12 / 15
神隠シニ非ズ
アッタソンの忠告
しおりを挟む
ユニット国商業地区であるのテトラ大通り外れに、雑木林に囲まれた屋敷が存在した。商店街から距離のある場所は、森林地区を通る行者しかいない。森と見間違うほどの雑木林と屋敷を囲う柵のツタのせいで、建物が埋もれてしまっている。遊び半分で敷地に入った子供や若者が、森に迷った挙句にたどり着くのがその屋敷である。たどり着くと屋敷の門はひとりでに開き、誰かに手を引かれるように屋敷の中に入ってしまう。
屋敷では執事と顔色の悪い主人の科学者が出迎えてくれる。執事は優しげな笑みと共に温かいお茶を出してくれる。科学者の主人は目の下に酷いクマがあるものの、ぶっきらぼうな物言いで自分の研究について話す。話がわからなくても、面倒見が良いので逐一説明を入れてくれる。それなりに面白い話と美味しいお菓子で、楽しい時間を過ごすことができるだろう。だけれども決して長居することなかれ・・・
彼らは夕方には、その恐ろしい本性を見せてしまう。たくさんの死体を壁一面に並べて飾り、攫ってきた子供の鳴き声が屋敷中に響き渡る。見てしまったら最後、君たちもコレクションの一部になってしまうだろう。
だって彼らは人喰いの悪魔たちなのだから・・・
そんな怪談話が街中の子供達や、世間話の好きな女性たちに会話の花を咲かせていた。屋台が立ち並ぶ商業地区は年がら年中通行人で賑わっている。ここは工業地区や農業地区の生産品が集まってくるので、買い手も多いが、売り手もまた通りを賑わせているのだろう。
ワイワイ・・・
ガヤガヤ・・・
そんな街の雑踏が、道ゆく男の耳にとって、わずらわしくて仕方がない。
季節外れのトレンチコートの襟を目隠しのように立てて、早足で街の外れの屋敷に向かっていた。
その男、アッタソンは憂鬱な気持ちで、怪談話の屋敷「ジキル邸」へ徒歩で向かう。商店街では青空の広がる空も、急に風向きが怪しくなるし、雑木林を抜けた頃には、屋敷の門の上には、分厚い真っ黒な雲が見えていた。
まるでアッタソンの気分を表しているようだ。
「・・・これは、一雨きそうだな」
はぁ、とため息をつき、頭上から垂れ下がっている呼び鈴の紐を揺らした。カランカランと軽い金属音が周囲に響き渡る。これで執事のキョウがやってくるだろうと、待ち構えていた。
「……はぁ」
執事がやってくるまでに、カバンから、紐で括られた書類を取り出す。
今日の目的というのがこの書類だ。自分が親友でもあるジキルの元へ行くのはわかるが、自分がこんなものを渡すのはどうにも気が乗らなかった。彼の性格上、この書類を見た途端眉を顰め、読んだら顔から火が出そうなほど怒り狂うに違いない。
ギイ……
門が開く音が聞こえ、すぐに書類をカバンの中にしまった。門の金属と金属が擦り合う音に、耳を塞ぎたくなるが、我慢した。
「……?」
門が開いたのに、誰も出てこない。それどころか、開き始める前から、人の影どころか気配も全くなかった気がする。
アッタソンに緊張が走る。
半年も前からこの屋敷の主人は人が変わってしまい、気性が荒く、召使に暴力を振るうようになっていたが、それも三ヶ月前に新しい使用人「キョウ」が来てからは問題は何も聞いていない。
だが、彼の状態が、ある意味綱渡りに近い状態だったのも確かだ。
「まさかジキルは……」
クイクイ……
「わっ!?」
怪談話のようになってしまったかと、身構えていたところ、鞄を持っていた手の袖を誰かが引っ張ったのに驚き、つい小さく跳ねてしまった。袖を引っ張った犯人は、キョトンと驚いたアッタソンの方を見つめていた。
「こ、子供!?」
「……」
