鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第三章 蒲生定秀編 木沢長政の乱

第35話 筑前守

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主要登場人物別名

弾正… 六角定頼 六角家当主
新助・山城守… 進藤貞治 六角家臣

右京大夫… 細川晴元 細川京兆家当主
伊賀守… 三好長慶 三好家当主 細川家家臣
左京亮… 木沢長政 畠山家臣

――――――――

 
「あのクソガキが!」

 定頼が怒りに任せて扇子をベキっとへし折る。周囲に控えているのが定秀や進藤貞治はじめ、ごくごく身内の家臣だけであるとはいえ、四十五歳という当時としては老境と言っていい年齢にある定頼がこれほどに怒りを露わにするのは、近頃では珍しいことだった。

「やはり婿になど取るのではなかったわ!」

「御屋形様のお怒りはごもっともなれど、右京大夫様が頑として聞き入れぬ以上は何らかの策を講じねばなりません」

 定頼の怒りをなだめつつ、進藤貞治が穏やかな声で具申する。
 定頼の家督相続以来副将の立場にあった池田高雄は、二年前に第一線を退いて楽隠居を決め込んでいた。高雄が側を去ることを嫌がった定頼によって観音寺城下の奉行職として引き続き留め置かれていたが、役人というよりはご意見番に近く、普段は定頼の将棋の相手をするのが常だった。
 その為、今や現役の六角家臣で定頼と最も気心を通じているのは貞治だ。

「策と言って、どうする?伊賀守の言うことは至極真っ当だ。例えわしが伊賀守であっても同じことを言うし同じことをする。
 道理のわからんクソガキがわがままを言いさえしなければ、すんなり収まる話だろう」

「仰る通りですが、右京大夫様はもはや意固地になっておられます。このままでは本当に戦になりましょう」

 定頼が不機嫌な顔で黙り込む。
 自分が収めるから御所から動くなと将軍義晴に言った手前、本当に戦などになれば定頼の面目が丸潰れとなる。
 我ながら余計なことを言ったと定頼も後悔の念を持った。本来であれば、長慶に味方して細川晴元を折檻してやりたいぐらいの気持ちだ。

「ですので、ここは何としても伊賀守殿に退いて頂かねばなりません」
「しかし、伊賀守が退く道理があるまい。力に物を言わせることはできるが、わしは今回ばかりは気が進まんぞ。伊賀守は何一つ間違ってはいない」
「無論、ここで力づくで解決などすれば、それこそ御屋形様の声望に傷がつきます。京を焼いたことも私利私欲の為でなく、京洛の平和を維持するためにやむを得ず行ったこと。それを分かる人間はしっかりと分かっております。
 しかし、此度ばかりは婿可愛さに道を踏み外したと後ろ指を指され兼ねません」

「……だから、どうすると聞いている。新助、最近のそちは年のせいかちとまわりくどいぞ」

 定頼が苛立ちながら進藤に詰め寄る。定頼の二歳年下でありながら、進藤貞治は常に定頼の兄であるかのような分別臭さがあった。

「摂津半国の守護代に任じてはいかがでしょうか?現在はあくまで右京大夫様の任官に過ぎませんが、此度は公方様から直々のご指名によって、ということでは」
「ふむ……」

 現在の三好長慶は摂津半国守護代であるとはいえ、それは幕府の公式な任命ではなくあくまで細川晴元の私的な任官に過ぎなかった。極論を言えば、現在の守護代の地位も細川晴元が取り消せばそれで大義名分が消滅する不安定なものだ。
 長慶が当初にはあくまでも細川晴元に河内代官を願ったのも、公式には三好長慶は幕臣ではなく細川晴元の臣下であり、陪臣に過ぎない立場だからだ。陪臣の立場で幕府に直接要請をすることは僭越の沙汰と言われても反論できない。

