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第九章 蒲生氏郷編 小牧・長久手の戦い
第109話 昨日の敵は
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主要登場人物別名
飛騨守… 蒲生賦秀 蒲生家当主 後の氏郷
左兵衛大夫… 蒲生賢秀 蒲生家前当主 賦秀の父
左近将監… 滝川一益
甚九郎… 佐久間信栄 元織田家筆頭家老佐久間信盛の嫡男
筑前守… 羽柴秀吉
美濃守… 羽柴秀長 秀吉の弟
孫七郎… 羽柴秀次 秀吉・秀長の甥
紀伊守… 池田恒興
勝九郎… 池田元助 池田恒興の嫡男
勝蔵… 森長可
久太郎… 堀秀政 『名人久太郎』は堀秀政のあだ名
――――――――
天正十二年三月十三日
織田家重臣の池田恒興が羽柴秀吉に寝返って犬山城を占拠した。折しもこの日は織田信雄を支援するために徳川家康が軍勢を率いて清州城に入城したその当日だった。
そして、三日後の三月十六日には森長可が池田恒興に同調して羽黒に着陣、翌十七日早朝には早くも徳川勢との間で戦端を開いたが、この『羽黒の戦い』は徳川勢の勝利に終わる。
敵を後退させた徳川家康は小牧山城を占拠して周囲に砦や土塁を築き、羽柴秀吉本軍に備えた。
大坂城の秀吉は当初蒲生賦秀を先陣として織田信雄領の南伊勢飯高郡を制圧に掛かる予定だったが、森長可が敗退したという報せを受けて急遽本軍を犬山に向けることとした。
同じ頃、蒲生賦秀は峯城の支城である落山城の物見櫓に立っていた。
目の前には城門を固く閉ざす峯城の姿が目に入る。だが、一年前の滝川益氏が守備していた頃に比べれば、明らかに備えが貧弱であった。
「佐久間甚九郎殿はやはり戦は得手ではないと見えるな。野戦に敗れ、落山城が落ちた今、峯城の門を閉ざしたとて意味は無かろうに」
賦秀はポツリと隣に立つ僧形の男に呟いた。
賦秀の隣に立つ男は、賦秀と一年前に伊勢を巡って争った滝川一益その人だった。
「やむを得ぬ所でしょう。これだけ素早く落山城を落とされれば、甚九郎殿としても為す術がない」
「落とされたことが問題ではなく、その後落山城を奪還する動きが無いことが問題です。例えば某が甚九郎殿ならば、こちらの態勢が整わぬうちに落山城へ逆襲をかけたでしょう」
「はは。飛騨守殿らしい思い切りの良さですな」
髪一つ無い頭を撫でながら一益が笑う。
秀吉に敗れて出家してから一年足らず。未だ僧形の己の頭に慣れていない様子だ。
今回の伊勢出兵に当たって、秀吉は妙心寺に居た滝川一益を陣中に呼び戻した。
北伊勢は滝川一益が領有していた土地であるし、そもそも信長の伊勢侵攻の先鋒を務めたのも若き日の一益だ。その『土地勘』を見込まれて、旧領の北伊勢五郡を与えることを条件に蒲生賦秀の元に与力として付けられていた。
「そう言えば、お父上のお加減が優れぬと聞きましたが」
「ええ……」
一益の言葉に、賦秀の表情が少し曇る。
一昨年末から体調を崩していた蒲生賢秀は、賦秀が出陣する三月にはとうとう寝床から起き上がることすらできない状態になっていた。
賦秀の表情から賢秀の病状の重さを読み取った一益は、ふと南の空を見上げた。
「……思い出しますな。かつて北畠と戦った折、某はお父上の蒲生左兵衛大夫殿に初めてお目にかかり申した」
「覚えております。北畠の大河内城を攻めた戦は、某の初陣でもございました」
「おお。左様でしたか」
「ええ。あの折、左近将監殿の方から蒲生陣をお訪ね下さったことに父は大層恐縮しておりました」
「あれは、某が迂闊でありました。ただただ左兵衛大夫殿と言葉を交わしたかっただけなのですが、お父上は何とも恐縮しておられて……」
「当時の蒲生は織田家において新参も新参、つい一年前に降ったばかりでしたからな。父も何か粗相があってはならぬと気を張っていたのでしょう」
一益の話を聞いているうちに賦秀の脳裏にもかつての光景が浮かんできた。
当時の滝川一益は、織田信長の寵臣として先陣を務めるのが常であり、蒲生の風下の立つような軽い存在ではなかった。
その滝川が今や賦秀の与力となっている。乱世というものの奇妙な縁を感じざるを得ない。
二人で昔話に花を咲かせていると、突然町野繁仍が背後に膝を着いた。
「殿、羽柴様より文が参っております」
「うむ」
書状を受け取って中を検めた賦秀は、一つため息を吐いて一益に顔を向けた。
「筑前守様は首尾よく峯城を落とした後は松ヶ島城を攻め取れと申されています。美濃守殿を総大将として援軍を遣わす、と」
「はっはっは。それでは急がねばなりませんな」
一益の揶揄するような笑い声に苦笑しながら、賦秀は町野に総攻撃の用意を命じた。
「一息にカタを付けますか」
「ええ。甚九郎殿もこれ以上の籠城は無意味と分かっておいででしょう。こちらが攻め寄せれば、あちらも野戦に出て来る物と思います」
「なるほど。では、某は九鬼と共に松ヶ島攻めの準備に取り掛かりましょう」
「よろしくお願い申します」
そう言うと、一益は賦秀に一礼して物見櫓を下りて行った。
賦秀は改めて峯城に視線を移す。
―――グズグズとはしていられんな
賦秀には焦りに近い感情があった。
秀吉は本軍を犬山城に進める一方で、弟の羽柴秀長を伊勢松ヶ島城攻めの総大将として派遣していた。この松ヶ島城は伊勢湾に面しており、水陸における南伊勢の交通の要衝となっている。
なお、松ヶ島城を守備する滝川雄利は木造氏の一族であり、滝川一益の婿養子となって滝川姓を名乗っている。
だが、木造氏の惣領である木造具政は織田信雄の重臣として南伊勢の支配を担っている。そのため、滝川雄利も惣領の木造具政に従って織田信雄に属していた。
峯城攻めの陣から滝川一益を松ヶ島城に派遣したことで一応の面目は施したが、賦秀自身もいつまでも峯城にてこずっているわけにはいかない。一刻も早く峯城を落とし、松ヶ島城を攻める秀長に合流しなければならない。
しばらく峯城を見つめた後、賦秀も踵を返して物見櫓を下りていった。
蒲生勢の総攻撃の成果か、それとも羽柴秀長の援軍に恐れをなしたのか、この総攻撃の夜に峯城主の佐久間信栄は峯城を捨てて尾張に遁走する。
翌三月十四日には蒲生賦秀は峯城に入り、さらにその翌日の三月十五日には羽柴秀長の軍勢に合流して松ヶ島城包囲に参加した。
秀長軍の総数は二万を超え、松ヶ島城の滝川雄利も何度か城を打って出て戦ったが、結局は衆寡敵せずと判断して三月十九日には交渉の上松ヶ島城を開城して尾張へと軍を退いた。
秀吉方は大した痛手も無く松ヶ島城を攻略し、三月二十二日には紀州から泉州岸和田城に攻め寄せていた雑賀・根来の一揆衆をも撃退する。
各地で秀吉軍が優勢を占める中、三月二十七日には秀吉本軍も犬山城に到着して小牧山城の徳川家康と相対する。だが、秀吉・家康本軍は両軍ともに睨み合いに入り、小競り合いや挑発合戦はあったものの大規模な会戦には至っていなかった。
※ ※ ※
「これをご覧あれ」
賦秀は羽柴秀長から書状を受け取ると、中を開いて文字に目を走らせた。
書状は秀吉から秀長へ宛てたものだが、『がもうひた(蒲生飛騨)へもひけんのこと』と書かれている。そこには、尾張の長久手で行われた秀吉軍と信雄・家康軍の直接対決の様子が書かれていた。
「こ、これは!紀伊守殿、勝九郎殿、勝蔵殿が討ち死にとは……」
「甥の孫七郎は名人久太郎殿の働きで何とか虎口を脱したようですが、兄の怒りは凄まじい物のようでしてな」
秀長の言葉を聞きながら、賦秀は書状の続きを読み進めた。
天正十二年四月六日
小牧山城に出張って来た徳川家康の後方を突くべく、池田恒興の進言により秀吉は軍勢を出発させた。先陣に池田恒興、第二陣に森長可、第三陣に堀秀政、第四陣に羽柴秀次を配し、総勢二万の軍勢を編成したという。
だが、翌四月七日にはこの動きを察知した徳川家康によって後方から急襲を受け、第四陣の羽柴秀次隊が真っ先に壊滅。先行して岩崎城を陥落させていた池田・森両将も已む無く引き返して待ち構えていた徳川家康本軍と相対した。
そして四月九日、家康本軍と対決した秀吉方の諸将は二千五百人の死者を出して敗走した。その死者の中には、清州会議にも出席した織田家重臣、池田恒興やその子元助も含まれていた。また、同じく討死した森長可は、志賀の陣で浅井・朝倉相手に討死した森可成の次男だった。
賦秀は特に、森長可の討死に対しては残念な思いがあった。
長可の父、森可成が討死した志賀の陣では、賦秀の叔父青地茂綱も共に討死している。当時父の賢秀は、弟を救えなかった自分を随分と責めていたものだ。
秀吉は敗戦の主原因となった羽柴秀次に対して相当に怒りを爆発させたようで、書状の中で秀長に秀次の面倒を見に来るようにと告げていた。
「そういう訳で、某は兄の呼び出しにより尾張へ参らねばならん。南伊勢の木造は飛騨守殿に総大将をお願いすることになるが、良いだろうか」
書状から顔を上げると、目の前の秀長が眉根を寄せて困ったような顔を作っている。
―――つくづく、困った顔が良く似合う御仁だ
賦秀は思わず場違いな感想を持った。
秀吉の弟として各武将の調整に奔走する秀長は、和やかな人柄として知られているが、賦秀はこうして困ったような顔をする秀長の方が馴染みがあった。
この顔で頼まれれば嫌とは言えない。それに、南伊勢攻めの総大将という役割は賦秀にとっても名誉なことだ。
「承知いたしました。美濃守殿はお心置きなく尾張へ参られませ」
「有難い。後のことは頼みましたぞ。兄からは小島・田丸・榊原へ戸木城に付城を築くように申しつけたとのこと。此度の戦は急ぐ必要がござりませぬ故」
「ハッ!」
南伊勢を守る木造具政の本拠地は松ヶ島城にほど近い木造城だが、平城の木造城では秀吉方の大軍に耐え切れぬと判断した具政は木造城を捨てて戸木城に籠っていた。
戸木城は雲出川の川岸段丘の最南端に位置する堅城で、高所の利に加えて川と街道に挟まれているため小勢での進退にも利がある。
湿地帯に建つ木造城に比べ、小勢でも守りやすい城と言えた。
秀吉の書状にはゆるゆると攻めよとあったが、賦秀はその秀吉の言葉を額面通りには受け取っていない。
長久手の敗戦を受けて、秀吉は織田信雄の本国である伊勢を圧迫する戦略に出たのだろう。南伊勢を制圧すれば、織田信雄の領地の半分を制したことになる。
信雄を焦らせ、秀吉方が有利な形での決戦に誘き出す算段と見えた。
つまりは、賦秀が早く南伊勢を制圧すれば、それだけ秀吉本軍が有利に展開できることになる。
―――随分と戦場を広く使うものよ
賦秀は秀吉を決して好んではいないが、この壮大な戦略性には驚く他ない。
単に小牧山の陣だけを見るのではなく、尾張から伊勢にかけて壮大な戦の盤面と捉える気宇はさすがだと思う。
主戦場たる小牧山の陣が不利ならば、違う盤面から戦局を優位に持って行こうというのだろう。
以前に羽柴秀吉という男に感じた大きさを改めて感じざるを得なかった。
飛騨守… 蒲生賦秀 蒲生家当主 後の氏郷
左兵衛大夫… 蒲生賢秀 蒲生家前当主 賦秀の父
左近将監… 滝川一益
甚九郎… 佐久間信栄 元織田家筆頭家老佐久間信盛の嫡男
筑前守… 羽柴秀吉
美濃守… 羽柴秀長 秀吉の弟
孫七郎… 羽柴秀次 秀吉・秀長の甥
紀伊守… 池田恒興
勝九郎… 池田元助 池田恒興の嫡男
勝蔵… 森長可
久太郎… 堀秀政 『名人久太郎』は堀秀政のあだ名
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天正十二年三月十三日
織田家重臣の池田恒興が羽柴秀吉に寝返って犬山城を占拠した。折しもこの日は織田信雄を支援するために徳川家康が軍勢を率いて清州城に入城したその当日だった。
そして、三日後の三月十六日には森長可が池田恒興に同調して羽黒に着陣、翌十七日早朝には早くも徳川勢との間で戦端を開いたが、この『羽黒の戦い』は徳川勢の勝利に終わる。
敵を後退させた徳川家康は小牧山城を占拠して周囲に砦や土塁を築き、羽柴秀吉本軍に備えた。
大坂城の秀吉は当初蒲生賦秀を先陣として織田信雄領の南伊勢飯高郡を制圧に掛かる予定だったが、森長可が敗退したという報せを受けて急遽本軍を犬山に向けることとした。
同じ頃、蒲生賦秀は峯城の支城である落山城の物見櫓に立っていた。
目の前には城門を固く閉ざす峯城の姿が目に入る。だが、一年前の滝川益氏が守備していた頃に比べれば、明らかに備えが貧弱であった。
「佐久間甚九郎殿はやはり戦は得手ではないと見えるな。野戦に敗れ、落山城が落ちた今、峯城の門を閉ざしたとて意味は無かろうに」
賦秀はポツリと隣に立つ僧形の男に呟いた。
賦秀の隣に立つ男は、賦秀と一年前に伊勢を巡って争った滝川一益その人だった。
「やむを得ぬ所でしょう。これだけ素早く落山城を落とされれば、甚九郎殿としても為す術がない」
「落とされたことが問題ではなく、その後落山城を奪還する動きが無いことが問題です。例えば某が甚九郎殿ならば、こちらの態勢が整わぬうちに落山城へ逆襲をかけたでしょう」
「はは。飛騨守殿らしい思い切りの良さですな」
髪一つ無い頭を撫でながら一益が笑う。
秀吉に敗れて出家してから一年足らず。未だ僧形の己の頭に慣れていない様子だ。
今回の伊勢出兵に当たって、秀吉は妙心寺に居た滝川一益を陣中に呼び戻した。
北伊勢は滝川一益が領有していた土地であるし、そもそも信長の伊勢侵攻の先鋒を務めたのも若き日の一益だ。その『土地勘』を見込まれて、旧領の北伊勢五郡を与えることを条件に蒲生賦秀の元に与力として付けられていた。
「そう言えば、お父上のお加減が優れぬと聞きましたが」
「ええ……」
一益の言葉に、賦秀の表情が少し曇る。
一昨年末から体調を崩していた蒲生賢秀は、賦秀が出陣する三月にはとうとう寝床から起き上がることすらできない状態になっていた。
賦秀の表情から賢秀の病状の重さを読み取った一益は、ふと南の空を見上げた。
「……思い出しますな。かつて北畠と戦った折、某はお父上の蒲生左兵衛大夫殿に初めてお目にかかり申した」
「覚えております。北畠の大河内城を攻めた戦は、某の初陣でもございました」
「おお。左様でしたか」
「ええ。あの折、左近将監殿の方から蒲生陣をお訪ね下さったことに父は大層恐縮しておりました」
「あれは、某が迂闊でありました。ただただ左兵衛大夫殿と言葉を交わしたかっただけなのですが、お父上は何とも恐縮しておられて……」
「当時の蒲生は織田家において新参も新参、つい一年前に降ったばかりでしたからな。父も何か粗相があってはならぬと気を張っていたのでしょう」
一益の話を聞いているうちに賦秀の脳裏にもかつての光景が浮かんできた。
当時の滝川一益は、織田信長の寵臣として先陣を務めるのが常であり、蒲生の風下の立つような軽い存在ではなかった。
その滝川が今や賦秀の与力となっている。乱世というものの奇妙な縁を感じざるを得ない。
二人で昔話に花を咲かせていると、突然町野繁仍が背後に膝を着いた。
「殿、羽柴様より文が参っております」
「うむ」
書状を受け取って中を検めた賦秀は、一つため息を吐いて一益に顔を向けた。
「筑前守様は首尾よく峯城を落とした後は松ヶ島城を攻め取れと申されています。美濃守殿を総大将として援軍を遣わす、と」
「はっはっは。それでは急がねばなりませんな」
一益の揶揄するような笑い声に苦笑しながら、賦秀は町野に総攻撃の用意を命じた。
「一息にカタを付けますか」
「ええ。甚九郎殿もこれ以上の籠城は無意味と分かっておいででしょう。こちらが攻め寄せれば、あちらも野戦に出て来る物と思います」
「なるほど。では、某は九鬼と共に松ヶ島攻めの準備に取り掛かりましょう」
「よろしくお願い申します」
そう言うと、一益は賦秀に一礼して物見櫓を下りて行った。
賦秀は改めて峯城に視線を移す。
―――グズグズとはしていられんな
賦秀には焦りに近い感情があった。
秀吉は本軍を犬山城に進める一方で、弟の羽柴秀長を伊勢松ヶ島城攻めの総大将として派遣していた。この松ヶ島城は伊勢湾に面しており、水陸における南伊勢の交通の要衝となっている。
なお、松ヶ島城を守備する滝川雄利は木造氏の一族であり、滝川一益の婿養子となって滝川姓を名乗っている。
だが、木造氏の惣領である木造具政は織田信雄の重臣として南伊勢の支配を担っている。そのため、滝川雄利も惣領の木造具政に従って織田信雄に属していた。
峯城攻めの陣から滝川一益を松ヶ島城に派遣したことで一応の面目は施したが、賦秀自身もいつまでも峯城にてこずっているわけにはいかない。一刻も早く峯城を落とし、松ヶ島城を攻める秀長に合流しなければならない。
しばらく峯城を見つめた後、賦秀も踵を返して物見櫓を下りていった。
蒲生勢の総攻撃の成果か、それとも羽柴秀長の援軍に恐れをなしたのか、この総攻撃の夜に峯城主の佐久間信栄は峯城を捨てて尾張に遁走する。
翌三月十四日には蒲生賦秀は峯城に入り、さらにその翌日の三月十五日には羽柴秀長の軍勢に合流して松ヶ島城包囲に参加した。
秀長軍の総数は二万を超え、松ヶ島城の滝川雄利も何度か城を打って出て戦ったが、結局は衆寡敵せずと判断して三月十九日には交渉の上松ヶ島城を開城して尾張へと軍を退いた。
秀吉方は大した痛手も無く松ヶ島城を攻略し、三月二十二日には紀州から泉州岸和田城に攻め寄せていた雑賀・根来の一揆衆をも撃退する。
各地で秀吉軍が優勢を占める中、三月二十七日には秀吉本軍も犬山城に到着して小牧山城の徳川家康と相対する。だが、秀吉・家康本軍は両軍ともに睨み合いに入り、小競り合いや挑発合戦はあったものの大規模な会戦には至っていなかった。
※ ※ ※
「これをご覧あれ」
賦秀は羽柴秀長から書状を受け取ると、中を開いて文字に目を走らせた。
書状は秀吉から秀長へ宛てたものだが、『がもうひた(蒲生飛騨)へもひけんのこと』と書かれている。そこには、尾張の長久手で行われた秀吉軍と信雄・家康軍の直接対決の様子が書かれていた。
「こ、これは!紀伊守殿、勝九郎殿、勝蔵殿が討ち死にとは……」
「甥の孫七郎は名人久太郎殿の働きで何とか虎口を脱したようですが、兄の怒りは凄まじい物のようでしてな」
秀長の言葉を聞きながら、賦秀は書状の続きを読み進めた。
天正十二年四月六日
小牧山城に出張って来た徳川家康の後方を突くべく、池田恒興の進言により秀吉は軍勢を出発させた。先陣に池田恒興、第二陣に森長可、第三陣に堀秀政、第四陣に羽柴秀次を配し、総勢二万の軍勢を編成したという。
だが、翌四月七日にはこの動きを察知した徳川家康によって後方から急襲を受け、第四陣の羽柴秀次隊が真っ先に壊滅。先行して岩崎城を陥落させていた池田・森両将も已む無く引き返して待ち構えていた徳川家康本軍と相対した。
そして四月九日、家康本軍と対決した秀吉方の諸将は二千五百人の死者を出して敗走した。その死者の中には、清州会議にも出席した織田家重臣、池田恒興やその子元助も含まれていた。また、同じく討死した森長可は、志賀の陣で浅井・朝倉相手に討死した森可成の次男だった。
賦秀は特に、森長可の討死に対しては残念な思いがあった。
長可の父、森可成が討死した志賀の陣では、賦秀の叔父青地茂綱も共に討死している。当時父の賢秀は、弟を救えなかった自分を随分と責めていたものだ。
秀吉は敗戦の主原因となった羽柴秀次に対して相当に怒りを爆発させたようで、書状の中で秀長に秀次の面倒を見に来るようにと告げていた。
「そういう訳で、某は兄の呼び出しにより尾張へ参らねばならん。南伊勢の木造は飛騨守殿に総大将をお願いすることになるが、良いだろうか」
書状から顔を上げると、目の前の秀長が眉根を寄せて困ったような顔を作っている。
―――つくづく、困った顔が良く似合う御仁だ
賦秀は思わず場違いな感想を持った。
秀吉の弟として各武将の調整に奔走する秀長は、和やかな人柄として知られているが、賦秀はこうして困ったような顔をする秀長の方が馴染みがあった。
この顔で頼まれれば嫌とは言えない。それに、南伊勢攻めの総大将という役割は賦秀にとっても名誉なことだ。
「承知いたしました。美濃守殿はお心置きなく尾張へ参られませ」
「有難い。後のことは頼みましたぞ。兄からは小島・田丸・榊原へ戸木城に付城を築くように申しつけたとのこと。此度の戦は急ぐ必要がござりませぬ故」
「ハッ!」
南伊勢を守る木造具政の本拠地は松ヶ島城にほど近い木造城だが、平城の木造城では秀吉方の大軍に耐え切れぬと判断した具政は木造城を捨てて戸木城に籠っていた。
戸木城は雲出川の川岸段丘の最南端に位置する堅城で、高所の利に加えて川と街道に挟まれているため小勢での進退にも利がある。
湿地帯に建つ木造城に比べ、小勢でも守りやすい城と言えた。
秀吉の書状にはゆるゆると攻めよとあったが、賦秀はその秀吉の言葉を額面通りには受け取っていない。
長久手の敗戦を受けて、秀吉は織田信雄の本国である伊勢を圧迫する戦略に出たのだろう。南伊勢を制圧すれば、織田信雄の領地の半分を制したことになる。
信雄を焦らせ、秀吉方が有利な形での決戦に誘き出す算段と見えた。
つまりは、賦秀が早く南伊勢を制圧すれば、それだけ秀吉本軍が有利に展開できることになる。
―――随分と戦場を広く使うものよ
賦秀は秀吉を決して好んではいないが、この壮大な戦略性には驚く他ない。
単に小牧山の陣だけを見るのではなく、尾張から伊勢にかけて壮大な戦の盤面と捉える気宇はさすがだと思う。
主戦場たる小牧山の陣が不利ならば、違う盤面から戦局を優位に持って行こうというのだろう。
以前に羽柴秀吉という男に感じた大きさを改めて感じざるを得なかった。
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