近江の轍

藤瀬 慶久

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十一代 甚五郎の章

第78話 水野の奇策

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 1858年(安政五年) 七月八日  江戸城本丸



 この四月に大老に就任した井伊直弼は、勘定奉行から新たに外国奉行に任命した水野忠徳と対面していた。
 外国奉行は条約締結に合わせて新設した、外国との交渉を行う外務省のような機関だった。

 前月の安政五年六月には『日米修好通商条約』を締結している。
 国内ではその不平等性に『攘夷論』が巻き起こり、外国人を排除せよと声高に叫ぶ声が多かった。
 いわゆる『尊王攘夷運動』が起こり始めていた頃だ。


「頼んだぞ、水野。外国との交渉でなんとか時間を稼いでくれ」
「承知いたしました。出来る限りの事は致します」
「……頼むぞ」
「はっ!」

 水野忠徳は日本とアメリカの通貨交換を定めた条約の交渉経緯を詳細に点検して、ある事に気付いた。

 ―――奴らは信用によって通貨の価値を作るという基本原則を理解していない

 だからこそ銀貨は同じ重さの銀貨と交換せよなどという頓珍漢な事を言いだすのだ。
 奴らは何もわかっていない。貨幣に関しては素人同然だ。
 全て承知の上での恫喝ではなく、分かっていないから子供のように分からないと駄々をこねるのだ。

 この考察を基に、水野は日本の富を守るべく策を巡らした。

 水野忠徳はペリー来航の直前には長崎奉行としてオランダにその是非を問うているし、オランダを通じて海外情勢を正確に理解していた。
 特にこのままいけば日本の金が大量に海外に流出するという事を既に見抜いていた。
 世界一の金融先進国であるイギリス公使のオールコックですら、実際に金流出が引き起こされてからようやく理解した理屈を、水野は遅くとも条約を締結したこの段階ですでに理解している。

 この事実こそが、日本が当時の世界一の金融理論を持つ国だったことを示している。
 江戸時代の日本はただ貨幣経済が成立していただけでなく、その通貨の理論においても世界一進んだ先進国だったと言える。


 勘定奉行時代の水野は、下田協約を含む日米和親条約の後続条約を次々に締結した。
 即ち、『日蘭和親条約』『日露和親条約』『日英和親条約』といった諸外国との条約締結を推進している。
 その中で『同種同量の原則』を殊更に明記し、アメリカ以外の各国とも銀貨は銀貨同士、金貨は金貨同士同じ重量で取引する事とした。

 さらに驚くべきことに、通常は通商条約に付帯される通貨輸出の禁止規定すらも撤廃した。
 さらにはあれほど苦心の末に妥結した6%の改鋳費すらも譲歩している。
 それと引き換えに外国人の京や日本各地の自由旅行を禁止する規定を勝ち取った。

 これほどの譲歩をしたのは何もわからなかったからではなく、むしろ全てを理解したが故の行動だった。


 ―――奴らが自由に国内を歩き回れば大変な事になる

 日本では京を中心に攘夷論が巻き起こっている。そんな時に外国人が京の市中を闊歩すれば、どのような事件が起こるか想像も付かない。
 仮に外国公使が害される事にでもなれば、日本は今以上に外国からの譲歩を迫られるだろう。
 それに比べれば改鋳費の撤廃など安い譲歩だった。

 ―――要は下田、横浜、箱館を『出島』にしてしまえばいいのだ

 これが水野の策略だった。攘夷論者も『出島』を増やすという事ならば納得するだろう。
 それに、この譲歩も事実上譲歩で無くなる策を持っている。
 水野の顔は自信にあふれていた。


「しかし、今回は凌げたとしても外国からの圧力はいかんともしがたいものがあります。早急に軍備を拡張し、外国と渡り合える海軍を持たなければいけません」
「それは分かっている。公武を合体してお上の権威を高めれば、諸藩もお上に合力して日本国として軍備を整えていけるだろう。その為にも、何とか今この時を凌がなければならんのだ」

 禅問答のような会話だが、井伊直弼と水野忠徳には十分に通じた。

 前任の老中首座である阿部が開国に当たって全国から意見を求めた為、今までは一部の幕閣だけのものだった『国家運営』が全国民が参加する物となった。

 その中で維新の志士と言われる『国を憂う者達』が次々と現れる。
 もっとも、そのほとんどは若き日の渋沢栄一のように、ただ京に上って仲間内であれやこれやと議論らしきものをしては酒を飲んで騒ぐだけという子供の遊びのような活動に終始していた。

 しかし、このまま議論が過熱すればやがては武力闘争に発展しかねない。
 そのため、幕府の権威を取り戻すために朝廷の権威を利用しようとしていた。
 公武合体によって幕府と朝廷が一つとなれば、必然的に再び諸藩は徳川の威に服する事となる。
 そして諸外国と対等の軍事力を持てば、諸外国からの軍事的圧力を跳ね返せる。
 日本は独立国家として西洋と対等に渡り合っていけると考えていた。