五、いや七歳くらいの子供だろうか。人形のように硬い表情だが、丸い瞳がアッタソンの影を映している。
アッタソンが驚いて飛び跳ねた拍子に外れてしまったため、子供の手は顔と同じ高さで漂っていた。驚きで固まっていた表情も、だんだん眉が寄り、涙が滲み始めていた。
慌ててアッタソンは膝をついて子供の目線の高さに合わせ、頭を撫でた。
「ああ、すまない、驚いてしまって・・・怪我はないかい?」
子供は慌てるアッタソンを見て、逆に落ち着いたのか、目を伏せてゴシゴシと袖で着ていた上着の袖で顔を拭いた。そして上着の中から平べったいものを取り出した。
それは一枚の折り畳まれた紙だ。子供は畳まれた紙を丁寧に開いてアッタソンに見せた。
『ジキル邸へ ようこそおいでくださいました。
当使用人は会話ができません。ご案内いたしますので、お手数ですが彼に右手をお預けくださいませ。
当執事 キョウ』
丁寧に書かれた文章と、少し歪な筆跡は間違いなくこの屋敷の執事のものだ。両手で開かれた紙の後ろから、おそるおそると少年の顔が出てきた。前髪は長めで少しだけ目にかかっており、両サイドの切り揃えられた髪から一房だけ長い髪が顎の高さまで垂れ下がっている。長めの髪と顔の幼さから推測して、つい女の子かと思っていた。
うっかり「お嬢さん」とか言わなくて良かったと安堵した。
アッタソンは笑顔を取り繕い、紙の指示どおり、少年に向けて右手を差し出した。
「で、では少年、案内頼むよ」
手を差し出すと、少年は頷き、紙を折りたたんでアッタソンの手を取った。冷え症気味のアッタソンにとっては、子供の手の体温のなんと暖かいことか。少年はアッタソンの右手を自分の頭上に両手で抱え、アッタソンの腰を気遣うように歩き始めた。
屋敷の二階、ジキルの執務室にたどり着けたアッタソンと小さな使用人の少年。本来ならば玄関で上着を脱ぎたいところだったが、少年が手を離さず、そのまま二階まできてしまった。執務室の前に着くと、少年はコンコンコンと、三回、リズムよく扉を叩いた。しかし、部屋の奥からの返事はない。少年はもう一度三回ノックした。だがやはり反応はなかった。
困ったように扉に向かって首を傾げる少年だったが、幼子の真面目さに、つい頬が緩んでしまう。もう一度扉を叩こうとする少年に、アッタソンは制した。
「大丈夫だ、・・・ジキル!ヘンリー・ジキル!私だ!アッタソンだ!起きているか?」
「・・・ああ、入れ」
その声が聞こえると、少年は反応して、扉をアッタソンのために開けた。
扉を開け放った先で、中央の窓際に重厚な机を設置して、背を伸ばしてアッタソンを待ち構えている若い青年がいた。少し前までうたた寝でもしていたのだろうか、少しばかり目元が眠たげだが、アッタソンを確認するとすぐに睨みを効かせた。これは警戒でも威圧でもなく、誰に対しても気を許さない『彼』のクセであった。
だが明らかに一ヶ月前とは、顔つきが変わっている。先程の少年のこともそうだが、何か心境の変化でもあったのだろうか。
アッタソンの後ろで少年が部屋の扉を静かに閉める。そしてアッタソンの後ろでお辞儀をしてから、子供らしい足取りでジキルの脇にまで近づいた。ジキルは鬱陶しそうに横目で少年を見ていたが、ハァ、と大きくため息をついた後、少年のいる右側の手を追っ払うようにひらひらとさせた。
「フク、キョウの元へいけ、お客様にお茶を用意しろ」
「……!」
少年は何も言わなかったが、コクン、と首を縦に振ると少し嬉しそうな表情を浮かべる。そのまま扉の方へトトト、と走って行くかと思ったら、途中でアッタソンの前で再び頭を下げてから部屋を出た。
