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第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱
第51話 江口の戦い
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主要登場人物別名
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
宗三… 三好政長 細川家臣
神太郎… 安宅冬康 安宅水軍棟梁 三好四兄弟の三男
又四郎… 十河一存 十河家当主 三好四兄弟の四男
――――――――
宵闇かがり火の中で二つの影が炎に揺らめく。
江口城攻めの陣では、三好長慶の次弟の安宅冬康と三弟の十河一存が絵図面を前に語り合っていた。
「兄者。筑前の兄上がまだ江口城攻めの下知を出さぬのはどういうわけだ?」
「……ためらっておられるのだろう。右京大夫様に弓を引くことを決断はされたが、いざ江口城攻めを行うとなると後詰として三宅城にある右京大夫様とも直接干戈を交えることにもなる。
いざ現実に己が『下剋上』の戦を為されると思うとやはりどこかでお覚悟が鈍っておられるように見受ける」
十河一存の目にはやや不満そうな光が籠る。今更下剋上を避けたいと言ってもこの情勢で避けられるものではない。まして、細川晴元は父の仇でもある。
十八歳の十河一存は三好元長の没後に生まれた。それゆえに父の顔を知らず、ただ次兄の三好実休から事の成り行きだけを聞き知っている。細川晴元の顔すらも見たことがない十河一存にはそんな長慶のためらいが歯がゆく映るのもやむを得ないことではあった。
―――そもそもは兄上が始めた戦ではないか!
十河一存は武勇の男としてその勇名は四国では既に轟いており、畿内においても今回の戦の苛烈さから『三好の猛牛』として恐れられていた。その一存の目から見て、江口城の備えは貧弱に見える。まして江口城は三方を川に囲まれた要害と言われるが、別の見方をすれば川を背に戦っているとも取れる。
本気になって攻めかかれば一捻りと思えた。
「今更ためらっても何ら益はない!戦は勝たねばなりません!宗三は六角の援軍を当てにしておるのは明白です!時を過ぎればそれこそ江口城は堅固な要塞となってしまいますぞ!」
「……分かっている。儂も六角の援軍が到着する前に勝負を決めてしまいたいというのには同意じゃ。そこで、明日我らの手勢で持って攻めかかってはどうかと思う」
―――抜け駆けをすると申されるか?
十河一存は驚いて三兄の冬康を見る。安宅冬康は一存と違って穏やかな人柄で、まずもって思い付きで事を運ぶような男ではない。その兄が言い出すのだから、よほどに覚悟を固めてのことなのだろうと思われた。
「軍令違反を咎められれば、いかな実弟とは言え責めは逃れられませぬぞ」
「わかっている。だが、お主の言う通り今こそ好機なのだ。宗三が江口城という死地に自ら飛び込み、かつ六角の援軍が到着しない今こそがな」
十河一存は兄の目をじっと見たままだったが、その目に恐れの色は一つも見受けられない。むしろ普段以上に穏やかな光を湛えていた。
「兄上の怒りは儂が引き受けよう。……乗るか?」
―――ふふふ。乗らいでか!
「無論のこと!明日朝から某の一手は正面から江口城の備えを噛み破りましょう」
「うむ。ならば儂は水軍を率いて淀川を封鎖しよう。三宅城からの手出しを牽制する」
「承知!何やら今から滾ってまいりましたぞ!」
「落ち着け。宗三は無論のこと、兄上にも気取られてはならん。明日の朝に密かに陣を進めるのだ」
「わかり申した!この又四郎にお任せあれ!」
かがり火は変わらず二つの影を揺らしているが、その炎は先ほどよりもやや小さくなっていた。
※ ※ ※
「抜け駆けだと?どこの陣の者だ!」
「それが……十河又四郎様、安宅神太郎様の軍が江口城に向かって進軍しております」
―――又四郎だけならばともかく、神太郎までもが軍令違反を犯すか
松永甚助の報告を受けた三好長慶は、中嶋城の本陣に居ながら遥か西に視線を向けた。
三弟の十河一存ならばただ武に逸っただけかとも思うが、次弟の安宅冬康までもが同意しているところを見ると熟慮の上でのことだろうとは見て取れる。
―――馬鹿者が!六角がどのような手を残しているかもわからぬというのに
