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第七章 蒲生賢秀編 本能寺の変

第92話 キリシタン

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 潮風が蒲生賦秀の頬を撫でる。
 冬の風は頬に冷たく、吹きっさらしの甲板では身を隠す場所とてない。だが、賦秀はそんな物には一切動じずにただ前を見つめていた。

「鉄砲! 構え!」

 賦秀の手が上がると弾丸の装填を済ませた日野鉄砲衆二百が船の舳先から銃口を覗かせる。狙う先には村上水軍の船があった。
 村上水軍の船は賦秀の乗る鉄甲船よりも小さく、日野鉄砲衆の銃口も水平より下を向いている。戦において圧倒的優位である頭上の位置を占めていた。

 遠くで鉄砲の一斉射撃の音が聞こえる。九鬼水軍の鉄甲船の一隻が村上水軍の船に鉄砲を撃ちかけている音だ。
 その音を聞きながら、賦秀は眼前の関船の甲板をじっと見つめる。敵方の関船からは火矢や銃弾が飛んできていたが、賦秀の居る甲板までは届いていない。

 やがて両船の距離が縮まると、賦秀の手が勢いよく降ろされた。

「放てー!」

 甲板上を圧するような轟音と共に眼前の関船の甲板に銃弾の雨が降る。関船に乗る海賊衆がたまらず盾板の後ろに隠れると、その隙を突いて九鬼水軍の者達が敵の関船に鉤縄を投げて引き寄せ、縄を伝って次々に関船の甲板へ突撃していく。
 船戦は銃撃戦から白兵戦へと移っていた。

 ―――器用なものだ

 賦秀は九鬼衆の動きに感心していた。不安定な足場を所狭しと駆けまわるあの白兵戦は見事な技術だと思う。
 九鬼衆は小太刀や脇差のような小回りの利く得物を手に次々と敵を討ち取ってゆく。槍や長巻を主に使う蒲生勢ではとてもこうはいかない。揺れる船に足を取られて無様に駆けまわるだけで、こんなに手際よく敵船を制圧することなど出来ないだろう。

「海には海の戦い方があるものだな」
「左様ですな」

 隣に控える町野繁仍しげよりも感心しきりと言った声を出す。
 蒲生勢にとって船戦などは完全に未知の領域だった。


 天正六年(1578年)十一月

 織田水軍頭の九鬼嘉隆は信長の指令によって木津川口を封鎖し、石山本願寺と有岡城への物資補給を妨害していた。
 これに対し、毛利輝元は再び村上水軍を派遣して九鬼水軍を追い出しにかかる。木津川口を封鎖されれば本願寺と有岡城にとっては致命傷になりかねないし、大物浦(大阪湾)の制海権も確保しなければ毛利と本願寺・荒木らの連携が阻害される。

 両軍は再び大物浦の制海権を巡って海戦に及んだ。『第二次木津川口の戦い』と呼ばれる海戦だ。

 九鬼水軍は現在完成している六隻の鉄甲船を率いて木津川口に布陣し、挑みかかって来る村上水軍の船を次々と撃破していった。鉄の装甲を持つ巨船には村上水軍自慢の焙烙火矢も効果が無く、また巨船であるために村上水軍の得意とする機動戦法も意味を為さなかった。九鬼水軍は最初から攻撃を受ける前提で、その攻撃を跳ね返す装甲を用意していたからだ。
 これにはいかな歴戦の村上水軍と言えども抗しきれず、次々に拿捕・撃破されていった。


 この戦いには蒲生賦秀も鉄砲衆を率いて参陣している。
 もとより船の素人である蒲生勢は白兵戦では物の役に立たないが、甲板からの援護射撃ならば充分に行える。そのため、信長からの指示で滝川一益と共に九鬼水軍の援軍として船に乗り込んだ。
 もっとも、滝川一益は自らも白船を一隻率いて戦場に入り、九鬼水軍と連携して村上水軍と戦っていた。ただの乗組員としてではなく、戦船いくさふねを率いる大将として参陣している形だ。

 目の前の敵戦が拿捕されて手持無沙汰となった賦秀は、視線を滝川一益の白船に移した。
 白船からは今まさに激しい銃撃音が起こっている最中だ。

 ―――滝川殿か……

 今や滝川一益の武名は天下に響き、『進むも滝川、退くも滝川』と落首に詠まれるほどになっている。兵の扱いならば父の賢秀や自分も滝川に負ける物ではないという自負があるが、いかんせん父は安土城で留守居役を仰せつかり、自分は陣代として軍勢を率いてはいても立場は信長の馬廻衆の一人だ。
 滝川一益のように一軍を率いて各地を転戦するといった役目は望むべくもない。賦秀はそのことに一抹の悔しさを感じていた。