「すまない、アッタソン・・・少し寝こけていたようだ」
「気にしないでくれ、君のところの『可愛らしい使用人』くんに案内してもらったからね。見たまえ、私の右手はほかほかだ」
「『フク』か……アレは君に粗相はしなかったかね?」
「礼儀正しい子じゃないか……教育が行き届いている。君の親戚の子かね?」
「いや、2週間前くらいにキョウが拾ってきた。色々訳あってうちに置いている」
「……あんな幼子を『拾った』って?一体どこで?」
どうやったら幼子を拾うというのか……。しかも使用人すら雇うのも一度アッタソンとの面接を通さないと、雇おうとしないジキルが、いつの間にか自分の判断で、使用人、それも嫌いな子供を雇っている。それだけでもアッタソンにとっては異常事態だった。
「アレ……フクを雇ったのは私じゃない、エドワードだ」
「!? エドワードが……? み、見つけたのか? 本当に?」
半年前に行方不明になったエドワードのことを思い出したのか、変な笑みを浮かべるアッタソン。だが彼は喜びよりも、別の感情を持って首を小さく左右に振る。それをジキルはつまらなさそうに、アッタソンの方を頬杖をついて見ている。
先程とは違い、睨みつけるというより、観察しているようだ。
「その様子……やはり、アッタソン、『知っていた』な?」
「! ジキル……いや……私は……」
言い訳を探しているアッタソンに、ジキルはフッ、と頬を緩ませた。そしてそのまま、クックック……と笑いだす目の前の男に、アッタソンはさらに固まってしまった。本来の『ジキル』なら、てっきり手元のインクびんを投げつけられると思っていたのだ。
「アッタソン、落ち着いてくれ、ちゃんと訳は話す。この後の予定は平気か?」
「構わないよ……それよりもお前は『ジキル』で合っているのか?」
「ああ……お前が『求めている』答えの質問ならば合っている」
ジキルがニヤァと笑みを浮かべたが、その目は笑ってはいない。そのとき、コンコンと部屋の外からノックが聞こえた。
「失礼しまス」と少し発音のおかしい喋り方に、この屋敷の執事だとわかる。ジキルが何も言わなくても、勝手に入ってきた執事のキョウと先程の少年は、両手にトレーに乗ったティーセットを抱えていた。
「ようこそアッタソンさま、聖堂地区からわざわざおいでくださいマシた」
「ああ、キョウの方こそ息災か?」
「はい、おかげさまデ」
全体的に前側に切り揃えられた髪型に、眩しそうに細められた目は人当たりの良い笑みを浮かべていると思う。だがアッタソンよりの長身で、顔も役者のように整っているので、どうにも気安い話し方にはならない。そもそも、このキョウというのは『ジキル』を脅してこの屋敷に住み着いている『悪魔』なのだ。
「フク」
キョウに『フク』と呼ばれた少年はコクン、と頷き、真っ直ぐにトレーに乗った皿をジキルの机に持っていく。そばにたどり着いたとき、フクはジキルの机の脇に皿を置いた。
「……!!」
「……」
置かれた皿の上には四角にくり抜かれた焼き菓子が数枚乗っており、それはアッタソンの前に置かれたものと同じ品だった。フクは期待の眼差しでジキルの方を見ているが、ジキルは横目でそれを確認して、置かれた皿をフクのトレーに戻した。
「……」
予想もしていなかった対応に、ぽかんとするフク。ジキルはフクに見向きもしない。それどころか邪魔だと言わんばかりに、手のひらでしっしっと追い払った。流石のアッタソンも、大人としての対応じゃないだろと文句を言いたかったが、先にジキルがアッタソンを睨みつけて制した。
「……」
フクという少年は、手元の菓子を一つとって顔を俯かせる。
(これは、泣くか?)