 井伊直弼はまさに開国と通商によって幕藩体制を維持し、世界の中の日本の立場を確固たるものにするという開明的な思想の持主だった。


 井伊直弼の意を受けた水野忠徳は、安政二朱銀の鋳造を指示した。
 これこそが『譲歩を譲歩で無くす奇策』だった。



 1859年(安政六年) 六月一日  横浜港 イギリス駐日総領事オールコックの手記より



 大きな部屋の一つには、二人の真面目くさった顔つきの官吏が『税関』の席に正座している。
 秤と重りや「条約に基づいて」ドル貨と交換されるたくさんのキラキラ光る新しいコインが用意されている。
 我々一行のうち何人かは日本の商店を見に行くつもりだったので、ドル貨を空の秤皿に投げ入れ、見事なコインを二枚手に入れた。これは条約に明記されている通り、極めて正確に『同量』だ。

 商店に行くと一行の中には様々な物の値段を尋ねる者が居た。
 子供の頃に感じた、ポケットに入れてあるカネを使いたいというあの欲求を抑えきれずにいるのだ。
 その気持ちは良く理解できる。

 何が素晴らしいと言って、この美しい手箱が六分だ。何が安いと言ってこれほどに安いものはない。
 一ドルが三分だから、この美しい工芸品がたったの二ドルで買えるんだから。
 さあ、それじゃあ文句なしに払うよ。そら、二ドルだよ。

 ………おや?

 相手の商人は疑い深い面持ちで顔を横に振り、手で制してくる。
 ああ、そうか。ドルコインでは駄目だったね。それならばさっき交換してきたこちらのコインならばいいだろう。
 このコインの名前は何て言ったかな?まあいい。ともあれ、一ドルで二枚受け取ったのだからこれ一枚で一分半の値打ちなのだろう。なにせ、一ドルは三分なのだからな。
 さあ、手のひらを開けてごらん。この大きく光ったのを四つ。
 このコインの名前はなんだったかなぁ…

 ………おや?

 商人がまた頭を振った。今度は四本の指を続けざまに三回上げた。
 六分だと言うから六分やったのに、十八分を欲しがるとは… この欲張りのユダヤ人め。


「これはどうした事だ?この強欲なユダヤ人は、最初は六分と言ったのに十八分を欲しがる。怪しからんじゃないか」
 傍らの官吏に尋ねる。これを解決するには通訳の助けを借りる必要がある。

「これは二朱銀と言って、二朱銀は二枚で一分となり申す。故に、六分の支払には十二枚必要なのです」

 ……なんだって!?

 なるほど、確かにさっき目の前で確認した。このコインは正確に二枚で一ドル分の『重量』を持っている。
 しかしその極印は一分の半分の価値しかないという事か。
 なんたる罠だ…
 キラキラ光る銀が魔法使いの持つしわくちゃな木の葉に変わっても、これ以上の不愉快さと驚きを持って見られることはあるまい。

 これはこの開港までに私が投げ込まれた二番目に大きな外交闘争だった。
 表面上は約束を守るふりをしながら、同じ銀貨は同じ重量で交換するという原則の隙間を突いて一ドル=三分の規定を骨抜きにした。
 なんたるペテンだ。これでは、条約の文字は守らていても、一ドルを三分と交換するという条約の精神が無い事は確実だ。
 この巧みなペテンによって世界でもっとも物価の安い国の一つとされていた日本をもっとも物価の高い国にしようとしている事は明らかだ。

 条約の文面を非常に巧みに利用して、容易に取り消すことができないほど効果的に基礎を固めた誤魔化しで、ドル貨の価値は三分の一に切り下げられようとしている。


 ………しかし、口惜しい事にイギリス政府はこれに反対する権利を持っていない。

 思えば、メキシコ・ドルが日本の銀貨と同じ名目価値を持っているものと認めさせようとアメリカ側財務委員が努力した時、日本はこの策を用意していたのだろう。
 日本側委員は、メキシコ・ドルと日本の一分銀は名目価値が違うと主張した。それに対してアメリカ側委員は、その規定でいえばメキシコ・ドルはその三分の一の銀しか含まれていない一分銀と同じになると反論した。

 名目価値と秤量価値は違うのだから、もし日本の銀貨と金貨の相対的な価値がその割合であるとするなら、ドル貨がそれに相当する重量の一分銀と交換される事に反対したとしてもまったく正しいことだった。

 アメリカは日本の銀貨が日本の金貨や銅貨とどういう関係にあるかという事を調査していなかったようであるが、この事は公正な取り決めを結ぶためにはどうしても必要だったのであり、問題全体の根底を成すものだったのだ。