実の所、三好長慶のためらいは下剋上に対する躊躇ではなく、明らかに失策と見える江口城進出を逆に警戒してのことだった。
長慶の目から見ても江口城の三好政長は明らかな死地にある。普通ならばこれを好機と一気に江口城を攻略するだろう。だが、相手はあの六角定頼だ。
長慶は妙に話が上手すぎると逆に警戒感を強めていた。仮に六角の軍勢が間近に迫っていれば、江口城に攻めかかった長慶軍は榎並城と江口城で挟撃されることになる。まんまとエサに食いついた長慶軍は前後に敵を受けて、下手をすれば崩壊することにもなるだろう。
そのため、今は江口城の後方に居るはずの六角軍の動きを探らせている所だった。
「殿!物見の者が戻りました!」
「何!すぐにここへ呼べ!」
近習に案内されて偵察部隊の長が長慶の前に来て膝を着く。
「申し上げます!江口城の後方には未だ六角の影は見えず。六角の先陣は大山崎にて留まっておりまする」
物見の報告に長慶もじっと絵図面を見て考え込んだ。六角の先陣が大山崎ということは、江口まで進軍するのに早くても半日はかかる。そして半日あれば江口城を攻め落とすことは不可能ではない。
まさか六角定頼がこのような失策を犯すとは思えない。
―――罠ではない?とすれば、これは宗三の失策か
「甚助!三千を連れてすぐに又四郎の後詰に向かえ!」
「……では!」
「うむ!これは六角の策ではなさそうだ。そうと分かれば一息に江口城の息の根を止める!」
「ハッ!」
一礼した松永甚助が具足を鳴らしながら本陣を出て行く。長慶の目線は再び南の榎並城に注がれた。
―――宗三。貴様は六角来援まで待ちきれなかったようだな。その焦りが命取りよ
※ ※ ※
「高畠甚九郎殿お討死!正面の逆茂木は十河勢によって突破されました!」
江口城の本陣では刻々ともたらされる味方の敗報に三好政長は顔色を失うばかりだった。
「北側の守りに就いている田井源介は何をしておる!」
「川からの安宅水軍の攻めを防ぐのに手一杯です!田井殿からも後詰の要請が来ております!」
―――後詰など出せる状況か!
先ほどから攻め寄せる鬨の声がだいぶ大きく聞こえるようになっている。今や戦場は江口城の城門前に移っていることは音を聞いていれば分かる。
既に江口城を維持することは困難になっていた。
「江口を出て榎並城に向かう!城の各所を守る諸将にも独自に榎並城に落ちるよう伝えよ!」
近習にそう告げると、三好政長はすぐに立ち上がって本陣を後にした。
従う者はわずか十騎に減っていた。
―――おのれ、生意気な小僧めが
思えば父の三好元長にも散々に手古摺らされた。
いかに細川晴元の主力軍とは言え、畿内各地の支配を阿波衆だけで占めようとして畿内の国人衆と余計な軋轢を生んだ。その後始末の為に三好政長は散々走り回らされたものだ。
一向一揆を差し向けるというのも、元はと言えば元長を少し懲らしめるくらいの思いで進言したことだ。一向一揆に手を焼いている元長を摂津国人衆を率いた政長が救援する。それによって、元長を大人しくさせようという試みだった。
まさか一向一揆が元長を敗死させ、さらにその後畿内各地を略奪して回るとは思いも寄らなかった。
全ては想定外だったのだが、宗三憎しに固まる三好長慶には何を言っても聞き分ける耳は無い。
―――儂が今まで何の功も無かっただと?儂がどれだけ右京大夫様の足元を支えて来たか
政長は堺の茶人たちとも付き合いが深く、その縁で各地で細川晴元が軍事行動を起こすための物資を手配していた。確かに戦場での槍働きは少ないが、細川晴元陣営の全ての戦線を支えて来たという自負はある。そしてそれは事実でもあった。
三好政長は紛れもなく細川晴元の兵站を差配した男であり、政長が居なければもっと早い段階で細川晴元の足元は崩壊していただろう。戦場での働きだけしか見ない長慶や摂津国人衆に心底腹が立っていた。
憤懣を抱えながら馬を駆けさせていると、不意に政長の一団めがけて矢の雨が降り注いだ。
「何奴!敵か!」
「殿!あちらから雑兵共が!あれは遊佐河内守の旗印にございます!」
近習が指さす方を見ると、遊佐の家紋を旗指物にした槍足軽が数十人ほどで突撃してくる。おそらく落ち武者と見て襲い掛かって来ているのだろう。
「防ぎ止めよ!」
近習が足軽に向かって行くのを尻目に、政長は一騎で榎並城を向いて駆けだした。
とにかく息子の三好政勝の元へ行くことに必死だった。
―――あと少し、あと少しすれば榎並城が見える!