 だが、幕府からの正式な任官となれば自ずから話は違って来る。今回のことで長慶が正式に幕臣となれば、摂津半国守護代の地位は例え細川晴元が取り消そうとしても幕府が、正確には定頼が許さない限り取り消せない。
 河内代官職を諦める代わりに、現在の地位を幕府の、言い換えれば定頼の名によって保証するということだ。

「それで伊賀守は腹立ちを収めるか?」
「それはわかりません。ですが、此度のことで伊賀守殿も右京大夫様を信ずるに足りずということは思われたことでしょう。
 公方様がそのお立場を保証するということになれば、多少は聞く耳も持っていただけるかと」

 しばらく黙考していた定頼だが、やがて息を一つ吐いて目を開く。

「わかった。その件、伊賀守に伝えてみよう。使者はもう一度新助に行ってもらいたい」
「承知いたしました」



 ※   ※   ※



「山城守殿。公方様から正式に摂津半国の守護代にという話、真のことですか?」
 上座に位置する三好長慶が、進藤貞治に向かって身を乗り出す。

 定頼の許可を得て再び摂津芥川城に赴いた進藤貞治は、篠原長政に摂津半国守護代の任官の件を伝えた。
 長慶は興味を示したようで、進藤貞治と直接面会すると言い出して今回の会見に繋がった。

「真のことでございます。伊賀守殿の御腹立ちはごもっともなれど、無理を承知でお頼み申す。これはそれと引き換えに我が主が責任を持って実現いたします」
「ふむ……」

 ―――感触は良い

 長慶の顔にも今の所拒絶の色は見られない。父の旧領を回復することも重要だが、現在の地歩を着実に固められるという点で長慶にとっても魅力的な提案ではあった。

「実のところ、木沢左京亮からも軍を退けとしつこく言われております」
「木沢殿が……」
「ええ。もっとも、木沢は山城守殿のように代わりの提案などを出すでもなく、ただただ軍を退けという一点張りですが」

 長慶の顔にあざけるような色が滲む。
 大和信貴山城を抑え、山城下五郡という畿内の枢要地を抑える木沢の勢力は確かに侮りがたい。しかし、勢威を頼みにただ強圧的な態度に出る木沢長政に対し、六角定頼の代案を持って来る交渉力に木沢との器の違いを思い知ったという風だった。

 長慶は傍らに控える篠原長政と視線を交わして頷き合うと、おもむろに進藤に視線を戻して両手をついた。

「弾正様が任官の件を請け負って下さるというのであれば、此度は軍を退きましょう。某としても今回の件で右京大夫様の臣下であることに不安が生じ申した。
 今の地歩を確かな物にできるのであれば、某にとっても悪い話ではない」
「ご英断に感謝いたします。戻りまして早速に公方様と主に……」
「ああ、いや。もう一つだけ我がままを申し上げて良いでしょうか?」
「……何でしょう?」

 進藤の顔に不審の色が浮かぶ。とんでもない条件を出されては、今回の和睦交渉が失敗する恐れすらある。

「実は、今回公方様からのお沙汰が頂けるのであれば、それに合わせて亡き父の官職である筑前守を継ぎたく思います。不躾ながら、某の申請に合わせて弾正様からもお言葉を添えていただければ幸いにございます」

 ―――なんだ、そんなことか

 任官程度のことならば造作もない。進藤は顔にこそ出さなかったが、心中には安堵があった。

「承知いたしました。その件も我が主に確かに申し上げましょう」
「ありがたい。山城守殿には亡き父もずいぶん世話になったと聞いております。今後ともよしなにお願い申し上げる」
「世話だなどとんでもない。某の方こそ海雲殿には造作をかけてばかりにて……」

 その後、多少の世間話を交わしつつ進藤は交渉をまとめて帰路に就いた。


 天文八年(1539年)八月
 三好長慶は正式に摂津半国守護代に任命され、越水城を居城として与えられた。
 それまでも拠点は越水城に置いていたが、細川晴元から預かる形ではなく正式に三好長慶の拠点と認められることになった。細川晴元の家臣でありながら同時に幕臣でもあるという地位を得たことで、三好長慶は摂津南部にその根を張ることが出来るようになった。
 九月には摂津芥川城を進藤・永原両名が受け取り、そのまま細川晴元に返還している。
 京の戦は六角定頼と進藤貞治の尽力によってなんとか回避された。



