鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第六章 蒲生賢秀編 元亀争乱

第80話 忠義と妥協

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主要登場人物別名

左兵衛大夫… 蒲生賢秀 織田家臣 蒲生家当主
駿河守… 青地茂綱 織田家臣 賢秀の実弟

権六… 柴田勝家 織田家重臣
五郎左… 丹羽長秀 織田家重臣
藤吉郎… 木下秀吉 織田家重臣

――――――――

 
「此度の戦では、お主と弟の働きに随分と助けられた。改めて礼を言うぞ」
「礼などと……御屋形様よりおほめ頂き、弟も武門の誉と喜んでいることでしょう」

 志賀の陣にて和睦が決まった日、賢秀は信長の本陣に呼び出されて御前へと伺候していた。傍らには茂綱の嫡男・千代寿を伴っている。

「思えば、最初に報せがもたらされた時に即座に引き返しておれば三左や駿河守を死なせずに済んだかもしれん。それでも、彼らの死を無駄にせずに済んだことはお主のおかげだ」
「もったいなきお言葉。それよりも、甥に青地家の家督をお認め頂いたこと、御礼申し上げます」

 茂綱の嫡男である千代寿はまだ数えで十歳の子供だ。当時は年少のうちに大人の仲間入りを果たすと言っても、さすがに十歳の子供を一人前にというのは早すぎた。
 だが、信長は賢秀の願いを容れて青地家の家督を千代寿に相続させることを許した。これにより千代寿は元服して青地四郎左衛門光綱と名乗りを変えている。

「何、これで千代寿の家督を認めぬと言えば儂が士に報いる法を知らぬ薄情者と謗られてしまうわ」

 豪快に笑う信長の声に、賢秀は信長との間に感じていた壁が消えてなくなる感覚を味わっていた。皮肉なことではあるが、青地茂綱が命を失ってまで浅井・朝倉と戦ってくれたおかげで、蒲生に対する信長の疑いは綺麗に消え失せた。

「千代寿。いや、四郎左衛門。これよりは伯父上と共に儂を支えてくれい」
「ハッ!ありがとうございまする」

 子供特有の甲高い声に頬を緩めながら、信長がうんうんと頷く。そういえば信長も男にしてはやや高い声をしていた。声自体は良く通るのだが、信長自身はその高い声を嫌って極端に短い声しか出さないと聞いたことがあるが、今落ち着いた状態で聞く声はそれほどに甲高いと感じることは無かった。

 ともあれ、千代寿改め四郎左衛門は青地家の領地や家来衆・寄騎衆はそのまま安堵され、引き続き佐久間信盛の寄騎として織田家に仕えることになった。

「ときに御屋形様。年が明ければ佐和山城を攻めると聞き及びました。某は参陣せぬでもよろしいのですか?」
「構わぬ。佐和山城は五郎左と藤吉郎にやらせる。お主は権六と共に軍勢を休ませ、来るべき戦に備えておくとよい」
「承知しました」

 賢秀も多くは問わずに引き下がる。浅井・朝倉や六角義賢と和睦が成立したとはいえ、それで近江の戦乱が収まるとは誰一人思っていない。野洲郡の金森や三宅では一向一揆が蜂起しているし、佐和山城には浅井方の磯野員昌が籠っている。
 当面の危機を脱した信長がそれらを各個撃破すべく軍を動かすことは確実と見えた。



 ※   ※   ※



 岐阜城に戻った信長は、諸々の雑務を済ませると側室の部屋に入ってごろりと横になった。仰向けのまま眉間を親指と人差し指で揉む。摂津での撤退戦から三か月、気の休まる暇が無かった。

「あら、御屋形様。そのような所で横になられてはお体に障りますよ」

 そう言って側室が白湯を椀に注いで持ってくる。暖かい湯気の立つ白湯に、信長も座りなおして椀を受け取った。

「だいぶ冷えて来たな」
「今年も間もなく年の瀬でございますね」
「……今回の戦は蒲生に助けられた」

 ピクリと側室――お鍋の方が反応を示す。
 蒲生定秀に滅ぼされた小倉賢治の正室であるお鍋の方は、信長の上洛の折に岐阜城に引き取られた後信長の側室として岐阜城に住まいを与えられている。
 息子の甚五郎と松寿丸も共に暮らし、長じれば信長の小姓として取り立てられることが決まっていた。

