鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱

第47話 藤太郎賢秀

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主要登場人物別名

左兵衛大夫… 蒲生定秀 六角家臣
弾正少弼… 六角定頼 六角家当主
新助… 進藤貞治 六角家臣

大御所… 足利義晴 将軍位を義藤に譲る
公方… 足利義藤 後の義輝 第十三代足利将軍

右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
右馬頭… 細川氏綱 細川晴元に反旗を翻す

――――――――

 
 天文十六年(1547年) 七月

 摂津欠郡の舎利寺で三好長慶と遊佐長教の両軍が激突する七日前、蒲生定秀は六角定頼の使者として瓜生山城を訪れていた。
 瓜生山城に籠る大御所足利義晴を細川晴元が包囲し、両者は一触即発の危機にあった。摂津での戦の行方を見守るつもりであった定頼もさすがに大御所と管領の軍勢が京で激突するという事態は見過ごせず、京に六角の軍勢を率いて上洛し、両者の仲裁に当たっている。

「左兵衛大夫!弾正は余や公方に敵対すると申しておるのか!」
「さにあらず、我が主は此度の管領様との戦をお留めするべく中立の立場にて上洛した次第にございまする」

 上座では大御所となった足利義晴が険のある顔で定秀の顔を見つめている。
 傍らには新たな将軍である足利義藤も伴っており、幕臣たちはハラハラした顔をして定秀と義晴の顔を交互に見つめていた。

「そもそも、此度のことは管領職を廃するという大御所様の意向に右京大夫様がお怒りになったことが原因でございます。とはいえ、臣下の者に頭を下げるわけにいかぬというお気持ちも我が主は充分に理解しております。
 ここは矛を収めてはいただけませんでしょうか?」

 そう言って定秀が義晴に頭を下げる。
 要するに定頼が止めたから細川晴元を誅するのをやめたという形式を取ってはどうかと提案しているのだ。
 現在の情勢でみれば細川晴元に京を占拠されており、軍勢の数でも圧倒されている。義晴単独では勝ち目は無い。義晴は定頼が援軍として細川晴元を追い払うことを期待していたようだが、そもそも定頼にはそのような政争に関わり合いになる気はさらさらなかった。
 摂津での戦が終わったら何がしかの形で細川晴元と細川氏綱を和睦させようと準備を整えているところでもあり、そこに足利義晴があくまでも細川晴元を討つと呼号していては何かと面倒なことにしかならない。

 定頼の意のあるところは大舘尚氏を通じて幕臣たちにも連絡してある。新将軍義藤側近の若い三淵藤英や細川藤孝などは定秀に批判的な目を向けていたが、長年義晴に仕えた幕臣たちは六角定頼の声望とその常識的な人柄を知っている。
 自然、幕臣にも義晴を説得しようという空気が満ちていた。

「重ねて申し上げますが、我が主は坂本に公方様、大御所様をお迎えする用意を整えております。どうかここは長年の忠勤に免じ、弾正少弼の顔を立ててはいただけませんでしょうか?」

 回りの幕臣たちにも視線を投げるが、皆気まずそうに視線を逸らしたり俯いたりする者ばかりだった。

 ―――この者らは公方様や大御所様を没落させたいのか?

 定秀の内心には苛立ちがある。
 今足利義晴と細川晴元が争っても意味は無い。細川晴元と細川氏綱の戦いはどちらかが勝つか負けるかしなければ収まりがつかないところに来ている。
 本当に義晴と義藤の為を思うなら、今は大人しく坂本に戻るよう進言するのが忠臣の務めだろう。

 苦々しい思いを噛みしめながら幕臣の顔を見回していくと、ふと若い男がじっと定秀を睨んでいることに気が付いた。

「左兵衛大夫殿にお尋ね申す」

 若い男が意を決したように口を開く。

「弾正少弼殿は一体どなたの味方なのか。まことに公方様御為を思うのであれば、公方様の為に右京大夫を討ち果たすのが筋でございましょう。それもせずに矛を収めよとは、家臣が主君に差し出がましいとは思われぬのですか?」

 ―――若造が

 若い男、三淵藤英の言葉に義晴が喜びを露わにする。対照的に大舘尚氏などの旧幕臣は真っ青な顔をして藤英と定秀の顔を見比べていた。

「我が主の忠勤をお疑いなれば、我らが護衛を致す故今から摂津に行って右馬頭殿の陣中を鼓舞されればよろしかろう。ここで右京大夫様と争っているよりも、主戦場である摂津へ出陣なさることこそ将軍たる者の取る態度にございましょうや」

 穏やかな言葉だったが、定秀のまとう空気には明白に殺気が籠っていた。
 これ以上グダグダ抜かすなら摂津に放り出すぞ。と、定秀は言下に言ってのけたわけだ。もともと義晴自身が困ったら定頼が助けてくれると甘え切った考えのもとで細川晴元と敵対している。子供の頃から徹頭徹尾定頼に庇護されてきた義晴は、既に定頼の庇護はあって当たり前のものという感覚になっている。
 その定頼に見限られるとなると、一番慌てたのは当の足利義晴だった。

「弾正の余や公方への忠勤を疑ってはおらぬ。勘違いするでない」
「さ、左様でござる。大御所様や公方様は弾正殿をこそ頼りと思っておりまするぞ」

 足利義晴と大舘尚氏の慌てぶりに、定秀に挑戦的な目を向けていた三淵藤英も悔しそうな顔で頭を下げた。
 結局今の今まで義晴を支え続けていたのは六角定頼であり近江軍だ。それに対して関係を悪化させるというのは義晴と義藤の地盤を崩壊させることに繋がる。
 若い三淵藤英には流浪の日々を過ごした義晴やその父である足利義稙の苦労を目の当たりにしていないために将軍家の意向こそ優先されるべきという甘えた考えが染みついていた。

「では、我が主の顔を立てて頂けますな?それとも忠勤は認めるが主の面子は潰しても構わぬと仰せか?」
「う……わ、わかった。弾正の顔を立てて右京大夫の罪は許すとしよう」

 返事を受け取って定秀は再び頭を下げる。
 大舘尚氏などはあからさまにほっとした顔で胸を撫でおろしていた。幕臣筆頭として定頼と連携してきた尚氏も新将軍側近の統率には苦労をしているようだ。

 ―――大舘殿もだいぶ髭が白くなったな

 大舘尚氏はすでに出家して常興を名乗っているが、髭も真っ白になっており嫌でも老いを感じさせる。
 昔の将軍家の苦労を横で見て来た定秀にすれば、三淵藤英や細川藤孝の厳しい目つきがそのまま足利義晴の甘えた考えを象徴している。大舘のしてきた苦労を少しは噛みしめろという気持ちになっていた。



 ※   ※   ※



「やれやれ、ようやく聞き分けたか」

 定頼は定秀の復命を聞き、大きなため息を吐いた。細川晴元へは進藤貞治が使者として赴いており、相国寺の一室では定頼、貞治、定秀の三人で和睦の状況をすり合わせていた。

「大御所様と公方様は坂本に戻られたとのことにございます。右京大夫様の方こそ聞き分けて頂けてようございました」

 定秀が進藤貞治に視線を向けると、貞治はこちらもやや疲れた顔で応じる。

「舎利寺で勝敗がつく前のこと故聞き分けたのでございましょう。右京大夫様の勝利が確定してからであればまたなんのかんのと申したでしょうな」

 この頃には既に舎利寺で三好長慶が遊佐長教を破ったという報せは京へも届いている。おそらくまた進藤貞治が一喝して黙らせたのだろうと思うと、定秀は情景が思い浮かぶようで少し可笑しかった。

「新助殿の一喝で黙られたのでしょう。新助殿の一喝は御屋形様をも黙らせますからな」
「おう、それよ。わしも何度新助に怒られたかわからん。まったくどちらが主君かわからんな」

 定頼が定秀の尻馬に乗って豪快に笑う。進藤貞治も苦笑するばかりだった。

「家臣に怒られたくないのであれば、もう少しご自身のお立場を……」
「わかったわかった。また新助の説教を食らってはたまらん。わしも自分の立場をよく理解することにしよう」

 相国寺には三人の笑い声が響いていた。

 舎利寺の戦いに勝利した三好長慶は、そのまま大和川を越えて河内に進軍し、遊佐長教の籠る高屋城を攻める構えを解かなかった。
 だが、河内最大の城郭である高屋城の守りは堅く、有効な城攻めの手段もないままに三好長慶も無為に河内で時を過ごしていた。
 定頼は河内に和睦仲介の使者を遣わしたが、細川氏綱が何としても承知しなかったために最初の和睦交渉は失敗に終わる。だが三好長慶や細川晴元が和睦に反対しているわけではなかったために定頼にもさほどの深刻さは無く、いずれは長滞陣に疲れた氏綱も和睦に応じると気楽に考えていた。

 天文十六年(1547年)八月
 摂津の騒乱を尻目に定頼は一旦近江に帰国する。
 先月の閏七月には細川氏綱方の細川国慶が細川晴元勢と戦火を交えるが、永原と後藤を晴元の援軍へと残すのみに留めた。
 三好長慶と遊佐長教の和睦仲介という仕事はまだ残っていたが、定頼としても病身を抱えての上洛であり、大事を取って一旦観音寺城に戻ることとなった。



 ※   ※   ※



「父上!おかえりなさいませ!」

 観音寺城の蒲生屋敷に戻った定秀を待ち構えていた鶴千代は、定秀の帰陣が告げられるとバタバタと慌ただしい足取りで玄関まで迎えに出て来た。

 ―――やれやれ、待ちかねていたという顔だな

 もちろん京から帰ったら元服させるという約束を忘れたわけではなかったが、京で散々子供のような若造を相手にしてきた定秀には鶴千代にいましばらく苦労をさせた方がいいかもしれないという思いが芽生えていた。

 居室に戻った定秀は鶴千代と辰を呼び、改めて問いかけた。

「鶴千代よ。さほどに元服したいか?」
「はい!一日も早く大人として父上や御屋形様のお役に立ちとうございます!」
「しかし、今しばし苦労をしても良いかもしれぬと……」

「父上!」
「殿!」

 鶴千代と辰の非難の声が同時に飛ぶ。
 家庭に戻れば定秀も妻と子に怒られるただの男でしかない。

「今更そのようなこと……殿がああ申されたので後藤様との縁組を進めております。今更白紙に戻せば後藤様にご迷惑が掛かります」
「う……そうか……」

 戦陣に走り回る定秀に代わり、鶴千代の元服と同時に辰は後藤高恒の娘のはなとの縁組を進めている。今更鶴千代の元服を撤回などすれば蒲生が後藤に詫びを入れる事態にもなってしまうところまで来ていた。

 ―――しまったな。迂闊な約束をしてしまったか

 定秀は頭を掻いたが、話がそこまで進んでしまっている以上は予定通り元服させるほかは無い。
 己の迂闊さに恥じ入りながらも約束通り鶴千代の元服を執り行った。
 烏帽子親は若殿である六角義賢に依頼し、義賢の偏諱かたいみなをもらって賢秀かたひでを名乗った。
 後藤高恒の娘の華は賢秀の三歳上だったが、おっとりした優し気な女性で辰は一目で気に入った。

 定秀にも否応は無かった。もちろん、今はおっとりと優しくても年を取れば鬼女房になる例は辰を見ていて身に染みている。賢秀にもいずれは嫁の尻に敷かれぬように忠告せねばならないと密かに決心していた。

 天文十六年(1547年)十月
 定秀の嫡男鶴千代は、蒲生藤太郎賢秀として正式に六角家に仕えることになった。
 定秀も既に不惑の四十歳を迎えており、次世代を担う者達は次々に世に現れて来ていた。


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