 ※   ※   ※



 木沢長政は三好長慶の撤退を見て喜びの色を隠そうとしなかった。

「三好の子倅が軍を退いた。おそらく儂の武威を恐れたのであろう」

 近臣に話す木沢長政の目は上機嫌に笑っていた。木沢長政は六角定頼と協力して和睦周旋に当たっていたが、進藤貞治の機転を知らなかった。
 そのため、三好長慶は自分を恐れて摂津半国に退いたという勘違いを起こしていた。

 管領畠山家は既に当主の実権はなく、家老である木沢長政と遊佐長教が畠山家の主導権争いをしている状況にある。
 河内・南山城を抑えた木沢は、信貴山城を築いて大和の国人衆を掌握するべく動いていた。
 当時の木沢長政は、紛れもなく畿内有数の勢力を持つ者の一人ではある。

「儂の武威は今や畠山を圧し、細川も無視できんほどのものになった。京の東が六角ならば、西は木沢というところか」

 声を上げて高笑いをする木沢長政の目は醜く濁っている。木沢もこの時四十七歳。既に老境に入って自らの力を過大評価する傾向があった。

「殿、一庫城の塩川殿が来られております」
「うむ。何か良い物を持ってきたか?」
「茶器を持参したと申されておりました」
「そうかそうか」

 上機嫌に笑う木沢長政は、立ち上がると面会の間へと向かっていった。



 ※   ※   ※



 十月に入り、三好長慶の和睦を成立させて諸々の手続きを終えた定頼は、満を持してようやく上洛することにした。定頼は蒲生定秀、三雲定持など二十に満たないわずかな供回りで坂本を出発した。
 跨る馬の鞍は赤毛氈あかもうせん鞍覆くらおおいが使われ、道行く人の目を嫌でも惹いてゆく。

 ―――公方様も御屋形様にずいぶんと気を使われるものよ……

 定秀は苦笑しつつ定頼の隣に馬を侍らせている。
 今回の上洛にあたり、幕府からわざわざ『鞍覆いについては赤毛氈も苦しからず候』と定頼に連絡してきている。
 本来赤毛氈の鞍覆いは足利将軍家専用の鞍覆いであり、近年では家臣にも使用が許されるようになってきたとはいえ、頼みもしないのにわざわざ幕府から赤毛氈を許すのは異例中の異例だった。

 元来が派手好きな定頼は幕府の粋な計らいに喜び、嬉々として赤毛氈を敷いて上洛の途に就いた。


 この天文八年から天文十年に出された幕府の裁判に関する文書を見ると、各事案を裁くのに『○○と将軍から命じた方が良かろう。と定頼が言って来たので、将軍にその旨伝えたら定頼の言う通りにしろと言われた』という形でほぼすべての裁定文書が発行されている。

 また、当時の将軍側衆筆頭の大舘尚氏の日記には『全て六角小弼へお尋ね然るべく存じ候』と記され、幕府の意思決定は事実上六角定頼の意思決定であったことが伺える。
 将軍義晴の返答も全て『六角定頼に聞いてくれ』の一辺倒であり、定頼の勢威はすでに幕府を圧倒していた。

 後年の三好長慶や織田信長と違い、足利義晴は内心はともかく表面上は最後まで六角定頼を信頼し、その意向を気にし続けた。そのために定頼と幕府との軋轢は無く、定頼は最後まで足利幕府の守護として振る舞った。
 しかし、仮に足利義晴が定頼と対立し始めていたらどうなったかは分からない。
 足利幕府と対立しなかったという一点において幕府の権威に逆らえなかった時代と思われがちだが、むしろ六角定頼との対立を避けていたのは幕府の方であり足利義晴の方だった。

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