先程、アッタソンが驚いただけで涙目になっていた少年だ。こんな適当に扱ってしまったら、傷ついて喚いてしまうのではないだろうか。
「ーーーースゥ……
アッ!!!」
「ッ!!? おい、フ、もごっ!!」
大声で驚かせて注意を向けたフクは、怒鳴りつけようとしたジキルの口の中に手に持っていた焼き菓子を放り込んだ。
「クスクスクス……」
いたずらが成功したフクは、急いでキョウのところへ走り、後ろに隠れた。キョウの足元で顔を覗かせる少年は、思っていたよりも策士らしい。ジキルは口を喰みながら苛立ちをあらわにして、キョウたちに向かって怒鳴った。
「お前たちは下で掃除でもしてろ!」
「ふふふ……わかりましタ。何かございましたらお呼びくだサイ」
キョウが頭を下げて、トレーを持って下がる。フクもキョウを見習ってアッタソンとジキルに頭をそれぞれ下げて、部屋を出た。アッタソンはその様子を見て、クスクスとたまらず笑い出してしまった。その様子にジキルはまた睨んだ。
「ハハハ、すまない。少し気が緩んでしまって……」
「それよりも、アッタソンお前の要件はなんだ?私の生存確認をしにきたわけでないだろう?」
「ああ、そうだ……ジキル、単刀直入に言う
君に少年少女の誘拐事件の重要参考人として令状が届いている」
◼︎
「ふふふ……」
「? どうしたの、キョウさん?」
屋敷の執務室から離れた屋敷の使用人たちは、すぐに下に降りてから台所へお茶を淹れ始める。
この屋敷に住み着いている『ざしきわらし』のフク、『キョンシー使い』のキョウ、そして『キョンシー』の小白。二人はジキルに命じられた掃除に向かわず、真っ先に台所へ来ていた。彼らが何かしらの情報共有するときは、いつだって台所だ。キョウはフクのためにお茶を渡し、フクは渡されたお茶をフーフーと冷まそうとしている。小白はフクのそばに控えており、じっとフクを見つめている。
(すごく居心地が悪い……)
死体なので呼吸音も身じろぎもしない小白に、ただ見られているのは一週間経った今でもフクは慣れない。
そんなことを知ってか知らずか、制作者であるキョウがフク達を見てくすくすと笑っている。
フクは知っている。
キョウの、『教えようか迷っているフリ』の笑顔は大体ろくなことを言わない。
「旦那さまが、今港を騒がせている、誘拐事件の容疑者に目をつけられたそう、デス……フフッ」
「…………え?」
やっぱりと思っていたが、突然の思いがけない内容と共に、バタンと台所に現れたのは人相をさらに悪くさせたジキルだ。
(今度は何……?)
「⚫︎⚫︎⚫︎(おい、キョウ、明日聖堂地区の教会へ行くぞ)」
「⚫︎⚫︎⚫︎、⚫︎⚫︎(かしこまりました、旦那さま)」
後ろに控えていた小白が二人の言葉を訳してくれたようだ。実際に翻訳がこれで合っているのか確かめようがない。だからこそ、フクは自分の耳を疑った。
(教会へ、行くって言った……?)
