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第八章 蒲生氏郷編 賤ケ岳の戦い

第104話 遅れて来た男

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主要登場人物別名

忠三郎… 蒲生賦秀 蒲生家当主 後の氏郷
作左衛門… 小倉行春 蒲生家臣 小倉実隆の子 賦秀の従兄弟

――――――――

 
 天正十一年三月
 伊勢亀山城を攻略した秀吉は、柴田勝家出動の報に接して慌ただしく長浜へと向かった。
 伊勢に乱入していた羽柴勢の多くはそのまま秀吉に従って北国戦線へと赴いたが、賦秀ら蒲生勢は引き続き伊勢の攻略を任されることになる。
 伊勢鎮圧軍の総大将は、秀吉の実弟である羽柴美濃守秀長が指名された。

「あれが峯城ですか」
「左様にござる。城将を務めるは滝川義太夫益氏。左近将監の右腕とも称される男にて」

 賦秀は峯城を囲む付城の物見櫓に立って峯城を見据えた。
 平地の中の一段高い台地の上に建つ峯城は、周囲に高土塁を巡らせて曲輪を形成し、その周囲に逆茂木や矢来を巡らして厳重に守備されているのが見て取れる。

 ―――なるほど

 賦秀にも秀長が苦戦している理由が良く分かった。一言で言うと非常に攻めにくい城なのだ。
 平地の中に突き出た台地の先端に立つ峯城は、元来の地形と合わせて土塁の高さが際立ち、土塁を越えるだけでも一苦労となる。加えて逆茂木や柵に道を阻まれ、それを撤去している間に城方からは鉄砲が撃ちかけられることになるだろう。

 土塁には切れ間があり、北東に向いて虎口が開いているが、その虎口の先には峯城の出城である落山城が控えている。虎口に向かって攻めかかることは即ち落山城に背を晒すことになり、落山城を攻めることは峯城に背を晒すことになる。
 なんとも厄介な物だった。

「ですが、いつまでも手をこまねいているわけにもいきますまい。落山城を下せば、峯城は自然と落ちる物と思われますが」
「さもあろうが、落山城は落山城で中々にしぶとい。我が手の者も落山城に攻めかかり申したが、櫓の上からションベンを引っかけられる有様で……」
「ションベンを!?」

 思わず驚いた後に賦秀は何やら可笑しくなってきた。
 確かに屈辱ではあろうが、普通ならば矢や鉛玉、あるいは石礫などが降って来た所だろう。それを思えば、小便を引っかけて撃退するなどとはいかにも洒落が効いている。

「はっはっは。それは災難でございましたな」
「笑いごとではございません」

 不機嫌な秀長の顔を見るにつけ、賦秀は益々落山城に興味を持った。

「いかがでござろう。我が蒲生にて落山城に一当てしてみたく存ずるが、方々は?」

 周囲には賦秀と秀長の他、関盛信、岡本良勝、中村一氏などが揃っていたが、賦秀が周囲を見回すと、誰も彼もが目線を逸らしたり下を見て俯いたりする。
 秀吉本軍が去った羽柴勢は七万の大軍が今や二万にまで減っていた。とはいえ、滝川は総勢でも一万に満たない。減ったと言っても未だ羽柴勢は滝川勢を圧倒している。

 ―――下手に動く気は無い……か。

 秀吉の本軍は柴田との決戦に向かっている。
 兵力差は倍以上あるとはいえ、一万対二万ならば一つのきっかけで有利不利が簡単に逆転してしまうことを歴戦の武将たちは良く知っていた。そして、伊勢で羽柴軍が敗北すれば、それは北国戦線にまで影を落とすことになる。
 まして、峯城は無数の付城で囲まれ、兵糧の補給もままならない状況だ。このまま一月も囲んでいれば自然と峯城は開城せざるを得なくなる。
 彼らにとって最も避けたい事態は、下手に敵を勢いづかせて今の勝勢が逆転してしまうことだった。

「あまり妙な動きは為されぬが良いと存ずるが……」
「某はその落山城のションベン小僧に興味があるのでございますよ。どのような敵か見てみたい。方々が気乗りされぬのであれば蒲生勢のみでも構いませぬ。一度落山城に攻めかからせて下され」
「まあ、忠三郎殿がそう申されるのであれば……」

