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第五章 蒲生定秀編 観音寺騒動
第60話 後継者の明暗
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主要登場人物別名
下野守… 蒲生定秀 六角家臣
承禎… 六角義賢 六角家前当主 六角家の実権を握る
御屋形様… 六角義治 六角家当主 六角義賢の嫡男
次郎… 大原義定 六角義賢の次男
弾正… 松永久秀 三好家臣 弾正少弼の官位に就く
筑前守… 三好義興 三好長慶の嫡男 知勇兼備の名将
――――――――
「何とかせねばならぬ」
先ほどから何度目かの言葉を聞きながら、定秀は少々うんざりしていた。言葉を発した主である六角義治は定秀の渋面にも気付かず、口中でブツブツと呟きながら辺りを落ち着きなく歩き回っている。
「御屋形様、少しは落ち着いて下され」
「これが落ち着いていられるか!六角の威が保てるかどうかの瀬戸際なのだぞ!」
後藤賢豊の言葉にも耳を貸さずに再び室内をウロウロと歩き始めた義治を見て、定秀はこちらも何度目かのため息を吐いた。
野良田での敗戦を受けて六角家の北近江への影響力は極端に低下し、今まで争奪の地であった佐和山城は完全に浅井に抑えられ、今では犬上川以南の国人衆にも北近江に同心する者が出始めている。
祖父定頼の築き上げた近江支配が崩れ始めるのを目の当たりにし、義治は現当主として何とか六角の武威を取り戻そうとあれこれと思案を巡らせていた。
野良田合戦については定秀も忸怩たる思いがある。北近江の国人衆が苛烈な突撃を得意としてることは知っていたが、息子の賢秀と進藤賢盛ならば充分に対応できると思っていた。だが、結果は惨憺たるものだ。
自分が蒲生勢を率いて先陣を務めるべきだったのではないかと、今更ながらに後悔の念を禁じ得ない。
「六角家の当主として儂がここで武威を示さねば、次郎が何かと口を挟んでくるやもしれぬ」
義治の考えていることの本質はこれに尽きる。無論定秀にもその辺りの事情は分かっていた。
六角四郎義治には二歳下の弟がいたが、弟の次郎義定は祖父定頼の弟である大原高保の名跡を継ぎ、大原次郎義定を名乗って大原家の当主になっている。
義治はこの弟に家督を奪われるのではないかと疑っているのだが、家督を譲ったとはいえ六角家の実権は今なお父の六角承禎が握っている。今回の野良田合戦の総大将は承禎なのだから、この敗戦を持って義治を廃するとは考えにくい。
確かに今回の敗戦は六角家にとって痛手だが、それが即ち義治の家督に影響するというのは杞憂に過ぎなかった。
「六角家の当主であればこそ、今は落ち着いて事に当たられませ」
「下野守。しかしそのような悠長な事を言っておれば次郎がどんな口出しを……」
「次郎様は大原家の当主にございます!御父君が大原家の家督を無視していきなり次郎様を六角家当主に据えるとは思えませぬ!少しは落ち着かれよ!」
定秀が溜らず大声を張り上げるとようやく義治もどっかと座った。もっとも、反省したとか定秀の迫力に恐れをなしたとかではなく、怒られたことに単純に拗ねているだけだ。
その様を見るにつけ、定秀は心の中でため息を吐くことしかできなかった。
※ ※ ※
「この、大馬鹿者が!四郎!貴様は一体何を考えておる!
