔を見て、ついに火朽は視線を落とした。
ローラは何やらこの生活を楽しんでいるらしい。実に羨ましい。
そう思えば、自分自身の現状が、憂鬱になってきて、火朽は遠い目をした。
「火朽さん?」
すると砂鳥が、首を傾げながら、火朽を見た。
それに気づいて、火朽が顔を上げる。
「おかわりですか?」
料理担当の火朽は、まずそう聞いた。だが、砂鳥が小さく首を振る。
「あ、いえ。あの、なんだか暗いですけど、何かありました?」
どこか心配そうな砂鳥を見た瞬間、火朽はもう我慢できなくなった。
それまで誰かに愚痴った事は一度も無かったのだが、気が付くと唇が動いていた。
「……聞いて下さい。ほら、初日に、僕を無視ししてる人がいるって話をしたでしょう?」
「覚えてます」
火朽の言葉に、砂鳥が、大きく頷いた。
「有難うございます。その人がですね……今も僕を無視してまして」
砂鳥の様子に微苦笑してから、火朽は続けた。すると、砂鳥が眉根を下げた。
「辛いですね……」
しかし、火朽は思わず首を振った。
「いや、別に。頭にきますしイラっとはしますが、無視ごときで傷つくような繊細な心を、残念ながら僕は身につけていないので、そこは良いんです」
正直腹は立つが、火朽は無視されてショックを受けるような、細い神経を持ってはいなかった。苛立ちは止まらないが、それは悲しみではなく、怒りだ。しかしそこが愚痴を言いたい一番の部分ではない。
「ただ、ちょっと問題がありまして……」
「問題?」
火朽の声に、砂鳥が聞き返した。
「ええ。見かねた夏瑪先生が、僕と彼を同じ班として、共同発表を企画して……下さったのは、分かるんです。有難い配慮ですが、余計なお世話で――というのは兎も角、それで、今日の午後に打ち合わせをする事になっていたんです」
思い出しながら、火朽は言う。砂鳥は、頷きながら耳を傾けている。
「僕は時間通りに行き、彼も時間通りに来たんですが……僕が話しかけても全部無視で、一度も視線も合わず……その後、二時間経過した時、彼がおもむろに立ち上がり、夏瑪先生の教授室へと行き……」
火朽の脳裏に、紬の姿がよぎった。その後は、夏瑪教授から聞いた話から、想像した紬の坑道が勝手に浮かんできた。
「そして一言。『すっぽかされました。僕、帰って良いでしょうか?』と……言ったらしいんです。部屋にそのままいた僕に、直後、夏瑪先生から連絡があって、発覚しました。僕が教授室に着いた時には、既に彼は帰路についていましたよ」
陰鬱な気分になりながら、火朽が言うと、砂鳥が驚いたように声を上げる。
「へ?」
「僕にはもう、彼の気持ちがまるで分かりません」
どんよりとした気分になりながら、火朽は肩を落とした。
次第に怒りを通り越して、虚しさが浮かんでくる。
だから一度溜息をついてから、静かに続けた。
「いくら僕でも、学業に支障が出るのは、ちょっと……そろそろ許容できないと言いますか」
何せ、勉強をするために、大学に通っているのだ。火朽はそう考えて、目を細めた。
「火朽さん……火朽さんは、悪くないです」
すると砂鳥が、必死な様子でそう言った。そちらを一瞥してから、火朽は大きく頷く。
「ええ。僕の悪い部分は、我ながらゼロです」
どう考えてみても、己には悪い所がないと、火朽は確信していた。
「今悩んでいるのは、どのようにして、八つ裂きにしてやりたいこの心境を抑え、人間の法律的な意味合いで――合法の範囲内で復讐してやるかというドロドロとした内心の收め方です」
そのまま、気づくとうっすらと笑っていた。苛立ちが再び最高潮に達していた。
「ファ、ファイトです……!」
それからどこか引きつったような砂鳥の応援の声を耳にしたようにも火朽は思ったが、その後の食事の最中は、ひたすら紬について考えていた。
許せない――そう、一人思っていたのである。
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