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第2章 マラッカ争奪戦
第15話 アジアの結節点
しおりを挟むパタニ王国からの帰途
西村太郎右衛門は船の舳先に立って今後の事を思案していた
―――とりあえず、広南のプランテーションは軌道に乗った
後は彼ら貴族領主たちを産業資本家へと導いてゆけば、革命ナシで資本主義社会への脱皮が図れるだろう
効率良くカネを稼ぎたいという欲求さえ生まれれば、技術革新は後からついてくるからな
(ホイアンをアジアのロンドンにするのか?)
頭の中に響く声に太郎右衛門は心の中で語り掛ける
―――ああ、次は独自通貨を作る。今の銅銭じゃ役に立たんからな
今から金融システムの整備に乗り出せば、ホイアンはアジアの金融センターの役割を担えるだろう
本位貨幣は金でも銀でもどっちでもかまわないからな
(金だとヨーロッパと競合するぞ
まあ、銀を選べばヨーロッパにアジアを買い叩かれるがな…)
―――そうだな… 悩ましい所だ
可能ならば管理通貨制に行きたいところだが、難しいな…
周辺各国にとってみれば、まだ広南は成り上がりの国に過ぎん
信用しろといっても無理な話だ
(ふふふ… 苦労するな
まあ、精々楽しませてくれ)
―――憎まれ口はいい
それよりもお前も知恵を貸せ
(貸しているじゃないか
オレの提供する知識はお前のアタマの中で莫大な財産となっているはずだ
それをどう使うかはお前次第さ…
俺はお前が書き換える未来を楽しみにしているんだ)
―――くそっ 肝心なところは傍観者か
太郎右衛門は内心で毒づいた
太郎右衛門は頭の中で語り掛ける『サブロウ』の事を思い出していた
※ ※ ※
サブロウとの出会いは安南に着いてハノイから明に向かった時だった
太郎右衛門は明に入国して一週間謎の発熱を起こした
―――正直、あの時はもう死んだと思ったな
熱に浮かされた夢の中で俺は何度か別の人間に生まれ変わっていた
平安末期の貴族、永禄の頃の武士、文政期の農民、明治期の海軍参謀、昭和戦後の企業家、平成の学者
何度も誰かの人生を体験し、その都度この世界の成り立ちを学んできた
あの時の事は今でも何があったのか理解できない
だが、その後の歴史の推移は太郎右衛門が知っている『史実』の世界そのままだった
タイオワン周辺でイスパニアとオランダが戦い、オランダがゼーランディアという拠点を作った
アンボイナ事件でイギリスを追い出したオランダが日本との交易を独占した
日本が鎖国を実施して事実上明とオランダ以外との交渉を絶った
全て夢の中で知った出来事だった
そして、何度目かの人生を生きた後に元の『西村太郎右衛門』として目覚めた時、突然頭に直接語りかけてくる声がした
頭の中のソイツは『サブロウ』と名乗った
様々な人生を生きたが、どの人生でもどこか現実感がなかった
だが、目覚めてからはリアルに『自我』を感じる事ができる
俺は紛れもなく西村太郎右衛門だ
誰が何の目的でこんな事をやったのかはわからないが、せいぜい利用させてもらう
世界の秩序を作ったこの時代に、アジアに強力な国家を打ち立てて世界の不均衡を是正する
不幸な略奪を未然に防ぎ、いち早く平和を創り出す
日本だけの為じゃない
世界の為にやるんだ
その為に広南を無理矢理に南海随一の強国として作り上げた
広南のホイアンを中心に産業革命へと至る道筋を作っていけば、イギリスが新大陸の開発を終えてアジアに来る頃にはアジアは油断ならない強国として纏まっているはず
アジアが一枚岩になってヨーロッパと戦えば、日本や明も傍観しては居られなくなるだろう
未来は俺が作り変えてみせる
気が付けば高かった陽がもうだいぶ傾いていた
太郎右衛門は肩まである髪をかき上げると、船室へ戻って行った
※ ※ ※
ホイアンへ戻った俺たち角屋艦隊一行は、復命の為フエの阮福瀾陛下の元へ伺候した
「チェイチェッタ。それにニシムラとカドヤも今回の使者の役目ご苦労であった」
「有難き幸せ。詳細な報告はまた後程…
今は改めて客人をご紹介させていただきます」
チェイチェッタ殿下が顔を上げると、シャクティ姫を呼んだ
「陛下。パタニ王国国王、ラジャ・クニン陛下の妹君、シャクティ姫にございます」
