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二代 甚五郎の章
第30話 寛永大飢饉
しおりを挟む1640年(寛永17年) 夏 蝦夷国夷人地イシカリ(現石狩市周辺)
『恵比須屋』二代目 岡田弥三右衛門はイシカリのアイヌ酋長ハウカセの元を訪れていた
このころ、八戸から松前に進出した初代弥三右衛門は隠居し、恵比須屋の経営は息子の二代目弥三右衛門に譲っていた
「おお、ヤザエモン殿。今年も干鮭と塩引き鮭を用意しておりますぞ」
「ハウカセ殿。いつも律儀に済まぬな。こちらも米を五十石ほど運んできました。
イシカリの海岸に船を停泊させているので配下の方々の手伝いをお頼み申す」
「うむ。…しかし、一俵(二斗)で干鮭五束(百本)というのは、やはり苦しいなぁ
以前のマツマエに出向いていた時は干鮭五束なら二俵近くには変えられたのだが…」
「済まぬな。今は我らが出向く故、どうしても船賃がかさんでしまう。以前のように出来れば良いのだが…」
弥三右衛門の顔が曇る
お上の決定とはいえ、アイヌにとっては不利な取引を強いられることになる
船賃もだが、知行主である松前藩士に対する上納分が主な経費だったからだ
固定額ではなく交易額に応じて払わねばならないので、どうしても交換比率を下げざるを得なかった
「いや、ウエサマが決めたことなのだろう?ヤザエモン殿のせいではない。ちと愚痴っただけよ」
「……その代わりと言ってはなんだが、今回は太物の反物を多めに持ってきた。それと、これはハウカセ殿に献上品だ」
「ほう!これは何かな?」
「衾という、繰綿を詰めた呉服だ。眠る時に着ると暖かいぞ」
「ほぉ…これはよい。ありがとう、ヤザエモン殿」
後金とも交易を行うアイヌ大族の酋長であるハウカセにとっては、取るに足りない献上品のはずだった
だが、衾一つで素朴に喜んでくれるハウカセを見ると弥三右衛門は心が痛んだ
アイヌにとっては生きにくい世の中になってしまった
(なんとか米を安く調達して、出来るだけ多くの米や味噌と交換できるように始末せねばなぁ)
突然、地を揺るがすような地響きが起きた
「何事だ!?地震か!?」
「ヤザエモン!山が燃えている!マツマエの方角だぞ!」
「何!?」
弥三右衛門の目にも山を越えた対岸の蝦夷駒ケ岳のあたりから煙がもうもうと上がっているのが見えた
少し遅れて辺りにはパラパラと砂粒のようなものが大量に降り注いだ
「神が怒っているのか…」
ハウカセが呆然と立ち尽くしたまま山の方を見ていた
「ハウカセ!ここも危ない!地響きが収まるまで隠れるぞ!」
我に返ったハウカセが配下のアイヌを指揮して内陸へ避難する
山の怒りがこちらに届く前に逃げなければ…
弥三右衛門も、しばらく生きた心地がしなかった
―――三日後―――
「蝦夷駒ケ岳が火を噴いたとの報告があります!山が崩れて海に流れ込み、引き起こされた津波によって死者・行方知れず多数… 被害は見当もつきませぬ!」
松前藩主松前公広は報告を聞いて頭を抱えた
一体どれだけの被害がアイヌに出たのか想像もつかない
また、藩士の依頼を受けて交易に出かけた商人達の安否もほとんどわからない状況だった
「ともかく、被害状況の確認を急げ!それと砂金開発で取れた砂金を全て放出して米と衣類を買い求めよ!
場合によっては藩士にもアイヌにも米を提供せねばならん!」
1640年(寛永17年) 秋 羽前国最上郡小国郷
「積めるだけの米を積め!松前の恵比須屋に届けるのだ!紅花は蔵に置いて今は米を積むんだ!」
『最上屋』西谷善太郎は持ち船を前に声を張り上げていた
普段は最上の紅花を上方へ届ける荷船だが、今回は松前へ米を送る船便に仕立てた
二月前の蝦夷駒ケ岳の噴火による降灰で東北各地の米作は壊滅的な被害を受けていた
このままでは、米価が暴騰するのは必然だった
最も被災地に近い松前の兄貴分である先代弥三右衛門に向けて、今確保できるだけの米を送らないと、冬になればアイヌを含めて餓死者が大量に出る
それだけは避けたかった
「旦那様!能登の近江屋市左衛門様から臨時の船便です!文が添えられておりました!」
「何!?市左衛門殿から!?見せろ!」
善太郎は文をひったくるように受け取った
慌てれば慌てるほど中々開かない文にもどかしい思いをしながら、ようやく開くと短く一文が認められていた
『米百石取り急ぎ買い集め送り申し候
米価は現在の市価にて譲り渡し申し候』
「市左衛門殿!かたじけない!」
善太郎は文を押し戴くようにして額に付けた
「能登からの米も松前に回せ!蝦夷が餓死者であふれかえる前に届けるのだ!急げ!」
1641年(寛永18年) 秋 摂津国東成郡大坂
「今年は西国の物成も壊滅的ですか…」
「ええ、手前どもも一旦酒造を止め、米を使わぬようにしております」
『大文字屋』西川利右衛門は鴻池新六を訪ねていた
昨年の駒ケ岳の噴火に伴う東北地方の凶作に加えて、今年は近畿各地では初夏に干ばつが起こったのに加えて、この秋には大雨にやられ、稲穂はその実りを失っていた
さらに悪いことに、九州方面では昨年から牛疫の被害で農業生産力が落ち込み、飢饉は全国的な広がりを見せていた
八幡町周辺でも飢民が発生し、利右衛門は西国からの米が集まる大坂で食料を調達するために動いていた
「奥羽や北陸ではもっとひどい有様のようで、江戸でも雑穀類ですら出回る量が極端に減っております。
今日ノ本のどこに行っても米はおろか雑穀も不足しておりましょう」
「大坂はいかがです?」
「大坂にも次々に飢民が流入しております。申し訳なき事ですが、他国へ回している余裕はこちらにもないのです」
利右衛門はうつむいて顔を覆った
今年は各商家が蓄えていた緊急資金を使って、八幡町では餓死者が出ないように食料を確保していたが、来年も凶作が続くといよいよ覚悟しなければならない
神に祈る事しかできなかった
「しかし、さすがは大文字屋さんですな。商売の勘所が良い。
今のうちに米を蓄えて高値で売り捌こうという算段ですかな?」
「そんな…今はそんな場合ではないでしょう!」
利右衛門は思わず怒鳴っていた
今は非常事態なのだ。それを利を得るために利用しようなどとはカケラも考えていなかった
「お気を悪くされたのなら、申し訳ない。しかし、そのような無道な振る舞いに出る者も大坂には出始めておりましてな」
「少なくとも、私の知っている先輩方はこのような時だからこそ、日ごろ蓄えた利を全て吐き出してでも人々を救おうとされております。
私もそれを見習いたいと思う者の一人です」
しばらく黙考していた新六はおもむろに目を開いた
「良き商人ですな。あなた方は。
よろしいでしょう。五十石ばかり都合しましょう」
「!!!」
「私も、日ごろ利を得るのは人々の暮らしを豊かにするためと念じてのことです。
このような時だからこそ、我々も力を合わせて臨まねばなりません。
貴方を試すような事を言った心ばかりのお詫びの印です」
―――世の中にはこのような商人も居るのだ
利右衛門は涙が止まらなかった
士農工商の身分制度が定まり、何も作らず利を得る商は卑しいものと蔑まれていた
それでも、これだけ筋の通った者達が居る。民の暮らしを憂う者達が居る
商人という身分が誇らしく感じた
1642年(寛永19年) 夏 伊勢国飯高郡松坂
「今年は金利も据え置くよ。返済はいいから、ともかくも生きるための米を残しなさい」
春改め三井殊法は、贔屓の借入客を丹念に回って生活の倹約を徹底させていた
一昨年から続く飢饉の影響で、松坂周辺でも餓死者が出始め、口減らしのために身売りをする者も出ている
それを狙って多くの女衒が村々を訪ね歩き、末法の世の様相を呈していた
「いよいよとなっても、来年の種籾だけは食べちゃいけないよ。
来年こそはきっと米が実る。そう信じて種をまき続けるんだ。いいね」
「でも、もう本当に食べるものが…」
「いよいよとなったら、越後屋へ来るんだ。沢山とはいかないけれど、命を繋ぐ分は分けてあげられる。
今は苦しくても、明日はきっとよくなると信じて生き抜くんだよ」
「はい…」
殊法も弱っていたが、それ以上に百姓を死なせては国が亡びると思い抜いていた
越後屋でも酒造や味噌作りを全て止め、穀物を蔵に残していた
本当の事を言えば、まだ少し余裕はある
だが、来年は米が実るという保証はどこにもない
今は少しでも倹約して食いつながねばならない時だった
「母上、紀州公がお救い小屋を設置されるそうです!
上様直々に、全国の諸大名に領民を餓死させぬように万全を尽くすようお触れがまわされているとのこと!
諸大名は全て江戸から領国に戻り、領民の生活を維持するために全力を尽くせと」
越後屋の店に戻ると、飢饉の前年に江戸から戻って来た三男重俊が興奮したように高札の内容を話していた
「ようやくかい。まったく武士なんて偉そうにふんぞり返ってないで、こんな時こそいの一番に動かなきゃ駄目だろうに」
「母上!お口が過ぎますぞ!」
自分の店なのに、妙に辺りを気にしながら小声で諫める重俊が妙に可笑しかった
「でもま、領主様が本腰入れて動くとなれば、私らが繋いできた事も無駄にはならなかったかね」
殊法はほっと安堵の息を吐いた
この寛永十九年が寛永飢饉の最大の難所だった
蝦夷駒ケ岳の噴火に端を発した東北地方の凶作から二年
ようやく幕府が飢民対策に乗り出した瞬間だった
この年の冬に餓死者の数が最大になるが、翌寛永二十年以降は飢饉も終息を迎える
この寛永飢饉の対策が、後の幕府の飢饉対策の基本方針となる
また、それまで手伝い普請などによって諸大名の力を削ぐ武断主義、つまり戦争を念頭に置いた政治方針を取っていた幕府は、この寛永飢饉と前後した島原の乱や慶安の変などの事件を契機に農政と百姓の撫育に重点を置く文治主義、つまり民を死なせない政治方針へと舵を切り、参勤交代も倹約して費用を掛けすぎないように諸大名に注意を促すようになる
質素倹約と農政重視という徳川政権の基本的な姿勢が確定したのだった
1643年(寛永20年) 夏 近江国蒲生郡八幡町 山形屋
「今年は蚊帳を売れなんだの」
御年九十四歳になる仁右衛門は、身を横たえながら甚五郎と語り合っていた
「やむを得ません。蚊帳よりも今は食う物を作らねばなりませんからな」
「うむ、それでよい。八幡町は良い町になってくれた。
皆が困ったときは一致団結して対策に当たる。死んだ者には申し訳ないが、武士が右往左往している時に、商人の力で少しでも餓死者を減らせたというのは喜ばしいことだ」
仁右衛門が静かに笑う
甚五郎は苦笑したが、なんとか難局を乗り切ることができそうで安堵した
寛永飢饉の対策ではたばこの作付けや酒造の禁止など、生きるために必要のない物の生産は一時的に制限された
麻の栽培は禁止されてはいなかったが、山形屋では近郷の百姓に麻の栽培を一旦中止し、粟や稗などの雑穀をその分の作付けに回すように指示していた
もちろんそれによって被った損害は馬鹿にならず、民間のお救いによる蔵の開放と合わせると山形屋の蔵はほとんど空に近い状況だった
「皆の生活が安定すれば、また蚊帳商いを再開できましょう。
それまでは、始末に始末を重ねていかなければなりませんな」
「なに、我ら商人は買う者が居てこその商人よ。人が死ねば、我らも死なねばならぬようになる。
誰よりも商人こそが、民の暮らしの安寧を願わねばならぬのだ。
忘れるなよ、甚五郎」
「…遺言にはちと早すぎますぞ。父上」
「カッカッカ。お主に遺す言葉など必要あるまい」
「まったく…」
甚五郎は再び苦笑した
二年後の正保二年 初代仁右衛門はこの世を去った
享年九十六歳という長命だった
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