瞬間、ガクンと馬がつんのめって政長は前方に投げ出された。
したたかに背中を打ち、肺の空気を全て吐き出した政長は数秒間呼吸が出来なかった。
「グハッ。何が……」
喘ぎながら馬の方を見ると、右足の付け根に矢が一本突き立っている。どこから射られたかはわからないが、これが原因で馬が突然倒れたのだろうということは分かった。
苦しむ馬の向こうからは数名の足軽が刀を抜き身に持ってゆっくりと近付いて来る。必死に逃げようと手足を動かすが、息が苦しく立ち上がることが出来ない。そうこうしている間に刀が届く場所まで足軽達が迫った。
「コイツ大将首じゃないか?立派な兜をしている」
「おお、それは儲けものだ。本陣の大将に届ければいい銭をもらえるぞ」
「報奨は山分けだぞ。取り合いになってはせっかくの大将首を取り逃してしまう」
目の前で繰り広げられる己の首の算勘に助けられた政長は、息を整えて立ち上がり太刀を抜いた。
「貴様ら!儂を誰だと……」
突然腹に衝撃と熱い感覚が走る。見れば足軽の一人が突き出した槍が政長の腹を貫通していた。
「お前えさんが誰かは知らねえ。だが、その首はいい銭になりそうだ。悪く思うなよ」
―――ぐっ。このような雑兵などに……
最期の言葉は声にならずに血の塊となって口から吐き出された。
薄れる意識の中で兜を掴まれて首筋に刃の固い感触を感じる。それが三好政長の感じた最後の感覚だった。
天文十八年(1549年) 六月二十四日
細川晴元を支え続けた三好政長は雑兵によって討ち取られるという最期を遂げた。三宅城の細川晴元も丹波から京の嵯峨に逃走し、息子の三好政勝は榎並城から逃走して行方が知れずとなり三好長慶は念願であった河内十七箇所を武力を持って奪還した。
三好元長を失っても木沢長政を失っても崩壊しなかった細川晴元陣営だが、三好政長を失ったことを挽回することは出来ずに終わる。これ以後、三好長慶は細川晴元から完全に独立し、細川晴元の残党を平定しながら摂津・河内の各地を転戦することになる。
六角定頼が危惧した通り、三好長慶は六角家に対抗し得る勢力として摂津の地に確かな一歩を踏み出した。
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
宗三… 三好政長 細川家臣
神太郎… 安宅冬康 安宅水軍棟梁 三好四兄弟の三男
又四郎… 十河一存 十河家当主 三好四兄弟の四男
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宵闇かがり火の中で二つの影が炎に揺らめく。
江口城攻めの陣では、三好長慶の次弟の安宅冬康と三弟の十河一存が絵図面を前に語り合っていた。
「兄者。筑前の兄上がまだ江口城攻めの下知を出さぬのはどういうわけだ?」
「……ためらっておられるのだろう。右京大夫様に弓を引くことを決断はされたが、いざ江口城攻めを行うとなると後詰として三宅城にある右京大夫様とも直接干戈を交えることにもなる。
いざ現実に己が『下剋上』の戦を為されると思うとやはりどこかでお覚悟が鈍っておられるように見受ける」
十河一存の目にはやや不満そうな光が籠る。今更下剋上を避けたいと言ってもこの情勢で避けられるものではない。まして、細川晴元は父の仇でもある。
十八歳の十河一存は三好元長の没後に生まれた。それゆえに父の顔を知らず、ただ次兄の三好実休から事の成り行きだけを聞き知っている。細川晴元の顔すらも見たことがない十河一存にはそんな長慶のためらいが歯がゆく映るのもやむを得ないことではあった。
―――そもそもは兄上が始めた戦ではないか!
十河一存は武勇の男としてその勇名は四国では既に轟いており、畿内においても今回の戦の苛烈さから『三好の猛牛』として恐れられていた。その一存の目から見て、江口城の備えは貧弱に見える。まして江口城は三方を川に囲まれた要害と言われるが、別の見方をすれば川を背に戦っているとも取れる。
本気になって攻めかかれば一捻りと思えた。
「今更ためらっても何ら益はない!戦は勝たねばなりません!宗三は六角の援軍を当てにしておるのは明白です!時を過ぎればそれこそ江口城は堅固な要塞となってしまいますぞ!」
「……分かっている。儂も六角の援軍が到着する前に勝負を決めてしまいたいというのには同意じゃ。そこで、明日我らの手勢で持って攻めかかってはどうかと思う」
―――抜け駆けをすると申されるか?
十河一存は驚いて三兄の冬康を見る。安宅冬康は一存と違って穏やかな人柄で、まずもって思い付きで事を運ぶような男ではない。その兄が言い出すのだから、よほどに覚悟を固めてのことなのだろうと思われた。
「軍令違反を咎められれば、いかな実弟とは言え責めは逃れられませぬぞ」
「わかっている。だが、お主の言う通り今こそ好機なのだ。宗三が江口城という死地に自ら飛び込み、かつ六角の援軍が到着しない今こそがな」
十河一存は兄の目をじっと見たままだったが、その目に恐れの色は一つも見受けられない。むしろ普段以上に穏やかな光を湛えていた。
「兄上の怒りは儂が引き受けよう。……乗るか?」
―――ふふふ。乗らいでか!
「無論のこと!明日朝から某の一手は正面から江口城の備えを噛み破りましょう」
「うむ。ならば儂は水軍を率いて淀川を封鎖しよう。三宅城からの手出しを牽制する」
「承知!何やら今から滾ってまいりましたぞ!」
「落ち着け。宗三は無論のこと、兄上にも気取られてはならん。明日の朝に密かに陣を進めるのだ」
「わかり申した!この又四郎にお任せあれ!」
かがり火は変わらず二つの影を揺らしているが、その炎は先ほどよりもやや小さくなっていた。
※ ※ ※
「抜け駆けだと?どこの陣の者だ!」
「それが……十河又四郎様、安宅神太郎様の軍が江口城に向かって進軍しております」
―――又四郎だけならばともかく、神太郎までもが軍令違反を犯すか
松永甚助の報告を受けた三好長慶は、中嶋城の本陣に居ながら遥か西に視線を向けた。
三弟の十河一存ならばただ武に逸っただけかとも思うが、次弟の安宅冬康までもが同意しているところを見ると熟慮の上でのことだろうとは見て取れる。
―――馬鹿者が!六角がどのような手を残しているかもわからぬというのに
実の所、三好長慶のためらいは下剋上に対する躊躇ではなく、明らかに失策と見える江口城進出を逆に警戒してのことだった。
長慶の目から見ても江口城の三好政長は明らかな死地にある。普通ならばこれを好機と一気に江口城を攻略するだろう。だが、相手はあの六角定頼だ。
長慶は妙に話が上手すぎると逆に警戒感を強めていた。仮に六角の軍勢が間近に迫っていれば、江口城に攻めかかった長慶軍は榎並城と江口城で挟撃されることになる。まんまとエサに食いついた長慶軍は前後に敵を受けて、下手をすれば崩壊することにもなるだろう。
そのため、今は江口城の後方に居るはずの六角軍の動きを探らせている所だった。
「殿!物見の者が戻りました!」
「何!すぐにここへ呼べ!」
近習に案内されて偵察部隊の長が長慶の前に来て膝を着く。
「申し上げます!江口城の後方には未だ六角の影は見えず。六角の先陣は大山崎にて留まっておりまする」
物見の報告に長慶もじっと絵図面を見て考え込んだ。六角の先陣が大山崎ということは、江口まで進軍するのに早くても半日はかかる。そして半日あれば江口城を攻め落とすことは不可能ではない。
まさか六角定頼がこのような失策を犯すとは思えない。
―――罠ではない?とすれば、これは宗三の失策か
「甚助!三千を連れてすぐに又四郎の後詰に向かえ!」
「……では!」
「うむ!これは六角の策ではなさそうだ。そうと分かれば一息に江口城の息の根を止める!」
「ハッ!」
一礼した松永甚助が具足を鳴らしながら本陣を出て行く。長慶の目線は再び南の榎並城に注がれた。
―――宗三。貴様は六角来援まで待ちきれなかったようだな。その焦りが命取りよ
※ ※ ※
「高畠甚九郎殿お討死!正面の逆茂木は十河勢によって突破されました!」
江口城の本陣では刻々ともたらされる味方の敗報に三好政長は顔色を失うばかりだった。
「北側の守りに就いている田井源介は何をしておる!」
「川からの安宅水軍の攻めを防ぐのに手一杯です!田井殿からも後詰の要請が来ております!」
―――後詰など出せる状況か!
先ほどから攻め寄せる鬨の声がだいぶ大きく聞こえるようになっている。今や戦場は江口城の城門前に移っていることは音を聞いていれば分かる。
既に江口城を維持することは困難になっていた。
「江口を出て榎並城に向かう!城の各所を守る諸将にも独自に榎並城に落ちるよう伝えよ!」
近習にそう告げると、三好政長はすぐに立ち上がって本陣を後にした。
従う者はわずか十騎に減っていた。
―――おのれ、生意気な小僧めが
思えば父の三好元長にも散々に手古摺らされた。
いかに細川晴元の主力軍とは言え、畿内各地の支配を阿波衆だけで占めようとして畿内の国人衆と余計な軋轢を生んだ。その後始末の為に三好政長は散々走り回らされたものだ。
一向一揆を差し向けるというのも、元はと言えば元長を少し懲らしめるくらいの思いで進言したことだ。一向一揆に手を焼いている元長を摂津国人衆を率いた政長が救援する。それによって、元長を大人しくさせようという試みだった。
まさか一向一揆が元長を敗死させ、さらにその後畿内各地を略奪して回るとは思いも寄らなかった。
全ては想定外だったのだが、宗三憎しに固まる三好長慶には何を言っても聞き分ける耳は無い。
―――儂が今まで何の功も無かっただと?儂がどれだけ右京大夫様の足元を支えて来たか
政長は堺の茶人たちとも付き合いが深く、その縁で各地で細川晴元が軍事行動を起こすための物資を手配していた。確かに戦場での槍働きは少ないが、細川晴元陣営の全ての戦線を支えて来たという自負はある。そしてそれは事実でもあった。
三好政長は紛れもなく細川晴元の兵站を差配した男であり、政長が居なければもっと早い段階で細川晴元の足元は崩壊していただろう。戦場での働きだけしか見ない長慶や摂津国人衆に心底腹が立っていた。
憤懣を抱えながら馬を駆けさせていると、不意に政長の一団めがけて矢の雨が降り注いだ。
「何奴!敵か!」
「殿!あちらから雑兵共が!あれは遊佐河内守の旗印にございます!」
近習が指さす方を見ると、遊佐の家紋を旗指物にした槍足軽が数十人ほどで突撃してくる。おそらく落ち武者と見て襲い掛かって来ているのだろう。
「防ぎ止めよ!」
近習が足軽に向かって行くのを尻目に、政長は一騎で榎並城を向いて駆けだした。
とにかく息子の三好政勝の元へ行くことに必死だった。
―――あと少し、あと少しすれば榎並城が見える!
瞬間、ガクンと馬がつんのめって政長は前方に投げ出された。
したたかに背中を打ち、肺の空気を全て吐き出した政長は数秒間呼吸が出来なかった。
「グハッ。何が……」
喘ぎながら馬の方を見ると、右足の付け根に矢が一本突き立っている。どこから射られたかはわからないが、これが原因で馬が突然倒れたのだろうということは分かった。
苦しむ馬の向こうからは数名の足軽が刀を抜き身に持ってゆっくりと近付いて来る。必死に逃げようと手足を動かすが、息が苦しく立ち上がることが出来ない。そうこうしている間に刀が届く場所まで足軽達が迫った。
「コイツ大将首じゃないか?立派な兜をしている」
「おお、それは儲けものだ。本陣の大将に届ければいい銭をもらえるぞ」
「報奨は山分けだぞ。取り合いになってはせっかくの大将首を取り逃してしまう」
目の前で繰り広げられる己の首の算勘に助けられた政長は、息を整えて立ち上がり太刀を抜いた。
「貴様ら!儂を誰だと……」
突然腹に衝撃と熱い感覚が走る。見れば足軽の一人が突き出した槍が政長の腹を貫通していた。
「お前えさんが誰かは知らねえ。だが、その首はいい銭になりそうだ。悪く思うなよ」
―――ぐっ。このような雑兵などに……
最期の言葉は声にならずに血の塊となって口から吐き出された。
薄れる意識の中で兜を掴まれて首筋に刃の固い感触を感じる。それが三好政長の感じた最後の感覚だった。
天文十八年(1549年) 六月二十四日
細川晴元を支え続けた三好政長は雑兵によって討ち取られるという最期を遂げた。三宅城の細川晴元も丹波から京の嵯峨に逃走し、息子の三好政勝は榎並城から逃走して行方が知れずとなり三好長慶は念願であった河内十七箇所を武力を持って奪還した。
三好元長を失っても木沢長政を失っても崩壊しなかった細川晴元陣営だが、三好政長を失ったことを挽回することは出来ずに終わる。これ以後、三好長慶は細川晴元から完全に独立し、細川晴元の残党を平定しながら摂津・河内の各地を転戦することになる。
六角定頼が危惧した通り、三好長慶は六角家に対抗し得る勢力として摂津の地に確かな一歩を踏み出した。
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