もどろきさん

藤瀬 慶久

文字の大きさ
上 下
42 / 43

第40話 生還

しおりを挟む
 
 葬送のラッパが寂し気に響く中、レイテ湾の戦いで戦死した者達の棺が一つ、また一つと海中へ滑り落ちて行く。蒲生喜八郎の棺もその中の一つだった。

 艦橋に直撃弾を受けたため、蒲生や戦隊参謀らの遺体は見るも無残な姿となってしまった。もはや棺の中に入っているのが本当に蒲生の肉体なのかも判別は出来ない。
 が、ともあれ隆は蒲生の棺を敬礼で見送った。

 棺の中には蒲生がこっそり楽しんでいたウイスキーも入れた。隆と横井が少し飲んでしまったが、ボトルの中身はまだ半分近く残っている。
 思えば、開戦以来蒲生はゆっくりと酒を飲む余裕など無かったかもしれない。

 ――あの世で、ゆっくり楽しんで下さい。

 涙は出なかった。
 悲しさよりもやりきれない思いが残った。

 あの時、蒲生は西村中将の最後の命令を無視して反転した。
 厳密に言えば、命令違反ではない。既に艦隊司令は脱落を覚悟し、自らの指揮権を放棄していた。その時点で第十二戦隊への命令権は蒲生の手に戻っている。とはいえ、西村中将の最後の命令が『前進して敵を攻撃せよ』だったことを思えば、蒲生の取った行動は臆病者の謗りを免れないかもしれない。

 だが、隆は蒲生が臆病故に撤退を選んだのではないことを理解していた。

 連合艦隊司令部は玉砕を望んでいただろうし、西村中将も艦隊の玉砕を最後に指示し、自らも玉砕を選んだ。それは、あるいは国民に対する弁解の意味もあったのかもしれない。

 サイパン島の陥落を受けて三か月前に東條内閣が総辞職となり、新たに小磯内閣が成立した。
 東條内閣において国家総動員体制を強力に推進したため、国民には重い負担を求めた。その当然の結果として、内閣及び軍に対して国民感情が悪化しているという現実がある。

 俺達はこんなに辛い思いをして戦争を支えているのに、一向に暮らしが楽にならない。そんな声なき声が日本中から少しづつ上がってきていることを大本営は理解しているのだろう。
 国民の批判をかわすため、前線部隊には玉砕を求める風潮が上層部にあった。現場は死ぬまで戦っているのだから、国民も死ぬまで戦ってくれということだ。

 しかし、隆に言わせれば玉砕などしたところで何の意味も無い。
 軍人が死んで、一体だれが海の外で戦うのか。どうやって敵の本土上陸を阻止するというのか。陸軍は本土決戦に全てを賭けると息巻いているらしいが、少なくとも敵の空襲を防ぐ手立てが無ければ、本土決戦など国民を、家族を巻き込んでの玉砕戦にしかならない。
 何としても海の外で戦い、海の外で戦争を終わらせなければならないのだ。

 もっとも、蒲生はこの政権交代に期待していた。新たに成立した小磯内閣では、米内光政が海軍大臣に就任したからだ。
 同じ避戦派であっても蒲生は米内とそこまで親しくは無かったが、米内に海軍次官として抜擢された井上成美が終戦に向けた工作を始めていることは耳にしていた。

 あと少し、あと少し戦い抜けば、終わりが見えるはずだ。
 それが近頃の蒲生の口癖だった。

 ――本土決戦だけは何としても阻止して見せます。

 自らの乗艦も失ったいち中佐に何ができるかは分からない。
 だが、隆は蒲生があの地獄の海戦の中で、それでも乗員を生き残らせることを選んだ意味をそう理解した。

 間もなく終わりが見えるのなら、それまで何としても生きて戦い抜かねばならない。


 西村艦隊の艦艇のうち、ミンドロ島の基地へ帰り着けたのは僅か二隻だった。
 最後尾を航行していた巡洋艦最上は、多景の反転に伴って同じく戦闘海域を脱出したものの、その後のアメリカ軍の空襲を受けて燃料タンクが炎上したため、総員退艦の上でボホール海に沈没した。

 隆が艦長を務める薄雪も船首に受けた魚雷の浸水が止まらず、機関部まで浸水するに及んで、総員退艦の上で自沈命令を出した。

 多景は艦橋に直撃弾を受けたものの、幸いにも機関部には被弾しておらず、航行そのものに問題は無かった。
 そのため、最上と薄雪の乗員は多景に移乗することが出来た。それがあったからこそ、隆は自沈命令を出すことが出来たのだ。

 だが、多景の受けた精神的ダメージは計り知れない。
 蒲生を始め、多景の幹部将校達はほとんどが艦橋の直撃弾で戦死してしまった。今や多景の正規の乗組員は砲術長が率いている状態だ。

 隆はミンドロ島までのつもりで多景の指揮代行を務めた。直前まで多景の副長を務めていたこともあり、乗組員達の方がそれを望んだからだ。
 だが、ミンドロ島に帰り着いた隆には、そのまま多景を本土に回航して呉で修理を受けろと命令が下った。編成早々の第十二戦隊は解散となり、他船から収容した海兵はフィリピンの地上戦に投入されたが、隆は艦長代行として帰国の途に就いた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妖刀 益荒男

地辻夜行
歴史・時代
東西南北老若男女 お集まりいただきました皆様に 本日お聞きいただきますのは 一人の男の人生を狂わせた妖刀の話か はたまた一本の妖刀の剣生を狂わせた男の話か 蓋をあけて見なけりゃわからない 妖気に魅入られた少女にのっぺらぼう からかい上手の女に皮肉な忍び 個性豊かな面子に振り回され 妖刀は己の求める鞘に会えるのか 男は己の尊厳を取り戻せるのか 一人と一刀の冒険活劇 いまここに開幕、か~い~ま~く~

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

リュサンドロス伝―プルターク英雄伝より―

N2
歴史・時代
古代ギリシアの著述家プルタルコス(プルターク)の代表作『対比列伝(英雄伝)』は、ギリシアとローマの指導者たちの伝記集です。 そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、有名ではなくとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。 いままでに4回ほど完全邦訳されたものが出版されましたが、現在流通しているのは西洋古典叢書版のみ。名著の訳がこれだけというのは少しさみしい気がします。 そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。 底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。 沢山いる人物のなかで、まずエウメネス、つぎにニキアスの伝記を取り上げました。この「リュサンドロス伝」は第3弾です。 リュサンドロスは軍事大国スパルタの将軍で、ペロポネソス戦争を終わらせた人物です。ということは平和を愛する有徳者かといえばそうではありません。策謀を好み性格は苛烈、しかし現場の人気は高いという、いわば“悪のカリスマ”です。シチリア遠征の後からお話しがはじまるので、ちょうどニキアス伝の続きとして読むこともできます。どうぞ最後までお付き合いください。 ※区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

江戸時代改装計画 

華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

処理中です...