近江の轍

藤瀬 慶久

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二代 甚五郎の章

第33話 試行錯誤

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 1652年(承応元年) 冬  蝦夷国和人地江差



 二年前の慶安三年に念願である松前城下に『住吉屋』を開いた西川傳右衛門は、和人地の各浜を回り、主に漁民たちから商いのヒントになる話を丹念に聞いて歩いた

「ほう、ではニシンはたも網で掬っても大量にかかるのですか?」
「んだ。食う物がない時はニシンを取って食いつなぐだよ。夷人地でも同じようにしていると思うんだけんど」
「たも網でなく、刺し網(都度投げる網)で大きく獲ることはできますか?
 もしよければ、私がニシンを買い上げたいと思いまして…」

「ニシンを…?しかし、そんなに美味いものでもないし、鮭ほど良い値がつくとも思えんが…」
「かまいません。『沢山獲れる』ことに意味があるのです」
「そういうもんか… まあ、それならニシンを獲ったら干してアンタに譲るようにしよう」
「よろしくお願いします」


 傳右衛門は一つ秘策があった
 山形屋初代仁右衛門が持ち込んだ干鰯は湖東地域で農業に活用されていたが、イワシが金に変わると認識した漁師の乱獲や飢饉による食糧難で値が上がり、今では『金肥』と呼ばれて商売の種の一つになっていた
 また、農業の広がりによって肥料は慢性的に不足しがちになり、全国的な需要が発生すると傳右衛門は見込んでいた

 イワシが高騰するなら、ニシンはどうか
 同じ魚だから肥料に使えるのではないか



「干したニシンを北前船に乗せたい?」
「ええ、恵比須屋さんの船に間借りして近江に送りたいんですよ。もちろん、船賃はお支払いいたしますので」
「それは…もちろん結構ですが、ニシンなど売り物になるのですかな?」
「売り物にのですよ。我に秘策ありです」
 恵比須屋初代弥三右衛門は奇妙に思ったが、目の前の二十六歳の若者は大胆不敵にも笑っていた

 ―――未来に燃える若者の眼差しほど眩しい物はないな

 五十八歳になる初代弥三右衛門は、傳右衛門の願いを入れて息子の回している船の一部を住吉屋に提供するように話した
 この時を境にして、今まで鮭・アワビ・昆布・ラッコや熊の毛皮・鷹などが主な交易品だった蝦夷にニシンという最大の交易品が誕生した
 しかしながら、ニシンが本格的に蝦夷の名産品となるのは、これからまだ百年も先の事だった



 1653年(承応2年) 春  蝦夷国夷人地シブチャリ



「撤退だ!今すぐに撤退の支度をしろ!」
 シャクシャインは陣中で声を張り上げていた
 オニビシとの戦いは始め不意を衝いたメナシクル(東蝦夷)方が優勢だったが、シュムクル(西蝦夷)方が本格的に反撃に出ると、メナシクルの大将カモクタインが討ち取られ、副将であるシャクシャインも手傷を負うような敗勢に立たされた

「シャクシャイン!ここを逃げればシブチャリ川は奴らの物になるぞ!意地でも踏みとどまらねば我らはどのみち死ぬ!」
「しかし―――」
「指揮を執れ!お前が呼号して始めた戦いだ!自分の責任を果たすのだ!」
 シャクシャインは配下の諸将に押し止められ、防陣の中でジリ貧となる戦いに焦れていた

 ―――使者はどうなった!?

