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第五章 蒲生定秀編 観音寺騒動

第63話 御恩と奉公

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主要登場人物別名

下野守… 蒲生定秀 六角家臣
山城守… 進藤賢盛 六角家臣

江雲寺殿… 六角定頼 今は亡き先々代六角家当主
右衛門督… 六角義治 現六角家当主

――――――――

 
 定秀は蒲生屋敷の一室で古い文箱から出てきた書状を手にしていた。
 一井四郎左衛門尉から蒲生定秀に対して発行されたの銭十五貫の借用証書だ。

 ―――こんな所に入っていたか

 定秀は早速一井に向けて証書の返却を知らせる文を書き始めた。

 元々は天文十五年に定秀が一井に貸した銭の証文だったが、三好長慶の乱とそれに続く定頼の死去のドタバタで紛失していたものだ。一井からは約束通り天文二十一年に返済を受けており、証文は見つかり次第返却すると約束してあった。見つかった以上は約束通り証文を返さないといけない。

 このころ、六角家臣は度重なる外征費用によりその懐がかなり圧迫されていた。何しろ浅井との紛争や千草再征伐、さらには畠山に呼応しての京進軍など座の暖まる暇もないほど毎年のように外征を行っている。でありながら、六角家の領地は増えておらず、むしろ敗戦によって領地を減らす結果となっている。
 定秀の領国である日野は日野椀や茶、刀槍や鉄砲などの物産が豊富で京への販売も保内衆を通じて行っている。六角家臣の中でも豊かな方だった。だが、米だけを頼りにしている者には兵役の銭を用意できずに同僚から銭を借りる者も増えており、その返済を巡って家臣同士で領地を横領するといった事件も起きていた。

 定秀が文机に向かっていると、慌てた様子で嫡男の賢秀が居室に転がり込んでくる。

「父上!大変です!」
「どうした?騒々しい」
「右衛門督様が……後藤但馬守様を観音寺城内で討ち取られたと……」
「……何だと?」
「右衛門督様が後藤様を無礼討ちなされました!」

 定秀は思わず立ち上がって賢秀の顔を凝視した。嘘を吐いている顔ではない。そもそも賢秀はこのようなタチの悪い冗談を言うような男ではない。

 ―――何を考えておられるのだ!

「右衛門督様からはすぐさま諸将に城内に参上せよと使いが参っております」
「馬鹿者!そんな使者を出したとて『はい、そうでうすか』と参上する馬鹿がどこにいる!」

 賢秀が突然の叱責に驚くが、定秀は怒鳴らずにはいられなかった。定秀が本当に怒鳴りつけたかったのは当主義治だ。
 だが、それを今この場で言っても詮無き事だった。


 永禄六年(1563年)十月
 後に『観音寺騒動』と呼ばれる六角家失墜の直接の原因となった大騒動が近江を襲った。
 六角義治は六角家譜代の重臣中の重臣である後藤賢豊と長男の後藤壱岐守を観音寺城内で討ち取った。後藤家は応仁の乱以前から六角氏に仕える譜代の家柄で、馬淵氏や伊庭氏が勢力を失った今では守護代格として六角氏に取って代われる数少ない家でもあった。

 義治は後藤賢豊が佐生城の防備を強化することを六角に対する謀反と見做し、見せしめのために討ち取ってその他の家臣達に自らの権威を知らしめようとした。
 この後藤賢豊の離反は定秀も内心感じていたことでもあった。後藤領では米以外の産物に乏しく、近頃では後藤家でさえも軍事費の増大に耐え切れなくなりつつある。賢豊自身も商人から借銭をしているという話も聞くし、その借銭を苦にして浅井と結ぼうとしているという噂まであった。

 その意味では義治の行いもわからなくは無い。裏切られる前に先手を取って討ち取るというのは戦の常道でもある。だが、進藤家と並んで『両藤』と呼ばれた後藤家では六角家中でも広く婚姻の輪を繋げており、義治の行動はそこへの配慮を欠いていたと言わざるを得ない。