屋敷では執事と顔色の悪い主人の科学者が出迎えてくれる。執事は優しげな笑みと共に温かいお茶を出してくれる。科学者の主人は目の下に酷いクマがあるものの、ぶっきらぼうな物言いで自分の研究について話す。話がわからなくても、面倒見が良いので逐一説明を入れてくれる。それなりに面白い話と美味しいお菓子で、楽しい時間を過ごすことができるだろう。だけれども決して長居することなかれ・・・
彼らは夕方には、その恐ろしい本性を見せてしまう。たくさんの死体を壁一面に並べて飾り、攫ってきた子供の鳴き声が屋敷中に響き渡る。見てしまったら最後、君たちもコレクションの一部になってしまうだろう。
だって彼らは人喰いの悪魔たちなのだから・・・
そんな怪談話が街中の子供達や、世間話の好きな女性たちに会話の花を咲かせていた。屋台が立ち並ぶ商業地区は年がら年中通行人で賑わっている。ここは工業地区や農業地区の生産品が集まってくるので、買い手も多いが、売り手もまた通りを賑わせているのだろう。
ワイワイ・・・
ガヤガヤ・・・
そんな街の雑踏が、道ゆく男の耳にとって、わずらわしくて仕方がない。
季節外れのトレンチコートの襟を目隠しのように立てて、早足で街の外れの屋敷に向かっていた。
その男、アッタソンは憂鬱な気持ちで、怪談話の屋敷「ジキル邸」へ徒歩で向かう。商店街では青空の広がる空も、急に風向きが怪しくなるし、雑木林を抜けた頃には、屋敷の門の上には、分厚い真っ黒な雲が見えていた。
まるでアッタソンの気分を表しているようだ。
「・・・これは、一雨きそうだな」
はぁ、とため息をつき、頭上から垂れ下がっている呼び鈴の紐を揺らした。カランカランと軽い金属音が周囲に響き渡る。これで執事のキョウがやってくるだろうと、待ち構えていた。
「……はぁ」
執事がやってくるまでに、カバンから、紐で括られた書類を取り出す。
今日の目的というのがこの書類だ。自分が親友でもあるジキルの元へ行くのはわかるが、自分がこんなものを渡すのはどうにも気が乗らなかった。彼の性格上、この書類を見た途端眉を顰め、読んだら顔から火が出そうなほど怒り狂うに違いない。
ギイ……
門が開く音が聞こえ、すぐに書類をカバンの中にしまった。門の金属と金属が擦り合う音に、耳を塞ぎたくなるが、我慢した。
「……?」
門が開いたのに、誰も出てこない。それどころか、開き始める前から、人の影どころか気配も全くなかった気がする。
アッタソンに緊張が走る。
半年も前からこの屋敷の主人は人が変わってしまい、気性が荒く、召使に暴力を振るうようになっていたが、それも三ヶ月前に新しい使用人「キョウ」が来てからは問題は何も聞いていない。
だが、彼の状態が、ある意味綱渡りに近い状態だったのも確かだ。
「まさかジキルは……」
クイクイ……
「わっ!?」
怪談話のようになってしまったかと、身構えていたところ、鞄を持っていた手の袖を誰かが引っ張ったのに驚き、つい小さく跳ねてしまった。袖を引っ張った犯人は、キョトンと驚いたアッタソンの方を見つめていた。
「こ、子供!?」
「……」
五、いや七歳くらいの子供だろうか。人形のように硬い表情だが、丸い瞳がアッタソンの影を映している。
アッタソンが驚いて飛び跳ねた拍子に外れてしまったため、子供の手は顔と同じ高さで漂っていた。驚きで固まっていた表情も、だんだん眉が寄り、涙が滲み始めていた。
慌ててアッタソンは膝をついて子供の目線の高さに合わせ、頭を撫でた。
「ああ、すまない、驚いてしまって・・・怪我はないかい?」
子供は慌てるアッタソンを見て、逆に落ち着いたのか、目を伏せてゴシゴシと袖で着ていた上着の袖で顔を拭いた。そして上着の中から平べったいものを取り出した。
それは一枚の折り畳まれた紙だ。子供は畳まれた紙を丁寧に開いてアッタソンに見せた。
『ジキル邸へ ようこそおいでくださいました。
当使用人は会話ができません。ご案内いたしますので、お手数ですが彼に右手をお預けくださいませ。
当執事 キョウ』
丁寧に書かれた文章と、少し歪な筆跡は間違いなくこの屋敷の執事のものだ。両手で開かれた紙の後ろから、おそるおそると少年の顔が出てきた。前髪は長めで少しだけ目にかかっており、両サイドの切り揃えられた髪から一房だけ長い髪が顎の高さまで垂れ下がっている。長めの髪と顔の幼さから推測して、つい女の子かと思っていた。
