左義長の火

藤瀬 慶久

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京橋店の番頭

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 季節は移ろい、蝉の声が煩く聞こえる季節になったが、甚四郎は変わらず日本橋店で丁稚奉公に精を出していた。

「甚四郎。ちと京橋店にこの文を届けてくれんか」
「かしこまりました」

 江戸支配人の嘉兵衛から京橋店へのお使いに出た甚四郎は、初めてまじまじと見る江戸の町に興味津々だった。なにせ、この半年間は店内の雑用と来店客への対応ばかりでまともに店の外に出たことがない。
 対応といっても商談は手代や番頭の役目なので、来店客の用向きを伺い、目的の手代への取次やご指名の居ないお客の場合は支配人に取り次ぐのが仕事だった。
 当然ながら甚四郎を訪ねて来る相手などは居ない。

 八丁堀のあたりに差し掛かった時には黒い羽織を着た武士が大勢歩いていた。
 まだ江戸の町に慣れていない甚四郎はあたりをキョロキョロしながら歩く。その為に行きかう武士たちは皆一様に怪訝な顔をして甚四郎をジロジロと見ていた。

 何だか妙に物々しい雰囲気に、知らず知らずに甚四郎の足も早まる。後で聞くと、八丁堀は町奉行所に勤める同心達の組屋敷が多くある辺りだという事で、彼らの厳しく人を疑うような目はその為かと妙に納得がいった。

 八幡町では治安は町人達によって維持されており、池田町の朽木陣屋か、さもなくば各商店の店内にしか武士の姿など見かけない。  
 そんな甚四郎にとって、両刀を差して颯爽と肩で風を切って歩く同心達の姿は、多少の憧れと、何か粗相があればすぐに斬り捨てられるのではないかという恐怖心を与える代物だった。

 ――お武家さんはおっかない

 できればああいう人達とは関わらずに生きていきたいと思う。だが、武士と言えども店に来ればお客様なのだから、商人として身を立てる以上そうも言っていられないのが現実だ。とはいえ、甚四郎にはまだその辺りのことは理解できていなかった。

「ごめんください。日本橋店の嘉兵衛さんから文を持って参りました」
「おおう!ご苦労さん。帳場に番頭の善吉さんが居るはずだから、帳場まで届けておくれ」

 店の入り口で呼びかけると、顔も体もゴツゴツとした三十がらみの男からそう言われた。
 京橋店の役付やくつき手代だろうか。店内でもあれこれと指示を出して人を動かしている様子だ。

 甚四郎は言われるままに帳場に向かいながら、初めて見る京橋店の店内をまじまじと眺めた。店内には見慣れた蚊帳や畳表の他に、弓が所狭しと並んでいる。
 山形屋は江戸の弓販売を一手に引き受けており、ご老中様からも在庫を切らさないよう要請されているという。
 特に京橋店は元々が弓問屋だった。当時資金難に陥った弓問屋を三代前の山形屋当主が問屋株、在庫品諸共一括して買受けたそうだ。その為か、弓の在庫に関しては日本橋店よりもよほどに豊富に揃えていた。

 甚四郎がやがて帳場の前に立つと、帳場に座る四十程の優男が帳簿に向き合って真剣な顔で書き物をしていた。あまりに真剣な面持ちなので、甚四郎は声を掛けることが出来ずに立ち尽くしていた。
 どうしたものかと思案していると、甚四郎に気付いた番頭がふと視線を上げて怪訝な顔を見せた。

「誰だ?ウチの者じゃないな?」

 木綿の縮の小袖に前掛けを付けた甚四郎は、どこからどう見ても立派な丁稚で、まさかに買い物に来た客とは見えなかった。

「あの……日本橋店の嘉兵衛さんから文を預かって参りました」
「ああ、そうだったか。ご苦労さん。新しく日本橋店に入った子かい?」

 番頭は日本橋店の者と聞くと、相好を崩して文を受け取った。
 通常帳場までやって来る者は顔見知りと決まっているから、見知らぬ者が突然帳場に来ると商人は警戒する。
 まさかに白昼堂々と押し込み強盗でもあるまいが、商売敵が帳簿をのぞき見に来る事も考えられる。そのせいで険しい顔をしていたのだろう。

「はい。この正月に八幡の本店から奉公替えになりました。甚四郎と言います」
「そうかい。私は京橋店を預かる善吉だ。役儀としては江戸支配人の嘉兵衛さんの部下になる。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、新参者ですが何卒よろしゅうお願いいたします」

 善吉は店頭で指揮を振るう手代とは違って柔らかな印象の男だった。
 ひょろりとした、という言葉がよく似合うような細身の男で、こんな優男に番頭が務まるのだろうかと心配になってしまう。
 今まで甚四郎が接してきた番頭は、利右衛門や嘉兵衛のような逞しい顔つきと大きな手を持つ男達だったから、善吉のなよなよしたとも見える風貌にはついつい心許なさを感じてしまう。

 ――こないひょろりとしたお人が、番頭さんやて務まるんやろうかなぁ

 失礼な想像をまさかに口に出すわけにもいかず、甚四郎は返事を受け取るとそそくさと日本橋店へ戻った。その後、営業を終えて茂七が宿舎で寛いでいたので、甚四郎は思い切って京橋店の善吉のことを聞いてみた。

「茂七さん。今日嘉兵衛さんの使いで京橋店へ行ってきたんですが、京橋店の善吉さんいう人は随分ひょろっとした人ですね。あんな頼りなくて番頭さんが務まるモンなんでしょうか?」
「阿呆。善吉さんは嘉兵衛さんの部下として一番優秀な手代だったんだぞ」
「ええ!そうなんですか?」
「ああ。その人柄と才覚を見込んで、嘉兵衛さんが旦那様に直々に願い出て京橋店の頭に据えてもらったという噂だ。まあ、あの人ほどの実力なら、嘉兵衛さんの推挙があろうがなかろうが、いずれ一店を任されていただろうけどな」

 ――そうなのか

 人は見かけに寄らないものだと心から思った。

「お前も人を見かけで判断せずに、話してみてその人柄で判断するという事を覚えないとイカンぞ」
「はぁ……」
「まあ、今はまだお前にはわからんだろう。手代として商いに参加するようになれば、何よりもお客の人となりを見極めねばならん。
 この人は約束通りきちんとお代を払ってくれる人なのか、それとも平気で売掛けを踏み倒す人なのかということも見なければならん。
 それが見えなければ、焦げ付きを出して店に迷惑を掛ける事になる」

 甚四郎は心の中で唸った。甚四郎にとっては、まだ想像も付かない世界の話だ。
 今はまだ番頭や手代達の指示に従って体を動かすことが甚四郎の仕事だが、商人として修業を積めば積むほど、単純な肉体労働ではなく人と話し、その人となりを見極めるという事が主な仕事になってくる。
 極論を言えば、店主の仕事とは店員の人となりを見極め、これはと見込んだ者に思い切って仕事を任せる事にある。商店を経営するとは人を観るということだった。
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