大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久

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第1章 南海の覇者

第5話 帰国

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 タイオワンを出た俺たちは、ヤンセン率いるオランダ艦隊を伴って一旦ホイアンへ帰った
 タイオワンからバタヴィアまでは、イスパニア領のルソン近海を通ることになる
 そのため、ホイアンを経由させてもらえるならば有難いとヤンセン提督からの依頼だった

 ホイアンへ戻り、福源陛下にバタヴィアへ交渉に行くことを伝えると、交渉委任の親書を頂戴した
 信任いただけるのだということが嬉しかった


 補給物資を積み込み、ホイアンからバタヴィアまでおよそ15日間の航海だった

「ここがバタヴィアか… きれいな町並みだな。町の中心を運河が通っている」
「クーン総督が整備された町です。交易がしやすいようにと、船への積み出しを第一に考えておられます」
 ヤンセンと船中で少しづつ会話を重ね、俺は少しだけオランダの言葉がわかるようになってきていた
 太郎右衛門もこうやって覚えたのかもな


 運河を小舟で遡上しながら、左右の景色を見て回る
 それにしても綺麗な町並みだ…

 家の壁は白く塗られ、運河の左右に並び立っている
 日本の蔵町とも違い、屋根は茶色い石葺きだった
 道にも石畳が敷かれ、運河の奥には白亜の宮殿の如き総督府がひと際大きな存在感を放っている

 行きかう人は肌の白い人もいれば黒い人もいる
 皆それぞれに市で売り買いをしたり、屋台のようなもので飯を食ったりしていた
 露店にはジャガタライモが山盛りに積まれていた

 運河の両端を守るように不思議な形の木が植えてある
 葉っぱが上の方にしか生えていない

「あれはヤシの木ですよ」
「ヤシの木?」
「ええ、バタヴィアの人たちはあの木の実の果汁ジュースを好んで飲みます。私も飲んだことがありますが、悪くないです」
「そうなのですか…しかし、もう秋も深まる季節だというのに随分と暑いですね」
「はははは。ここは一年中この気候ですよ。冬などというものはバタヴィアにはありません。
 だからこそ、熱病が流行ったりもするのですがね…」





「なんですって!?クーン総督が!?」
 ヤンセン提督が総督府の中で何やら話し込んでいる

 俺たちは広南国の賓客という扱いで客室へ通され、『コーヒー』というものでもてなされた
 ひどく苦かったが、後口が爽やかでけっこう気に入った
 コーヒーはオランダがバタヴィアに持ち込み、栽培が始められているそうだ



「お待たせしました」
「ヤンセン提督。何事かあったのですか?」
 太郎右衛門がヤンセンに話しかける
「実は、私を特使として日本に派遣したクーン総督はこの春に熱病で亡くなったらしく、今の総督に会見の申し込みをしてきました
 先に私一人で会って状況を説明してきますので、もうしばらくお待ちいただきたい

 …コーヒーのおかわりはいかがですか?」

「頂きます」
 即答すると太郎右衛門が微妙な顔でこっちを見る
 欲しい物は欲しいんだからいいだろうに

「少々お待ちください」
 ヤンセンがニコリと笑うと、コーヒーのお替りを指示しに退出した



 3杯目のコーヒーを飲み切ったところで、総督からの呼び出しがあった
 執務室に通されると、『ソファ』とかいう椅子に座るように促された

「ようこそいらっしゃいました。東インド総督のヤックス・スペックスです」
「―――日本語!?」
 思わず声に出た

 スペックス総督が可笑しそうに大笑いする
「驚きましたか。私は以前日本のオランダ商館の商館長を務めておりました。
 日本語も多少であれば話す事はできます」
「正直驚きました。オランダの方が母国語を話されるとは思ってもいませんでしたので…」

 スペックス総督とヤンセン提督が朗らかに笑う
 スペックス総督はヤンセン提督と違い、髪や目の色は黒味がかった茶色だった
 髭は逞しかったが、その分頭頂部の月代がつるりとしていた


「先ほどヤンセンから話は聞きました。タイオワンを中継地点としてベトナムとも交易ができるのであれば、こちらとしても有難い。グエン陛下のご英断に感謝します」
「そうおっしゃって頂けると、こちらとしても助かります」
 太郎右衛門が流暢なオランダ語で謝意を述べた


「…ところで、あなた方は日本人だそうですね」
「ええ、交易官として広南国のために働いておりますが、出自は日本です」
「であれば、一つお願いがあります。このお願いを聞いて頂けるのなら、あなた方に我らの持つ東南アジアの海図の写しを差し上げてもいい」

「―――総督!それは…」
 ヤンセン提督が抗議の声を上げるのを、スペックス総督が手で制する

「ご存知の通り、我らはタイオワン事件以降日本との間が思わしくありません。しかし、日本は良質な銀を産出する大事な取引先です。関係の改善をしたい
 前任のクーン総督はこのヤンセン提督を特使として派遣しましたが、ヤンセン提督が持ち帰った日本よりの返書がどうもおかしい…」

「返書がおかしい…?」
「ええ、将軍様からの書状となっているのですが、書状にはスタンプ(朱印)がない。そして、将軍様のサイン(花押)も私の知っているサインとは異なっています。
 この返書は偽造ではないかと思います」

「―――しかし、上様の書を偽造などすれば日本では必ず死刑になる重罪です。一体誰がそんなことを…」
「長崎代官・末次平蔵殿」
 断定するようにスペックスが言った

「末次殿は朱印船貿易を主催する船主の一人です。上様の書を偽造などすればどういうことになるか、分らぬわけはないはずです」
「しかし、書の内容は朱印船に… もっと言えば、ルソン周辺を交易圏とする末次殿に非常に都合のいい内容になっていました。
 曰く、タイオワンのゼーランディア城を明け渡せばポルトガル商人を排し、オランダに交易を独占させると…
 それによって日本で最も利を得るのは、末次殿です」