「シャクティ・オヌ・ハティでございます
福瀾陛下にお目通りのお許しを頂き、恐悦にございます」
シャクティ姫がクニン陛下のようなゆったりとした宮廷着で歩み出る
インド更紗の長衣に頭からムスリムの掛ける布を被っている
儀礼上、顔を隠してはいなかったが、いつもの体のラインがはっきり出る衣装とは違ってクニン陛下と見間違いかけた
馬子にも衣裳とは良く言ったものだ…
「シャクティ姫。使者のお役目ご苦労である
クニン殿からの親書は確かに受け取った
そこなニシムラとカドヤに御国の望みを叶えるように言い渡そう
ニシムラ、カドヤ。盟友パタニ国の交易の道を開く助けとなるが良い」
「は!」
「かしこまりました!」
太郎右衛門と二人で頭を下げる
差し当たって、どのように航路開拓を助ければいいのかじっくり話合わんとな…
「時にカドヤよ」
「ハッ!」
焦った~ 突然名前呼ばれるからビクッってしちまった
「シャクティ姫はその方の艦隊と行動を共にしたいと希望しておるとか…
余の命だ。シャクティ姫を広南国の客分としてカドヤ艦隊で預かるよう… よいな?」
「ハハッ!」
………太郎右衛門の入知恵か
くそ~結局丸投げしてきやがって
※ ※ ※
「俺はこれから内政に掛からねばならん
パタニへの協力は七郎兵衛に任せる。どうするか、考えだけ明日聞かせてくれ」
「お…おい。そんな重大事を俺一人で考えろってのかよ…
知恵を貸してくれるんじゃないのか?」
「そうも言ってられないんでね。何、お前なら良い答えにたどり着くさ。
今まで広南が辿った道筋を思い出せ
その先に、俺が思い描いた世界がある
だが、それに縛られることもない
角屋七郎兵衛が思い描く交易路を俺に教えてくれ」
……なんかものすごくイイ事を言った風に全てを丸投げされた気がする
「若、太郎右衛門殿は若がお独りで立たれる手助けをしようとされているのですぞ」
「わかっている。俺だっていつまでも誰かに頼ってないで、自分で考なきゃイカン事くらいはな
……よし!とりあえず家に戻って作戦会議だ!シャクティも一緒に」
「おお?早速呼び捨て?」
「……姫もご一緒に」
「ははは。冗談だって。逆にキモいからシャクティでいいよ」
太郎右衛門が心底可笑しそうに笑った
久々に全員で笑った
※ ※ ※
「さて、これが東南アジア周辺の海図だ
ホイアンはここ。パタニはここだ」
海図を前に角屋艦隊の各船長・副長プラス1名で会議が始まった
「改めて見ると大きな航路になりましたな。若」
「そうだな… こうして見ると、アジアのほぼ全域が広南の交易圏に含まれることになる
例外はイスパニアのマニラくらいか」
胸を揺らしながらシャクティが海図を覗き込む
「日本はどの辺?」
「ゼーランディア(台湾)から北に行ったこの辺りだ」
海図からはみ出した先に指を置く
「ふ~ん。パタニからは結構遠いね…」
「ああ、ホイアンからでも貿易風に乗ってだいたい20日くらい……」
―――あ
そうか、日本からもそうだが、パタニからホイアンもだいたい15~20日の航海になる
バタヴィアも15日くらいだ
太郎右衛門の言ってた広南の辿った道とはこれか
つまり、シャム・パタニへ交易路を広げたことでホイアンはアジア航路の結節点という海路の要衝に当たることになるんだ
…てことは、広南を強国に押し上げたのも、広南の産物を充実させたのも、偶然じゃない
従来はバタヴィアがその役目だった
マラッカ海峡を越えたムガールと航路を結ぼうと思ったらバタヴィアで停泊するのが合理的だ
そのためにオランダもバタヴィアを港湾都市として整備したんだろう
つまり、バタヴィア・ホイアン航路はアジアとインドを結ぶ大動脈の役割を果たす
広南がアジア航路の中心となるなら、そこにはアジア中の産物が集まっているはずだ
アユタヤの米、バタヴィアのヨーロッパ産物、明の陶磁器、日本からはゼーランディアを通じて銀が入って来る
そして、パタニからはインド更紗や綿織物…
マニラだけはそこから外れる
マニラ・ガレオン貿易はアカプルコから明を繋ぐ最後の停泊地だから、アジア貿易というよりは明との貿易だけを考えた停泊地というわけか
イスパニアがアジアで衰退してくるのは当然だな
じゃあ、これから進むべき道は…
「………明を衰退させるつもりか?」
―――!?
全員が虚を突かれたように振り返った
「若、今何と?」
「太郎右衛門の描いた絵だ
今明が居なくなれば、アカプルコからの銀も日本からの銀もすべてホイアンに集中することになる
そして、パタニとの同盟が成立した今、ホイアンはアジア・ヨーロッパ全ての物が集まる巨大な集積地になるんだ
広南には銀が集まり、広南の産物は銀と交換することで世界中へ広まる
オランダからは既に広南の陶磁器と茶・絹織物に次々と注文が入っている
おかげで広南の貴族達はウハウハだ
イスパニアもアカプルコからわざわざ来て手ぶらでは帰れないんだから、明との取引が暗礁に乗り上げればマニラ・ホイアン航路を熱望するようになるだろう
彼らが欲しがる陶磁器や生糸・絹織物は、すでに広南国内で大量生産する準備が着々と整っている
このままいけば、交易という手段を通じてアジアは一つの経済圏として広南を欠かしては動けなくなる…
世界と、ヨーロッパと互角以上に渡り合える」
「………」
全員が声を失くす
俺も改めて海図を見て愕然とした
アイツ怖ぇな…
明に朝貢して中立を保たせている間に広南をハブとして成立させた
もはや明の武威があろうがなかろうが、アジアは広南を中心に回り始める体制が出来つつあるんだ
まして明は内憂外患で今広南どころじゃない
あとは朝貢を切って南から圧迫すれば、明は四方を敵に囲まれて瓦解するしかなくなるだろう
民間の商人達はそれでもマニラ貿易に精を出すだろうが、広南にも取引先があると分かればマニラにこだわる必要も無くなる
いや、問題はその後か…
明が亡びて広南がアジアの中心になったとして、明の後は誰が中華を治める…
日本の軍事介入を促す…
いや、日本は一度失敗して懲りているから、易々と出兵はしない
そうすると後金か李自成あたりが次の中華の統一王朝となる
国境の防備を固めながら、中華の後継王朝と対等の同盟関係を模索する
そこがまとまれば中華にとってもマニラの利用価値は半減する
銀は広南から手に入るからな
明を滅ぼし、中華の統一王朝と対等の同盟を結ぶことが出来れば、後顧の憂いが消えて晴れてインド洋へ進出する準備が整うということだ
「シャクティ。パタニはムガールとの交易はまだ継続できるのか?
それと、ジョホール・アチェとの関係は?」
「ムガールとはまだ交易は繋がってるよ
シャー・ジャハーンはイングランドに友好的だけど、ペルシアほど独占体制になってもいないから
ジョホール・アチェとは正直イマイチ仲良くはないかな
特にジョホールはマラッカ王国の正統を主張して、事あるごとにパタニを併合しようと狙ってくるから…
姉様の所にもしつこいくらいトルンガヌ王からプロポーズが来るし、
あ、トルンガヌってのはジョホールの国王ね
で、トルンガヌとアチェ王のイスカンダル・ムダとは犬猿の仲って感じかな」
「クニン陛下はジョホールを併合する気はないのか?」
「姉様が?あるわけないよ
むしろ、勝手にやってって感じ
アユタヤの脅威も無くなったから、ジョホールに助けを求める必要も無くなったし」
「そうか…」
とすると、次はアチェ・ジョホールを敵に回す必要があるかもな
マラッカ海峡を抑えるのはオランダの要請なんかじゃない
広南がアジアの覇権を握る、その時間を稼ぐ為に必要な事だ
もしもアチェ・ジョホールが素直に協力してくれなければ、事を構えてでもマラッカを先に抑える必要がある
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