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第四章 蒲生定秀編 三好長慶の乱

第45話 三好四兄弟

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主要登場人物別名

筑前守… 三好長慶 三好家当主 細川晴元家臣
彦次郎… 三好実休 阿波三好家当主 長慶の次弟
神太郎… 安宅冬康 淡路島安宅家当主 長慶の三弟
又四郎… 十河一存 讃岐十河家当主 長慶の末弟

讃岐守… 細川持隆 阿波細川家当主 細川晴元の弟
右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主 三好長慶の主君

河内守… 遊佐長教 畠山家臣 細川氏綱を擁して反晴元の旗頭となる
右馬頭… 細川氏綱 細川高国の養子 細川晴元に反旗を翻す

新助… 進藤貞治 六角家臣
藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣 一応物語の主人公

大御所… 足利義晴 嫡男義藤に将軍職を譲る

――――――――

 
「殿!殿!堺から報せが参りましたぞ!」

 越水城では篠原長政が松永久秀からの文を握りしめ、大慌てで三好長慶の居室を訪れていた。
 堺には一縷の望みを託して松永久秀を密かに潜伏させている。


 堺の確保に失敗して越水城に戻った三好長慶は、日々身の細る思いで戦況を見つめることしかできなかった。

 天文十五年の九月には摂津大塚城が落とされ、さらに十月には長慶の妹婿である摂津芥川城の芥川孫十郎が細川氏綱・遊佐長教の連合軍の前に落城している。
 京に居た主君細川晴元も丹波から摂津北部に逃れ、大きく北を迂回して越水城に向かっている。要するに逃げ回っている状態だ。
 六角定頼が管領代に任じられたと噂で聞いたが、それに構っていられる状況ではない。すでに晴元方で生き残っている将は三好長慶と三好政長だけという状況で天文十六年の正月を迎えざるを得なかった。

 そんな情勢下、ついに長慶の元に待ちかねた報せが堺からもたらされた。

「来たか!」
「ハッ!彦次郎様、神太郎様、又四郎様が阿波、淡路、讃岐の兵を率いて堺に上陸されたとの由。その軍勢はおよそ二万。我らの残った手勢と合わせれば三万近くの軍勢になります!」
「おお……讃岐守様はそれほどの援兵を……」
「はい。亡き御父上の無念を飲み込み、右京大夫様をお支えせんとする殿の為にと阿波細川家の戦力を全て持たせて下されたとの由。
 ご自身も備中や出雲の尼子と事を構えておられますが、急ぎ和議を整えて兵を回していただいたとのことにございます」
「なんと……徒や疎かには思うまい。讃岐守様のご恩は忘れるわけにはいかぬな」
「ハッ!まことに!」

 滂沱の涙を流す篠原長政に対し、三好長慶も目尻に涙が浮かんでいた。長慶の心中には亡き父三好元長の遺徳に救われたという思いが込み上げてくる。
 阿波細川家当主細川持隆は、長慶の父である三好元長を最後まで信頼し、最後の最後まで細川晴元との間を調停し続けた。
 元長が一向一揆に討たれて後、幼い長慶を阿波の地から様々に援助してくれたのも細川持隆だ。今の長慶があるのは細川持隆のおかげと言っても過言ではない。それは引いては細川持隆と深い絆で結ばれていた父元長の遺徳によるものだった。

 ―――父上、あなたのおかげで私は死地を乗り越えまする

 何よりもそれぞれに成長した弟達が援軍の将として軍勢を率いてくれるということが嬉しくてたまらなかった。
 父の失った地を取り戻すために畿内の騒乱に舞い戻って既に十五年が経っている。記憶にある三好実休や安宅冬康などはまだ五歳にもならぬ幼子だし、十河一存などはほとんど顔も知らぬ弟だ。
 だが、向背常ならぬ摂津や河内の国人衆と違って心から信頼できる弟達だ。二万の軍勢よりも何よりも、心から信頼できる身内が助けに来てくれることに喜びを覚えていた。