「次の戦では我らにも先陣を仰せつけられれば良いのだが……」
「焦ることはございません。殿からも上様の下知をよく聞くようにと仰せつけられておりますれば」
「父上は欲の無いお方だからな。だが、儂は違うぞ。日野の臆病者などと蒲生を謗る輩をいつか見返してくれる」
「いずれ武功の機会も巡って参りましょう。今は焦らずに一つ一つ役目を果たす時です」

 町野にたしなめられて賦秀もそれ以上の言葉を飲み込む。
 と同時に、賦秀の乗る鉄甲船から鉄砲とは比較にならない轟音が響いて巨大な弾丸を撃ち出し、海に水柱を上げた。
 賦秀は思わず耳を塞いだが、同じ轟音は六隻の鉄甲船から次々に発射される。九鬼嘉隆自慢の大鉄砲と呼ばれる大砲だ。

 ようやく轟音が収まった後、賦秀の眼前では大鉄砲の直撃を受けた一隻の関船が海中に飲み込まれていくのが見えた。

「凄まじい物だな」
「確かに。鉄砲とは申せ、我らの知る鉄砲とは全くの別物ですな。何でも南蛮から買い求めた巨大な鉄砲だそうですが……」
「大鉄砲だけではないぞ。我らの乗るこの船にしても南蛮船の技が使われているそうだ」
「左様でございましたか」

 そう聞いた町野がしげしげと甲板を眺め始める。見ただけで分かるような単純な技術ではあるまいと思うと、その町野の動作が滑稽で思わず賦秀もクスリと笑った。

「爺が見て分かるような単純な物ではないだろう」
「若はどのような技かお分かりになりますか?」
「いいや、さっぱり分からん」

 これは本心だった。
 そもそも今まで蒲生家は船戦というものを経験したことが無い。初めて船に乗るというのに、今までの船とどう違うかなど答えられるわけがない。

「だが、これだけの船や大鉄砲という物を作る南蛮の技は驚嘆に値するものだということだけは分かる。いずれはその技の一端でも日野に持ち帰りたいものだな」
「左様ですな」

 賦秀が再び前方に視線を向けると、次の標的である関船が近づいて来ていた。

「弾込め急げ! 次が来るぞ!」

 賦秀の乗る鉄甲船の動きが再び慌ただしくなった。



 ※   ※   ※



 十二月に入ると、賦秀は有岡城攻めの一員として塚口砦に布陣した。
 塚口には丹羽長秀が将として任じられており、蒲生勢には丹羽勢を補助する役目を与えられた。有り体に言えば、丹羽長秀の下知に従って戦えということだ。

 着陣早々、賦秀は長秀の本陣を訪れた。
 今回こそは有岡城攻めの先陣を賜りたいと嘆願するためだ。

 丹羽長秀は五郎左衛門と呼ばれた昔から人当たりの柔らかい男で、調整役として優れていることから『米五郎左』とも呼ばれている。
 長秀ならば賦秀の願いを無下にはせず、先陣を全て任せるのは難しくとも何らかの形で賦秀の願いを反映してくれるのではないかという期待がある。
 それに、長秀は安土城の普請総奉行を務めていた関係で蒲生賢秀や蒲生賦秀の人柄も多少は知悉している。今の織田家中での『臆病者』という評判を何とか覆したいと願う賦秀の心も分かってくれるのではないかという思いもあった。

「失礼仕ります」

 賦秀が陣幕を上げて塚口砦の本陣に入ると、上座で長秀が床几に座って諸将と雑談を交わしている所だった。

「おお、忠三郎殿か。ちょうどよい。こちらへ」

 そう言って長秀が床几を勧めてくれた。一礼して指定された床几に座った賦秀は、隣に座っている男にも座ったまま頭を下げる。返礼を返した男の胸元に銀色に輝く十字の飾りを見た時、一瞬賦秀は目を奪われた。

 ―――これは?

 何だろうと思う暇も無く、上座の長秀の言葉が聞こえて来た。

「忠三郎殿、紹介しよう。こちらは高山右近殿だ」
「高山右近大夫長房と申します」
「蒲生忠三郎賦秀にございます。以後お見知りおきを」

 簡単な挨拶を済ますと、改めて高山右近の顔を見た。

 ―――随分と若いな

 それが最初の印象だった。
 この時右近は二十五歳。当時として決して若輩者という訳ではないが、若く見える見た目もあって賦秀は随分と若い当主だという印象を持った。
 もっとも、賦秀は右近よりも四歳若く、本陣の一座の中でも飛びぬけて若い。本来ならば一軍の将などを務める年齢ではない。賦秀がこの場に居るのは、ひとえに父の賢秀が安土で留守居を務めているからに他ならない。

