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仕事のやりがい
しおりを挟むお盆が過ぎ、茂七が初登を終えて江戸に戻って行った頃、甚四郎は相も変わらず八幡町で行儀見習いとして働いていた。
丁稚の仕事にも随分と慣れ、今では一通りの仕事はこなせるようになっている。
「甚四郎。右のお座敷にお茶を出してくれ。竜胆やさかいな」
「へえい」
番頭の利右衛門にいつもの間延びした返事を返した後、お茶所へお茶を淹れに向かう。お茶所では常に釜に湯を沸かしており、いつお茶を出せと言われても対応できるようにしていた。
茶碗を出してお茶を淹れる準備を済ませると、厨へ向かって声を掛ける。
「すんません。竜胆のお菓子をお願いします」
「はいよ」
気安い返事と共に下男の庄兵衛が饅頭を渡してくれた。饅頭を菓子皿の上に乗せてお茶所に戻り、用意してあった茶碗にお茶を淹れる。山形屋のような大店と言われる商家では表と裏を明確に区分しており、裏方の下男や女中は決して表の店には顔を出さない。表向きの雑用は全て少年である丁稚がこなすのがしきたりだ。その為、お菓子などは丁稚が裏へ出向いて受け取る必要があった。
甚四郎はお茶とお菓子を盆に乗せると、指定されたお座敷へ向かった。
「失礼いたします」
外から声を掛けると、中の返事を待たずに襖を開ける。商談中に気を散らさせてはいけないから、声掛けも中に聞こえるギリギリの小声で掛けるのが決まりだ。
滑るように室内に入ると、膝を付いてにじり寄るようにお客の左側へと進む。お客は武士のようで、右側には大小の刀が置かれていた。
お客の武士は甚四郎に気付かない様子で、番頭の利右衛門の話に聞き入っている。何を話しているのかはわからないし、聞く必要も無い。内容によっては武士の恥と取られることもあるため、対応する番頭以外は出来るだけ話を外に漏らさないように気遣うのが礼儀だ。
甚四郎は頭を下げたままお客の武士の左手から三寸の所に茶を置いた。近すぎると気付かずに茶碗を倒してしまう事もあるため、手を伸ばせばすぐに届く距離に計算して置く。お茶とお菓子をお客の前に出すと、そのまま無言で一礼して入口の方へ向かった。
と、その時になって気付いたお客が、こちらも無言で甚四郎に一礼してくれた。丁稚が茶を出すのを当然と思っているお客も居るので、一礼でも返してくれるとそれなりに嬉しさを覚えるものだ。
終始無言でお茶を出し終えた後、滑るように外に出て襖を静かに閉めた。
流れるような見事な所作だった。
その後、しばらく店内の来店客の対応をしていると、利右衛門から再び声が掛かかった。
「甚四郎。ちとお客との話を旦那様へ報告してくるから、お前はお茶のおかわりを出しておいてくれるか」
「へえい」
そう言われて対応中の来店客に一言断りを入れ、再びお茶を淹れて座敷に向かった。
「失礼します。お茶のおかわりをお持ちしました」
「うむ」
今度は中から声が掛かった。番頭が部屋を出たので手持無沙汰になったのだろう。襖を開けると、お客の武士が威儀を正して端座していた。
再び無言で前の茶碗を下げ、新しい茶碗を差し出す。菓子皿も空になっていたので、持参した新しい菓子皿を出した。
「美味い饅頭であるな。その方らもよく食べるのか?」
不意に声を掛けられ、甚四郎は思わずポカンとお客の顔を見た。一瞬何を言われているのかわからなかったが、菓子を褒められているのだと理解すると慌てて頭を下げて言上する。
「いいえ、お客様用です。私どもは口にしたことはございません」
そう言うと武士は意外そうな顔をしたが、それ以降は顔を合わせないように気を配りながらお茶を取り換えて下がった。その足で厨へ行くと、庄兵衛に次第を報告する。
「庄兵衛さん。お客さんが庄兵衛さんの饅頭を褒めてはりましたよ。どうやら気に入ってもらえたようです」
「お、そうでっか。ほなちと二、三個ほどお土産に包むさけ、持って行ってあげて」
「はいな」
自慢の菓子を褒められて嬉しそうな庄兵衛から土産の包みを受け取り、再びお座敷へ向かう。
「失礼いたします」
「何かな?」
お客の武士が上品にほほ笑んだ。
「お菓子をお気に召して頂けたようですので、お土産に包ませて頂きました。これは宿に御下がりになられた後にでもお召し上がりください」
「や、これは気を使わせたようで申し訳ない。有難く頂戴いたす」
礼儀正しく頭を下げてくれた武士に好感を持ちながら、甚四郎は下がっていった。甚四郎と入れ替わるように袱紗包みを抱えた利右衛門が座敷に入っていく。
――嬉しいもんやな
武士の中には商家の接客を当然と思って礼の一つも言わないどころか、傲然とふんぞり返っている者も居る。
そんな中で、こうしてお菓子を褒め、自分のような丁稚の小僧にも頭を下げてくれることが妙に嬉しかった。
お茶碗を片付けると、再び甚四郎は来店客の対応に戻って行った。
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