「よし、すぐに諸将を集めよ!弟達が堺から北上してくるのに合わせ、我らは江口・榎並の諸城を奪還する。これ以上河内守に好き勝手にさせるわけにはいかぬ」
「ハハッ!」

 再び篠原長政が長慶の居室から駆け出していく。
 先ほどの涙を拭い、今は長慶も戦いにある顔つきに戻っていた。

 天文十六年(1547年) 一月
 堺への進軍失敗から半年間越水城に逼塞していた三好長慶は、ついに反撃に転じた。
 丹波に逃れていた細川晴元も越水城にほど近い神呪寺城に到着し、細川晴元方は西から摂津国の奪回に動き出す。
 亡き三好元長の遺徳を偲ぶ細川持隆は、まさに阿波細川家の総力を結集して援軍を用意した。
 それは兄である細川晴元への援軍ではなく、ひとえに元長の失地を回復すべく畿内で悪戦苦闘する三好長慶への援軍だった。



 ※   ※   ※



「何?大御所様が右馬頭の支援を表明して将軍山城に籠っただと?」

 坂本に滞在していた六角定頼は、京に居る進藤貞治からの報せに思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
 新将軍足利義藤は大御所となった足利義晴と共に正月の挨拶で京に参内している。それから三月も経たないうちにいきなり戦を始める用意をするとは、何事かと定頼が不審に思うのも無理はなかった。

「どういうことだ?つい先日まではそのような話は無かったであろう?」
「ハッ!それが新助様からの報せでは右馬頭様の劣勢を見て突然支援すると言い出されたと」

 使者として坂本に来た蒲生定秀の顔にも困惑だけがあった。

 ―――あの阿呆は何を考えておる

 定頼の感覚ではもはや義晴の考えが理解できなくなっていた。
 百歩譲って細川晴元を見捨てるというのはまだわからなくもない。舅である自分自身何度そう思ったかわからない。
 だが、細川氏綱に乗り換えるのならばもっと早くに乗り換えなければならない。少なくとも管領代だの何だのと言っている間に氏綱支援をはっきりと表明しなければならなかったはずだ。
 今になってそれを表明するというのは完全に時流を見誤っていると言わなければならない。

 先月の二月二十日には反撃に出た三好長慶によって摂津原田城が落城し、三月二日には三宅城が開城した。
 今は細川晴元軍は茨木まで軍を進めている。京まではまだ距離があるとはいえ、このまま順調に進軍してくれば夏前には晴元が入京するだろう。
 そうなれば再び細川晴元と正面衝突という事態にもなり兼ねない。先年の定頼の仲裁が全く無意味なものになってしまう。

 しばし義晴の心中をあれこれと推察していた定頼には、不意に精神の平衡を欠いた義晴の顔が蘇ってきた。

 ―――今何を言っても聞き分けぬか

 じっと思案を繰り返した挙句、定頼は形勢を傍観することに決めた。
 どのみち細川晴元と細川氏綱の争いは仲裁しなければならないが、足利義晴の氏綱支援によって事態は混迷の度合いを増して来た。今仲裁の使者を送ったとしても晴元、氏綱双方とも取り合う訳にいかぬだろう。

「藤十郎。ひとまず新助には情勢を見守ると伝えよ。右京大夫と右馬頭がひと戦せねば情勢は収まらぬところまで来ている。ここはひとつ、摂津か河内で戦をさせるしかない」
「しかし……大御所様はいかがなさいますか?」
「放っておけ。右京大夫が勝ったならばその時はわしが仲裁しよう。それで収まるはずだ」
「ハッ!」


 定秀が再び京へ向かって立ち去った後、定頼の居室としている一室には志野が茶を立ててやって来た。

「御屋形様。お茶を差し上げに参りました」
「おお、志野。気を使わせて済まんな」
「いいえ、また難しいことが起きたのでございましょう?」
「うむ……まったく、年を取った童ほど手に負えぬ物はないな」

 ハハッと定頼が笑う。

 定頼は今回の将軍加冠の儀の為に妻の志野を観音寺城から呼び寄せていた。義藤の加冠に当たって諸々の手配りを任せるには女性の感性があった方がいいという判断だったが、志野にとっては望外に夫との旅行の様相を呈している。
 今回も頭の痛い事態になって心が疲れつつある。今更ながら、志野が側に居てくれて良かったと思った。

「もうそろそろ桜の季節が来るな」

 茶を一口飲みながら、定頼が湖の方に視線を移す。
 定頼の心とは裏腹に、琵琶湖の水面はキラキラと日の光を反射して暖かな春の陽気に眩しさを加えていた。心浮き立つような季節の移ろいを眺めながら妻と共に飲む茶は定頼にとって久々の至福の時でもあった。


