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第一章 蒲生定秀編 両細川の乱

第11話 三好元長

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主要登場人物別名

道永… 細川高国 現管領 細川晴元と権勢を争う
六郎… 細川晴元 細川高国は父の仇

公方… 足利義晴 十二代足利将軍
左馬頭… 足利義維 堺公方・平島公方と呼ばれた

弾正… 六角定頼 六角家当主 高国方の主力
弾正忠… 柳本賢治 丹波国人 晴元方の武将 高国に誅殺された香西元盛の実兄

――――――――

 
 三好元長は鶏冠井城の守りを家臣に任せ、僅かな供回りを連れて堺へ向かっていた。

 ―――六郎様は果たして和睦の利を認めて下さるだろうか

 元長は騎馬で駆けながら内心の不安を抑えきれずにいた。
 元々細川晴元も敵方の高国に負けず劣らずの主戦派だ。一戦して足利義晴諸共高国を追い落としてしまえば、新たな政権を京に作る事が出来ると考えていた。
 しかし、元長はそれによって近江が敵対することを危惧していた。

 今でこそ婚姻による同盟を打診して来ているが、元来六角家は京の政情に関心の薄い家だ。
 同盟の件もお互いに不可侵を結べればそれで充分と考えているのだろう。

 高国と義晴を京で討ち取ってしまえるならばいい。だが、六角が高国方として参陣している以上、いよいよとなれば近江に落ち延びるはずだ。
 晴元が担ぐ足利義維よしつなとしては近江征伐を行わざるを得ない。そうでなければ義維の権威が確立できない。

 そして、近江征伐となればいよいよ六角と本格的に戦をすることになる。
 正直、勝てる自信は無かった。


 一戦して勝ちを拾う事はできるだろうが、六角は一戦の勝敗にこだわる愚は決して犯さない。旗色が悪ければ甲賀や日野まで退いて待ち構えるだろう。
 近江の奥深くまで引きずり込まれては、補給もままならぬ孤軍と化す。義尚、義材、二度にわたる将軍親征を退けた実力は伊達ではない。

 そうこうしている内に摂津や河内、大和などの国人衆が反旗を翻せば、晴元政権はあっけなく瓦解する。晴元方はまだ畿内各地の国人衆を完全に掌握できてはいない。
 それに、定頼ならば戦をしながら背後に調略を仕掛ける事など朝飯前だ。

 この戦は、戦ったら負けなのだ。


「殿!お待ちくだされ!馬がもう限界です!」
 随行させた篠原長政の声に、初めて元長は馬がだいぶ苦しそうにしている事に気が付いた。
 思考に没頭して周囲が見えなくなっていた。

「いかんな。ついつい気ばかり急いてしまう」
 篠原に笑顔を見せながら、元長は自分のうろたえ振りを自分でわらった。
 聞くところによると、柳本賢治は晴元にある事ない事吹きこんでいるらしい。
 まさか自分の言葉を軽んじはするまいと思っているが、元長の見る所晴元は他人に流されやすい所があるように見受けられる。
 まさかと思うと同時に、もしやという疑いを捨てきれない。

「殿、あまりご案じ為されても栓無き事。今殿が軍を離れれば六郎様は上洛出来ぬのです。きっと六郎様は殿の意見を用いられましょう」
「そう……だな。そう思おう」
 篠原に内心を見透かされて元長はますます自分で自分をわらった。

 ―――家臣に心配させるようでは、まだまだだな…



 ※   ※   ※



 元長は堺に着くと、その日のうちに晴元に目通りを願った。さほど待たされる事なく一室に通された元長は、膝下の畳を見つめながら大声で言上する。

「急な願いにも関わらずお目通り叶いました事、ありがとう存じまする」
「いや、京で急変でもあったか?」
 声が掛からないので自ら頭を上げたが、目の前の晴元はそれに気づいた様子も無かった。

 ―――これほど気の利かぬお方も珍しい

 元長は心の中で苦笑した。このまま声が掛からなければ、ずっと自分は床を見つめながら話していなければならなかったというのに…

「公方様より和議のご提案がございました。交渉には六角弾正殿が当たられます」
「和議か…… しかし、我らは京洛にくさびを打ち込み、優勢に戦を進めておると弾正忠からは聞いているが?」
「それは情勢を見誤っております。確かに京洛だけを見ればそう見えるかもしれません。
 しかし、仮に公方様、道永様が近江に落ち延びれば、我らは負けてしまい申す」

「何故だ?京洛を抑えれば天下が見えて来よう」
「このまま京を握っても常に近江からの侵攻に怯えて過ごさねばなりません。
 それを解消するには近江征伐を行う必要があります。ですが、阿波から軍勢を出している我らが近江に踏み込めば、たちまち泥沼にはまる事は必定。
 道永様とではなく、六角と事を構えれば我らは必ずや敗れましょう」

