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伏喰童子
災厄のざしきわらし
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第1章「災厄のざしきわらし」
誰かのくしゃみが聞こえた。
ぱちり、ぱちり
瞼を2回、瞬かせる。
「ここ、どこ?」
周囲を見渡してみる。真っ白な世界。これが雪だったらまだ幻想的なのだが、腕を遠くに伸ばすと、指先が見えなくなる。
これは霧だ、いや、霧なのか?うん、多分霧だ。
下を向けば、うっすらとだが、黒い土でできた地面が見えており、ジャリ、と足先を擦ってみる。
弾かれた小さな石は転がって、足で引いた線ができた。
フクの周りに霧が渦巻いている以外、なんの特徴のない場所だ。だが、ここが、この霧が、異常事態であることは、幼いフクはすぐに気がついた。
「・・・さっきまで、お釈迦さまのところにいたよね?」
フクは先ほどまで、お釈迦さまの住まう部屋に入ったところまでは覚えている。その後、帰ろうと、部屋の扉に手をかけたあたりから、瞬時に景色が変わってしまった。
・・・つまり、一瞬で知らない場所に来てしまったのだ、テレビのチャンネルを変えるくらい一瞬で、初めからこの場所にいたかのように。
フクはまた、霧に手を伸ばしてみる。そしてそのまま周囲に手をブンブン、振ってみるが、どの方向も霧の薄れるところはない。ずいぶん濃い霧のようだ。
初めこそわからなかった。だがこの霧が普通でないことにフクは気づいた。
「・・・これ、霧・・・じゃない?」
伸ばしていた右手の指先を擦り合わせてみる。サラサラと指先は乾いている。今度は来ている厚手のパーカーの表面を触ってみた。こちらも柔らかな布地で、綺麗なままだ。最後に頭に触れると、髪がサラサラと音を立てて、指先から流れる音が聞こえた。どこも濡れていない。
(・・・服とか、髪が濡れてないのはおかしい)
昔の話である。
保護者のキシが「霧とは小さな水の塊が集合してできたものだ」と教えてくれたことが合った。
フクが住んでいた街は山と山の間の盆地であり、家は丘の上の高台にあったので、よく街を一望できた。ある日、家から街を見ると、街が白く、池のように雲が覆っていた。フクは「雲が街におっこちた!」と騒ぎ立て、寝ていたキシを大急ぎで呼んできたことがあったのだ。
「空に浮かんでいた雲も、落っこちることがあるんだ・・・」
「フク、面白いことを言うわね。あれは『霧』と言って、地上の水蒸気が冷やされてできたものよ」
「『水蒸気?』」
「目に見えないほど小さな小さな水の粒よ。それが冷やされると雲のように白く見えるようになるの」
「ふーん」とフクは興味深く頷いた。
「じゃあ、中に入ったら雨雲みたいに水浸しになるのかな?」
雨雲は水をたっぷり飲み込んでいる。中に入れば、きっと溺れてしまう、と子供達の間で笑いながら話していたのを思い出していたのだ。そのことをキシに伝えると、彼女は楽しそうに笑い、フクの頭を撫でた。
「ほほほ・・・子供は本当に面白いことを考えるわね。そうね、あの霧も雨雲と作りは一緒よ。だから中に入ったら溺れはしなくとも、きっと濡れてしまうわね」
「やっぱりそうなんだ!」
フクは自分と友達の考えが合っていたのだと、嬉しくなって何度もキシに霧や雨のことを聞いた。彼女は初めこそ、フクの会話を楽しく聞いていたのだが、何度も繰り返される話、・・・途中でたまたま遊びに来ていたお釈迦さまにフクの相手を任せたのだった。
フクは改めて、自分の状況を見つめる。
この霧は「霧」ではない。
周囲を見えないほど覆っていて、足元も特徴のない地面。何分か歩いてみたが、歩いても、歩いても、雑草すら見つからない。
だが、それよりも一番君が悪かったのは、風の音も聞こえないほど静かな空間。その中で、誰かがフクをじっ、と見ているような気配があることだった。
(だ、誰かがこっち見てる)
『誰か』の気配。
空気を伝って感じる熱のように、じんわりと背後から、蜂蜜のようにねっとりとした冷たい液体が、フクの背中を首から腰にかけて、じっとり侵す。
それは悪意でも嫌悪でもない、だが決して安心できるようなものではない。その視線を一人の少年に向けていることに、フクの全身の肌に鳥肌がたつ。
これが『悪意』や『嫌悪』だったら、どれだけ良かったか・・・。フクは自身に執着するような感情には、全く耐性がないのだ。
「ううう・・・やっ!」
どうしたらいいかわからず、フクはその場から走り出す。「迷った時は動かないこと」と言っていたキシの言葉も忘れ、ただ視線から逃れるために出鱈目に走り出した。
だが、いくら走っても、視線はなくなるどころか、霧も晴れなかった。
走りすぎて、ふらふらになった足は限界で、とうとうフクはその場で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「もう、走れない・・・」
突然、何もない、知らない場所に放り込まれた子供が、ひとりぼっちの寂しさに動揺しないはずはなかった。普段は、誰かがいることが当たり前のフクにとって、『何もない』という『孤独』、そして気持ち悪い視線を向ける『何か』は彼を混乱させるには十分だった。
「っく、ひっ、ヒック!!」
寂しさのあまり、頭がパニックになり、喉が痙攣しだす。喉が震えれてば、今度は目が熱くなって、雨粒のように涙が頬を伝って落ちていった。
「みんなぁ・・・どこぉ・・・」
今まで冷静だったのは、突然のことで、頭が理解できてなかったのだろう。徐々に感情がフクの心を蝕んでいく。
誰もいない。
泣いている自分を抱きしめてくれる人は、この場にいなかった。
きぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・ん
無音が、耳鳴りを起こす。
何もないと、耳から勝手に音を出すのか。不思議だ。
どれぐらい経っただろうか、もう何回も泣いては落ち着いてを繰り返している。その都度、孤独を思い出しては涙を流す。
普段からこんなに泣きじゃくらない、でも、思い出し、繰り返しては、何度も傷つくのはフクの悪い癖だ。
ブルリ、と足先から背筋まで波のように順に震える。寒さに負けじと、首を横に振る。体育座りで自分を包み込むように、足と体を密着させた。
泣き腫らした目も擦りながら、周囲を見渡す。やっぱり、何も状況は変わっていない。
(霧はまだ晴れないし、視線もずっと感じる)
霧自体は初めてはないが、この視線だけはどうも慣れないし、不快だ。
・・・いや、不快なことには変わりはないけれど、自分の恐怖は慣れてきた。
むしろ、今が好機だ。
この視線の先を追っていけば、何かわかるのではないだろうか。むしろ、ここまで視線を向けているのに、何も手を出してこないのは、敵意がないのではないだろうか。
フクは後ろを振り向いて視線の先を『感覚』で見ていく。そして首を上に傾ける。
フクの真後ろ、上空。
「そこに、いるのは、だぁれ?」
ソレがどこにいるのかは、推測でしかない。
だが、フクは確かに目が合った。
ぱちりぱちり、瞼を瞬かせた。
くす・・・・
視線の主人は、フクの目も前に突然現れた。
白い肌、黒いかみ、優しげな笑顔。そして背後に大きな翼。
見えない池の中から白い泡が出てくるように、浮き上がるように霧の中から浮き出た。
「・・・・・っ!!!」
驚きのあまり、フクは声が出なかったし、腰は抜けて動けなかった。
高めの身長に、左右対称の黒いローブを羽織った服装。遠くから見たら二等辺三角形に見えるんじゃないだろうか。
顔はとても美形で、これが『端正な顔立ち』というものか。
フクは知っている限りの語彙を頭の中で手繰り寄せたが、それでは言い表せないほど、目の前のソレはとても美しかった。
高い鼻筋と、長いまつ毛の隙間から夜を染めたような青い瞳が、見え隠れしていて幻想的に見える。口元は杏のように鮮やかな朱にで染めていて、それが緩やかな弧を描いている。だがそれよりも目が行ってしまう背後の翼は、黒装束の身長の3倍くらいの大きさで、背後に鎮座するように浮かんでいる。
十人いれば二十人は振り返るその美貌に、男女の性がわからない黒装束の人は神様ではないかと見紛う。
(いや、どこかの神様なら、なんでフクをこんなところに?)