うっかり「お嬢さん」とか言わなくて良かったと安堵した。
アッタソンは笑顔を取り繕い、紙の指示どおり、少年に向けて右手を差し出した。
「で、では少年、案内頼むよ」
手を差し出すと、少年は頷き、紙を折りたたんでアッタソンの手を取った。冷え症気味のアッタソンにとっては、子供の手の体温のなんと暖かいことか。少年はアッタソンの右手を自分の頭上に両手で抱え、アッタソンの腰を気遣うように歩き始めた。
屋敷の二階、ジキルの執務室にたどり着けたアッタソンと小さな使用人の少年。本来ならば玄関で上着を脱ぎたいところだったが、少年が手を離さず、そのまま二階まできてしまった。執務室の前に着くと、少年はコンコンコンと、三回、リズムよく扉を叩いた。しかし、部屋の奥からの返事はない。少年はもう一度三回ノックした。だがやはり反応はなかった。
困ったように扉に向かって首を傾げる少年だったが、幼子の真面目さに、つい頬が緩んでしまう。もう一度扉を叩こうとする少年に、アッタソンは制した。
「大丈夫だ、・・・ジキル!ヘンリー・ジキル!私だ!アッタソンだ!起きているか?」
「・・・ああ、入れ」
その声が聞こえると、少年は反応して、扉をアッタソンのために開けた。
扉を開け放った先で、中央の窓際に重厚な机を設置して、背を伸ばしてアッタソンを待ち構えている若い青年がいた。少し前までうたた寝でもしていたのだろうか、少しばかり目元が眠たげだが、アッタソンを確認するとすぐに睨みを効かせた。これは警戒でも威圧でもなく、誰に対しても気を許さない『彼』のクセであった。
だが明らかに一ヶ月前とは、顔つきが変わっている。先程の少年のこともそうだが、何か心境の変化でもあったのだろうか。
アッタソンの後ろで少年が部屋の扉を静かに閉める。そしてアッタソンの後ろでお辞儀をしてから、子供らしい足取りでジキルの脇にまで近づいた。ジキルは鬱陶しそうに横目で少年を見ていたが、ハァ、と大きくため息をついた後、少年のいる右側の手を追っ払うようにひらひらとさせた。
「フク、キョウの元へいけ、お客様にお茶を用意しろ」
「……!」
少年は何も言わなかったが、コクン、と首を縦に振ると少し嬉しそうな表情を浮かべる。そのまま扉の方へトトト、と走って行くかと思ったら、途中でアッタソンの前で再び頭を下げてから部屋を出た。
「すまない、アッタソン・・・少し寝こけていたようだ」
「気にしないでくれ、君のところの『可愛らしい使用人』くんに案内してもらったからね。見たまえ、私の右手はほかほかだ」
「『フク』か……アレは君に粗相はしなかったかね?」
「礼儀正しい子じゃないか……教育が行き届いている。君の親戚の子かね?」
「いや、2週間前くらいにキョウが拾ってきた。色々訳あってうちに置いている」
「……あんな幼子を『拾った』って?一体どこで?」
どうやったら幼子を拾うというのか……。しかも使用人すら雇うのも一度アッタソンとの面接を通さないと、雇おうとしないジキルが、いつの間にか自分の判断で、使用人、それも嫌いな子供を雇っている。それだけでもアッタソンにとっては異常事態だった。
「アレ……フクを雇ったのは私じゃない、エドワードだ」
「!? エドワードが……? み、見つけたのか? 本当に?」
半年前に行方不明になったエドワードのことを思い出したのか、変な笑みを浮かべるアッタソン。だが彼は喜びよりも、別の感情を持って首を小さく左右に振る。それをジキルはつまらなさそうに、アッタソンの方を頬杖をついて見ている。
先程とは違い、睨みつけるというより、観察しているようだ。
「その様子……やはり、アッタソン、『知っていた』な?」
「! ジキル……いや……私は……」
言い訳を探しているアッタソンに、ジキルはフッ、と頬を緩ませた。そしてそのまま、クックック……と笑いだす目の前の男に、アッタソンはさらに固まってしまった。本来の『ジキル』なら、てっきり手元のインクびんを投げつけられると思っていたのだ。
「アッタソン、落ち着いてくれ、ちゃんと訳は話す。この後の予定は平気か?」
「構わないよ……それよりもお前は『ジキル』で合っているのか?」
「ああ……お前が『求めている』答えの質問ならば合っている」
