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【九】王宮へ
しおりを挟む「食料は、これだけあれば大丈夫かと」
翌日、メルクと合流すると、彼は紙袋を抱えていた。それを見てヴェルディスが大きく頷く。
「助かる」
「いえいえ。ルファ様のためですから」
ヴェルディスがその言葉にも頷いた。
こうして三人は、再び場車に乗り込んだ。その後、走り出して少しすると、メルクが目を細めて笑った。
「なんだか、今日のルファ様は色っぽいですね」
それを聞くと、ヴェルディスの片眉が跳ねた。あからさまにヴェルディスがメルクを睨む。ルファは小首を傾げた。するとメルクがニヤニヤと笑った。
「ルファ様、首にキスマークがついてますよ」
「え!?」
慌ててルファが右の首筋を押さえた。昨日ヴェルディスに口づけられた場所だ。するとヴェルディスが眉を顰めた。
「外套でそんなものは見えないはずだ」
「――キスマークをつけた事は、否定しないんだ」
「っ、それは」
真っ赤になっているルファの隣で、ヴェルディスが言い淀んだ。メルクは二人の様子に小さく吹き出す。メルクから見れば、二人が特別な間柄であるというのは明らかだった。ルファとヴェルディスの間には、甘い空気が漂っていて、馬車の中でも時折二人がそれぞれ愛おしそうに視線を向けているからである。
――その後、二日ほどかけて、馬車は王都の中心部へと入った。
三人での旅路は、相応に楽しかった。しかし、王宮が近づくにつれ、ルファは体を固くした。
「これまで有難うございました。私は大聖堂に戻りますね」
王宮の手前で、メルクが馬車から降りる。
見送りながら、ルファはどんどん緊張が激しくなっていった。既に王宮が目視出来る。再び走り出した馬車の車窓から、遠ざかるメルクの姿を見て手を振りつつ、ルファは眉根を下げた。
「ルファ様、何も心配はいらない」
ヴェルディスが、そっとルファの手に、己の手を重ねる。その温度が力強く思えて、ルファは小さく頷いた。ヴェルディスが一緒にいてくれるのだから、もっと前向きに捉えてみようと考え直す。不安にばかり囚われていても、何も始まらない。
王宮の門の前で馬車が一度止まり、門番とヴェルディスがやり取りをした。すると門番が姿勢を正し、恭しく腰を折ってから、馬車を中へと入れた。馬車が王宮の敷地へと入る。噴水を車窓から眺めたルファは、ひっそりと唾液を嚥下した。
馬車が停止すると、扉の前まで騎士達が長い絨毯を敷いた。ヴェルディスが先に降りて、ルファに手を貸す。
「ようこそおいで下さいました、ルファ様」
代表して、近衛騎士団の団長がそう述べると、並んだ騎士達が皆、低く腰を折った。ずらりと並んだ彼らの様子に、ルファは思わずヴェルディスの服の袖をギュッと掴む。ヴェルディスは優しい顔でルファを見ると、穏やかな声で言う。
「大丈夫です。参りましょう」
ヴェルディスがルファの腰に触れる。そしてゆっくりと歩き始めたので、慌ててルファも隣を進んだ。ルファの歩幅に合わせてヴェルディスはゆったりと歩いている。ドキドキしながらルファは、何度もヴェルディスの横顔を見上げながら歩いた。
絨毯が通じる、案内された先は、国王陛下への謁見の間だった。絨毯の先には階段があり、その上の玉座には、スーレイメル王国の国王であるネイスが座していた。
「よくぞ参った。余の甥、か。アルフに実によく似ている」
玉座から立ち上がった壮年の国王は、目尻のシワを深くし、満面の笑みを浮かべた。
「ル、ルファと申します……」
「ルファ。会う前から余は、その名を知っておった。余は正しくルファの伯父だ。我々は家族であり、スーレイメルの血を同じく引く者だ。会う事が叶い、非常に嬉しい」
階段を下りてきたネイスは、おどおどしながら頭を下げていたルファの両手を取る。その隣で、ヴェルディスは床に膝をついて頭を垂れていた。
「ヴェルディスもよくやってくれた。おもてをあげよ」
