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第一章 蒲生定秀編 両細川の乱

第10話 内紛

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主要登場人物別名

弾正… 六角定頼 六角家当主 細川高国派の主力
弾正忠… 柳本賢治 平島方の武将 弾正多すぎぃw

六郎… 細川晴元 平島方の事実上の総大将 細川高国と権勢を争う
筑前守… 三好元長 細川晴元の主力を務める

平島方… 足利義維 堺公方・平島公方と呼ばれた 細川晴元が担いでいる
公方・大樹… 足利義晴 十二代足利将軍

――――――――

 
 京の戦乱は膠着状態のまま年が暮れ、明けて大永八年(1528年)正月七日に東寺に本陣を置いていた将軍義晴は、東福寺に本陣を移した。
 東福寺は京洛でも東側に位置し、戦乱の中心から本陣を避けた形勢となる。

 そして正月十日
 主だった義晴方の諸将が東福寺に参集し、軍議を開いていた。


「余はこれ以上京洛の戦乱を長引かせるべきではないと思う。ここに至っては六郎と和睦の交渉を進めるべきではないかと思うが、皆の意見を聞きたい」

 上座から降って来た声に定頼は眉を上げた。てっきり高国と同じく主戦派と思っていた義晴が、内実では和睦を考えている事を知った。
 これならば、朝倉が居ようとも早期に和議の話し合いに入れるかもしれない。

 しかし、定頼はうかつに賛成意見は出さずに周囲の様子を伺った。
 予想通り真っ先に反対を表明したのは朝倉宗滴だった。

「恐れながら申し上げる!今和睦を成したとて京洛から平島方の勢力を駆逐する事はできません。
 公方様のお立場を確かな物にする為には、今一度三好に戦を仕掛け、京洛から追い出してからでなければ和議を結ぶべきではないと存ずる」
「宗滴の申す通りですな。今和議を結んだとて、公方様のお立場は危うい物になるでしょう」

「……」
 高国が賛成したことで場は主戦論に傾くが、義晴は尚も心配そうな顔をしていた。

「恐れながら……」
 定頼が良く通る声で発言すると、すぐさま対面の宗滴が険しい顔をして睨みつけて来た。
 定頼は素知らぬ顔で無視しながら話を続ける。

「今京洛の民は戦に疲れておりまする。京雀達もいつ大戦が起きるかわからぬと、日々の暮らしを控えて京を逃げ出す者も出ております。
 これ以上戦を継続することは、勝っても負けても公方様のお立場を危うい物にしかねないかと……」

「お黙りなされ!そもそも、そこもとが一気呵成に三好を攻め潰しておればこのような事にはならなかったであろう!」

 床机を蹴立てて宗滴が定頼に対して感情を露わにする。周りの諸将はどうしていいかわからず黙り込み、高国と義晴も事の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。

「我が六角のにされるとは心外でございますな。確かに三好の北上を見過ごしたは我らの落ち度でござる。
 その責任を感じておればこそ、この度の和睦交渉を請け負わせて頂くと申しておるのです」
「三好と組んで一体何を企んでおる!」

 定頼は大きく息を吐くと首を左右に振った。

「一体何の事だか分かり兼ねますが…… 三好を攻め潰せぬのが悪いと言う事であれば、一月以上対峙しておいて小競り合いしかしておられぬ宗滴殿こそ、いかがなものですかな?」

 宗滴の顔が見る見る赤みを帯びて来る。しかし、現実に今三好と対峙しているのは朝倉勢である以上、この論争は宗滴に分が悪い。
 見かねた高国から助け舟が入った。

「弾正の言う事はもっともであるが、元より京洛に平島方の軍勢が残る事はいかにも安定を欠くと言わざるを得ない。そこをどう考える?」
「平島方がが問題となるのであれば、和睦の条件として平島方は堺へ退去し、以後公方様のお下知に従う事という誓紙を出させてはいかがでしょうかな」

 ピクリと高国の顔が歪む。そんなことを相手が飲むはずがないと思っていた。
 まさかそれを成す自信があるとでも言うのか、と不審に思っている顔だった。

「それが達せられるのであれば、和議を結ぶのに問題はなかろう」
 上座の義晴から声が掛かると、定頼に険しい顔を向けていた高国と宗滴が一斉に義晴に顔を向けた。

「大樹。しかしそのような条件など…」
「弾正が請け負うと申している。弾正の談判の結果を見届けてからでも遅くはあるまい」
「……は」

 形だけとはいえ、この軍の総大将である義晴の言う事を無視はできない。
 軍議は定頼の和睦交渉の結果を見届けるということで決まった。




「お疲れ様でした」

 軍議の後、定頼は本堂の前で待機していた進藤と定秀の元へと向かった。
「ああ、まったく肩がこる軍議だった。しかし、和睦交渉に入る事が決まったぞ」
「ほう!では…」
「うむ。筑前守殿と早速和議の条件を詰めてくれ」
「は!」

 進藤も定秀も一気に明るい顔になった。
 もっと時間がかかると思っていたが、和議の交渉に入れるとなれば後は簡単だ。
 時間稼ぎをしつつ、朝倉の兵糧切れを待てばいい。


「弾正殿!」
 ドスドスと激しい足音を立てながら、向こうから宗滴が鬼の形相で近づいて来た。

「面倒なジジイだな。まだ文句が言い足りぬか」
 宗滴に聞こえないように小声で悪態を吐いた定頼は、一つ息を吐いて宗滴に向き直った。
 振り返った定頼はいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。