年寄衆もだ!一体何をしておった!このような醜態を晒すとはどういうつもりだ!」
一月後、今度は承禎が義治に対して怒りを爆発させた。
義治の後ろには定秀以下義治補佐の老臣達が一様に項垂れて頭を垂れている。定秀としても返す言葉が無かった。
野良田の敗戦に焦った義治は、誰に相談することも無く独断で美濃の斎藤義龍との同盟を決めてしまった。同盟に伴って斎藤義龍の娘を六角義治の正室に迎え入れるというオマケ付きだ。義治としても何とか美濃と結んで浅井を挟撃しようと考えてのことだったが、誰にも相談しなかったことは義治の手落ちという他は無い。
実はこの時、父の承禎も浅井を挟撃するべく義治の婚姻を進めていたが、その相手は斎藤ではなく朝倉だった。これには斎藤道三の国盗りが深く関係している。
十年前の天文十九年に斎藤道三によって美濃を追放された土岐頼芸は、この時六角定頼の娘を妻としていた縁もあって観音寺城に身を寄せていた。それだけでなく義賢の祖父六角高頼の代から土岐家とは何かと血縁の関係を結んでいる。つまり六角家は本来的に斎藤道三や斎藤義龍による美濃支配を決して認められない立場であった。
もっとも、義龍は道三の子ではなく土岐頼芸の子であるとして美濃を治める正当性を主張し始めていたが、承禎からすれば下らない小細工でしかない。
一方の朝倉家は越前守護として足利将軍に認められて既に五代を数えている。朝倉氏も斯波氏を追い出して越前を支配したという点では同じだが、斯波とほとんど縁を持たない六角にとっては斎藤よりも朝倉の方がまだ話がしやすい。
そして、朝倉と斎藤は美濃の支配を巡って何度も戦に及んでいる間柄で、斎藤と同盟を結ぶのならば朝倉と同盟は結べないというほどの関係性だった。また、朝倉家に対して尾張の織田家との間を取り持つと申し送ったりもしている。
要するに朝倉・織田と結んで斎藤・浅井と戦うというのが承禎の戦略だった。
だが、義治にも一応の理はある。
土岐頼芸を近江に迎えてから十年間、六角家は頼芸を美濃に戻す軍を興していない。つまり土岐を美濃に戻す意思はないと受け取られてもやむを得ないのではないかという点がある。
もちろん承禎に土岐頼芸を美濃に戻す気が無かったわけではなく、三好長慶の反乱と足利義晴・義輝が京を落ちたことに対応するのが精一杯で美濃にまで手が回らなかっただけだが……。
そして、朝倉は浅井とも良好な関係を保っており、対浅井に関しては朝倉は役に立つとは思えない。浅井も軽々しく動けなくなるとは思うが、直接的に浅井を討つ場合は浅井と何度も戦火を交えている斎藤の方がまだ軍勢を出してくれる可能性がある。
つまり、義治としては『浅井を討つ』ということに重点を置いた同盟政策を行うべきという意見だった。
本来ならば殴ってでも止めるべき同盟話を定秀たち年寄衆が義治を止めきれなかったのも、浅井を討つためには斎藤と結ぶ方が現実的だという意見にも一分の理があった為だ。
とはいえ、それが承禎や老臣達に何の相談もせずに独断で同盟や婚姻を決めて来たことを正当化する理由にはならない。
承禎の怒りはもっともであり、定秀たちにも義治をかばうことは出来なかった。
定秀がチラリと義治を伺うと、相変わらず俯いて頬を膨らませているだけで反省している様子は見られない。何故自分が怒られなければならないのか、まるっきり理解していないのはその表情で充分に伝わって来た。
―――若は自分で自分を追い詰めている
定秀は六角義治の為にそのことを危惧した。今の場合、承禎の怒りの本質は『独断で事を運んだこと』にあるのだから、まずは相談しなかったことを詫び、しかる後に今後どのようにすべきか承禎と相談してゆけばわだかまりも無くなるはずだ。だが、自分が一番で育ってしまった義治には自分の考えを否定されることがどうしても受け入れられない。
間違ったと思ったのなら、素直に頭を下げて謝ればいい。自分が言い出した手前斎藤に同盟破棄を言い出しづらいというのなら、それこそ自分たち年寄衆に命じて破談を通達させればいい。だが、そのいずれもが義治には決断出来なかった。
結局義治は一度も詫びを口にすることなく観音寺城を出てそのまま永源寺に引きこもってしまう。
定秀たち補佐役の年寄衆も追従して永源寺に入ったが、義治はそのまま観音寺城に戻ろうとはせず、とうとう斎藤家から京の伊勢貞孝を通じて承禎の所に婚姻の日取りなどの相談が入る事態となる。
承禎にしても今更『自分は聞いていない』と言うことは出来ない。そんなことをすれば息子は父に断りも無く婚姻や同盟を決めてしまうような馬鹿者だと宣言することになり、身内の恥を天下に晒すことになってしまう。伊勢貞孝に太刀を贈ってしばらく話を引き延ばすように依頼するのが精いっぱいだった。
後日承禎から年寄衆に対して激しい叱責の文が届き、年寄衆全員の説得によってようやく義治も承禎に頭を下げて観音寺城に戻った。
後藤賢豊や平井定武などは既に義治に供奉することに不満をあらわにしていたが、定秀はそれでも義治の為に何とか家中で孤立しないように様々に気を配り続けた。定秀の心労は溜ってゆく一方だった。
※ ※ ※
三好長慶は六角家臣の伊庭右京亮からの文を手に、呆れとも憐れみともつかぬ複雑な表情をしてため息を吐いた。
「殿、いかがなされましたかな?」
「弾正、これを見てみよ」
長慶から文を渡された松永久秀は、内容を読むと片方の眉尻を上げて肩を落とした。
『義賢父子不和に付き、近江に進軍致されたく候』
伊庭氏は六角家臣であるとはいえ、元々六角高頼の代から近江守護代として自立心が旺盛な家だった。今回の承禎・義治親子の相剋を奇貨として兵を挙げたいので援軍を頼みたいという内容だ。
「近江に出兵なさいますか?」
「馬鹿々々しい。河内・大和の征伐もまだ途中だし来月には甚介が若狭へ進軍する。近江に掛かっていられる余裕などは無いわ」
「左様ですな。しかし六角家も随分と騒がしいことで……」
三好長慶にもやりきれない思いはある。
かつての六角家は強大で、とてもではないがまともに戦を仕掛けることなど考えられなかった。それが今や父子の内紛に乗じて近江に攻めよと六角家臣から文が来る。
後継者によってこうまで武威が落ちるものかと思うと失笑するよりも自らを省る気持ちの方が大きい。
「筑前守にはかような心配はなかろうが、三好家もかようなことにならぬようにせねばな」
「左様で」
長慶はもう一度ため息を吐くと、おもむろに立ち上がった。
「どちらへ行かれますので?」
「厠だ」
「伊庭殿の文にはどうお返事なさいますか?」
「……こちらは今動けん。行動を起こすならばよくよく考えてからにしろ、と」
「ハッ!」
言い捨てると長慶はそのまま廊下へと行ってしまった。
―――今は六角よりも織田を注視すべきかもしれんな
松永久秀は祐筆に文面を指示しながら頭の中では近江から東の情勢に思いを馳せている。
この年の五月に尾張の織田信長が田楽狭間で今川義元を破り、その首を討ち取るという大金星を上げた。尾張のうつけと評されていた信長の評価は一変し、油断ならない男として松永の脳裏に刻まれた。
今のところ畿内の情勢に介入できるほどの力はないが、将来的には油断ならない敵となるかもしれない。
―――今のうちに織田の情報を集めて置こう
下野守… 蒲生定秀 六角家臣
承禎… 六角義賢 六角家前当主 六角家の実権を握る
御屋形様… 六角義治 六角家当主 六角義賢の嫡男
次郎… 大原義定 六角義賢の次男
弾正… 松永久秀 三好家臣 弾正少弼の官位に就く
筑前守… 三好義興 三好長慶の嫡男 知勇兼備の名将
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「何とかせねばならぬ」
先ほどから何度目かの言葉を聞きながら、定秀は少々うんざりしていた。言葉を発した主である六角義治は定秀の渋面にも気付かず、口中でブツブツと呟きながら辺りを落ち着きなく歩き回っている。
「御屋形様、少しは落ち着いて下され」
「これが落ち着いていられるか!六角の威が保てるかどうかの瀬戸際なのだぞ!」
後藤賢豊の言葉にも耳を貸さずに再び室内をウロウロと歩き始めた義治を見て、定秀はこちらも何度目かのため息を吐いた。
野良田での敗戦を受けて六角家の北近江への影響力は極端に低下し、今まで争奪の地であった佐和山城は完全に浅井に抑えられ、今では犬上川以南の国人衆にも北近江に同心する者が出始めている。
祖父定頼の築き上げた近江支配が崩れ始めるのを目の当たりにし、義治は現当主として何とか六角の武威を取り戻そうとあれこれと思案を巡らせていた。
野良田合戦については定秀も忸怩たる思いがある。北近江の国人衆が苛烈な突撃を得意としてることは知っていたが、息子の賢秀と進藤賢盛ならば充分に対応できると思っていた。だが、結果は惨憺たるものだ。
自分が蒲生勢を率いて先陣を務めるべきだったのではないかと、今更ながらに後悔の念を禁じ得ない。
「六角家の当主として儂がここで武威を示さねば、次郎が何かと口を挟んでくるやもしれぬ」
義治の考えていることの本質はこれに尽きる。無論定秀にもその辺りの事情は分かっていた。
六角四郎義治には二歳下の弟がいたが、弟の次郎義定は祖父定頼の弟である大原高保の名跡を継ぎ、大原次郎義定を名乗って大原家の当主になっている。
義治はこの弟に家督を奪われるのではないかと疑っているのだが、家督を譲ったとはいえ六角家の実権は今なお父の六角承禎が握っている。今回の野良田合戦の総大将は承禎なのだから、この敗戦を持って義治を廃するとは考えにくい。
確かに今回の敗戦は六角家にとって痛手だが、それが即ち義治の家督に影響するというのは杞憂に過ぎなかった。
「六角家の当主であればこそ、今は落ち着いて事に当たられませ」
「下野守。しかしそのような悠長な事を言っておれば次郎がどんな口出しを……」
「次郎様は大原家の当主にございます!御父君が大原家の家督を無視していきなり次郎様を六角家当主に据えるとは思えませぬ!少しは落ち着かれよ!」
定秀が溜らず大声を張り上げるとようやく義治もどっかと座った。もっとも、反省したとか定秀の迫力に恐れをなしたとかではなく、怒られたことに単純に拗ねているだけだ。
その様を見るにつけ、定秀は心の中でため息を吐くことしかできなかった。
※ ※ ※
「この、大馬鹿者が!四郎!貴様は一体何を考えておる!
年寄衆もだ!一体何をしておった!このような醜態を晒すとはどういうつもりだ!」
一月後、今度は承禎が義治に対して怒りを爆発させた。
義治の後ろには定秀以下義治補佐の老臣達が一様に項垂れて頭を垂れている。定秀としても返す言葉が無かった。
野良田の敗戦に焦った義治は、誰に相談することも無く独断で美濃の斎藤義龍との同盟を決めてしまった。同盟に伴って斎藤義龍の娘を六角義治の正室に迎え入れるというオマケ付きだ。義治としても何とか美濃と結んで浅井を挟撃しようと考えてのことだったが、誰にも相談しなかったことは義治の手落ちという他は無い。
実はこの時、父の承禎も浅井を挟撃するべく義治の婚姻を進めていたが、その相手は斎藤ではなく朝倉だった。これには斎藤道三の国盗りが深く関係している。
十年前の天文十九年に斎藤道三によって美濃を追放された土岐頼芸は、この時六角定頼の娘を妻としていた縁もあって観音寺城に身を寄せていた。それだけでなく義賢の祖父六角高頼の代から土岐家とは何かと血縁の関係を結んでいる。つまり六角家は本来的に斎藤道三や斎藤義龍による美濃支配を決して認められない立場であった。
もっとも、義龍は道三の子ではなく土岐頼芸の子であるとして美濃を治める正当性を主張し始めていたが、承禎からすれば下らない小細工でしかない。
一方の朝倉家は越前守護として足利将軍に認められて既に五代を数えている。朝倉氏も斯波氏を追い出して越前を支配したという点では同じだが、斯波とほとんど縁を持たない六角にとっては斎藤よりも朝倉の方がまだ話がしやすい。
そして、朝倉と斎藤は美濃の支配を巡って何度も戦に及んでいる間柄で、斎藤と同盟を結ぶのならば朝倉と同盟は結べないというほどの関係性だった。また、朝倉家に対して尾張の織田家との間を取り持つと申し送ったりもしている。
要するに朝倉・織田と結んで斎藤・浅井と戦うというのが承禎の戦略だった。
だが、義治にも一応の理はある。
土岐頼芸を近江に迎えてから十年間、六角家は頼芸を美濃に戻す軍を興していない。つまり土岐を美濃に戻す意思はないと受け取られてもやむを得ないのではないかという点がある。
もちろん承禎に土岐頼芸を美濃に戻す気が無かったわけではなく、三好長慶の反乱と足利義晴・義輝が京を落ちたことに対応するのが精一杯で美濃にまで手が回らなかっただけだが……。
そして、朝倉は浅井とも良好な関係を保っており、対浅井に関しては朝倉は役に立つとは思えない。浅井も軽々しく動けなくなるとは思うが、直接的に浅井を討つ場合は浅井と何度も戦火を交えている斎藤の方がまだ軍勢を出してくれる可能性がある。
つまり、義治としては『浅井を討つ』ということに重点を置いた同盟政策を行うべきという意見だった。
本来ならば殴ってでも止めるべき同盟話を定秀たち年寄衆が義治を止めきれなかったのも、浅井を討つためには斎藤と結ぶ方が現実的だという意見にも一分の理があった為だ。
とはいえ、それが承禎や老臣達に何の相談もせずに独断で同盟や婚姻を決めて来たことを正当化する理由にはならない。
承禎の怒りはもっともであり、定秀たちにも義治をかばうことは出来なかった。
定秀がチラリと義治を伺うと、相変わらず俯いて頬を膨らませているだけで反省している様子は見られない。何故自分が怒られなければならないのか、まるっきり理解していないのはその表情で充分に伝わって来た。
―――若は自分で自分を追い詰めている
定秀は六角義治の為にそのことを危惧した。今の場合、承禎の怒りの本質は『独断で事を運んだこと』にあるのだから、まずは相談しなかったことを詫び、しかる後に今後どのようにすべきか承禎と相談してゆけばわだかまりも無くなるはずだ。だが、自分が一番で育ってしまった義治には自分の考えを否定されることがどうしても受け入れられない。
間違ったと思ったのなら、素直に頭を下げて謝ればいい。自分が言い出した手前斎藤に同盟破棄を言い出しづらいというのなら、それこそ自分たち年寄衆に命じて破談を通達させればいい。だが、そのいずれもが義治には決断出来なかった。
結局義治は一度も詫びを口にすることなく観音寺城を出てそのまま永源寺に引きこもってしまう。
定秀たち補佐役の年寄衆も追従して永源寺に入ったが、義治はそのまま観音寺城に戻ろうとはせず、とうとう斎藤家から京の伊勢貞孝を通じて承禎の所に婚姻の日取りなどの相談が入る事態となる。
承禎にしても今更『自分は聞いていない』と言うことは出来ない。そんなことをすれば息子は父に断りも無く婚姻や同盟を決めてしまうような馬鹿者だと宣言することになり、身内の恥を天下に晒すことになってしまう。伊勢貞孝に太刀を贈ってしばらく話を引き延ばすように依頼するのが精いっぱいだった。
後日承禎から年寄衆に対して激しい叱責の文が届き、年寄衆全員の説得によってようやく義治も承禎に頭を下げて観音寺城に戻った。
後藤賢豊や平井定武などは既に義治に供奉することに不満をあらわにしていたが、定秀はそれでも義治の為に何とか家中で孤立しないように様々に気を配り続けた。定秀の心労は溜ってゆく一方だった。
※ ※ ※
三好長慶は六角家臣の伊庭右京亮からの文を手に、呆れとも憐れみともつかぬ複雑な表情をしてため息を吐いた。
「殿、いかがなされましたかな?」
「弾正、これを見てみよ」
長慶から文を渡された松永久秀は、内容を読むと片方の眉尻を上げて肩を落とした。
『義賢父子不和に付き、近江に進軍致されたく候』
伊庭氏は六角家臣であるとはいえ、元々六角高頼の代から近江守護代として自立心が旺盛な家だった。今回の承禎・義治親子の相剋を奇貨として兵を挙げたいので援軍を頼みたいという内容だ。
「近江に出兵なさいますか?」
「馬鹿々々しい。河内・大和の征伐もまだ途中だし来月には甚介が若狭へ進軍する。近江に掛かっていられる余裕などは無いわ」
「左様ですな。しかし六角家も随分と騒がしいことで……」
三好長慶にもやりきれない思いはある。
かつての六角家は強大で、とてもではないがまともに戦を仕掛けることなど考えられなかった。それが今や父子の内紛に乗じて近江に攻めよと六角家臣から文が来る。
後継者によってこうまで武威が落ちるものかと思うと失笑するよりも自らを省る気持ちの方が大きい。
「筑前守にはかような心配はなかろうが、三好家もかようなことにならぬようにせねばな」
「左様で」
長慶はもう一度ため息を吐くと、おもむろに立ち上がった。
「どちらへ行かれますので?」
「厠だ」
「伊庭殿の文にはどうお返事なさいますか?」
「……こちらは今動けん。行動を起こすならばよくよく考えてからにしろ、と」
「ハッ!」
言い捨てると長慶はそのまま廊下へと行ってしまった。
―――今は六角よりも織田を注視すべきかもしれんな
松永久秀は祐筆に文面を指示しながら頭の中では近江から東の情勢に思いを馳せている。
この年の五月に尾張の織田信長が田楽狭間で今川義元を破り、その首を討ち取るという大金星を上げた。尾張のうつけと評されていた信長の評価は一変し、油断ならない男として松永の脳裏に刻まれた。
今のところ畿内の情勢に介入できるほどの力はないが、将来的には油断ならない敵となるかもしれない。
―――今のうちに織田の情報を集めて置こう
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