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火朽桔音という現象
【二十二】明確な無視①
しおりを挟む「あの、玲瓏院くん、良かったら一緒に、お昼ご飯をどうですか?」
すると――丁度扉から出ようとしていた紬が立ち止まり、静かに振り返った。
自分の方に視線が向いたので、火朽は心の中で安堵する。
しかしそのまま、何を言うでもなく、紬は再び歩みを再開して、出て行った。
「これは……きっと、YESですね! うん。ですよね!」
火朽は非常に前向きな性格をしているので、慌てて紬の後を追いかけた。
そのまま無言で、エレベーターに乗り込む。
一階に到着するまでの間も、その後、学食へと向かう道中でも会話はゼロだった。
だが、自分が隣を歩いている事に対し、紬は不満を言わないので、火朽はそれを進歩と捉える事に決めていた。
「冷やしたぬき蕎麦」
食券を買って、紬が頼んだ。火朽は無難にカレーを頼んだ。
すぐに出てきた料理のトレーを、紬が持って歩き出す。
学食の列は流れ作業のようだったから、火朽も周囲の動きに合わせて受け取り、その後は紬を追いかけた。すると――紬は、どこからどう見ても、一人用の椅子に座った。ま、まぁ隣に座る事は不可能ではないと判断し、火朽はそこに腰を下ろす。
すると、紬が唐突に、バシンとテーブルを叩いた。
「あのさ、鬱陶しすぎるんだよね。さっきからさ。本当、嫌になる。ご飯くらい、僕は静かに食べたいのに。なんていうか、イタイんだよ。動きがさ」
そして不機嫌そうにそう言った。
非常に小さな声であり、火朽以外には聞き取れないだろう声音だった。
「――僕は、何か気に障る事をしましたか?」
「……」
「玲瓏院くんは、僕の何が嫌なんですか?」
「……」
「食事をするのが嫌なようなので、僕はここから立ち去りますが、その条件として、ぜひお聞かせいただきたいんですけど」
「……」
「僕の行動が痛いって、どういう意味ですか?」
火朽は一気に聞いた。口元には笑みを浮かべていたが、瞳は険しい。
しかし、紬は何も答えず、蕎麦を食べ始めた……。
そのまま――食べ終わるまでの間、なお言えば、三限が開始するまでの間、紬は何も言わなかった。奇しくも、三限も火朽と紬は同じ講義をとっていたが、そちらには学生がいっぱいいたため、火朽は頭を切り替えて、昼の出来事は忘れる事に決めた。
こうして紬は、翌日からも火朽に観察される事になったのだが、本人は長らくその事実に気が付く事は無かった。
火朽は翌週のゼミまでの一週間、『毎日』――紬の隣を歩いた。観察の優先順位が高くなったからではない。人混みで他の生徒の目がある時は笑顔だが、二人きりで歩く時など、最近の火朽は傍から見ても冷たい眼差しをしている。
しかし、紬が何かを言う事は無い。表情の変化以前に、無視が継続中なのである。
無視――火朽にはそう思える辛い日々の中にあって、常時であれば、彼はとっくに距離を作っていただろうが、今回はそれができない事情があった。
玲瓏院紬の観察よりも優先度が高い一番上のもの、大学生として勉学に励む事……分かりやすく言うならば、これは『講義へ出席する』という行動だ。
今は、ゼミの前の最後の講義、二限へと向かっている最中なのだが……紬の横を歩いているのは、やはり行き先が同じだからであるとしか言えない。
時間割の決定は、操作して潜り込んでいるのは火朽であり、紬側は四月の履修登録時期に終わっていたはずである。なのに、見事にこの一週間、全ての講義が同じだったのだ。
むしろ火朽側が紬と同じ講義を選択して後から時間を組んだ、と、言われたら皆が信じるだろう。全て同じだったのだから。しかし、そんな事実はない。
学んでみたい学問――授業を選ぶにあたり、火朽は夏瑪教授の意見を一部参考にはしたが、基本的にはシラバスとにらめっこをして、彼は自分の興味が惹かれたものをひたすら選んでいった。紬がどういった理由で、それらの講義を選んだのかは、火朽には分からない。
不真面目な大学生の大半は、単位取得が楽な講義の情報などを手にしているという。
折角の学ぶ機会を潰す彼らの神経が、火朽には理解できないが。
とはいえ、紬は――ここまでの全ての講義に、基本的に出席し、真面目に話を聞いている。
思い出して火朽は立ち止まり、先に進んでいく紬を見据えた。
「ここまでかぶると、僕と彼の趣味――好奇心を満たしてくれる講義や、興味を持つ対象が同じとしか……かなり深い部分で、気が合う……いいえ、そんな事はありえませえんね」
そしてそう呟いてから、後ろから来る二人の気配に振り返る。
今度は笑顔をきちんと浮かべ、火朽は振り返った。
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