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三代 利助の章
第37話 三井高利(3)
しおりを挟む1669年(寛文9年) 冬 近江国蒲生郡八幡町
「お代官様。一体此度は何用で参られたのでございましょうか?」
時の八幡町の総年寄である二代目伴伝兵衛は幕府代官所から呼び出されていた
呼び出したのは京の二条代官所の代官・長谷川九兵衛だった
「うむ。御朱印改めである。
此度武佐宿での伝馬役の負担増加に鑑み、現状に加えて周辺の村・町に新たに助郷役を課すことと相成った。
ついては、その方ら八幡町には権現様の楽市とかいう諸役免除を認めた御朱印状があると聞く。
真であれば権現様の取り決められたこと故、そこに諸役たる助郷役を課すことになっては一大事である。
よって、その方らの言う権現様の御朱印状を改めるよう、ご公儀道中奉行様からのお達しにより参ったのだ」
道中奉行は街道整備と取り締まりを任とする幕府の奉行役で、助郷役の選定なども道中奉行の役目とされた
「その儀ならば、御朱印状の開示は出来ませぬ」
伝兵衛は事も無げに切り返した
九兵衛は苛立ちを顔に滲ませてさらに迫る
「何故じゃ。余人にあらず、上様から委託された道中奉行様のお達しなのだ。畏まって応じるのが筋であろう」
「畏れながら、権現様は神君と成られたお方にございまする。
神である権現様手ずからお書きになり下された御朱印状なれば、これは我らのみならずご公儀にとってもご神体の如き貴きもの。
上様ご本人様が披見されると言うならともかく、お奉行様と言えどもこれを開示するわけには参りませぬ」
「うぬぬぬぬぬ…」
九兵衛は怒りに顔を真っ赤にしたが、しかし伝兵衛の言葉に対する反論が見つからなかった
「御朱印状そのものは我ら八幡町一同、ご神体同様に大切に扱っておりまする。それ故、その内容は町の入り口の高札に書き写したものが初代総年寄の西村嘉右衛門殿より代々伝わっており申す。
その高札をご覧いただければ、下された御朱印状の中身はしっかりと確認頂けるはず…
違いますかな?」
「くっ… では何としても開示はできぬというわけか」
「もし仮に開示し、御朱印状に傷でも残さば、私のみならずお代官様にも腹切って頂かねばならぬ事態となり申す。
それでもようございまするか?」
「……相わかった。御朱印状の件は高札を持ってそれに代わることとする」
退出した後、伝兵衛は大きく息を吐いた
―――開示などすれば江戸に持ち下り、そのまま焼き捨てられてしまう
我らの父祖が権現様より賜った御朱印状は我ら八幡町の財産だ。ご公儀役人などに引き渡すわけにはいかん
これが伝兵衛の本音だった
実際、助郷役を八幡町に課したい公儀にとっては家康の保証した諸役免除は邪魔になる
御朱印状がその根拠となるならば、御朱印状を破り捨ててしまえと考えることは大いにあり得た
一見、伝兵衛の態度は周辺郷方が苦しんでいるのに自分たちだけ助かろうという卑怯な態度に見える
しかし、八幡町は助郷がない代わりに朝鮮通信使や将軍上洛の接待などを単独で仰せ付けられている
この接待役の負担は十年に一度程度とはいえ、その為に助郷二十年分以上の負担を引き受けていた
八幡町ではそのために各商家が共同で積み立てを行っているほどだった
―――助郷助郷と騒ぐのならば、朝鮮からの御使者やご上洛も助郷役に加えてもらわねば公平とは言えぬ
しかし、人は自分が負担している役目を誰かが負担していないということに不公平感を感じる生き物だ
見えない所でその誰かはそれ以上の負担をしているということにはなかなか考えが至らない
武佐宿の助郷負担を引き受ける各郷にとっては、『八幡町が特権を楯に助郷役を回避している』と憤りをぶつける対象になっていった
1671年(寛文11年) 夏 伊勢国飯高郡松坂 越後屋
伊勢に戻って越後屋の経営を飛躍させた高利は、生まれた子供が十歳になると次々と江戸の釘抜越後屋で奉公させた
すでに六人の男子に恵まれ、全員が奉公に出ていた
最終的に高利は実に十一男五女・合わせて十六人の子宝に恵まれる
その精力恐るべしとしか言いようがない
また、伊勢の貸金業も順調で、三年前の寛文八年(1668年)には九か村に対して合計で二千百八十七両が貸し付けられ、延宝二年(1674年)までに三千二百八十七両三分と銀百匁五分が回収されている
六年後におよそ1.5倍になって回収されたことになる
つまり、それだけ返済できるほどに農村の生産力が上がり、村が豊かになったということだ
しかし、高利はただ座して金が返されるのを待っていただけではなかった
母親の殊法に倣い、貸し付けている各村を丹念に回って生活ぶりを確認した
稲の生育が不十分で年貢米が一時的に不足する年もあった
本来ならば領主の検見によってそういった時期には年貢を軽減してやるべきなのだが、慶長以来の豪奢に慣れた武士にとってこの頃顕著になりつつあったデフレはその懐を直撃した
デフレは貨幣価値が上昇し、物価が下落する状態のことだ
そのため、デフレ経済は米価の下落となって武士の現金収入を減らすことになる
必然、百姓が『死なぬ』ならば年貢収入を減らすことは極力避けられた
それでなくとも、参勤交代に費用を掛けるなという度重なる幕府の勧告にも関わらず、諸大名は参勤と江戸滞在中の交際費つまりは『お付き合い』の為の費用を湯水のごとく使う傾向にあった
江戸藩邸の維持費・江戸滞在費と参勤時の移動費を含む『参勤交代を実施する為の費用』は藩の収入の実に50%から多い藩では75%にも上ったという
まさに盛大な無駄遣いだ
一方農村では年貢米が一時的に不足すれば足りない分は借金をして納めることになる
一般的な金貸しはこの貸付を敬遠し、滞納税によって首が回らなくなった農民は結局富農である名主・庄屋から金を借りることになる
太閤検地以来土地には所有者が設定されていたが、それでも講によって作り上げられた『村の土地は村のもの』という観念は未だ根強く残っている
つまり、土地を質入れはしても資金難で最終的に返済が行き詰まると『よそ者』への質流れを回避するために名主・庄屋といった土地の有力者がケツを持つのが一般的だった
このため、農村部においても実質的に土地(産物を生む資本)を多く所有する富農層と実質的に土地を持たぬ水呑百姓と呼ばれる貧農層との格差が出来上がる
言い換えれば、都市部だけでなく農村部においても資本の集中と貧富の格差が現れるようになっていた
『産業資本の集中と労働者たる小作農の出現』
産業革命前夜のイギリスと同じような光景が17世紀の日本においても各地で展開され始めたのだった
高利はそれが乱れた生活による放漫経営の結果による貧困でないならば、逆に短期資金を積極的に貸付け、農民自身による立ち直りを促した
その結果、運転資金を借り入れたことによって裏作などの対策を講じる余裕が生まれ、貸金は問題なく回収される
また、不作の原因となった灌漑設備の整備や稲の品種改良などにも取り組むことでより豊作の確率を増やし、その為の設備投資分も越後屋から借り入れるという好循環を生む
金貸しとしての越後屋の名は次第に高まり、今では下級武士なども借りに来る始末だった
そんな時に藩主紀州公の御用人を名乗る武士の来訪が告げられた
―――とうとう来たか…
高利は暗澹たる心持で客間へ向かった
用件など聞くまでもなくわかっていた
「このようなむさ苦しい所へおいでいただき恐悦至極にございます。お呼びいただければこちらから伺いましたものを…」
「いや、此度は願いの儀があってのこと故、呼び出す類のものではござらんのでな」
「…」
内心苦々しく思ったが、それはおくびにも出さずに用件を促した
「して、御用の向きはどういったことで?」
「実はな、紀州公の御用のため二千八百両ほど貸してもらいたい。期間は五年、利払は年七分にて行う」
―――やはりか…
高利は資金使途までは聞かなかった。聞いてもはぐらかされるのはわかっていた
どうせ参勤費用に消えるのだろう
武士への貸付に高利は消極的だった
武士は商人を何も生まぬというが、高利に言わせれば武士こそ何も生まず金を使うだけの存在だ
農民ならば米の取れ高を増やすことによって収入が増えれば、金利も含めて返済は問題なく回る
しかし収入がある程度限定されている武士にとっては金利は純粋に費用負担の増加につながる
本来はそれこそ倹約して今ある金で費えを賄うのが筋なのだが、一度金を使うことを覚えた者はなかなか質素倹約の生活には戻れない
結局、返済のためにさらなる借金を行い、一定の水準を超えた所で踏み倒されるのがオチだった
今までは下級武士の借入なので金額も少なく、一応とはいえ質入れもあったので丸々焦げ付くという事はなく問題にならなかった
しかし、大名貸しは領主の御用金なので担保を取るわけにもいかず、さりとて断ることもできない
可能な限りリクスを分散する必要があった
「二千八百両といえば途方もない大金です。私も金策をせねばなりませんので、数日お待ちいただけませんか?」
「うむ。よろしく頼む。なにしろ火急の用件であるのでな…」
高利はすぐさま伊勢の各商家や寺院などの金主を回り、紀州公御用金の出資を募った
藩財政の逼迫が表沙汰になる前なので、信用力の高い優良借主と勘違いした金主は次々と出資を申し出た
二千八百両なら越後屋単体でも貸すことは出来た
だが、複数の金主による協調融資の形を取ることで借主である藩主側に精神的プレッシャーを与える為に高利は積極的に共同出資つまり『わけ借し』を活用した
二日後、御用人の泊まる宿に高利は出資者名簿と出資金額の一覧を持って参上した
「お待たせ致しました。御用金の明細と出資に関わった者の名簿にございます」
側用人は名簿を見て若干顔色を青くした
―――これだけの人間が関わっているとなると、容易に未済や繰延は出来んか…
藩のご重役にも念押ししておかなければ…
この借入金は約束通り五年後に完済された
しかし、この借入の翌年には千両 翌々年には二百七十両 さらに完済直前の延宝四年(1676年)一月には三千両の追加融資を行っている
なんのことはない。越後屋から借りたカネで越後屋に返済しているだけのことだ。
そして越後屋には額面としての貸付資産だけが増えていく
寛文十年(1670年)から延宝元年(1673年)までに大名貸しは実に一万一千両余りの貸付残高を積み上げる
確かに受取利息分は帳簿上は自己資本に積み増されるのだが、そもそも元金はおろか利息の支払原資すらも新規の貸付金から捻出されるのだから、実体として越後屋の蔵からはカネが目減りしていく
そして返済の目途が付かなくなれば
「諸般の事情により返済が難しくなった。ついては返済を猶予してもらいたい」
この一言であっさりと条件変更させられてしまう
通常の商いをしていては考えられないほどの資産を蓄積しながらも、常に越後屋の資金繰りは火の車だった
「いささかも費えこれなきように始末せよ」
家中の奉公人には何度もそう言って倹約するのだが、そもそもの原因は商いの不調ではないことぐらいは誰でもわかる
資金調達を担当する手代からは常に悲鳴が上がる
それでも断れないのが大名貸しというものだった
※農村部の土地資本の集中に関して
『田畑永代売買禁止令』はどうなった?という疑惑を持たれるかもしれません
『コラムの轍』でそのへん解説してますので興味ある方はご一読ください
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