 晴元がしばし考え込む。元長の言う事を反芻はんすうしているのだろう。
 だが、晴元に一体どれだけ理解できるかと元長は不安だった。

「……考え過ぎだろう。第一、今和睦などしては道永の風下に立たざるを得ぬ事になる」
「弾正殿からは京を六郎様にお任せしたいと… 輿入れの儀はその証であると申されております」
「ふむ…」

 晴元にすれば悪い話ではない。目的はあくまで父の仇である細川高国を追い落とす事だ。
 
 ―――和議こちらに傾いているな

 手応えを感じた元長は、もう一押しと心を励ました。

「加えて、弾正殿からは道永様には今しばしご苦労してもらうとの申し出がございます」
「六角が道永を見捨てるか!それはいい!道永の悔しがる顔が目に浮かぶわ!ワッハハハハハ!」

 嬉しそうに肩を揺らせる晴元に対し、元長は思わず目を覆いたくなった。

 ―――このお方は道永様への恨みだけで動いているのか?

 まだ十四歳の若い主君には、天下の事を考えよというのは酷であるとは思う。
 だが、他人への恨みつらみだけで行動すれば人の心は離れて行く。
 京への野心を持って幼弱の晴元を担ぎ出したのは自分ではあるが、細川晴元の行く末がどうなるかと暗澹あんたんたる心持ちになった。

「よし!ならば早速和議の条件を詰めよ」
「ハッ!」

 ―――私がこのお方をしっかりと導いてゆかねば…

 京に上って天下と対峙した元長は、定頼と交渉する中で天下の事を考える時間が多くなった。
 天下とはとどのつまり、そこに暮らす民や武士・公家も含めた人々の事だ。
 人々の暮らしを守り、世の安寧を保つ事こそ天下人の役目。それを若い晴元にも理解させねばならないと決意を新たにした。

 ―――私にも、担ぎ上げた責任がある

 元長は堺に下向した時よりも厳しい顔つきで鶏冠井城への帰途に就いた。



 ※   ※   ※



 二月に入り、寒さが緩み始めた頃
 京に戻った元長は、改めて六角定頼の使者として進藤貞治・蒲生定秀の両名を迎えていた。

「弾正殿のお骨折りには重ねて感謝致す。六郎様から和議の条件を詰めるようにお下知があった」
「おお!それでは!」
 喜びの声を上げる進藤に、元長は厳しい顔で首を横に振る。
 さすがに意味が分からずに進藤・定秀ともに不審な顔をした。

「一点だけ、今までの条件から変更を願いたい」
「……変更と申されますと?」
 進藤の顔が露骨な警戒顔に変わる。上洛前から話し合って来た条件を今更ひっくり返すというのならば、六角としても本気で三好と戦わざるを得なくなる。

「公方様の事だ。弾正殿からは公方様を共にお支えすると申し出があった。
 だが、一旦将軍位を左馬頭さまのかみ様へお譲り頂くとお約束願いたい。今のままでは担ぎ上げた挙句に左馬頭様は用済みとして使い捨てる事になる。
 我が主にそのような悪評を背負わせるは忍びない」

 進藤と定秀は絶句した。それでは義晴が承知すまい。だが、このまま復命すれば和睦交渉を請け負った定頼の顔に泥を塗ることになる。
 進藤はしばらく瞑目して考えを整理していたが、やがて目を開くと元長を正面から見据えた。

「その儀は、何卒ご勘弁を… 我が主の顔に泥を塗る事になり申す。せめて、左馬頭様を次の公方様とするという事ではなりませんか?
 すでに左馬頭に任官されている以上、その線ならば何とか話を纏められるやもしれません」

 室町幕府においては、将軍位を継ぐ前には左馬頭の叙任を受けるのが常だった。
 左馬頭に任官されているという事は、朝廷が次期将軍と認めたという事になる。

 進藤が苦しみながら捻り出した提案に対し、元長は辛そうな顔で首を再び横に振った。

「それでは、いずれ公方様によって廃されればそれまでだ。我が主は左馬頭様に嘘を吐いて担ぎ上げたと天下に知らしめることになる。
 公方様には大御所としてそれなりの待遇をお約束する。また、左馬頭様の次には公方様の意中の御方をという条件を付けてもいい。それ故、何とか我が主に筋目を通させてくれぬか。
 この通りだ」

 格下の陪臣ばいしんに対して頭を下げる元長に、進藤も返す言葉が無かった。
 内容としてはとても受け入れられるものではない。
 だが、ここでこれ以上押問答をしても話が進まない。それに、そこまでの姿勢を見せた元長に対して自分の独断でこれ以上断れば、今度は元長の顔に泥を塗ることになる。

「……一度戻って主とご相談申し上げます」

 それ以上の事は言えなかった。


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