「これは宗滴殿。一体どうなされたのかな?」
「とぼけるな!はわしの目を節穴と思っているのか!
 蒲生が矢戦などと六角が本気で戦ったとは思えぬ!ぬけぬけと朝倉のせいだなどとよくぞ抜かしおったな!」
「さて……」
 上品に作り笑いをしながら、定頼は心の中で舌打ちした。

 ―――本当に面倒なジジイだな。小谷攻めでそこまで見ていやがったか

 宗滴の指摘した通り、蒲生勢の真価は白兵戦にある。
 山に囲まれた日野を地盤とし、山地の地侍を多く抱える故に平地の者よりも膂力や脚力などの身体能力に優れる者が多かった。
 矢戦をするのならば先陣は平井勢になるのが常だ。
 先の小谷城攻めの時に越前勢を率いて参陣した宗滴は、その辺りの六角の兵力をある程度理解していた。


 平井加賀守高安率いる平井郷・馬淵郷の国人衆は、弓の名人として名高い吉田よしだ上野介こうずけのすけ豊稔とよとしから弓を学んだ上手が多かった。
 吉田豊稔は日置へきりゅうの開祖である日置へき弾正忠だんじょうのちゅう豊秀とよひでから奥義の伝授を受けた天下に隠れ無き弓の名人で、現在も弓術指南役として六角家に仕えている。
 その為、後年に至っても六角には弓の上手が多く、六角弓隊と言えば天下一の弓兵隊との呼び声も高かった。

 日置流は小笠原流と違い、型の美しさや品位といったものよりも的中率と矢の貫通力に重きを置いた実戦的な弓術で、騎射から始まった小笠原流に対して歩兵弓術として完成した。
 なお、現代の弓道はそのほとんどが吉田豊稔の流れを汲む日置吉田流の弓術が元になっている。

 六角家中では新参である蒲生家にはまだ弓を学んだ者が少なく、一通りの扱いはできるものの、弓兵隊としての破壊力は平井勢に比べるべくも無かった。



「平井勢は公方様御本陣を守備するように配置しておりましたので」
 なおも穏やかな笑顔を崩さない定頼に対し、宗滴はギリっと歯をきしませると自分を落ち着かせるように一つ深呼吸をした。

「もはや細川の戦などどうでもよいわ。雪が溶けたら我らは越前へ帰る。
 あとはの好きなように捌くがいい」
 そう言い捨てると、宗滴はまたもやドスドスと荒い足取りで再び来た道を戻って行った。


「やれやれ、ようやく帰ってくれるらしい」
 そう言って明るく笑う定頼に対し、定秀は何となく不安を覚えた。
 越前は近江の北と国境を接する国だ。国境紛争は面倒事が多いのは、自領が伊勢との国境近くに位置する定秀には実感として理解できる。
 朝倉との関係を険悪な物にはしたくないなと漠然と考えていた。



 ※   ※   ※



「面を上げてくれ」
 進藤と定秀は鶏冠井城まで出向き、三好元長と面会していた。和睦交渉の開始を受けて今度は堂々と使者として面談している。
 その為、厨でお互いざっくばらんにとはいかず、面倒な手続きを踏みつつ三好家臣の居並ぶ前で平伏していた。
 しかし、当の元長は堅苦しい場であっても砕けたものだった。

「思ったよりも早かったな。じい様が早々に折れたか?」
「はっ。公方様の意向もあって和議を整えるように我が主に命が下りました」

 てっきり元長が笑い出すと思っていた進藤だったが、意外にも元長は深刻そうな顔をしていた。

「折角弾正殿が骨を折ってくれた所なのだがな。実はこちらでも少々厄介な事が起こった」
「厄介な事… と申されますと?」
「柳本弾正忠と少しいざこざがあってな…」
「なんと…」

 原因は下らない事だった。
 この正月に三好と柳本の足軽同士が酔って喧嘩をし、柳本の配下が手傷を負うという事件があった。
 どちらが悪いかという論争になって、この頃には主人である三好と柳本の間がギクシャクしていた。

「折角弾正殿がそちらをまとめて下さったのに申し訳ないが、そういう訳でこちらも意見をまとめるのに苦慮している。
 和睦には今少し時を貰いたいと弾正殿に申し上げてくれんか?」
「承知いたしました。お早くおまとめ頂くようにお願いいたします」
「わかっている。ともあれ、堺に行って六郎様へ和議の事をご相談申し上げよう」

 尚も深刻な顔を崩さない元長に進藤の心はざわついた。
 短い付き合いだが、元長がここまで深刻な顔つきを崩さない事は今までなかった。


 ―――どうやらこちらが思うよりもあちらも内紛が深刻らしいな…

 神妙な顔つきの進藤と同じく、定秀も晴元方の内紛の深刻さを見て取った。
 まだしばらく平島方も荒れるだろう。主君定頼の描いた道筋は確かに妙手と言えるものだが、それだけに一つ狂えば策が崩壊しかねない。
 そして、義晴方も平島方も微妙に歯車が狂い出しているような不安感が襲って来る。

 何がどうと言葉には出来ないのだが、このまま平穏無事に収まりそうにないという予感だけが定秀の心を満たしていた。

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