 結果として六角家の権威を高めるどころか永田・三上・池田・進藤・平井などほぼすべての重臣から顰蹙を買ってしまうことになる。その為、各家臣は観音寺城を離れて自分たちの城に戻り、観音寺城の屋敷には火を放ってしまった。

 定秀と賢秀はやむを得ず六角義治を保護して日野中野城へ戻り、兵を集めて籠城戦の用意を進める。六角家の重臣たちに請われて浅井長政も愛知川を超えた四十九院まで進軍しており、今や六角家は存亡の危機に立たされていた。



 ※   ※   ※



「御屋形様、何故後藤殿をお手討ちなどなされたのです」

 定秀の上座には不機嫌そうな義治が座っている。相変わらず自分のやったことを悪いと思っていない態度に、定秀も思わず目の前が暗くなった。

「ふん。後藤は六角家をないがしろにし、浅井に通じようとしておった。だから討ち取ったまでだ」
「それは某も感じておりました。何とかせねばならぬと思っていたところでもあります。ですが、いきなり手討ちなどになされれば家中の反発を生むのは当然です。何故まず某にご相談いただけませなんだ」
「お主に言っても止められると思ったのだ」
「無論、お止め致します。後藤殿は家中に広く婚姻関係を広げております。単純に手討ちにされただけではこうなるのは目に見えておりました。それよりも後藤殿が抱える問題を話し合い、再び六角家を支える体制を作るべきでありましょう」

 義治の顔が益々不機嫌さを増してくる。
 義治の父である義賢は観音寺城の支城である箕作城で隠居していたが、義賢も突然の事態に驚きながらも三雲賢持を頼って甲賀石部城まで逃れている。つまり義治は義賢にすらも相談せず、完全に独断で後藤親子を討ち取ってしまった。
 当然ながら、日野中野城には義賢の怒り心頭に達した文が義治宛てに届いていた。

 定秀は三雲賢持と連絡を取って進藤達と義賢・義治の仲介に奔走する決意を固めた。三雲も蒲生と同じく比較的新参の家だったが、三雲領は野洲川を使った水運に加えて近江晒と呼ばれる麻布の産地であり、蒲生領と同じく財政的に豊かであった。
 観音寺騒動前後で六角家臣団の結束が弱まりつつあったのは、六角家中での貧富の格差が明確になるつつあったことも遠因として存在していた。



 ※   ※   ※



 騒動から十日後、定秀は南近江国人衆を代表して進藤賢盛、永田賢弘、三上恒安らと長命寺で会談を持った。義賢・義治親子と六角家臣団の間を仲介する為だ。

「下野守殿、何故貴方はまだ右衛門督殿のお味方を為される?後藤殿は右衛門督殿の我がままに振り回されながらも歯を食いしばって六角家を支え続けた。借銭で穴だらけになり、軍役も満足に果たせなくなるまで追い詰められてもなお右衛門督殿を支え続けたのだ。その見返りがこれでは、仕える甲斐が無いと言われても仕方ありますまい」
「山城守殿、お手前方のお怒りはごもっとも。そもそも今回のことは右衛門督殿の失策であることは明白であります。ですが、そこを曲げてお願いしたい。どうか以前のように力を合わせて共に六角家を支えてくださらんか。この通りでござる」

 進藤達は六角家の重臣ではあっても、年輪や風格において定秀よりも数段劣る。定頼初期から六角家に仕えた蒲生定秀は、紛れもなく六角家の全盛期を体を張って支え続けた功臣だ。進藤はもちろん、討ち取られた後藤賢豊などよりも発言の重みという意味ではよほどに大きな存在だった。
 はっきりと言えば進藤や三上、永田などよりも数段格上の存在になっている。その定秀がただひたすらに頭を下げている。対面に座る進藤達にも居心地の悪そうな空気が漂っていた。

「……何故そこまでされる。蒲生家ほどの力があれば、六角家を見限って自ら南近江の支配者として立つ道もありましょう。何故そこまで下野守殿は六角の御家のために尽くされるのです?」

「江雲寺殿は……亡き御屋形様は、某のことを『友』と呼んで下された。箕浦河原で前線を守り切れずにお味方に損害を出した某に、『よくぞ生きて戻った』と、そう言って下されたのです。
 亡き御屋形様は某の全てでありました。

 その友の子や孫が目の前で困っておるのです。……助けずに、居られましょうや」

 話すうちに定秀の双眸にも涙が溢れ、ついに堪えきれずに涙が頬を伝う。その涙を拭おうともせずに真っすぐに見つめる瞳を進藤賢盛は見返すことが出来なくなっていた。

 たちまち進藤達六角家臣にも気まずそうな空気が漂う。特に進藤賢盛は、父の進藤貞治と六角定頼との結びつきは蒲生定秀以上の物だった。六角家を裏切ることはできないという定秀の言葉に対し、言い返す言葉が見つからなかった。

「しかし、我らとしても後藤殿を無礼討ちにされたことをこのまま忘れることはでき申さぬ。右衛門督殿から何がしかの詫びを示して頂かねば、これを無かったことにはできませぬ」
「永田殿の申されることも御尤もにござる。右衛門督殿にはなんらかの形で責任を取って頂く。それと引き換えに、どうか観音寺城に戻って下さらぬか。再び六角家を共に支えて下さらぬか。この下野守たってのお願いでござる。この通りでござる」

 年長者としての格も外聞も何もかも投げうってひたすら額を床に擦り付ける定秀に対し、それ以上誰も何も言うことが出来なかった。


 こうして蒲生定秀の必死の説得により、観音寺騒動は一旦収束した。後藤家の家督は賢豊の次男である後藤高治が継ぎ、六角義治は責任を取って家督を弟の大原義定に譲ることで何とか騒動を収めた。
 この後、定秀は再び六角家中の結束を高めるために奔走し、『六角氏式目』と呼ばれる分国法の草案作りに乗り出す。六角氏式目では国人衆の間での領地紛争や金銭貸借などにつき、六角家の恣意ではなく法によって裁可を下すことを規定することとした。
 言い換えれば、それまでは各訴訟を担当する奉行の裁量によって判決が出ていたということでもあった。

 この二つの定秀の措置により、六角家中の空中分解は避けることが出来たかに見えた。しかし、結果的に見ればそれも束の間のことでしか無かった。



 ※   ※   ※



「何?右近大夫が永源寺領に火を放った?」

 小倉実隆は家老の速水勘解由左衛門から報せを受け、思わず立ち上がって拳を握った。

「ハッ!小倉右近大夫は昨年の永源寺領の横領を咎めた六角家の裁定を不服とし、六角家に訴えた永源寺への報復として永源寺・含空院・曹源寺などの山上寺中へ火を放ったとの由」
「右近大夫め……六角家が揺れている隙を突いたか」

 小倉実隆と対立する小倉右近大夫は、観音寺騒動で六角家が機能不全に陥っている隙を突いて行動を開始した。もはや六角家は以前のような勢威を回復することはないという読みがあるのだろう。永源寺の庇護者たる六角家の勢威が縮小すれば、実力で寺領を横領しても咎める者は居ない。
 だが、実隆としてはそれをみすみす見過ごしておくことはできない。

「出陣の支度を整えよ。今度こそ右近大夫を討ち果たす」
「ハッ!して、下野守様に援軍を請われますか?」

 今や実隆の実家である蒲生家は六角家と並び立つほどの声望を得ている。速水勘解由左衛門の言葉は当然のことでもあった。だが……

「いや、小倉家のみで対処する。身内の恥は身内で解決するのが筋だろう」
「……承知いたしました」

 小倉実隆から見ても六角家は今危うい切所にある。今この時に、六角の柱石たる父を小倉家中の内紛で駆り出すことなど出来なかった。


 永禄六年(1563年)十月
 観音寺騒動とそれに連動した小倉家の内紛は、崩れ行く六角家を象徴するかのように見えた。
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