「…確かに」


「私は、ヤンセンをもう一度特使として日本へ派遣します。その随行員として、あなた方にも日本へ同行いただきたい。そして、日本を良く知るあなた方の手で真実を明らかにして頂きたいのです」

 どうにも断れる空気ではなくなってきたな…










 日本を出て一年
 俺たちは再び長崎の港に戻って来た


 季節風の関係でホイアンに寄港することができなかったが、バタヴィアで砂糖・コーヒー・ジャガタライモを買付けて戻った
 生糸は太郎右衛門に止められた
 糸割符仲間に買い叩かれるのがオチだということだ

 帰りの航路はスペックス総督が開示してくれたオランダ船航路を使い、ヤンセン提督のガレオン船と共に航海したので5日早く40日ほどで到着できた



「では、この返書はやはり偽造でしたか…」
「ええ、偽書の罪で末次殿は既に斬首されたということです」
「ありがとうございます。それで、正式な日本との交渉は誰と?」
「長崎奉行・竹中采女様が当たられます。しかし、巷間の噂では末次殿は隠れ蓑で、真に偽書を操っていたのは竹中様であるとの噂もあります
 御油断なさらぬように…」

 ヤンセンは一つ息を吐くと、頷いた
「色々とありがとうございます。後は、私の仕事です。あなた方は本来の交易事業に戻ってください」
「はい。失礼いたします」


 随行の任務を終え、俺たちは積み荷を長崎で売り捌いた
 今回の航海でおよそ1500貫の銀と交換することが出来た。また、今回のことでバタヴィアのコーヒーを日本に持ち込むことが出来た
 バタヴィアに交易路を持っているのは角屋艦隊くらいなので、これからコーヒーが流行してくれれば莫大な利益を生むことになるだろう

 …将軍家にも献上しておこうか









 ―――長崎奉行所―――【三人称】

 奉行所の一室でヤンセンと竹中采女が通辞を交えて対面していた

「オランダ特使 ウィルレム・ヤンセンです」
「長崎奉行 竹中采女正にござる。この度の事、真に申し訳ない。全ては長崎代官である末次平蔵の暴走にござる
 オランダの方々には何とお詫びしてよいか…」
「過ぎたことは申しません。オランダ人の人質を解放して下されば結構です
 ところで、今回の発端は一体何だったのでしょうか?」

 竹中采女はほっとした表情をした
 もっと無茶な要求がオランダから出されるかと警戒していたようだ

「今回のことは、もともとは高山国(台湾)での城将であるピーテル・ノイツ殿の態度があまりに侮蔑的であったため、末次配下の浜田弥兵衛が怒ったことに端を発しております
 オランダと事を構える気はこちらとてもございませぬ故、以後は先規と変わらぬ交易をお願いできれば重畳にござる」

「そうですか…
 私も、真実をこの目で見極める責任があります。ノイツに会わせていただけませんか?」
「うむ。こちらへご案内いたします」


 竹中が下人に指示を出すと、程なくして台湾行政長官のノイツが対面の間に通された
「おお!ヤンセン提督!迎えに来て下さったのか!」

 ノイツはヤンセンを見るなり喜んで近寄って来た
 牢獄暮らしで目は落ちくぼみ、頬がこけていたが、目には生気が戻っていた

「まったく、未開の野蛮人共は使者を遇する法を知らぬ。この私を牢獄へ捕えるなど我慢がならぬ
 所詮は東洋の蛮族共だ。艦隊を持って長崎を焼き払えば、おとなしく我がオランダへ服することは間違いなかろう」
 ノイツが一方的にまくしたてる
 通辞が同席しているのだが、日本人にはオランダ語がわからぬと高を括って高圧的な物言いだった

「ノイツ君。一体今回の事は何が原因なのだ?」
「私がタイオワンの入港に関税を掛けたのが気に入らんと言ってきおったのです。中継させてやるのだから関税くらいは喜んで納めるのが筋でありましょう」

「それで、彼らと話し合いはしたのか?」
「奴らは何かあれば刀を振り回す野蛮人ですぞ!話などになるはずもない!武器を取り上げて入港禁止に致しました」


 ヤンセンは指で眉間を抑えた
 これは明らかにノイツの対応に非があることが明白だったからだ

「ノイツ君。今の会話は日本側へも筒抜けであることはご存知かな?」
 ノイツの表情が固まった
 今初めて通辞に気付いたような顔だった

「貴君の対応に非があったことはよくわかった。東インド総督からの言葉を伝える。
 たった今、オランダ東インド会社は貴君をクビにする。大切な取引先を『蛮族』などと侮蔑し、円滑な取引を妨害した罪でな

 …もうしばらくこの国で頭を冷やすがいい。以上だ」


 言うや、ヤンセンはノイツを牢に戻すように通辞に頼んだ

「待ってくれ提督!誤解なんだ!助けてくれぇぇぇぇ……」
 オランダ語で叫び声を上げながら、ノイツは連行されていった


「竹中様。先ほども申し上げたように、今回のことはなかった事として頂けませんか?
 こちら側からはノイツの非礼を詫びる書状を将軍様へ差し上げます。それを持って、ノイツ以外のオランダ人の人質の解放とオランダ商館の復旧をお願いしたい
 我が方からはそれ以上は望みません」


 事の成り行きを息を詰めて見守っていた竹中采女は、ヤンセンの言葉にほっと胸を撫でおろした
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