ジキルがニヤァと笑みを浮かべたが、その目は笑ってはいない。そのとき、コンコンと部屋の外からノックが聞こえた。
「失礼しまス」と少し発音のおかしい喋り方に、この屋敷の執事だとわかる。ジキルが何も言わなくても、勝手に入ってきた執事のキョウと先程の少年は、両手にトレーに乗ったティーセットを抱えていた。
「ようこそアッタソンさま、聖堂地区からわざわざおいでくださいマシた」
「ああ、キョウの方こそ息災か?」
「はい、おかげさまデ」
全体的に前側に切り揃えられた髪型に、眩しそうに細められた目は人当たりの良い笑みを浮かべていると思う。だがアッタソンよりの長身で、顔も役者のように整っているので、どうにも気安い話し方にはならない。そもそも、このキョウというのは『ジキル』を脅してこの屋敷に住み着いている『悪魔』なのだ。
「フク」
キョウに『フク』と呼ばれた少年はコクン、と頷き、真っ直ぐにトレーに乗った皿をジキルの机に持っていく。そばにたどり着いたとき、フクはジキルの机の脇に皿を置いた。
「……!!」
「……」
置かれた皿の上には四角にくり抜かれた焼き菓子が数枚乗っており、それはアッタソンの前に置かれたものと同じ品だった。フクは期待の眼差しでジキルの方を見ているが、ジキルは横目でそれを確認して、置かれた皿をフクのトレーに戻した。
「……」
予想もしていなかった対応に、ぽかんとするフク。ジキルはフクに見向きもしない。それどころか邪魔だと言わんばかりに、手のひらでしっしっと追い払った。流石のアッタソンも、大人としての対応じゃないだろと文句を言いたかったが、先にジキルがアッタソンを睨みつけて制した。
「……」
フクという少年は、手元の菓子を一つとって顔を俯かせる。
(これは、泣くか?)
先程、アッタソンが驚いただけで涙目になっていた少年だ。こんな適当に扱ってしまったら、傷ついて喚いてしまうのではないだろうか。
「ーーーースゥ……
アッ!!!」
「ッ!!? おい、フ、もごっ!!」
大声で驚かせて注意を向けたフクは、怒鳴りつけようとしたジキルの口の中に手に持っていた焼き菓子を放り込んだ。
「クスクスクス……」
いたずらが成功したフクは、急いでキョウのところへ走り、後ろに隠れた。キョウの足元で顔を覗かせる少年は、思っていたよりも策士らしい。ジキルは口を喰みながら苛立ちをあらわにして、キョウたちに向かって怒鳴った。
「お前たちは下で掃除でもしてろ!」
「ふふふ……わかりましタ。何かございましたらお呼びくだサイ」
キョウが頭を下げて、トレーを持って下がる。フクもキョウを見習ってアッタソンとジキルに頭をそれぞれ下げて、部屋を出た。アッタソンはその様子を見て、クスクスとたまらず笑い出してしまった。その様子にジキルはまた睨んだ。
「ハハハ、すまない。少し気が緩んでしまって……」
「それよりも、アッタソンお前の要件はなんだ?私の生存確認をしにきたわけでないだろう?」
「ああ、そうだ……ジキル、単刀直入に言う
君に少年少女の誘拐事件の重要参考人として令状が届いている」
◼︎
「ふふふ……」
「? どうしたの、キョウさん?」
屋敷の執務室から離れた屋敷の使用人たちは、すぐに下に降りてから台所へお茶を淹れ始める。
この屋敷に住み着いている『ざしきわらし』のフク、『キョンシー使い』のキョウ、そして『キョンシー』の小白。二人はジキルに命じられた掃除に向かわず、真っ先に台所へ来ていた。彼らが何かしらの情報共有するときは、いつだって台所だ。キョウはフクのためにお茶を渡し、フクは渡されたお茶をフーフーと冷まそうとしている。小白はフクのそばに控えており、じっとフクを見つめている。
(すごく居心地が悪い……)
死体なので呼吸音も身じろぎもしない小白に、ただ見られているのは一週間経った今でもフクは慣れない。
そんなことを知ってか知らずか、制作者であるキョウがフク達を見てくすくすと笑っている。
フクは知っている。
キョウの、『教えようか迷っているフリ』の笑顔は大体ろくなことを言わない。
「旦那さまが、今港を騒がせている、誘拐事件の容疑者に目をつけられたそう、デス……フフッ」
「…………え?」
やっぱりと思っていたが、突然の思いがけない内容と共に、バタンと台所に現れたのは人相をさらに悪くさせたジキルだ。
(今度は何……?)