天界のほとんどの神様から厄介払いされているフクにとっては、親しい仲の神以外は決して良い印象ではない。だからこそ、フクはずっと監視して尾行し、自分の前に現れた、目の前の黒装束の人に警戒した。
だが、目の前のそれはフクが自分を認識して嬉しいようで、なぜかフクの顔を腰を曲げてまで覗き込もうとする。
顔を近づけて来た、笑顔の黒装束の顔を見て、緩んでいるが顔が良すぎると逆に怖い。黒装束はローブの隙間から手を出し、フクの方へと伸ばす。
「!!?」
黒装束の人がフクの頭を撫でようとした。その直前に、フクは猫のように後ろに下がった。
腰が抜けていたために、そこまでの距離を離せなかったが、指先から届く範囲外には出られた。
黒装束は離れてしまったフクを残念そうにして、撫でれなかった手のひらを見つめて、背筋を正した。
フクは早くなる呼吸と、体の底から沸き立つ、どうしようもない『欲望』を、抑えるように口元を抑える。口の中はすでに唾液が湧き水のように出ている。それをどうにか落ち着かせようと目の前のソレを凝視する。
ソレは、見た目の神々しさで勘違いしそうだが、本質は真逆だ。こんなにも美しいのに、彼は『世界の膿』もしくは『黒煤』とも呼ばれる邪気の集合体が漏れ出しているのだ。
『世界の膿』は、邪な思いが発生源であり、そこから邪鬼や、呪いが発生する。妖怪や、人間の術師が、妖術や呪術をつかったときに出るとも言われるが、結局のところ、呼吸をしたら二酸化炭素が出るように、普通に生活している人や獣からも『嫉妬』や『虚栄心』と言った『悪意』の形で出てくるのだ。
(そんなことはどうでもいい・・・これは)
フクが感じ取っていたのは、彼の存在だ。最初はうまく隠していたようだが、よく見れば後ろにある翼のようなものは、黒煤の塊だ。それが翼のように形をとっている!
(黒煤を体につけている時点で、気が狂ってもおかしくないのに・・・)
ここまで正気を保っていて、黒煤を体の一部として、纏っていた存在を、フクは一人しか知らない。
それはかつて、地獄と天界の二界を恐怖に陥れた、災厄の鬼。そしてかつて自分が呼ばれていた名前。
(『伏喰童子(ふくばみどうじ)』と同じか、いや、それ以上か!?)
おそらく、神や鬼神、邪神とか、それくらい高い地位の存在だ。ただの『ざしきわらし』であるフクが、かなう相手ではない。自分に太刀打ちできる気がしない。
フクは人間の大人をひっくり返すほどの力はあっても、戦闘技術なんてものは、まったくない。
だが、フクの五感は本能的に彼を求める。
目は彼の姿を捉え、鼻は彼の体から放たれる苦味のある香りを吸い込み、口はその肉を喰らわんと、顎をガチガチと揺らし、涎で溢れかえっている。
目の前のソレは、それほどまでにフクの『食欲』を掻き立てるのだ。
「ふふふ・・・」
『邪』を纏った神は、フクを見つめて嬉しそうに笑う。
「・・・あなたは」
黒装束の人は、随分と「かまってちゃん」なようで、自分に興味をもってもらえて、嬉しいようだ。またニコニコと「ふふふ」と笑う。
フクはかつて恩師に言われたことを思い出す。
たとえ、世界を破壊するような邪神であっても、神に出会えば静かに傅き、敬わなければならない。人間だけでなく、ただの妖怪でもそうだ。
だが、今のフクはガチガチと顎を揺らして、今にも喉元に食らいつかんと、誰の目から見ても「飢えた獣のようだ」というだろう。
フクだって事を穏便に済ませたい、目の前のソレが、どんなに魅力的であったとしても、身を低くして、足に力が入るようなことがあってはならない!!
(ダメだダメだダメだダメだ・・・!!)
じわじわと近づいてくるソレは、フクの目の前で膝をつき、フクの目線に合わせてくる。フクはどうにか落ち着かせようときつく目を閉じて、右手に歯を立てて我慢する。
(我慢、しなきゃ!キシ姐と約束したんだ!)
それはかつて、フクが『伏喰童子(ふくばみどうじ)』と呼ばれなくなって、すぐの頃だ。とある事情で子供を1人なくしてしまったキシのもとに、お釈迦さまがフクを預けた。
彼女は乗り気じゃなかったようだが、鬼としても座敷童としても、赤子のような世界観しかないフクに彼女は根気よく教育を施してくれたのだ。
『良いね、フク。これからは神も人も、妖怪だって、理由もなく、食べたいだけで襲ってはダメだ』
「どうして」と幼かったフクは聞いた。
『先に襲ってきたら別さ、正当防衛だからね。いくらでも喰い散らかせばいい』
「でもね」とキシは話を続けた。
『ただ欲望(自分)のために相手を襲ってしまったら、そこらの獣と変わらない。いずれ、かられてしまうだろう』
『私はね、自分の子供には、『ひとりぼっち』、になんてなってほしくないのよ』
彼女がそんな事を言った理由はわからない。かつては彼女も人間の子供を食い散らかした鬼だというのに、同じような存在の小鬼にそんなことをいうなんて、とも思った。
だけど、キシ姐が教えてくれたことに嘘なんてものは一つもなかった。だから『ざしきわらし』として生活している今も、その教えを守っている。
ブシッ!!
歯を立てた右手から、黒い血が吹き出す。その血は、目の前の、神の顔にも何滴か、飛沫を飛ばす。
フーッ、フーッと荒い息を吐くが、どうにか理性は保てている。
必死に耐えるフクに、目の前のソレは驚いたようで、ワタワタと手を慌ただしく動かした。まさか自分の存在がそこまで、フクを興奮させるとは思わなかったようで、顔が青ざめている。
なぜ、こんなに黒い神が慌てているのかはわからないが、フクはなるべく目の前を見ないようにゆっくりと後ずさる。
だが、急に意を決した神は、後ずさっていたフクの口の隙間に、親指を突っ込んだ。
「?!」
突然の異物が口の中に侵入してきて、驚いて顎が若干緩んだ。だがそれよりも突っ込みすぎて、指が喉の奥を押して、思わず「おぇッ」と汚い声を漏らした。それのせいで、口枷にしていた右手が外れてしまう。
それを見逃さなかった黒装束の神は、口から指を引っ込めて、フクの両手首を捕まえた。
「だっ・・・!」
(ダメだやめてくれ!)
フクは、自身が両手を拘束されるぐらいでは、止まらない事を知っている。理性の糸がせっかく繋がれていたのに、このままだと襲ってしまうかもしれない!