 天文十六年(1547年) 四月
 摂津の情勢を眺めながら定頼は未だ坂本で沈黙していた。
 細川晴元は足利義晴の行動に怒りを露わにしたが、まずは目先の摂津諸城の攻略を優先したために京洛にはまだ騒乱の音は聞こえてこない。
 しかし、騒乱が来るのは時間の問題でしかない。その騒乱を取り鎮めることこそ自分の役目と思っている定頼は、先に自分が動くよりも思い切って好きなようにさせてみようという気になっていた。



 ※   ※   ※



「兄上、芥川孫十郎殿から芥川城を奪回したと報せが参りました!宗三殿からも池田城が降ったと報せが参っております!」

 すぐ下の弟である三好実休が長慶の陣所に嬉しそうに報せを持ってきた。二十歳になる実休は畿内での戦は初めてだったが、既に細川持隆の配下として尼子との戦や四国内での戦で初陣は済ませている。
 今回の摂津奪還戦でも長慶と共に摂津原田城を攻めるなど目覚ましい働きを示していた。

「そうか。これで残るは河内と大和だな」

 言いながら大きな畿内の絵図面に長慶が碁石を並べて行く。最初は黒石ばかりが目立った絵図面も気が付けばほとんどが白く染まっていた。

「しかし、右京大夫様は今更京に進軍すると言い張られておりますが……」
「……好きにさせておけばいい」

 実休の言葉に長慶はため息交じりに返す。
 今更京の足利義晴が細川氏綱支援を表明したところで意味は無い。細川晴元方と大会戦を行って勝敗を決めるしか氏綱方が畿内の覇権を握る術はないのだ。
 であるならば、今長慶ら晴元方の諸将が為すべきは来るべき会戦に備えて兵力を摂津北郡に集結させることのはずだ。間違っても京に余分な兵力を割くことではない。

 ―――大御所が大御所なら、右京大夫も右京大夫だ。

 長慶の内心には呆れしかない。
 六角定頼が坂本から進軍したというのならばともかく、六角が静観している今こそ全兵力を氏綱との決戦に振り向けるべきと思っていた。
 しかも細川晴元は六角定頼の婿の地位にある。晴元が最も効果的に動く方法は、六角に決して動かぬように念押しに行くことぐらいだ。

 ―――これ以上馬鹿に構っていられるか

 それが長慶の本音だった。

「彦次郎。いよいよ高屋城の遊佐河内守を攻めるぞ。宗三や香西らに使いを出せ」
「ハッ!軍勢の集結場所はどこに致しましょう?」
「そうだな……河内十七箇所辺りに陣を置く。宗三には榎並城に戻り、諸将にも江口の辺りに集結させるように報せよ」
「ハッ!」

 大きく頷くと再び実休が鎧を鳴らしながら陣所を出て行く。
 長慶にもいよいよここまで来たという感慨深さがあった。

 ―――畿内は俺が制圧する。この軍功を持って河内十七箇所の回復を願い出れば、今度こそ聞き届けられよう。

 思えば長慶がこだわり続けた河内十七箇所近辺が戦の舞台になるというのも皮肉なものだった。
 長慶にしてみれば、この戦はそもそも河内十七箇所を取り返すために始めた戦だ。その運命の地で決戦に向かうのだから、いやが上にも気分が高揚してくる。
 長慶自身がまだ二十六歳の若者だ。当時としては立派な大人であるとは言え、老境にある定頼とは対照的に旭日の勢いがあった。


 天文十六年(1547年)七月
 三好長慶は細川晴元方の事実上の総大将として河内十七箇所に軍勢を集結させる。
 従う将は三好政長、三好政勝父子、香西元成、松浦興信、畠山尚誠、それに三好実休、安宅冬康、十河一存の弟達だった。
 対する細川氏綱方は遊佐長教が中心になり、畠山政国、細川通政らの諸将と共に高屋城から北進を開始する。
 両軍は天王寺の東、舎利寺の辺りで遭遇激突した。

 ここに戦国史上でも有数の合戦であり、鉄砲が合戦に導入される以前では畿内最大の戦とされる一大会戦『舎利寺の戦い』の幕が切って落とされた。
 三好長慶の武名を不動の物とし、後の三好政権の基礎となった戦いは暑い夏の日差しの元で行われた。
 長慶が堺から敗走してからわずか一年後の出来事だった。

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