「勿体無いお言葉です」
ネイスの許しに、ゆっくりとヴェルディスが姿勢を正す。それを見てから、ルファは最も不安である事を尋ねた。
「あの、本当に僕は、王族なのですか?」
するとその時、国王の肩に、天井から降りてきた巨大な鷹のような鳥が止まった。
『間違いない』
鳥が、人語を解した。確かに鳥から聞こえたように思い、ルファが目を見開く。すると微笑しながら、大きくネイスが頷いた。
「余の召喚獣の、ミゼリアだ。ルファの名を、不死鳥の王ベリアルより聞き、教えてくれたのもミゼリアだ」
『ベリアルは、古き友だ。ルファの姿を見せてもらった事もある。間違いない。血の気配でも判別可能だ』
唖然としながら、ルファは鷹型の召喚獣の言葉を聞いていた。ミゼリアはその後再び天井へと舞い上がる。すると謁見の間の高い天井付近で、一度光の粒子に変わり、直後ミゼリアが大きな姿に変わった。羽が揺れる度に、銀色の粉のような光が舞い落ちてくる。
「ミゼリアは夜の王だ。余の良き友人でもある」
「召喚獣は、現実の世界にも、喚び出せるんですか?」
そういえば、契約をすると一定の範囲に顕現出来るようになると、ベリアルからも聞いたように、ルファは思った。
「いかにも。ルファにも、不死鳥の王を召喚してもらう事となる。さすれば、会話は無理であっても、周囲の人間にも召喚獣の鳴き聲は聞こえるようになる。姿が朧気に見える場合もある」
「――ええと?」
「今、ルファにはミゼリアが視えたであろう? 聲も聞こえたであろう?」
「はい」
「ヴェルディスには視えたか?」
国王がヴェルディスを見た。するとヴェルディスが真剣な顔で首を振る。
「いいえ。何も視えず、聲を聞く事も叶いませんでした」
「で、あろうな。これこそが、スーレイメル王族の血の成せるわざである」
それを聞いて、ルファは驚いた。信じられず、天井を見上げてしまう。冷や汗をかいていた。
「次の満月の夜にでも、ベリアルを召喚するとしよう。それまではゆっくりと休むと良い。他にも話さなければならぬ事もあるが。ただ特に今日は、旅の疲れもあるであろうから、体を休めると良い」
ネイスの言葉に、ルファは曖昧に頷いた。
その後、ルファは今後滞在する部屋へと案内された。案内してくれたのは、侍従のマークという青年だった。王宮の三階にあるその部屋は、ルファの家よりも広かった。その豪華な部屋に、ルファはビクビクとしてしまう。寝室に通じる扉や、専用の浴室に通じる扉、書斎に通じる扉など、沢山の部屋も、居室から連なっている。ルファは、豪奢なソファに促されたので、静かに座った。マークが紅茶とスコーンをテーブルに置く。
ヴェルディスと離れる形になり、ルファは不安になって縮こまった。マークはお茶を淹れ終えると壁際に下がった。室内には、他に数人の侍従がいる。恐る恐る高級そうなカップを手にしたルファは、お茶を一口飲んだが、緊張しすぎて味が分からなかった。
ノックの音がしたのは、それから暫くしての事だった。
「ヴェル!」
入ってきたヴェルディスの姿を見て、一気に緊張が解けて、ルファは涙ぐみながら笑顔を浮かべた。ヴェルディスは、そんなルファを見ると微苦笑した。不安にさせてしまったのが分かったからだ。
「――国王陛下より、ルファ様の専属の近衛騎士の任を、改めて拝命して来たんです」
「そうだったんだ」
「これからは、改めておそばに」
「うん……うん。有難う……」
その後、ヴェルディスもまた壁際に控えたのだが、その姿を見るだけでルファは冷静でいられた。晩餐の頃には、部屋に、これまでの人生では、旅路においてですら見た事が無かった、輝くような料理の数々が運ばれてきた。美味しそうであり、香りも食欲をそそる。マナーが分からず困惑していると、微笑してマークが使い方を教えてくれた。数名の侍従達が下がっていったのは食後、入浴を終えてからの事で、最後に部屋に残っていたのはヴェルディスだった。
「それでは、私目も失礼致します。すぐ隣の、控えの者の仮眠室にて休んでおりますので、なにかございましたら、いつでもそこのベルでお呼び下さい」
ヴェルディスがテーブルの上にある銀色のベルを示した。頷き、ルファは微笑する。
「有難う。今日はヴェルディスも、ゆっくり休んでね」
その言葉に頷き、ヴェルディスは退出していった。
一人残されたルファは、室内から通じていた寝室の扉を開けて、寝台に横たわる。人生で触れた中で、最も柔らかな寝台だった。魔術糸の縫い込まれた毛布をかけて、フカフカの枕に頭を預ける。するとすぐに眠気が襲ってきた。この日も金色の模様が広がっていった。
「ルファ。漸く、王宮にたどり着いたようだな。ミゼリアが申していたぞ」
「うん……ちょっとだけ緊張が取れてきたけど、まだドキドキしてるんだよ」
「すぐに慣れる」
「これから、僕はどうなるのかな?」
「卵を創るだけだ。沢山の情を交わすが良い」
「……ヴェルが相手じゃなきゃ嫌だ」
「繰り返すが、安心して良い。愛がなければ卵は生まれないのだから。それが召喚獣とスーレイメルの血の契約だ。スーレイメルの王国では、卵は愛に誓うのだから」
それを聞いた直後、ルファは目が覚めた。朝が到来していた。
上半身を起こし、ルファは目を擦る。
「愛に誓う王国……」
それからポツリと呟いた。
そうして居室へと向かうと、侍従達が控えていた。マークが着替えを手伝ってくれて、ルファは触り心地の良い服の袖に腕を通した。このように着心地の良い服に触れるのは、初めての経験である。夜着を纏った時にも同じ事を考えたのではあるが。
部屋の扉の脇には、ヴェルディスが立っていた。着替えを終えて、豪勢な朝食をとりながら、何度かルファはヴェルディスを見た。目が合い、優しく微笑まれた時、ルファの胸はトクンとした。ヴェルディスの笑顔を見るだけで、気分が明るくなる。
それから午後になり、ルファは国王に呼び出された。
今回は玉座の間に案内され、その扉の所でヴェルディスとは別れた。国王であるネイスが人払いをし、ルファのみを招いたからである。
「よく来てくれたな」
「い、いえ……」
二人きりの玉座の間で、緊張しながらルファはお辞儀をした。すると頭を上げるようにネイスが言い、それからそばにあった椅子へと、ルファに座るよう促した。おずおずと腰を下ろしたルファは、玉座にいるネイスを見上げる。
「実は話があってな」
「お話ですか?」
「ああ。実は、スーレイメル王族は、召喚獣から叡智を授けてもらう代わりに、召喚獣の卵を創る手助けをするという決まりがあってな。その件だ。ベリアルから聞いているか?」
「は、はい! 少しですけど……ベリアルはメスで、その……」
ルファが静かに頷くと、ネイスがゆっくりと首を縦に振った。
「その為、ルファにも卵を成してもらわなければならない。この国では、その件もあり、同性婚を認めてはいるが、まだまだ同性同士の行為が主要であるとは言い難い。よって教師を付ける事となる。閨の講義が必要だと考えているのだ」
「教師?」
「いかにも。また、それは必ずしもルファの本意となるとは限らない――その為、王族には後宮を持つ権利がある」
「僕は後宮なんていりません。それに……教師って……僕は、あの――」
「ああ、ミゼリアから聞いている。もう愛を誓っている者がいるようだな」
悠然と笑みを湛えて国王が述べると、ルファが真っ赤になった。それまでの困ったような顔が、一気に赤く染まる。
「ヴェルディスか?」
「っ、その……――僕は、ヴェルが好きです」
「ヴェルディスは優秀な騎士だ。閨の教師としても申し分無い。こちらでも教師の候補を用意してはいたが、余は、誰かの想いを否定はしない。ヴェルディスに打診してみる事、約束しよう」
優しい国王の声に、真っ赤なままで何度もルファは頷いたのだった。
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