 渋々と言った調子で秀長が賦秀の落山城攻めを認めた。
 蒲生勢のみで出来ることは限られているし、蒲生の兵が負けただけならば敵を勢いづかせることもあるまいという考えが透けて見える。

 ―――儂の方が愚かなのかもしれんな

 周囲の顔を見ると、いずれの顔も眉根が寄っている。関盛信は心配そうに眉尻が下がっているが、その他は険しい顔をしていた。
 何もせずとも落ちる物を余計なことをすると言いたいのだろう。
 だが、賦秀はどうしても落山城に籠るションベン小僧をこの目で見てみたいという気持ちになっていた。



 ※   ※   ※



「あれか。件の『傾奇者』とやらは」

 陣頭に立つ賦秀が落山城を仰ぎ見ると、櫓の上にひと際目を引く男が居た。
 鮮やかな萌黄の具足を身に纏い、兜はかぶらずに大身の槍を抱えている。その槍を櫓の床に突き立てて尻を出し、蒲生勢に対して『おしりぺんぺん』の真似をしていた。

「うぬ。おのれ戦を馬鹿にしおって」
「落ち着け、作左衛門。あれが噂の前田慶次郎だろう。伊賀での戦で滝川勢の援軍を貰った折、見かけたことがある」

 賦秀も姿を見るまで忘れていたが、櫓の上に立つ慶次郎の旗指物には見覚えがあった。
 整然と整えられた木瓜紋の旗指物の中、一人だけ前田の梅鉢紋の旗を指していたので記憶に残っていた。そう言われれば悪戯好きだとの噂も聞いた覚えがある。

「わーっはっはっはっは!懲りもせずまた儂の小便を食らいに参ったか!」

 慶次郎の声は良く通った。二町もの距離が離れているというのに、すぐそこで怒鳴っているかのような大音声だ。
 だが、賦秀とて軍勢を率いて転戦した歴戦の武将だ。声の大きさでは負けていなかった。

「あいにくだが遠慮しておく。儂は小便よりもお主の首が所望だ」
「おう! 音に聞く蒲生忠三郎殿から首を狙われるとは、儂も随分と出世したものだ。だが、攻めて来ねば儂の首は取れんぞ。どいつもこいつも城に籠ってジリジリと米が尽きるのを待っておる。まこと退屈な戦だわい」
「だから儂が来たのだ。そんなところで汚いケツを晒してないで降りてこい。一騎討にて勝負をつけてやる」
「何!?」

 瞬間、敵味方が騒めいた。
 前田慶次郎がいかに剛勇とはいえ落山城の守将という訳ではない。対して賦秀は蒲生勢を率いる一軍の将だ。乱戦の中でならばともかく、慶次郎と賦秀の一騎討などは間尺に合わない。賦秀が負ければ蒲生は将を失うが、慶次郎を失っても落山城は兵が一人減っただけに過ぎないのだ。

「殿。迂闊なことを申されてはなりませぬ。一騎討などと……」
「作左衛門は儂が負けると思っているのか?」
「そ、それは……」

 小倉行春が言葉に詰まる。
 若い頃から陣頭に立って戦って来た賦秀は、自身も剛勇で鳴らした男だ。軍勢の先頭を切って突撃するということは、賦秀自身にもそれなりの膂力が無ければとても成り立たない。

 行春は改めて従兄弟である主を見た。
 曾祖父の蒲生高郷も武勇衆に優れる剛勇の武士だったそうだが、賦秀は間違いなくその血を引いていると思わせる立派な体躯をしていた。
 対して慶次郎は、遠目に見ても体格が衆に優れているようには見えない。行春としても、負けると思うのかと問われれば賦秀が負けることなど想像も付かなかった。

「し、しかし、このような戦で……」
「なに、ただの座興よ。ハッ!」

 行春の制止も聞かずに賦秀は馬腹を蹴って落山城に近づいて行く。やむを得ず行春も賦秀に従った。


 賦秀が落山城の城門に近づくと、落山城からも門を開いて一人の騎馬武者を吐き出した。
 出て来たのは言うまでも無く、先ほどまで櫓の上で尻を出していた男だった。もっとも、今は尻を仕舞って槍を脇に抱えている。

「まさか猿の軍にかような面白き将が居るとは思いも寄らなんだ。改めて名乗ろう。我が名は前田慶次郎利益」
「蒲生忠三郎賦秀だ。参れ、慶次郎とやら」
「おお!」

 お互いの名乗りが終わるとお互いに馬腹を蹴って距離を詰めはじめた。

 賦秀はいつもの黒漆塗の具足に黒のマントを羽織り、頭にはこれまた黒の燕尾形の兜をかぶっている。慶次郎のことを傾奇者と評していたが、賦秀の方も充分すぎるほどに『傾いた』出で立ちだった。

 やがて萌黄と黒の塊がお互いに距離を詰め、交差した瞬間にお互いの槍が突き出される。

「せい!」
「おう!」

 慶次郎の槍を受け流した賦秀が、あぶみに力を込めて赤樫の槍を力任せに振り回す。馬上の慶次郎の胴を狙った一撃は、素早く槍を引いた慶次郎が己の槍で受け止めた。
 槍の柄同士が当たっているというのに、周囲には金属音に似た甲高い音が響く。

「おりゃぁ!」
「せぇい!」

 続けて慶次郎が今度は賦秀の頭目がけて力任せに槍を振り下ろした。
 受ける賦秀は槍の柄を払って狙いを外し、慶次郎の槍は賦秀の横の空を虚しく切った。

「わははは。中々やりますな。さすがは音に聞こえた忠三郎殿」
「軽口を叩いていてよいのか! まだまだいくぞ!」

 言いながら賦秀が慶次郎の胴を目がけて突きを繰り出す。だが、すんでの所で腰を捻って槍をかわした慶次郎は、そのまま賦秀の槍の柄をはっしと掴んだ。

「む!」
「ぬおお」

 こうなれば単純な力比べだ。
 同じ槍を掴みながら、お互いに力任せに引き合う。しばらく時が止まったかのようにお互いに槍を掴んでいたが、突然慶次郎が槍を放したことで賦秀の態勢が崩れた。

「もらった!」
「うおお!」

 態勢が崩れた所に慶次郎の槍が再び頭上から迫ってきたが、間一髪で再び賦秀も槍を受け流して横に逸らす。だが、態勢が崩れた分槍先が先ほどよりも賦秀の近くを通り、槍の穂先が自慢の漆黒のマントを切り裂いた。

 ―――これまでか

 一太刀浴びたことで賦秀が馬腹を蹴って距離を取る。そのまま後ろを向いて自陣の方へと駆け出した。

「あ!逃げるか!」
「遊びはここまでよ。中々楽しい座興であったぞ。小便小僧」
「うぬ! 待て!」

 賦秀が陣に戻ったことを確認すると、追いすがる慶次郎目がけて矢が放たれる。それを合図にしたように、落山城からは鉄砲を構える音が響いてきた。

 二人が一騎討をしていた城門前は落山城から鉄砲の届く距離ではあったが、事の成り行きは落山城の兵にも聞こえていたために鉄砲を撃ちかけるような無粋な者は居なかった。
 だが、蒲生が軍勢を持って攻めて来るならば話は別だ。
 城方としてもここから先は軍勢対軍勢の戦いに備えなければならない。

 だが、案に相違して慶次郎を追い払った蒲生勢はそのまま後退していった。
 後には悔しそうに歯噛みする慶次郎の姿だけが残っていた。


「殿、あまり無茶をされては困ります」
「ははは。悪かった。だが、中々面白い見世物だっただろう」
「冗談ではありません。殿が態勢を崩された時は心の臓が凍る思いが致しました」

 小倉行春の恨み言を背中に聞きながら、賦秀は兜の緒を外して頭を晒した。まだ春先だというのに賦秀の額にはびっしりと汗が浮かんでいる。

 ―――前田慶次郎か

 中々面白い男だったと思う。だが、今の軍制の中では生きづらいだろうなとも思う。他ならぬ滝川一益が鉄砲の戦術を磨いたことで、戦において個人の武勇はあまり意味を為さなくなっている。今求められるのは個の武勇ではなく集団として戦う統率だ。

 賦秀としても普段は一騎討などに興じたりはしない。だが、本来的に個人の武勇を競わせる戦が嫌いでは無かった。

 一つ息を吐いた賦秀は、汗を拭って水筒の水を一口飲むと、再び兜の緒を締め直す。

 ―――遊びは、終わりだ


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