気休めだが、舌を噛もうと口を開けた。
「フク」
名前を呼ばれて、「え?」と、一瞬呆けた。
その瞬間、黒装束の人と顔が一気に近づいた。
口を覆われるように塞がれて、一気に鉄臭い何かを口いっぱいに注がれる。ドロドロとしていて、その中にいくつかの柔らかい、ゼリーのようなものが浮いているのを舌先で感じとった。だが突然のことで思わず、ゴクリ、と音を立てて飲み込んでしまい、詳細な味まではわからないい。
フクが口移しで飲み込んだのに満足したのか、黒装束は口を離してくれた。
「けほっ、ケホ!!」
驚きのあまり、むせ返り、涙が溢れてしまう。解放されていた左手で口を拭い、その後を見ると左手には真っ黒な液体のようなものが付いている。言わずもがな、血である、相手の。そしてよく見ると黒煤の塊のようなものが付いている。
(・・・血の中に黒煤?こんなもの、誰も好んで口に入れたりしないのに)
相手がとったキスの恥ずかしさよりも先に、その予想外のものに頭がついていかない。
「黒煤」というのは、いわば邪念や怨念といった負のエネルギーであり、鬼や悪霊の出す排泄物のようなものだ。呪物や雰囲気の悪いコンビニの、やけに暗く見えるところにあるのがそうである。
いってしまえば、ゴミやう⚫︎こと同等のものである。
フクは物心ついた頃から、この黒煤を好んで食していた。誰も取らないし、大量にあるので何も困ることはない。味も良好だ。ただ他人の理解は得ることはできなかったけど・・・。
「っ!!!」
目の前の人を見る。黒装束の人は、フクの右手についた傷をした先でなぞるように舐めている。
「なっ、なっ、何?!」
さすがにフクも驚いた。舐め始めたこともだけれど、フクの手を取ってその傷口を舐める人なんて初めて見た。フクの姿のほとんどは座敷童と同様に人間を模しているが、食べているぶん黒煤だって含まれる。
そんな体に口をつけようなんて人は多分、目の前の人が初めてだった。
やがて全ての傷を『舐めとる』と、フクの右手は綺麗な肌に戻っていた。どうやら『治して』くれていたらしい。
驚きのあまりか、それとも先ほどの口付けに何か含まれていたのか、いつの間にかフクの『食欲』は落ち着きを取り戻していた。
「ごめん、ゴメンネ・・・」
フクの右肩に手をのせ、もう片方の手で頭を撫でてくれるその人は、眉を寄せ、目尻を下げている。
「・・・?なんで悲しそうなの?」
「・・・・・・」
フクの方が被害者のはずなのに、ひどく傷ついたような顔を見せる黒装束の人は、困ったように笑うと、す、と立ち上がる。
立ち上がった拍子に、チリ、と何か小さなものがぶつかる音がした。
黒装束の人は、どこか遠いところを見つめて、険しい顔をしていた。そしてすぐにフクの耳元に顔を近づける。フクはまたキスをされるのではないかと、頬を赤らめて、手を前に出して身構えたが、そうではなく小さく「また、会える・・・しゃおぱいと」と抑揚のない口調で、耳元に囁いた。
低い、囁く言葉に、思わず鳥肌が立った。
黒装束の人は、立ち上がって後ろに備えていた翼を羽ばたかせた。霧のせいで影でしか見えなかったが、羽を広げるとその大きさは飛行機を連想させた。
「え、あ、ちょ・・・」
羽ばたきと同時に突風がフクの小さな体を宙に飛ばす。そして黒装束の体も上空に飛びあがったと同時に、フクの体も後方に吹き飛ばされた。
「・・・・・・」
(一体なんだったんだろう)
急に現れて急にどっかに行った。
全盛期(鬼の時)以上の邪気を放ち、逆にフクを治すような力もある。そして最後の言葉「また会える」と「しゃおぱいと」だ。
また会えるのはともかく、『しゃおぱいと』はいったいなんなのか。フクをさしているわけではないのは確かだと思う、さっき名前呼んでたし。
「何にもわからない・・・」
フクはまた霧の中に1人となってしまい、途方にくれる。
先ほどの人は上空に飛び上がったが、それは霧から出れる技術(?)を持っているということだ。
フクはまた地面に体育座りで、膝に顔を埋めた。この短時間で色々なことがありすぎて疲れた。
「せめて、霧から出れる方法知っている人、来ないかな・・・」
フクは初めの緊張と、先ほどの神と同レベルの黒装束の男、・・・男?
(なぜ男だと思った?)
フクは記憶の中を駆け巡る。フクは幼さゆえに記憶力というものは期待できないが、そう確か声が男の人だった。
「僕は男の人とちゅーしたの?」
うわぁ、と恥ずかしいような、おぞましいような・・・フクの顔は赤くなったり、青くなったりしている。
(もう疲れた・・・)
改めて体の力が抜けていくような、うつらうつらと意識が薄れていく。口の中が熱くなり、まったりとした唾液が口の中に満たされている。
(・・・どのくらい寝てたんだろう)
気がつくと、フクは誰かの腕の中にいた。
膝と背中に腕をまわして、フクをしっかりと抱き抱えてくれている。きっとお釈迦さまか、キシ姐が、落ちているフクを拾って寝室に向かってくれているのだろうと思った。
先ほどまでのは夢で、夢魔が見せた悪夢なんじゃないか。そんなことを思いながら、うっすらと目を開ける。
寝ぼけた目で左右を見れば、左は真っ白、正面から右側はフクを抱き抱えている人の影が見える。よく見えないのは、霧がまだ濃いからだろう・・・。
「起床了嗎?早上好!」
「!?っ誰!?」
「あ、日本語ダ」
知らない人に声をかけられて、腕の中で飛び跳ねたフクに、目の前の人は「おっト」とバランスをとる。目の前にいたのは、お釈迦さまでも、キシでも、黒装束の人でもない。全く別の人間だ。
(いや、人間なのか!?)
「君は日本人ですネ!」
目の前の男はフクの問いかけに、なんて答えればいいのかわからず、とりあえずコクコクと頷く。
目の前の男は、またどこかの言語を口にすると、にっこりとフクに笑顔を向けた。その笑顔は柔らかいもので、霧の中でよく見えかったが、彼の人当たりの良さを感じられる。
フクは寝ぼけ眼を袖で擦り、目の前の男をよく見た。
すると、霧が薄くなったのか、彼の顔がはっきり見えるようになった。彼の見た目は若く、高校生というより大学生に見える。一見すると日本人にも見えるが、フクの目から見てもどこか違和感があることから多分、中国か韓国の人ではないかと思った。色素の薄い髪は切り揃えられており、両サイドの髪を長めにしている。だが人当たりのいい笑顔の彼に違和感なく、とても似合っていた。
フクは目の前の男に警戒心を持ちながらも、おずおずと「あの、」と話しかけた。
「お、お兄さんは、ここがどこかわかりますか?」
「うーん、分かるというか・・・ここはいろんなところに繋がるから・・・君は急にここにいてお家に帰れないってことでいいのカナ?」
男の質問にフクはこくり、とまた頷く。
「そうか~、怖かったね・・・」
男はあやすように、フクの頭に頬擦りをした。両手が塞がっているから撫でているつもりらしい。
男は眉を八の字に、眉間に皺を寄せて、「あー」と気まずそうにフクを見た。
「まず、君に酷いこと言うけド・・・君もう、お家に帰れないヨ」
「・・・え?」
本当に酷いことだった。
「日本どころか元の世界にも帰れない!」
「・・・っ!!」
目の前の男は、居た堪れなさからか、作り笑顔をフクに向けた。
「ま、そういう顔にもなるヨネ。ごめんネ、私じゃ、どうしようも・・・ああああ!泣かないデ!!」
「うううう・・・・ヤァだ!!」
落ち着いたと思っていた目頭が、また熱くなるのを感じた。ひっ、ひっ、とまた喉が痙攣しだす。
男は泣き出すフクに、慰め方がわからないのか、背中を支えている手のひらで、トントンとフクの背中を叩く。そして背中を叩きながら自身のことを早口で語りだした。
「私もね!えぇっと、ちゅうごく、そう!中国ってところにいたんだけれどネ!急にこの霧に入ったかと思ったらネ、変なところに着いちゃっテ!あああ!!よーしよしよし!」
