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第1章 南海の覇者
第1話 プロローグ
しおりを挟む船の舳先に立ってしぶきを上げる波頭を眺めていると、まるでこの世の果てまでも行けるような気がする
天気は快晴
順風を満帆にはらみ、船は滑るように進んでいく
角屋七郎兵衛栄吉は初めての純帆船に少年らしい目をキラキラと輝かせていた
「利左衛門!俺はこの船で世界の果てまで行きたい!」
興奮のままに大声で副官の平塚利左衛門に呼びかける
「この世の果てより、今は大坂です!急ぎませんと風がなにやらおかしゅうござる!」
「何!?」
利左衛門が指さした方角を見ると、夏の積乱雲が黒みを増して俄かに広がり始めていた
「まだ洋上に留まっておりますが、明日には雨降らしの雲に変わります!今日中に紀伊半島を回りきらぬと日和見に足止めを食うことになりますぞ!」
「そうか!総帆展開!全速力だ!」
「「「おう!」」」
甲板の全員が忙しく動き始める
七郎兵衛の父・七郎次郎忠栄配下の伊勢随一の腕利き達だ
蛇腹の帆が全開で風を孕み、より一層速度を増した船は今までよりも揺れが大きくなった
「おおっと!」
――――危なかった。ここで転んでは船長の威厳が台無しだ
まだ18歳の若造に威厳もクソもないのだが、本人は船長として船員達を纏めていかなくてはいけないという責任感に燃えていた
船員達も当主七郎次郎の次男であるこの若造を好もしく思い、心の中で苦笑しながらも喜んで従っていた
角屋家は初代七郎次郎秀持が廻船業(海運業者)を始め、徳川家康の『伊賀越えのご大難』を手助けし、小牧・長久手の戦いでも徳川方の陣船として参陣した功により諸国往来諸役免除(どこの港でも入港税免除)という朱印状を与えられた。
続く2代七郎次郎忠栄は、蒲生氏郷が開いた伊勢松坂に本拠を構え、蒲生家の廻船を請け負うことで伊勢随一の廻船問屋となり、朱印船貿易にも従事していた
七郎兵衛栄吉は忠栄の次男で、伊勢・尾張間の櫂船を宰領していたが、この度大坂航路を任されることになった
大坂から伊勢松坂に戻ると、七郎兵衛は父親の七郎次郎忠栄の居室へ一目散に向かった
「父上!私に朱印船を一隻お貸しください!」
「朱印船をか?あれはまだお前には早かろう。もう少し大坂廻船で経験を積んでからでなければな」
「いつです?いつまで経験を積めばお許しいただけましょうか?」
忠栄は困惑した
――――いつと言われてすぐに答えられるものでもない
「まあ、少なくともあと2~3年は経験を積んでからだ」
そう言うと話を切り上げて行ってしまった
――――俺はこの大海原の果てまで行ってみたい!どこまでも続く水平線の向こう側を見たい!
七郎兵衛はすっかり帆船に魅せられてしまった
この船ならば遠く唐・天竺を超えて遥かイスパニアまで行ける
その思いは若い七郎兵衛の心の深くに熾火のように燃え続けた
4年後のある春の日
七郎兵衛は父忠栄の居室を訪ねた
「父上、少しよろしいでしょうか?」
「七郎兵衛か。何だ?」
「大坂から江戸への航路がだいぶ押されております。大坂の鴻池が近頃活発に船を出しており、また我らは大坂へ一旦積み下してから大坂にて荷を受けまする。
直接大坂で荷を受ける彼らに対して不利な戦を強いられております」
「そのことはわしも苦慮している。越後屋も近頃は酒より質蔵に重きを置いている。どこかで荷を受けねば先細るが…」
「――――南蛮への交易はいかがでしょう?」
「何?」
忠栄はあきれた顔をした
――――コイツまだ諦めてなかったのか
「南蛮との交易路を確保すれば、我らの廻船は長崎から江戸まで繋がる一大廻船となります。
どうか南蛮交易を私にお任せください!」
「………」
「わかった。そこまで言うならやってみよ」
「!!!」
七郎兵衛の顔が一気に明るくなる
「…ただし、付けてやるのは三千石船(約500トン)一隻だけだ。あとは自分で船団を大きくしろ。
利左衛門を付けてやる。大事に扱えよ」
「ありがとうございます!!」
忠栄は不安があった。最近の徳川幕府の意向はどうも南蛮交易を制限する方向に動いているように見える
本格的な事業として取り組めば、もしもの時は後戻りはできなくなる
七郎兵衛一人で先鞭をつけることが出来れば、あとは権現様(徳川家康)直筆の朱印状で国内唯一の朱印船交易を主催することができるかもしれない
「5年だ。5年で結果を出せ。いいな」
「はい!!」
忠栄の思惑はともかく、七郎兵衛はいよいよ大海原に漕ぎ出せる喜びで溢れていた
―――俺は世界の海をこの手にする
「出航だ!!」
21歳になった七郎兵衛の号令の元、七郎兵衛の乗艦『角屋丸』が風を受けて走り始める
「若!良い風ですな!」
副官の平塚利左衛門が声を掛ける
今年40歳
まだまだ船乗りとしては一流だ
「まずは島伝いに琉球を目指す!位置を見失うなよ!」
「了解でさ!」
測量士の山口逸平が右手を上げて応える
今年28歳
安南や呂宋への航海に何度も従事したという
「舵取りは任せたぞ!周!」
「…」
操舵手の周頼平が無言でサムアップを返す
明人の男で寡黙だが、腕は確かだそうだ
倭寇の生き残りかもしれない
今年30歳
「グエン!遅れるなよ!」
「アイヨ!」
操帆頭のグエンが応える
安南人で今年25歳
「…宗助が見えんが」
「おそらく船倉でしょう。だいぶ不慣れなようですからな」
斬り込み隊長の岡田宗助は22歳
食い詰めた浪人者で、長崎の町で請われて船に乗せた
剣術は伊藤一刀流の使い手だそうだが、船に弱いのは船乗りとして致命的じゃないか…
水夫・荷役・戦闘要員など総勢150名の出航だった
――――時に1631年
東の果てから世界を目指して出航した
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