「右近殿。この忠三郎殿は上様の婿殿であらせられる。上様は蒲生親子を信頼すること篤く、何かあれば左兵はどこだ、忠三郎はどうしていると申される。
 安土で毎年催される相撲大会でもこの忠三郎殿は行司役を任されるほどだ。知勇兼備とはまさに忠三郎殿の為にあるような言葉だ」
「それはそれは……。さほどに御高名なお方とは露知らず、ご無礼を仕りました」
「いや、それほどでも……」

 先制攻撃を受けて賦秀はすっかり出鼻をくじかれた。
 老獪な丹羽長秀のこと、賦秀がこの場に来た理由も最初から勘付いていたのだろう。だからこそ、その知勇をわざわざ大げさに褒めることであえて自分から先陣をと言い出しにくい空気を作った。
 知勇兼備の名将と褒め称えられれば悪い気はしないし、そこから押して先陣を任せて欲しいとはなかなか言い出しづらくなる。普通ならばその知勇を買って先陣を任せたいと相手が言い出すものであり、そこを押して自ら先陣をと願っても『荒木如き忠三郎殿がわざわざ先陣を務めるほどでもない』と言われればそれ以上反論できないからだ。

 ―――上手く転がされたな

 賦秀にもその辺りはすぐに察せられた。陣立てに関しては口を挟むなと長秀は言いたいのだ。
 人並み以上に頭の回転が速い賦秀は、そのことを充分に理解できてしまった。

 先陣願いの件はすっぱりと諦め、賦秀は話題を右近の胸飾りに変えた。

不躾ぶしつけで申し訳ないが、右近殿の胸に光るその飾りは何です?数珠とは少し違って見えますが……」
「これですか。これは十字架ロザリオですよ」
「ろ、ろざりお?」

 言われた言葉の意味が分からず聞き返すと、上座の長秀がカッカと声を上げて笑った。

「キリシタンの数珠でござるよ。右近殿は敬虔なキリシタンでな。此度もバテレンのオルガンチノ殿の説得に応じて上様にお味方すると申されたのよ」

 ―――そう言われれば……

 安土や京で見たバテレン達も似たような首飾りを下げていたなと思い当たった。日本人でもキリシタンになる者が居るとは聞いていたが、まさか目の前にその日本人キリシタンを見るとは露ほども思わなかった。

「私は主の教えに従ったまでです。オルガンチノ神父は主君を裏切った荒木殿は正義に非ずと申されました。真のキリシタンは主君を決して裏切らぬと。それ故、私は上様に従ったに過ぎません」

 キリシタンの教えでは主君を裏切る者は悪魔とされた。
 地上の主君を裏切る者は、天上の主をも裏切る者だからだ。近世・近代を経てキリスト教自体は随分と変節したが、この時代のキリスト教は封建領主との関係性の中で主君への忠義を謳う宣教師が少なくなかった。

「キリシタン……では、南蛮の技などに御詳しいのですか?」
「バテレン達から様々な技を見せて頂くことはございます。南蛮の医術などには私も命を救われました。この傷跡がその証でございます」

 そう言って右近が襟元をはだけると、首には刀で斬られたような跡があった。
 高山右近は元亀四年に主家の謀略によって首を半ば斬られる重傷を受けていたが、それを治療したのが宣教師たちだった。彼らは西洋の医術を用いて右近を治療し、快復は絶望的と思われていた右近は奇跡的に一命をとりとめた。
 右近がキリスト教に傾倒するようになったのはそれ以来のことだ。

 話をしていくうち、賦秀はすっかり右近の人柄に魅せられてしまった。
 右近は若い割りに枯れ寂びた老僧のような風情があり、どこか祖父の定秀に似ていると思った。
 もっとも、定秀の方は宗門とは無縁で、六角定頼に対する尊敬の念こそが宗教に近い。それゆえ、どこかの宗教に傾倒すると言うことは無かった。


 賦秀と右近が初対面を果たした翌々日。
 信長の下知により有岡城へ総攻めが開始された。

 だが、総構えを持つ平城の有岡城は中々に堅固であり、逆に織田方に二千人ほどの被害を出した。
 信長はこれを受けて有岡城周辺に幾重にも砦を築いて包囲する持久戦へと切り替えた。
 大阪湾の制海権を確保した以上、本願寺も有岡城も補給や援軍が届く見込みは薄い。無理攻めをしなくともいずれは枝葉が枯れるように落城すると踏んだ。

 天正六年十二月二十五日
 賦秀らの有岡城包囲軍を摂津に残したまま、信長は安土城へと帰った。


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