ベラベラと喋りだす男の話が全く耳に入ってこない。
フクはまた「うー」と泣くのを耐え、目の前の、まだ名も知らぬ男の服にしがみつく。
「うぅ・・ぅんと、そう!私がちゃんと人のいるところに連れて行きますから!」
ぴた、フクの泣き声がやむと、男は「お、泣き止んだ?」と安堵した。
フクは目の前の男に、本当に連れて行ってくれるのか、不安な気持ちをそのままに問うた。
「・・・グス、ほんとう?」
「もうココ・・・何もない霧はもう嫌でショウ?」
そうたずねる男にフクは「うん」と小さく頷いた。
「じゃあ、まず私の家、・・・と言っても職場ですが、一緒にいきましょウ。子供の世話くらいなんてこともないですよ」
そういうと、目の前の男はフクを抱えたまま、歩みが早足となる。
フクはもうすでに塩分をたくさん含んだ袖で目を擦る。きっと乾かしたら袖は白く濁るのだろうなと思いながらも、涙と鼻水で汚れた顔を、なるべく袖の綺麗な部分で拭いていく。
「そういえば、まだ私、名前言ってなかったですネ。私は・・・キョウ、『キョウ』と言いマス」
「フク・・・ぼく、フクだよ」
本名を言おうか迷ったが、あの堅苦しいような名前だ。仕方なく普段使いの名前で名乗った。キョウもフクと一緒で、名前を迷っているみたいだったので、もしかしたら名前は秘密のものなのかもしれない。
「よろシク、フク」
『キョウ』の言葉は少しだけ、ほんの少しだけ喋り方が変だ。それは日本語に慣れていないからだろうかと思って、ほんの少しだけおかしく思えた。
キョウに抱えられたまま進んで行くと、フクが、いくら歩いても晴れなかった霧が、キョウが歩を進めるごとに薄くなっていく。
霧はまだ晴れないが、風の音や、鳥がさえずる声が聞こえ、そして人の生活する音が聞こえた。
「ねえ、キョウさん、この霧って何なの?ぼくがいくら歩いても、人の音がしなかったのに」
フクは『人の気配』や『生活音』などの言葉を簡単な言葉で表現する。それは日本語に慣れていないキョウに気遣って話しているわけでなく、単純に子供の語彙力だからだ。
「この霧、不思議でしょう?この霧のことを私は『不明瞭の霧』と呼んでいるのですが、行きたい場所を思い浮かべることで、どんなに離れていてもその場所に数分で連れていってくれる、のですが・・・」
キョウはそこで言葉を切った。フクはキョウの方を見上げる。同じぐらいの距離なのに、目の前の道より、キョウの顔の方がはっきりと見える。
「ちゃんと正確に思い浮かべてないと、出られない上に、時間が経ちすぎて、記憶が補完されて変なイメージになってしまうので、結局出られなくなってしまうのデス」
日本語に慣れていないのか、時々発音がおかしくなるキョウに、変だなぁ、と思いつつ、フクはおとなしく連れられていた。
「でも、それだと、どうしてキョウさんは僕を見つけられたの?僕、寝てたよね」
フクは疲れて意識を失っていた。だから、フクはキョウに会えるわけがないと、ともうのだが。
キョウは「ああ」と納得したように呟いた。
「多分それは、ちょっと小間使いが欲しいなぁと思っていたノデ、それで見つけれたんじゃないかト・・・」
「思うんですけどネ~」と自信情げに答えた。
(他にも理由があるんだな・・・)
だがそれで、フクとキョウは出会うことができた。そのことには感謝しなくては・・・。
(そういえば、あの黒い神様みたいなのは、どうしてフクのこと知っていたんだろう)
ふと、思い出すのはあの黒い服を着た神(仮)。あれはフクの名前を知っていた、と言うことは彼はフクに会いに来たと言うこと、ならば、今日以前からフクのことを知らないといけないのだが。
フクが『ざしきわらし』になってから千年近く経っている。フクの本性を知るものは限りなく少ない。逆に知っている者がいたとしたら、フクが知らないわけがない。
ましてや、あんなに異質な存在をフク以外の神が知られない方がおかしい。キシかお釈迦さま経由で知らせてくるはずだ。
(あの人は少なからず、フク自身に会いたかったから、霧で出会ったのだとおもう。)
あの霧は人の願望を叶える霧なのだろうか・・・それにしては遠回りが過ぎる気がするが・・・
「迷いの森みたいだね。・・・怪談にありそう」
「『カイダン』?・・・ああ、『恐怖故事』ですね!確かにそういうの、私の祖国にもありマス!」
「迷っちゃって、そこから出られなくなっちゃうの。そして森に食べられちゃうって話を前に友達と話したことあるよ」
「子供って怖い話好きデスね。確かにあの霧は迷ってしまえば、元の場所に着くことはナイです」
ですが、とキョウは話を続ける。
「私の予想では、ずっとあの霧の中というわけではナク、おそらく一方通行でどこかに繋がっていると思イマス」
元の場所には帰れないが、どこかに出ないわけではない。獲って食べられるよりかはマシとは言っても、それでも一人、何もない場所で取り残されるのはフクは嫌だった。
「キシ姐・・・」
キョウは言わなかったけれど、フクは挨拶もできずにできなかった人を思い出して、また悲しくなった。
「なんで・・・会えないの?」
「私も試しました。九十七日の間に暇を見つけては霧の中に入っては出てを繰り返しました」
九十七日・・・約三ヶ月。
フクはキョウの方を何も言わずに見つめる。柔和な笑みに影が落ちた。目を瞑っているくらい細く開いた目が、まだ見ぬ敵の将軍を睨むかのように、すっ、と開いた。
「結果、476回中1回も元の世界に戻れませんでした」
「できたのは、法則が若干わかったくらいだ」とキョウは目を細めて笑った。
子供というのは、感情に敏感だ。たとえ笑顔でもキョウが、元の世界に戻れないことを憤っているのは、自分を抱き上げてくれる、優しい手のひらからも、十分に伝わった。
「さて、そろそろ街に着きます。フク、大きな声を上げないようにね」
いつの間にか周囲に草木が生えており、二人の行く手を阻んでいた。木々の枝に縋りつかれながらも、二人は雑木林から抜け出した。最後の木々の枝の隙間には、明るい光が差し込んでいた。
「・・・わあ!」
フクは先ほどキョウに言われたように、大きな声に注意していたが、それでも驚かずを得なかった。
多分、フクも想像ができなかっただろう。
絵本で見たような、レンガや土で作ったような西洋風の建物が立ち並ぶ商店街。整備された道路も馬車が走っているのをフクは初めて見た。
通る人はみんな楽しげで、道の両脇に並べてある屋台なんかはとても賑わっている。店員は客をこっちへ、こっちへと、自分の店に誘っていく。
中年の女性たちが、子供たちそっちのけで井戸端会議している姿や、屋台の中年男性が商品の試供品を身なりの良さそうな女性に差し出している様子もある。
フクが先ほどいた、何もない霧の中とは全く違っていて、人のお祭りみたいで賑わっている、この場所に興奮を覚えた。
「・・・あれって!」
フクは街の屋台より、街で一際目を惹かれるものがあった。それはフクが生きていた場所では、一生見ることのないものを、見た。
空の向こう、初めは風船かと思った。だけれど、黒っぽい塊から垂れているものは紐ではなく、重力で落ちている液体だと気がついた。よく見れば、塊は宙に浮いている島だ。ならばあれは・・・
「滝だ・・・滝が宙から落ちてる!」
宙に浮いた島から流れ落ちていたのは滝だ。それがいくつもあって、滝が落ちた先には、まるでおとぎ話に出てくる城のような建物が天高くそびえ立っている。
またよく見れば、遠くの白の周辺を何か白いものが飛び回っているではないか!あれはとり?いや翼の生えた人だ!つまり天使とか、鴉天狗とか!悪魔とか?!何かもわからない!
初めて見るそれらに、フクは顔を真っ赤にして、騒がないように大きく開いた口を手で覆い隠した。
(すごい!すごい!すごい!!)
意図もせずに驚きで、はたまた目に焼き付けるために、瞼を最大限に開いたのをフクは感じ取った。その様子にキョウは、ふふふ、と悪戯を成功させた子供のように言った。
「ようこそ、異世界へ!」
誰かのくしゃみが聞こえた。
ぱちり、ぱちり
瞼を2回、瞬かせる。
「ここ、どこ?」
周囲を見渡してみる。真っ白な世界。これが雪だったらまだ幻想的なのだが、腕を遠くに伸ばすと、指先が見えなくなる。
これは霧だ、いや、霧なのか?うん、多分霧だ。
下を向けば、うっすらとだが、黒い土でできた地面が見えており、ジャリ、と足先を擦ってみる。
弾かれた小さな石は転がって、足で引いた線ができた。
フクの周りに霧が渦巻いている以外、なんの特徴のない場所だ。だが、ここが、この霧が、異常事態であることは、幼いフクはすぐに気がついた。
「・・・さっきまで、お釈迦さまのところにいたよね?」
フクは先ほどまで、お釈迦さまの住まう部屋に入ったところまでは覚えている。その後、帰ろうと、部屋の扉に手をかけたあたりから、瞬時に景色が変わってしまった。
・・・つまり、一瞬で知らない場所に来てしまったのだ、テレビのチャンネルを変えるくらい一瞬で、初めからこの場所にいたかのように。
フクはまた、霧に手を伸ばしてみる。そしてそのまま周囲に手をブンブン、振ってみるが、どの方向も霧の薄れるところはない。ずいぶん濃い霧のようだ。
初めこそわからなかった。だがこの霧が普通でないことにフクは気づいた。
「・・・これ、霧・・・じゃない?」
伸ばしていた右手の指先を擦り合わせてみる。サラサラと指先は乾いている。今度は来ている厚手のパーカーの表面を触ってみた。こちらも柔らかな布地で、綺麗なままだ。最後に頭に触れると、髪がサラサラと音を立てて、指先から流れる音が聞こえた。どこも濡れていない。
(・・・服とか、髪が濡れてないのはおかしい)
昔の話である。
保護者のキシが「霧とは小さな水の塊が集合してできたものだ」と教えてくれたことが合った。
フクが住んでいた街は山と山の間の盆地であり、家は丘の上の高台にあったので、よく街を一望できた。ある日、家から街を見ると、街が白く、池のように雲が覆っていた。フクは「雲が街におっこちた!」と騒ぎ立て、寝ていたキシを大急ぎで呼んできたことがあったのだ。
「空に浮かんでいた雲も、落っこちることがあるんだ・・・」
「フク、面白いことを言うわね。あれは『霧』と言って、地上の水蒸気が冷やされてできたものよ」
「『水蒸気?』」
「目に見えないほど小さな小さな水の粒よ。それが冷やされると雲のように白く見えるようになるの」
「ふーん」とフクは興味深く頷いた。
「じゃあ、中に入ったら雨雲みたいに水浸しになるのかな?」
雨雲は水をたっぷり飲み込んでいる。中に入れば、きっと溺れてしまう、と子供達の間で笑いながら話していたのを思い出していたのだ。そのことをキシに伝えると、彼女は楽しそうに笑い、フクの頭を撫でた。
「ほほほ・・・子供は本当に面白いことを考えるわね。そうね、あの霧も雨雲と作りは一緒よ。だから中に入ったら溺れはしなくとも、きっと濡れてしまうわね」
「やっぱりそうなんだ!」
フクは自分と友達の考えが合っていたのだと、嬉しくなって何度もキシに霧や雨のことを聞いた。彼女は初めこそ、フクの会話を楽しく聞いていたのだが、何度も繰り返される話、・・・途中でたまたま遊びに来ていたお釈迦さまにフクの相手を任せたのだった。
フクは改めて、自分の状況を見つめる。
この霧は「霧」ではない。
周囲を見えないほど覆っていて、足元も特徴のない地面。何分か歩いてみたが、歩いても、歩いても、雑草すら見つからない。
だが、それよりも一番君が悪かったのは、風の音も聞こえないほど静かな空間。その中で、誰かがフクをじっ、と見ているような気配があることだった。
(だ、誰かがこっち見てる)
『誰か』の気配。
空気を伝って感じる熱のように、じんわりと背後から、蜂蜜のようにねっとりとした冷たい液体が、フクの背中を首から腰にかけて、じっとり侵す。
それは悪意でも嫌悪でもない、だが決して安心できるようなものではない。その視線を一人の少年に向けていることに、フクの全身の肌に鳥肌がたつ。
これが『悪意』や『嫌悪』だったら、どれだけ良かったか・・・。フクは自身に執着するような感情には、全く耐性がないのだ。
「ううう・・・やっ!」
どうしたらいいかわからず、フクはその場から走り出す。「迷った時は動かないこと」と言っていたキシの言葉も忘れ、ただ視線から逃れるために出鱈目に走り出した。
だが、いくら走っても、視線はなくなるどころか、霧も晴れなかった。
走りすぎて、ふらふらになった足は限界で、とうとうフクはその場で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「もう、走れない・・・」
突然、何もない、知らない場所に放り込まれた子供が、ひとりぼっちの寂しさに動揺しないはずはなかった。普段は、誰かがいることが当たり前のフクにとって、『何もない』という『孤独』、そして気持ち悪い視線を向ける『何か』は彼を混乱させるには十分だった。
「っく、ひっ、ヒック!!」
寂しさのあまり、頭がパニックになり、喉が痙攣しだす。喉が震えれてば、今度は目が熱くなって、雨粒のように涙が頬を伝って落ちていった。
「みんなぁ・・・どこぉ・・・」
今まで冷静だったのは、突然のことで、頭が理解できてなかったのだろう。徐々に感情がフクの心を蝕んでいく。
誰もいない。
泣いている自分を抱きしめてくれる人は、この場にいなかった。
きぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・ん
無音が、耳鳴りを起こす。
何もないと、耳から勝手に音を出すのか。不思議だ。
どれぐらい経っただろうか、もう何回も泣いては落ち着いてを繰り返している。その都度、孤独を思い出しては涙を流す。
普段からこんなに泣きじゃくらない、でも、思い出し、繰り返しては、何度も傷つくのはフクの悪い癖だ。
ブルリ、と足先から背筋まで波のように順に震える。寒さに負けじと、首を横に振る。体育座りで自分を包み込むように、足と体を密着させた。
泣き腫らした目も擦りながら、周囲を見渡す。やっぱり、何も状況は変わっていない。
(霧はまだ晴れないし、視線もずっと感じる)
霧自体は初めてはないが、この視線だけはどうも慣れないし、不快だ。
・・・いや、不快なことには変わりはないけれど、自分の恐怖は慣れてきた。
むしろ、今が好機だ。
この視線の先を追っていけば、何かわかるのではないだろうか。むしろ、ここまで視線を向けているのに、何も手を出してこないのは、敵意がないのではないだろうか。
フクは後ろを振り向いて視線の先を『感覚』で見ていく。そして首を上に傾ける。
フクの真後ろ、上空。
「そこに、いるのは、だぁれ?」
ソレがどこにいるのかは、推測でしかない。
だが、フクは確かに目が合った。
ぱちりぱちり、瞼を瞬かせた。
くす・・・・
視線の主人は、フクの目も前に突然現れた。
白い肌、黒いかみ、優しげな笑顔。そして背後に大きな翼。
見えない池の中から白い泡が出てくるように、浮き上がるように霧の中から浮き出た。
「・・・・・っ!!!」
驚きのあまり、フクは声が出なかったし、腰は抜けて動けなかった。
高めの身長に、左右対称の黒いローブを羽織った服装。遠くから見たら二等辺三角形に見えるんじゃないだろうか。
顔はとても美形で、これが『端正な顔立ち』というものか。
フクは知っている限りの語彙を頭の中で手繰り寄せたが、それでは言い表せないほど、目の前のソレはとても美しかった。
高い鼻筋と、長いまつ毛の隙間から夜を染めたような青い瞳が、見え隠れしていて幻想的に見える。口元は杏のように鮮やかな朱にで染めていて、それが緩やかな弧を描いている。だがそれよりも目が行ってしまう背後の翼は、黒装束の身長の3倍くらいの大きさで、背後に鎮座するように浮かんでいる。
十人いれば二十人は振り返るその美貌に、男女の性がわからない黒装束の人は神様ではないかと見紛う。
(いや、どこかの神様なら、なんでフクをこんなところに?)