 日本政府はこういうはっきりと文句の付けようのない根拠に立っていた。

『大君は、彼の領内で流通する貨幣について好きに重量と名称を決められる権利を持っているのだから、イギリス政府が文句を付ける理論的根拠はない……』



 1859年(安政六年) 六月四日  横浜港 外国奉行所



「ドルは日本政府によって不当に三分の一に切り下げられた!この事を放置すれば、今後通商において一層重大な妨げになる!一刻も早く対処するべきだ!」

 外国奉行の水野忠徳を前に、アメリカ公使のハリスが怒りに顔を真っ赤にして唾を飛ばした。
 傍らではイギリス公使のオールコックも同じ主張をしている。

 私人としてのオールコックは日本の立場を深く理解し、同情さえしている。
 しかし公人として、イギリスの利益を代表する公使としては所詮ハリスと同じ穴のムジナだった。
 いや、何もかもを理解しながら素知らぬ顔で馬鹿なハリスをそそのかしたのだから、老練さで言えばハリスの数段上を行っているだろう。

「日本政府はこのようなペテンを使うのか!今すぐにドルの切り下げを修正しろ!」
 ハリスが大声で喚き散らすのに対し、対する水野はあくまでも穏やかで冷静だった。

「一体何故怒っておられるのか分かり兼ねるが…
 条約の規定には同種同量の貨幣を交換する事とだけあり、前もって通知しないで新しい貨幣を鋳造してはいけないなどと一言一句規定されていない。
 従って、我々が新しい貨幣を鋳造することに対しては何の異議も無いものと理解した。
 そして、我々は条約締結の際にその事に触れなかったのだ。

 貴国の事は知らず、我が国では通貨の価値は国家が決める。極端に言えば、例え瓦礫や紙のようなものであっても、そこに国家の極印があればそれは通貨として通用する。
 そして我が国ではこれまでにも何度も通貨を改鋳してきた。今回がその時期に当たっただけである」

「何を…… このようなペテンが許せるか!」


 隣で吠えるハリスの声に顔をしかめながら、オールコックは水野の主張を詳細に検討した。

 ―――日本の言う事は理論的には正当だ。これを突き崩すには、やはり軍事力に物を言わせるしかないか…
 隣で吠える馬鹿なアメリカ人は問題の本質を理解していないが、これは通貨の名目価値と銀地金の貴金属としての価値との差という問題だ。
 本国イギリスでも散々に議論と論争を尽くされ、金本位制へと繋がった理論だ。
 驚くべきことに、日本は既にイギリス並に進んだ金融理論を持っていると認めざるを得ない。
 未開の国と侮ったのが間違いだ。アメリカなどよりも数段進んでいる。


 しばし瞑目していたオールコックは、カッと目を開くと水野をまっすぐに見つめた。
「よくわかった。あなた方の主張は真っ当なものであることは認める」
「オールコック!?」
 オールコックに噛みつこうとしたハリスを手で制し、オールコックは水野を見る視線に力を籠めた。

「しかし、ここまで鮮やかに策を巡らすとは見事だ。事前に連絡もなく新しい貨幣を導入するとはな…
そこまで見通しているのならば、これはなのであろうな?」

 一瞬意味が分からずに水野が黙り込んだ。
 オールコックがさらに続ける。

「今でも日本国内に一分銀は流通している。違うか?」
「確かに、一分銀はまだ流通している」
「であるならば、この『安政二朱銀』は、ドルの価値を制限する目的を持っていると判断せざるを得ない。
 制限することを目的に鋳造された硬貨は、正しくは日本の硬貨と考える事は出来ない。そうではないか?
 我らを初手から嵌めるつもりであったのなら、それが露見した時にどういう事になるかも考えてあるのだろうな?」

 水野の顔が苦し気に歪んだ。

 ―――見破られたか…

 水野の策は、安政二朱銀を貿易通貨として鋳造するというものだった。
 通貨の価値は極印によって決まる。であるならば、極印を二朱にすればそれは日本では二朱の価値しか持たない。
 そして、条約は『同種同量』だ。
 一ドルを三分と引き換えるとは明記されていない。そこを突いた水野の策だった。


 アメリカドルは品位86.5%だったが、主にアジア貿易で使われるメキシコドルの品位は90%が平均となっていた。
 幕府は公称86.5% 実品位90%という洋銀の銀量を完全に理解していた。だからこそ、改鋳費の6%を譲歩した。
 安政二朱銀の品位は84.7%だ。つまり、同じ重量で交換するだけで幕府は5.3%の銀を自動的に手に入れられる。

 改鋳費を譲歩する事と引き換えに外国人の国内移動を制限し、かつその改鋳費さえも自動的に回収しようという妙手だった。
 相手がハリスだけであればこの試みは成功しただろう。嵌められた事にすら気付かずに得意げに本国に帰っていたかもしれない。

 しかし、イギリスのオールコックにはその策を正確に見通された。
『信用によって名目価値を付与する』という事を理解している証拠だ。
 バレてしまえば、あとは軍事力の差に泣く事になる。


「……一両日お待ち願いたい。大老様とご相談申し上げる」

 頭を垂れた水野に言えたのは、それだけだった。


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