「蒲生殿は……恐ろしいお方でございます」
「……そうは思えぬ。弟の駿河守は命を捨てて儂を守ってくれた。それに左兵衛大夫は弟の死を純粋に悲しんでおる。とても儂を後ろから討とうとしている男には見えぬ」
「それはそのように振舞っているだけでございましょう。いずれ本性を現して参ります。ゆめゆめ御油断なされては……」
「わかったわかった。それ以上は良い」

 信長が制止したことでお鍋も口を噤んで控える。短い付き合いだが、信長が表向きのことに女が必要以上に口出しするのを好まないことはお鍋の方も知悉していた。

 ―――やれやれ、お鍋も余程に蒲生を恨んでいると見えるな

 信長は心の中でため息を吐いた。
 お鍋の方は岐阜城に来て以来、信長に蒲生の恐ろしさを訴える日々が続いている。最初は蒲生欲しさに忠三郎を婿として取り立てた信長も、千草峠での一件以来お鍋の方の言葉に徐々に耳を傾けつつあった。だが、今回の蒲生の働きは本当に信長を支える忠義心が無ければ実現しえない行動であると信長は思っている。

 ―――そもそも、左兵が強硬に撤退を主張しなければ儂は摂津で敵に囲まれていた

 坂本の合戦には間に合わなかったとはいえ、それでも蒲生賢秀の進言が無ければ慌てて近江に戻ることはしなかっただろう。そうなれば、森可成たちを討ち取った浅井・朝倉は、余勢を駆って京を制圧して信長の後ろを抑えたに違いない。摂津に遠征している信長本軍は退路を断たれて敵中に孤立することになったはずだ。

 賢秀が強硬に近江への撤退を主張したからこそ信長もあの時点で撤退を決めた。それが無ければ手遅れになっていたはずだ。

 ―――本当に蒲生が裏切るつもりならば、儂に献策せずに密かに陣を払えば良かったのだ

 近江から岐阜へ戻る途中、信長はそのことを考え続けた。仮に蒲生が裏切っていたとすれば、あの時どのような行動に出たであろうか。
 まずすぐに撤退せよなどとは言うまい。摂津で信長がモタモタしていた方が蒲生は好都合なのだ。そして、密かに陣を払って日野へ戻り、六角と合流して南近江を制圧する。日野は南近江の中心地であり、日野からは湖南地区にも湖東地区にも容易に進軍できる。弟の青地茂綱も加われば、態勢は盤石であろう。
 信長軍の主力は摂津で孤立するのだから、裏切りを咎める者はおろか押しとどめる軍勢すらいない。

 だが、現実には蒲生賢秀は必死になって信長を説得し、青地茂綱は死ぬまで戦って信長が戻る時間を稼いでくれた。それはどちらも、織田家臣として生きると言った蒲生賢秀の言葉を裏付けるものだ。

 ―――ともあれ、これからの蒲生の動きを注視しておくか

 信長は改めて自分の目で蒲生賢秀という男を見ようと決心していた。
 思えば今までの信長は、賢秀に対して何らかの先入観を持って接していた。最初は『六角の忠臣』としての蒲生家を欲しいと思ったが、千草峠の一件以来は『小倉を滅ぼした男』という先入観で見ていた。
 だが、そのどちらもが蒲生賢秀という男の正しい評価ではないのかもしれない。改めて信長は一人の人間としての賢秀を見なければならないと思った。

「……ちと寒いな。お鍋よ」

 お鍋の方が無言で厚手の羽織りを信長の背に掛ける。その白い手を掴むと、信長は強引にお鍋の方を抱き寄せた。

「あ……まだ子供たちが……」
「何、構わぬ」

 そのまま二人で羽織りを被る態勢になる。辺りは時ならぬ静寂に包まれ、庭木にはしんしんと雪が降り積もっていた。



 ※   ※   ※



 年が明けて元亀二年(1571年)二月
 佐和山城で孤立していた磯野員昌はついに織田に降伏し、佐和山城を明け渡して自身は高島郡を拝領していた。佐和山城には丹羽長秀が城代として入り、横山城の木下秀吉と共に北近江の浅井に備える形勢を整えさせる。

 五月に入ると浅井軍が再び行動を起こした。木下秀吉の籠る横山城と堀秀村の籠る鎌刃城を奪取すべく陣を張り、神崎郡の志村城に籠る一揆勢と歩を合わせて攻めかかった。だが、秀吉の機転により一揆勢は素早く鎮圧され、浅井軍はロクな戦果も無く撤退した。将軍家の仲介で和睦を結んだこともあり、浅井長政としては初手から信長軍と事を構えることを戒めていたが、もはや北近江の国人衆は長政の下知を聞こうとはしなかった。

 佐和山城を奪取して南近江の交通を回復した信長は、続いて伊勢長島の一向一揆討伐に乗り出す。最初は簡単に鎮圧できると高を括っていた信長だが、退路に伏兵を配置されて敗退する。この戦いで殿軍を務めた柴田勝家は負傷し、代わって殿軍を務めた氏家卜全が一揆勢によって討ち死にする。
 これまでの数に物を言わせた一揆とは違い、長島の一揆勢は伏兵や海路からの補給を行うなど一端の軍事行動を取っている。信長としても舐めてかかれる相手ではないと気を引き締めざるを得なかった。


 信長が伊勢長島で一揆と戦っている頃、甲賀郡の伴谷で二人の男が向かい合っていた。
 一人は伴谷の土豪・伴太郎左衛門資家であり、もう一人は資家の実弟で保内衆を率いる伴伝次郎資忠だ。

「我ら甲賀衆は織田家と共に歩むこととなった。お主ら保内衆もそう心得ておけ」
「……兄上。しかし織田家は未だ敵も多く、六角様もまだ再起を諦めてはおられません。織田に味方するというのは早計ではありませんか?」
「もはや三雲家も勢威を失い、甲賀はまとまりを欠いておる。それに六角家が再起するには敗れすぎた」

 伝次郎は絶句した。
 確かに六角家は未だ甲賀に逼塞して反撃の機会を窺っているが、昨年の志賀の陣において真っ先に信長と和睦を結んだのも六角義賢だった。
 信長包囲網の一翼を担っているとはいえ、六角義賢は観音寺城・野洲河原と二度に渡って織田家に大敗し、既にその声望を失っている。昨年の戦では集める兵力が足りていないと言って浅井長政から詰問されている。長政自身も北近江国人衆を統制しきれていないにも関わらず、その長政から配下を集められないことをなじられているのだ。
 要するに六角家は既に単独で十分な兵を集めることすらできなくなっている。伝次郎の目から見ても六角家再起の目は少なく思えた。

「それに、織田家は公方様の信を得ている」


 信長包囲網によって畿内各地の大名が反信長に回る中、それでも足利義昭と織田信長の関係は破綻しなかった。この時期、信長は義昭の行動を制限しようと五か条の要求書を送っているとされているが、宛先は義昭本人でもなければ将軍近臣でもない。信長と親しい明智光秀と法華僧の朝山日乗だ。

 つまり、信長は表立って義昭を弾劾したのではなく、『義昭に意見してくれ』と二人を頼ったに過ぎない。天下の仕置きは信長に任せると言った義昭だったが、任せたと言いながら細々と信長に意見を述べて来るのが鬱陶しかったのだろう。
 後年の事であるが、毛利を頼った義昭はその毛利家に対して『いついつまでに軍旅を発すべし』などと細かな干渉を行っている。信長に対しても、細かな干渉を行っていたと考えるのが自然だ。

 元亀年間の足利義昭と織田信長の関係は蜜月とまでは言えないが、破綻するような物では決して無かった。現に志賀の陣では信長の意を受けて浅井・朝倉との和睦を仲介している。
 義昭と信長はお互いに必要とする間柄であり、決して険悪になっているわけでは無かった。


「お主が織田家に対して面白く思っていないのは分かるが、これ以上織田家に反抗するならば伴谷は保内衆に協力出来ん。左様心得ておけ」

 兄にそこまで言われて伝次郎も力なく項垂れるしかなかった。
 最早信長の願いを断ることは出来ない。ただでさえ保内衆は各郷の商人から嫌われている。今まで六角家の庇護を良いことに各地の商業権を食い荒らして来たのだから、六角家が没落すればその勢威を失うのは当然と言えば当然だ。甲賀衆という武力の後ろ盾があるからこそ、六角家が没落しても今の立場を保てているに過ぎない。

 ―――織田家と共に歩む……それしかあるまい

 伝次郎もようやく覚悟を固めた。


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