天界のほとんどの神様から厄介払いされているフクにとっては、親しい仲の神以外は決して良い印象ではない。だからこそ、フクはずっと監視して尾行し、自分の前に現れた、目の前の黒装束の人に警戒した。
だが、目の前のそれはフクが自分を認識して嬉しいようで、なぜかフクの顔を腰を曲げてまで覗き込もうとする。
顔を近づけて来た、笑顔の黒装束の顔を見て、緩んでいるが顔が良すぎると逆に怖い。黒装束はローブの隙間から手を出し、フクの方へと伸ばす。
「!!?」
黒装束の人がフクの頭を撫でようとした。その直前に、フクは猫のように後ろに下がった。
腰が抜けていたために、そこまでの距離を離せなかったが、指先から届く範囲外には出られた。
黒装束は離れてしまったフクを残念そうにして、撫でれなかった手のひらを見つめて、背筋を正した。
フクは早くなる呼吸と、体の底から沸き立つ、どうしようもない『欲望』を、抑えるように口元を抑える。口の中はすでに唾液が湧き水のように出ている。それをどうにか落ち着かせようと目の前のソレを凝視する。
ソレは、見た目の神々しさで勘違いしそうだが、本質は真逆だ。こんなにも美しいのに、彼は『世界の膿』もしくは『黒煤』とも呼ばれる邪気の集合体が漏れ出しているのだ。
『世界の膿』は、邪な思いが発生源であり、そこから邪鬼や、呪いが発生する。妖怪や、人間の術師が、妖術や呪術をつかったときに出るとも言われるが、結局のところ、呼吸をしたら二酸化炭素が出るように、普通に生活している人や獣からも『嫉妬』や『虚栄心』と言った『悪意』の形で出てくるのだ。
(そんなことはどうでもいい・・・これは)
フクが感じ取っていたのは、彼の存在だ。最初はうまく隠していたようだが、よく見れば後ろにある翼のようなものは、黒煤の塊だ。それが翼のように形をとっている!
(黒煤を体につけている時点で、気が狂ってもおかしくないのに・・・)
ここまで正気を保っていて、黒煤を体の一部として、纏っていた存在を、フクは一人しか知らない。
それはかつて、地獄と天界の二界を恐怖に陥れた、災厄の鬼。そしてかつて自分が呼ばれていた名前。
(『伏喰童子(ふくばみどうじ)』と同じか、いや、それ以上か!?)
おそらく、神や鬼神、邪神とか、それくらい高い地位の存在だ。ただの『ざしきわらし』であるフクが、かなう相手ではない。自分に太刀打ちできる気がしない。
フクは人間の大人をひっくり返すほどの力はあっても、戦闘技術なんてものは、まったくない。
だが、フクの五感は本能的に彼を求める。
目は彼の姿を捉え、鼻は彼の体から放たれる苦味のある香りを吸い込み、口はその肉を喰らわんと、顎をガチガチと揺らし、涎で溢れかえっている。
目の前のソレは、それほどまでにフクの『食欲』を掻き立てるのだ。
「ふふふ・・・」
『邪』を纏った神は、フクを見つめて嬉しそうに笑う。
「・・・あなたは」
黒装束の人は、随分と「かまってちゃん」なようで、自分に興味をもってもらえて、嬉しいようだ。またニコニコと「ふふふ」と笑う。
フクはかつて恩師に言われたことを思い出す。
たとえ、世界を破壊するような邪神であっても、神に出会えば静かに傅き、敬わなければならない。人間だけでなく、ただの妖怪でもそうだ。
だが、今のフクはガチガチと顎を揺らして、今にも喉元に食らいつかんと、誰の目から見ても「飢えた獣のようだ」というだろう。
フクだって事を穏便に済ませたい、目の前のソレが、どんなに魅力的であったとしても、身を低くして、足に力が入るようなことがあってはならない!!
(ダメだダメだダメだダメだ・・・!!)
じわじわと近づいてくるソレは、フクの目の前で膝をつき、フクの目線に合わせてくる。フクはどうにか落ち着かせようときつく目を閉じて、右手に歯を立てて我慢する。
(我慢、しなきゃ!キシ姐と約束したんだ!)
それはかつて、フクが『伏喰童子(ふくばみどうじ)』と呼ばれなくなって、すぐの頃だ。とある事情で子供を1人なくしてしまったキシのもとに、お釈迦さまがフクを預けた。
彼女は乗り気じゃなかったようだが、鬼としても座敷童としても、赤子のような世界観しかないフクに彼女は根気よく教育を施してくれたのだ。
『良いね、フク。これからは神も人も、妖怪だって、理由もなく、食べたいだけで襲ってはダメだ』
「どうして」と幼かったフクは聞いた。
『先に襲ってきたら別さ、正当防衛だからね。いくらでも喰い散らかせばいい』
「でもね」とキシは話を続けた。
『ただ欲望(自分)のために相手を襲ってしまったら、そこらの獣と変わらない。いずれ、かられてしまうだろう』
『私はね、自分の子供には、『ひとりぼっち』、になんてなってほしくないのよ』
彼女がそんな事を言った理由はわからない。かつては彼女も人間の子供を食い散らかした鬼だというのに、同じような存在の小鬼にそんなことをいうなんて、とも思った。
だけど、キシ姐が教えてくれたことに嘘なんてものは一つもなかった。だから『ざしきわらし』として生活している今も、その教えを守っている。
ブシッ!!
歯を立てた右手から、黒い血が吹き出す。その血は、目の前の、神の顔にも何滴か、飛沫を飛ばす。
フーッ、フーッと荒い息を吐くが、どうにか理性は保てている。
必死に耐えるフクに、目の前のソレは驚いたようで、ワタワタと手を慌ただしく動かした。まさか自分の存在がそこまで、フクを興奮させるとは思わなかったようで、顔が青ざめている。
なぜ、こんなに黒い神が慌てているのかはわからないが、フクはなるべく目の前を見ないようにゆっくりと後ずさる。
だが、急に意を決した神は、後ずさっていたフクの口の隙間に、親指を突っ込んだ。
「?!」
突然の異物が口の中に侵入してきて、驚いて顎が若干緩んだ。だがそれよりも突っ込みすぎて、指が喉の奥を押して、思わず「おぇッ」と汚い声を漏らした。それのせいで、口枷にしていた右手が外れてしまう。
それを見逃さなかった黒装束の神は、口から指を引っ込めて、フクの両手首を捕まえた。
「だっ・・・!」
(ダメだやめてくれ!)
フクは、自身が両手を拘束されるぐらいでは、止まらない事を知っている。理性の糸がせっかく繋がれていたのに、このままだと襲ってしまうかもしれない!
気休めだが、舌を噛もうと口を開けた。
「フク」
名前を呼ばれて、「え?」と、一瞬呆けた。
その瞬間、黒装束の人と顔が一気に近づいた。
口を覆われるように塞がれて、一気に鉄臭い何かを口いっぱいに注がれる。ドロドロとしていて、その中にいくつかの柔らかい、ゼリーのようなものが浮いているのを舌先で感じとった。だが突然のことで思わず、ゴクリ、と音を立てて飲み込んでしまい、詳細な味まではわからないい。
フクが口移しで飲み込んだのに満足したのか、黒装束は口を離してくれた。
「けほっ、ケホ!!」
驚きのあまり、むせ返り、涙が溢れてしまう。解放されていた左手で口を拭い、その後を見ると左手には真っ黒な液体のようなものが付いている。言わずもがな、血である、相手の。そしてよく見ると黒煤の塊のようなものが付いている。
(・・・血の中に黒煤?こんなもの、誰も好んで口に入れたりしないのに)
相手がとったキスの恥ずかしさよりも先に、その予想外のものに頭がついていかない。
「黒煤」というのは、いわば邪念や怨念といった負のエネルギーであり、鬼や悪霊の出す排泄物のようなものだ。呪物や雰囲気の悪いコンビニの、やけに暗く見えるところにあるのがそうである。
いってしまえば、ゴミやう⚫︎こと同等のものである。
フクは物心ついた頃から、この黒煤を好んで食していた。誰も取らないし、大量にあるので何も困ることはない。味も良好だ。ただ他人の理解は得ることはできなかったけど・・・。
「っ!!!」
目の前の人を見る。黒装束の人は、フクの右手についた傷をした先でなぞるように舐めている。
「なっ、なっ、何?!」
さすがにフクも驚いた。舐め始めたこともだけれど、フクの手を取ってその傷口を舐める人なんて初めて見た。フクの姿のほとんどは座敷童と同様に人間を模しているが、食べているぶん黒煤だって含まれる。
そんな体に口をつけようなんて人は多分、目の前の人が初めてだった。
やがて全ての傷を『舐めとる』と、フクの右手は綺麗な肌に戻っていた。どうやら『治して』くれていたらしい。
驚きのあまりか、それとも先ほどの口付けに何か含まれていたのか、いつの間にかフクの『食欲』は落ち着きを取り戻していた。
「ごめん、ゴメンネ・・・」
フクの右肩に手をのせ、もう片方の手で頭を撫でてくれるその人は、眉を寄せ、目尻を下げている。
「・・・?なんで悲しそうなの?」
「・・・・・・」
フクの方が被害者のはずなのに、ひどく傷ついたような顔を見せる黒装束の人は、困ったように笑うと、す、と立ち上がる。
立ち上がった拍子に、チリ、と何か小さなものがぶつかる音がした。
黒装束の人は、どこか遠いところを見つめて、険しい顔をしていた。そしてすぐにフクの耳元に顔を近づける。フクはまたキスをされるのではないかと、頬を赤らめて、手を前に出して身構えたが、そうではなく小さく「また、会える・・・しゃおぱいと」と抑揚のない口調で、耳元に囁いた。
低い、囁く言葉に、思わず鳥肌が立った。
黒装束の人は、立ち上がって後ろに備えていた翼を羽ばたかせた。霧のせいで影でしか見えなかったが、羽を広げるとその大きさは飛行機を連想させた。
「え、あ、ちょ・・・」
羽ばたきと同時に突風がフクの小さな体を宙に飛ばす。そして黒装束の体も上空に飛びあがったと同時に、フクの体も後方に吹き飛ばされた。
「・・・・・・」
(一体なんだったんだろう)
急に現れて急にどっかに行った。
全盛期(鬼の時)以上の邪気を放ち、逆にフクを治すような力もある。そして最後の言葉「また会える」と「しゃおぱいと」だ。
また会えるのはともかく、『しゃおぱいと』はいったいなんなのか。フクをさしているわけではないのは確かだと思う、さっき名前呼んでたし。
「何にもわからない・・・」
フクはまた霧の中に1人となってしまい、途方にくれる。
先ほどの人は上空に飛び上がったが、それは霧から出れる技術(?)を持っているということだ。
フクはまた地面に体育座りで、膝に顔を埋めた。この短時間で色々なことがありすぎて疲れた。
「せめて、霧から出れる方法知っている人、来ないかな・・・」
フクは初めの緊張と、先ほどの神と同レベルの黒装束の男、・・・男?
(なぜ男だと思った?)
フクは記憶の中を駆け巡る。フクは幼さゆえに記憶力というものは期待できないが、そう確か声が男の人だった。
「僕は男の人とちゅーしたの?」
うわぁ、と恥ずかしいような、おぞましいような・・・フクの顔は赤くなったり、青くなったりしている。
(もう疲れた・・・)
改めて体の力が抜けていくような、うつらうつらと意識が薄れていく。口の中が熱くなり、まったりとした唾液が口の中に満たされている。
(・・・どのくらい寝てたんだろう)
気がつくと、フクは誰かの腕の中にいた。
膝と背中に腕をまわして、フクをしっかりと抱き抱えてくれている。きっとお釈迦さまか、キシ姐が、落ちているフクを拾って寝室に向かってくれているのだろうと思った。
先ほどまでのは夢で、夢魔が見せた悪夢なんじゃないか。そんなことを思いながら、うっすらと目を開ける。
寝ぼけた目で左右を見れば、左は真っ白、正面から右側はフクを抱き抱えている人の影が見える。よく見えないのは、霧がまだ濃いからだろう・・・。
「起床了嗎?早上好!」
「!?っ誰!?」
「あ、日本語ダ」
知らない人に声をかけられて、腕の中で飛び跳ねたフクに、目の前の人は「おっト」とバランスをとる。目の前にいたのは、お釈迦さまでも、キシでも、黒装束の人でもない。全く別の人間だ。
(いや、人間なのか!?)
「君は日本人ですネ!」
目の前の男はフクの問いかけに、なんて答えればいいのかわからず、とりあえずコクコクと頷く。
目の前の男は、またどこかの言語を口にすると、にっこりとフクに笑顔を向けた。その笑顔は柔らかいもので、霧の中でよく見えかったが、彼の人当たりの良さを感じられる。
フクは寝ぼけ眼を袖で擦り、目の前の男をよく見た。
すると、霧が薄くなったのか、彼の顔がはっきり見えるようになった。彼の見た目は若く、高校生というより大学生に見える。一見すると日本人にも見えるが、フクの目から見てもどこか違和感があることから多分、中国か韓国の人ではないかと思った。色素の薄い髪は切り揃えられており、両サイドの髪を長めにしている。だが人当たりのいい笑顔の彼に違和感なく、とても似合っていた。
フクは目の前の男に警戒心を持ちながらも、おずおずと「あの、」と話しかけた。
「お、お兄さんは、ここがどこかわかりますか?」
「うーん、分かるというか・・・ここはいろんなところに繋がるから・・・君は急にここにいてお家に帰れないってことでいいのカナ?」
男の質問にフクはこくり、とまた頷く。
「そうか~、怖かったね・・・」
男はあやすように、フクの頭に頬擦りをした。両手が塞がっているから撫でているつもりらしい。
男は眉を八の字に、眉間に皺を寄せて、「あー」と気まずそうにフクを見た。
「まず、君に酷いこと言うけド・・・君もう、お家に帰れないヨ」
「・・・え?」
本当に酷いことだった。
「日本どころか元の世界にも帰れない!」
「・・・っ!!」
目の前の男は、居た堪れなさからか、作り笑顔をフクに向けた。
「ま、そういう顔にもなるヨネ。ごめんネ、私じゃ、どうしようも・・・ああああ!泣かないデ!!」
「うううう・・・・ヤァだ!!」
落ち着いたと思っていた目頭が、また熱くなるのを感じた。ひっ、ひっ、とまた喉が痙攣しだす。
男は泣き出すフクに、慰め方がわからないのか、背中を支えている手のひらで、トントンとフクの背中を叩く。そして背中を叩きながら自身のことを早口で語りだした。
「私もね!えぇっと、ちゅうごく、そう!中国ってところにいたんだけれどネ!急にこの霧に入ったかと思ったらネ、変なところに着いちゃっテ!あああ!!よーしよしよし!」
ベラベラと喋りだす男の話が全く耳に入ってこない。
フクはまた「うー」と泣くのを耐え、目の前の、まだ名も知らぬ男の服にしがみつく。
「うぅ・・ぅんと、そう!私がちゃんと人のいるところに連れて行きますから!」
ぴた、フクの泣き声がやむと、男は「お、泣き止んだ?」と安堵した。
フクは目の前の男に、本当に連れて行ってくれるのか、不安な気持ちをそのままに問うた。
「・・・グス、ほんとう?」
「もうココ・・・何もない霧はもう嫌でショウ?」
そうたずねる男にフクは「うん」と小さく頷いた。
「じゃあ、まず私の家、・・・と言っても職場ですが、一緒にいきましょウ。子供の世話くらいなんてこともないですよ」
そういうと、目の前の男はフクを抱えたまま、歩みが早足となる。
フクはもうすでに塩分をたくさん含んだ袖で目を擦る。きっと乾かしたら袖は白く濁るのだろうなと思いながらも、涙と鼻水で汚れた顔を、なるべく袖の綺麗な部分で拭いていく。
「そういえば、まだ私、名前言ってなかったですネ。私は・・・キョウ、『キョウ』と言いマス」
「フク・・・ぼく、フクだよ」
本名を言おうか迷ったが、あの堅苦しいような名前だ。仕方なく普段使いの名前で名乗った。キョウもフクと一緒で、名前を迷っているみたいだったので、もしかしたら名前は秘密のものなのかもしれない。
「よろシク、フク」
『キョウ』の言葉は少しだけ、ほんの少しだけ喋り方が変だ。それは日本語に慣れていないからだろうかと思って、ほんの少しだけおかしく思えた。
キョウに抱えられたまま進んで行くと、フクが、いくら歩いても晴れなかった霧が、キョウが歩を進めるごとに薄くなっていく。
霧はまだ晴れないが、風の音や、鳥がさえずる声が聞こえ、そして人の生活する音が聞こえた。
「ねえ、キョウさん、この霧って何なの?ぼくがいくら歩いても、人の音がしなかったのに」
フクは『人の気配』や『生活音』などの言葉を簡単な言葉で表現する。それは日本語に慣れていないキョウに気遣って話しているわけでなく、単純に子供の語彙力だからだ。
「この霧、不思議でしょう?この霧のことを私は『不明瞭の霧』と呼んでいるのですが、行きたい場所を思い浮かべることで、どんなに離れていてもその場所に数分で連れていってくれる、のですが・・・」
キョウはそこで言葉を切った。フクはキョウの方を見上げる。同じぐらいの距離なのに、目の前の道より、キョウの顔の方がはっきりと見える。
「ちゃんと正確に思い浮かべてないと、出られない上に、時間が経ちすぎて、記憶が補完されて変なイメージになってしまうので、結局出られなくなってしまうのデス」
日本語に慣れていないのか、時々発音がおかしくなるキョウに、変だなぁ、と思いつつ、フクはおとなしく連れられていた。
「でも、それだと、どうしてキョウさんは僕を見つけられたの?僕、寝てたよね」
フクは疲れて意識を失っていた。だから、フクはキョウに会えるわけがないと、ともうのだが。
キョウは「ああ」と納得したように呟いた。
「多分それは、ちょっと小間使いが欲しいなぁと思っていたノデ、それで見つけれたんじゃないかト・・・」
「思うんですけどネ~」と自信情げに答えた。
(他にも理由があるんだな・・・)
だがそれで、フクとキョウは出会うことができた。そのことには感謝しなくては・・・。
(そういえば、あの黒い神様みたいなのは、どうしてフクのこと知っていたんだろう)
ふと、思い出すのはあの黒い服を着た神(仮)。あれはフクの名前を知っていた、と言うことは彼はフクに会いに来たと言うこと、ならば、今日以前からフクのことを知らないといけないのだが。
フクが『ざしきわらし』になってから千年近く経っている。フクの本性を知るものは限りなく少ない。逆に知っている者がいたとしたら、フクが知らないわけがない。
ましてや、あんなに異質な存在をフク以外の神が知られない方がおかしい。キシかお釈迦さま経由で知らせてくるはずだ。
(あの人は少なからず、フク自身に会いたかったから、霧で出会ったのだとおもう。)
あの霧は人の願望を叶える霧なのだろうか・・・それにしては遠回りが過ぎる気がするが・・・
「迷いの森みたいだね。・・・怪談にありそう」
「『カイダン』?・・・ああ、『恐怖故事』ですね!確かにそういうの、私の祖国にもありマス!」
「迷っちゃって、そこから出られなくなっちゃうの。そして森に食べられちゃうって話を前に友達と話したことあるよ」
「子供って怖い話好きデスね。確かにあの霧は迷ってしまえば、元の場所に着くことはナイです」
ですが、とキョウは話を続ける。
「私の予想では、ずっとあの霧の中というわけではナク、おそらく一方通行でどこかに繋がっていると思イマス」
元の場所には帰れないが、どこかに出ないわけではない。獲って食べられるよりかはマシとは言っても、それでも一人、何もない場所で取り残されるのはフクは嫌だった。
「キシ姐・・・」
キョウは言わなかったけれど、フクは挨拶もできずにできなかった人を思い出して、また悲しくなった。
「なんで・・・会えないの?」
「私も試しました。九十七日の間に暇を見つけては霧の中に入っては出てを繰り返しました」
九十七日・・・約三ヶ月。
フクはキョウの方を何も言わずに見つめる。柔和な笑みに影が落ちた。目を瞑っているくらい細く開いた目が、まだ見ぬ敵の将軍を睨むかのように、すっ、と開いた。
「結果、476回中1回も元の世界に戻れませんでした」
「できたのは、法則が若干わかったくらいだ」とキョウは目を細めて笑った。
子供というのは、感情に敏感だ。たとえ笑顔でもキョウが、元の世界に戻れないことを憤っているのは、自分を抱き上げてくれる、優しい手のひらからも、十分に伝わった。
「さて、そろそろ街に着きます。フク、大きな声を上げないようにね」
いつの間にか周囲に草木が生えており、二人の行く手を阻んでいた。木々の枝に縋りつかれながらも、二人は雑木林から抜け出した。最後の木々の枝の隙間には、明るい光が差し込んでいた。
「・・・わあ!」
フクは先ほどキョウに言われたように、大きな声に注意していたが、それでも驚かずを得なかった。
多分、フクも想像ができなかっただろう。
絵本で見たような、レンガや土で作ったような西洋風の建物が立ち並ぶ商店街。整備された道路も馬車が走っているのをフクは初めて見た。
通る人はみんな楽しげで、道の両脇に並べてある屋台なんかはとても賑わっている。店員は客をこっちへ、こっちへと、自分の店に誘っていく。
中年の女性たちが、子供たちそっちのけで井戸端会議している姿や、屋台の中年男性が商品の試供品を身なりの良さそうな女性に差し出している様子もある。
フクが先ほどいた、何もない霧の中とは全く違っていて、人のお祭りみたいで賑わっている、この場所に興奮を覚えた。
「・・・あれって!」
フクは街の屋台より、街で一際目を惹かれるものがあった。それはフクが生きていた場所では、一生見ることのないものを、見た。
空の向こう、初めは風船かと思った。だけれど、黒っぽい塊から垂れているものは紐ではなく、重力で落ちている液体だと気がついた。よく見れば、塊は宙に浮いている島だ。ならばあれは・・・
「滝だ・・・滝が宙から落ちてる!」
宙に浮いた島から流れ落ちていたのは滝だ。それがいくつもあって、滝が落ちた先には、まるでおとぎ話に出てくる城のような建物が天高くそびえ立っている。
またよく見れば、遠くの白の周辺を何か白いものが飛び回っているではないか!あれはとり?いや翼の生えた人だ!つまり天使とか、鴉天狗とか!悪魔とか?!何かもわからない!
初めて見るそれらに、フクは顔を真っ赤にして、騒がないように大きく開いた口を手で覆い隠した。
(すごい!すごい!すごい!!)
意図もせずに驚きで、はたまた目に焼き付けるために、瞼を最大限に開いたのをフクは感じ取った。その様子にキョウは、ふふふ、と悪戯を成功させた子供のように言った。
「ようこそ、異世界へ!」
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しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
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