 シャクシャインはただその一手に全てを賭けて、必死に防戦を展開していた





 ―――シュムクル陣 オニビシ本陣―――

「あと半年もせぬうちにメナシクルは食糧が尽きて撤退するだろう。シブチャリ川の鮭は我らの物だ」
 オニビシが不敵に笑いながら配下と語り合ってた

「カモクタインに続いてシャクシャインを討ち取れば、メナシクルに我らに反抗できる戦力は残らぬ。
 今こそ一息にメナシクルを制圧するときだ!」

「オニビシ様!マツマエから使者が来られております!」
 配下の一人がオニビシ本陣へ駆け込んで来た





「これはブンシロウ殿。一体どうなされたので?」
 オニビシが金堀商人の文四郎に対し、下手に出てもてなす
 松前藩からの正式な使者だったからだ

「オニビシ殿、志摩守様は此度のシュムクルとメナシクルの戦いを憂慮されておられます。
 これ以上争っては双方に甚大な人死にが出る。これ以上の戦は不要と思し召し、和睦を仲介するべく某を遣わされたのです」
「和睦… 今更そんなことを言われても…
 現にシャクシャインを間もなく討ち取れます。奴さえ討てばこの戦も終わりになります」

「しかし、シャクシャインの仇討を標榜する者が現れぬとも言えんのではないでしょうか?
 それに、志摩守様の命に従えぬとなれば、今度は志摩守様がオニビシ殿を討伐に向かわれる事にもなりかねぬ。
 ここは仲介に従い、メナシクルと和睦されるのが上策でござろう」

 オニビシは唇を強く噛んだ
 聞こえのいいことを言っているが、シャクシャインから依頼されたのは明白だったからだ

 松前藩としても、オニビシがこれ以上の大族になるのは避けたいという政治的な判断もあって仲裁をすることにしたのだった


 ―――おのれシャクシャイン!自ら始めた戦をマツマエ殿の力を借りて収めるなど、アイヌの風上にも置けぬやつめ


 心の中で罵ってみても、現実に松前藩と敵対することはできない
 オニビシは不承不承シャクシャインとの和睦を受け入れた



 1655年(明暦元年) 夏  武蔵国豊島郡江戸城



 江戸城の一室で老中が集まって将軍家綱を前に評定を行っていた

 松平信綱が口火を切る
「ご承知のように、現在の糸割符は春先に生糸の価格を決め、その価格に従って一年間の取引を行うように定めております。
 これらの生糸を買付けできるのは糸割符仲間のみということにして、価格と流通を統制しておるわけですが、今般茶屋から申し立てがあり、この糸割符制を見直すべきではないかと愚考する次第です」

「伊豆よ。一体何故に見直すのだ?」
 家綱が下問する
「はっ!されば、春先に生糸の価格を決めるという点をついて、唐の商人は春先にはわずかの生糸を持ち込んで価格を吊り上げ、値が上がったことを見計らって夏以降に大量に持ち込む小細工をしておるとの由。
 このままでは徒に生糸の値を吊り上げるのみにございまする

 つきましては、内地の需要を見越して商人達が自発的に値を決める自由商業を行ってはいかがかと愚考いたしまする」

 座がざわつく
 家康以来の糸割符制を変えるのは、今の幕閣にとっては恐れ多い事という意識があった
「しかし、糸割符はそもそも生糸の価格を安定させるために始まったものにござる。再び自由な商いに任せては、こちらが高値で買わされることに拍車をかけるのではないですかな?」
 阿部忠秋が反論する

「今は権現様の頃とは違い、絹呉服の値はある程度の相場が出来つつありまする。商人は利に聡い者達でござれば、相場の値以上に高値で買うことはございますまい。唐の商人も、買い手がつかなければ自然と値を下げましょう
 まして、近頃は石見の大森銀山の銀の産出量も年々減少し始めておりますれば、無益な銀の流出を押し止めるためにも商人共の嗅覚を利用すべきではないかと…」

 一座に沈黙が訪れた
 正直、老中と言えども銀の流出どうこうといった話はピンと来ない
 商人についても、何も生まず何も作らず利を得る者という認識しかなかった

 信綱は真面目一徹の政治家で、暇さえあれば人を屋敷に呼んで政治問答をしていたというほどの学識人であったため、いわゆる経済政策についても一定の理解を持っていた


「このまま高値で生糸を買わされ続けては、呉服御用を務める者共の売値も上がらざるを得ないのは必定。
 ご先代家光公の示された質素倹約の旨にも反しまする
 ここは糸割符を廃止し、商人達の自律的な取引によって値を守るべきかと愚考いたしまする」

 信綱が家綱に向かって静かに頭を下げる


「伊豆守の言う通りにしよう。皆異存はないか?」


 この一言で糸割符制の廃止が決定された
 人口と耕作地の増加は続いていたが、商取引の媒介をする金・銀がこの頃から少しづつその産量を減少させていく
 経済学的に見れば、ぬるま湯のようなインフレ基調 いわゆる適温ゴルディロックス経済が反転し、デフレ基調に移り始めるのがこの明暦~寛文期であった

 しかしながら、現代においてもなお経済基調の変化はその後五~十年ほどを経なければはっきりとは認識できない
 この当時であればなおさらで、知恵伊豆と呼ばれた松平信綱にしても、経済基調を読んでのことではなく、あくまで商人達の献策を容れて質素倹約に資する値下げ策を進言したに過ぎなかった



 こうして、一つの物価統制が見直され、再び自由商業政策に転換された
 商業とは統制と自由化の狭間でかくも揺れやすい性質を持つものだった

 座商人による物流統制のなかで一部の自由化を図った楽市は、織田信長の手で自由商業の旗印へと変貌した
 戦乱の終息を迎え、政治の安定と発展を図るために再び統制経済へと戻ったが、制度の不具合を修正する形で再び長崎・松前にて商業の自由化の波が訪れる

 まるで終わりのないシーソーゲームのように、江戸期に本格化した『貨幣経済』という米に代わる新たな国家の血液との付き合い方は試行錯誤の壮大な実験を繰り返していく
 そしてそれは現代の日本に大きな遺産を残すことになるのだった



 1657年(明暦3年) 冬  近江国蒲生郡八幡町



「義父上!大変です!江戸の日本橋店が火事で焼け落ちたと報せが」
「何!?そんなに大きな火事があったのか!?」
「江戸からの報せでは奉公人にも何名か亡くなった者が出たと…」
 甚五郎は頭を抱えた

「そなたは江戸に赴き、現地で立て直しの指揮を執ってくれんか」
 甚五郎は養子の利助りすけに言った

 子がなかった甚五郎は、山形屋の跡継ぎとして長兄・市左衛門の長男・利助を養子にもらい、仁右衛門の四男嶋屋弥兵衛の娘のと娶せていた

 利助 三十六歳
 かめ 二十三歳

 うらやましい限りではある
 すでに一女も授かり、次は待望の男子をというところだった


 江戸に向かった利助は、あまりの被害に呆然とした
「何から何まで焼けているではないか…」

 明暦の大火と呼ばれる大火事で、江戸の町は灰塵に帰し、江戸城にすらも被害が出ていた
 利助は現在の江戸支配人である長兵衛と会い、現状を確認した


「帳簿類はある程度は持って逃げましたが、いくつかは燃えて無くなってしまいました。
 売り掛けの帳簿も燃えてしまい、集金に支障をきたす事にもなりかねません。
 本当に申し訳ありません」
 涙ながらに謝罪する長兵衛を前に、利助はそれ以上責めることはできなかった

「いや、命があっただけよかった。店や売り上げはまた一から作れば良いんです。気に病む必要はないですよ」
「しかし、若旦那…」
「ゑびす講の皆さんとも協力しあって、一刻も早く立ち直っていきましょう」
 ゑびす講とは、八幡商人の蚊帳仲間が江戸で作った組合だった
 実質的には後年の蚊帳株仲間の前身となる

 ゑびす講の仲間には山形屋・扇屋・大文字屋・嶋屋などの各分家十五名が名を連ねていた
 嶋屋は山形屋初代仁右衛門の四男弥兵衛が起こした商家で、山形屋の分家筋に当たる


 ―――帳簿か…いい機会だから帳簿の仕組みをもう少し考えてみようか

 涙に暮れる長兵衛をよそに、利助はぼんやりと新しい挑戦の形を考え始めていた
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