「⚫︎⚫︎⚫︎(おい、キョウ、明日聖堂地区の教会へ行くぞ)」
「⚫︎⚫︎⚫︎、⚫︎⚫︎(かしこまりました、旦那さま)」
後ろに控えていた小白が二人の言葉を訳してくれたようだ。実際に翻訳がこれで合っているのか確かめようがない。だからこそ、フクは自分の耳を疑った。
(教会へ、行くって言った……?)
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
「十種神宝異聞」~天に叢雲、地上の空華~
大和撫子
ファンタジー
その八つの階層は、神が支配する元、互いの領域を侵さぬように過ごしております。ですが精霊界や人の間や、幽界と妖界など、階層と階層の境界線に存在するものはあちこちに移動して悪戯をする傾向がございました。
よって、各階層では小競り合いなどが起こりがちでございます。特に、全てを手に入れたものはあらゆる願いが叶うと言われております「十種神宝」については、我が手にしようと、人間に限らずあらゆる階層の者達の欲望が蠢いていました。
ここに、自らがこの世とあの世の全てを統べる神になろうと企む人間がおりました。その為にはまず、人柱を捧げて荒ぶる神、妖魔などを鎮めようとします。そう、その為には極上の人柱が必要なのでございました。
これは、生まれながらにして極上の「人柱」として育てられた者が、それに抗って生きた場合……そんなお話にございます。
主人公は旅をする中で、色々な出会いと別れを繰り返し、成長していきます。最初に出会うのは半妖の子供です。果たして仲間となるか? それとも……。そして恋の出会いも待っています。さてさて、彼は宿命を変える事が出来るのでしょうか?
それでは、どうぞお楽しみ下さいませ。
※作中の年齢は数え年を。月日は陰暦を使用しております。
※当時の美的感覚と言葉遣いは、現代とではズレがある為、現代よりの美形と言葉遣いを取り入れております。
※この時代はまだ本名には魂がこもっているとされており、本名を呼ぶのは両親か伴侶のみとされていましたが、物語の便宜上、作中の人物は本名で呼び合っております。
※史実(諸説ございます)を元に創作、ファンタジーを加えております。
以上、何卒予めご了承くださいませ。
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
異世界楽々通販サバイバル
shinko
ファンタジー
最近ハマりだしたソロキャンプ。
近くの山にあるキャンプ場で泊っていたはずの伊田和司 51歳はテントから出た瞬間にとてつもない違和感を感じた。
そう、見上げた空には大きく輝く2つの月。
そして山に居たはずの自分の前に広がっているのはなぜか海。
しばらくボーゼンとしていた和司だったが、軽くストレッチした後にこうつぶやいた。
「ついに俺の番が来たか、ステータスオープン!」
私はいけにえ
七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」
ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。
私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。
****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる