鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

文字の大きさ
上 下
51 / 111
第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱

第51話 江口の戦い

しおりを挟む
主要登場人物別名

右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
宗三… 三好政長 細川家臣

神太郎… 安宅冬康 安宅水軍棟梁 三好四兄弟の三男
又四郎… 十河一存 十河家当主 三好四兄弟の四男

――――――――

 
 宵闇かがり火の中で二つの影が炎に揺らめく。
 江口城攻めの陣では、三好長慶の次弟の安宅冬康と三弟の十河一存が絵図面を前に語り合っていた。

「兄者。筑前の兄上がまだ江口城攻めの下知を出さぬのはどういうわけだ?」
「……ためらっておられるのだろう。右京大夫様に弓を引くことを決断はされたが、いざ江口城攻めを行うとなると後詰として三宅城にある右京大夫様とも直接干戈を交えることにもなる。
 いざ現実に己が『下剋上』の戦を為されると思うとやはりどこかでお覚悟が鈍っておられるように見受ける」

 十河一存の目にはやや不満そうな光が籠る。今更下剋上を避けたいと言ってもこの情勢で避けられるものではない。まして、細川晴元は父の仇でもある。
 十八歳の十河一存は三好元長の没後に生まれた。それゆえに父の顔を知らず、ただ次兄の三好実休から事の成り行きだけを聞き知っている。細川晴元の顔すらも見たことがない十河一存にはそんな長慶のためらいが歯がゆく映るのもやむを得ないことではあった。

 ―――そもそもは兄上が始めた戦ではないか!

 十河一存は武勇の男としてその勇名は四国では既に轟いており、畿内においても今回の戦の苛烈さから『三好の猛牛』として恐れられていた。その一存の目から見て、江口城の備えは貧弱に見える。まして江口城は三方を川に囲まれた要害と言われるが、別の見方をすれば川を背に戦っているとも取れる。
 本気になって攻めかかれば一捻りと思えた。

「今更ためらっても何ら益はない!戦は勝たねばなりません!宗三は六角の援軍を当てにしておるのは明白です!時を過ぎればそれこそ江口城は堅固な要塞となってしまいますぞ!」
「……分かっている。儂も六角の援軍が到着する前に勝負を決めてしまいたいというのには同意じゃ。そこで、明日我らの手勢で持って攻めかかってはどうかと思う」

 ―――抜け駆けをすると申されるか?

 十河一存は驚いて三兄の冬康を見る。安宅冬康は一存と違って穏やかな人柄で、まずもって思い付きで事を運ぶような男ではない。その兄が言い出すのだから、よほどに覚悟を固めてのことなのだろうと思われた。

「軍令違反を咎められれば、いかな実弟とは言え責めは逃れられませぬぞ」
「わかっている。だが、お主の言う通り今こそ好機なのだ。宗三が江口城という死地に自ら飛び込み、かつ六角の援軍が到着しない今こそがな」

 十河一存は兄の目をじっと見たままだったが、その目に恐れの色は一つも見受けられない。むしろ普段以上に穏やかな光を湛えていた。

「兄上の怒りは儂が引き受けよう。……乗るか?」

 ―――ふふふ。乗らいでか!

「無論のこと!明日朝から某の一手は正面から江口城の備えを噛み破りましょう」
「うむ。ならば儂は水軍を率いて淀川を封鎖しよう。三宅城からの手出しを牽制する」
「承知!何やら今から滾ってまいりましたぞ!」
「落ち着け。宗三は無論のこと、兄上にも気取られてはならん。明日の朝に密かに陣を進めるのだ」
「わかり申した!この又四郎にお任せあれ!」

 かがり火は変わらず二つの影を揺らしているが、その炎は先ほどよりもやや小さくなっていた。



 ※   ※   ※



「抜け駆けだと?どこの陣の者だ!」
「それが……十河又四郎様、安宅神太郎様の軍が江口城に向かって進軍しております」

 ―――又四郎だけならばともかく、神太郎までもが軍令違反を犯すか

 松永甚助の報告を受けた三好長慶は、中嶋城の本陣に居ながら遥か西に視線を向けた。
 三弟の十河一存ならばただ武に逸っただけかとも思うが、次弟の安宅冬康までもが同意しているところを見ると熟慮の上でのことだろうとは見て取れる。

 ―――馬鹿者が!六角がどのような手を残しているかもわからぬというのに

 実の所、三好長慶のためらいは下剋上に対する躊躇ではなく、明らかに失策と見える江口城進出を逆に警戒してのことだった。
 長慶の目から見ても江口城の三好政長は明らかな死地にある。普通ならばこれを好機と一気に江口城を攻略するだろう。だが、相手は六角定頼だ。
 長慶は妙に話が上手すぎると逆に警戒感を強めていた。仮に六角の軍勢が間近に迫っていれば、江口城に攻めかかった長慶軍は榎並城と江口城で挟撃されることになる。まんまとエサに食いついた長慶軍は前後に敵を受けて、下手をすれば崩壊することにもなるだろう。
 そのため、今は江口城の後方に居るはずの六角軍の動きを探らせている所だった。

「殿!物見の者が戻りました!」
「何!すぐにここへ呼べ!」

 近習に案内されて偵察部隊の長が長慶の前に来て膝を着く。

「申し上げます!江口城の後方には未だ六角の影は見えず。六角の先陣は大山崎にて留まっておりまする」

 物見の報告に長慶もじっと絵図面を見て考え込んだ。六角の先陣が大山崎ということは、江口まで進軍するのに早くても半日はかかる。そして半日あれば江口城を攻め落とすことは不可能ではない。
 まさか六角定頼がこのような失策を犯すとは思えない。

 ―――罠ではない?とすれば、これは宗三の失策か

「甚助!三千を連れてすぐに又四郎の後詰に向かえ!」
「……では!」
「うむ!これは六角の策ではなさそうだ。そうと分かれば一息に江口城の息の根を止める!」
「ハッ!」

 一礼した松永甚助が具足を鳴らしながら本陣を出て行く。長慶の目線は再び南の榎並城に注がれた。

 ―――宗三。貴様は六角来援まで待ちきれなかったようだな。その焦りが命取りよ



 ※   ※   ※



「高畠甚九郎殿お討死!正面の逆茂木は十河勢によって突破されました!」

 江口城の本陣では刻々ともたらされる味方の敗報に三好政長は顔色を失うばかりだった。

「北側の守りに就いている田井源介は何をしておる!」
「川からの安宅水軍の攻めを防ぐのに手一杯です!田井殿からも後詰の要請が来ております!」

 ―――後詰など出せる状況か!

 先ほどから攻め寄せる鬨の声がだいぶ大きく聞こえるようになっている。今や戦場は江口城の城門前に移っていることは音を聞いていれば分かる。
 既に江口城を維持することは困難になっていた。

「江口を出て榎並城に向かう!城の各所を守る諸将にも独自に榎並城に落ちるよう伝えよ!」

 近習にそう告げると、三好政長はすぐに立ち上がって本陣を後にした。
 従う者はわずか十騎に減っていた。

 ―――おのれ、生意気な小僧めが

 思えば父の三好元長にも散々に手古摺らされた。
 いかに細川晴元の主力軍とは言え、畿内各地の支配を阿波衆だけで占めようとして畿内の国人衆と余計な軋轢を生んだ。その後始末の為に三好政長は散々走り回らされたものだ。
 一向一揆を差し向けるというのも、元はと言えば元長を少し懲らしめるくらいの思いで進言したことだ。一向一揆に手を焼いている元長を摂津国人衆を率いた政長が救援する。それによって、元長を大人しくさせようという試みだった。
 まさか一向一揆が元長を敗死させ、さらにその後畿内各地を略奪して回るとは思いも寄らなかった。

 全ては想定外だったのだが、宗三憎しに固まる三好長慶には何を言っても聞き分ける耳は無い。

 ―――儂が今まで何の功も無かっただと?儂がどれだけ右京大夫様の足元を支えて来たか

 政長は堺の茶人たちとも付き合いが深く、その縁で各地で細川晴元が軍事行動を起こすための物資を手配していた。確かに戦場での槍働きは少ないが、細川晴元陣営の全ての戦線を支えて来たという自負はある。そしてそれは事実でもあった。
 三好政長は紛れもなく細川晴元の兵站を差配した男であり、政長が居なければもっと早い段階で細川晴元の足元は崩壊していただろう。戦場での働きだけしか見ない長慶や摂津国人衆に心底腹が立っていた。

 憤懣を抱えながら馬を駆けさせていると、不意に政長の一団めがけて矢の雨が降り注いだ。

「何奴!敵か!」
「殿!あちらから雑兵共が!あれは遊佐河内守の旗印にございます!」

 近習が指さす方を見ると、遊佐の家紋を旗指物にした槍足軽が数十人ほどで突撃してくる。おそらく落ち武者と見て襲い掛かって来ているのだろう。

「防ぎ止めよ!」

 近習が足軽に向かって行くのを尻目に、政長は一騎で榎並城を向いて駆けだした。
 とにかく息子の三好政勝の元へ行くことに必死だった。

 ―――あと少し、あと少しすれば榎並城が見える!

 瞬間、ガクンと馬がつんのめって政長は前方に投げ出された。
 したたかに背中を打ち、肺の空気を全て吐き出した政長は数秒間呼吸が出来なかった。

「グハッ。何が……」

 喘ぎながら馬の方を見ると、右足の付け根に矢が一本突き立っている。どこから射られたかはわからないが、これが原因で馬が突然倒れたのだろうということは分かった。
 苦しむ馬の向こうからは数名の足軽が刀を抜き身に持ってゆっくりと近付いて来る。必死に逃げようと手足を動かすが、息が苦しく立ち上がることが出来ない。そうこうしている間に刀が届く場所まで足軽達が迫った。

「コイツ大将首じゃないか?立派な兜をしている」
「おお、それは儲けものだ。本陣の大将に届ければいい銭をもらえるぞ」
「報奨は山分けだぞ。取り合いになってはせっかくの大将首を取り逃してしまう」

 目の前で繰り広げられる己の首の算勘に助けられた政長は、息を整えて立ち上がり太刀を抜いた。

「貴様ら!儂を誰だと……」

 突然腹に衝撃と熱い感覚が走る。見れば足軽の一人が突き出した槍が政長の腹を貫通していた。

「お前えさんが誰かは知らねえ。だが、その首はいい銭になりそうだ。悪く思うなよ」

 ―――ぐっ。このような雑兵などに……

 最期の言葉は声にならずに血の塊となって口から吐き出された。
 薄れる意識の中で兜を掴まれて首筋に刃の固い感触を感じる。それが三好政長の感じた最後の感覚だった。


 天文十八年(1549年) 六月二十四日
 細川晴元を支え続けた三好政長は雑兵によって討ち取られるという最期を遂げた。三宅城の細川晴元も丹波から京の嵯峨に逃走し、息子の三好政勝は榎並城から逃走して行方が知れずとなり三好長慶は念願であった河内十七箇所を武力を持って奪還した。
 三好元長を失っても木沢長政を失っても崩壊しなかった細川晴元陣営だが、三好政長を失ったことを挽回することは出来ずに終わる。これ以後、三好長慶は細川晴元から完全に独立し、細川晴元の残党を平定しながら摂津・河内の各地を転戦することになる。
 六角定頼が危惧した通り、三好長慶は六角家に対抗し得る勢力として摂津の地に確かな一歩を踏み出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

左義長の火

藤瀬 慶久
歴史・時代
ボーイミーツガールは永遠の物語―― 時は江戸時代後期。 少年・中村甚四郎は、近江商人の町として有名な近江八幡町に丁稚奉公にやって来た。一人前の商人を目指して仕事に明け暮れる日々の中、やがて同じ店で働く少女・多恵と将来を誓い合っていく。 歴史に名前を刻んだわけでも無く、世の中を変えるような偉業を成し遂げたわけでも無い。 そんな名も無き少年の、恋と青春と成長の物語。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

処理中です...