白猫様は悩める乙女の味方なり~こちら、しろねこ心療所~

恵喜 どうこ

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case3小池幸子『お礼はかつお節踊るたこやきで』

第15話【モニタリング】よこせ、愚民!

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「こんな山奥まで届けに来てもらって、本当に申し訳ありませんねえ」
「いいえ、とんでもないです。今の私があるのはお二人のおかげなんですから」

 飲み会で薬を盛られて合意のない肉体関係を強いられた事件から一カ月後、私は『しろねこ心療所』に来ていた。
 電車で40分。
 一時間に一本しかないバスに乗ること30分。
 『神代山入り口』バス停で降りて山道を登ること20分。
 そんな人里離れた山の奥まで来たのには理由がある。
 お礼の品を届けるためだ。

「白夜さんはここのたこやきに目がありませんから、とても助かります。私が作ったたこやきなんて、見たくもないって手で飛ばすんですよ! ひどいでしょ! ね! ひどすぎるでしょ!」

 久能先生が私の手渡したビニール袋を大事そうに抱えながら必死に訴えてきた。
 それを聞きつけたらしい白夜さんは縁側での日光浴をやめて私たちの足元にやってくると、小さなピンクの鼻をひくひくとさせてから、ぽんぽんっと久能先生のすねを叩いた。

「はやくよこせと? はいはい、わかってますよ。縁側で一緒にいただきましょうか。すぐに愛華さんが紅茶を持ってきてくれますから」
「ああ、さっきのかわいらしい女子高校生ですね?」

 ここに来て最初に出会った少女のことだ。
 ふわふわの髪に、はっきりとした二重が印象的なかわいらしい子だった。
 彼女は今、診療所のキッチンでお茶の支度をしてくれているらしい。

「ええ。本当によく働いてくれて、とても助かっているんです。それなのにこの人ったらあごでこき使うんですよ? ボランティアで働いてくれているのにもかかわらず、鬼畜でしょう?」

 久能先生と並んで縁側に座る。
 そこに白夜様もやってくると、早くしろと急かすように「ウナア」と鳴いた。
 どうやら悪口よりもたこやきのほうが大事らしい。
 久能先生は「はいはい」と目を細めながら、ビニール袋の中のたこやきの器とジップロック式の袋に入った大量のかつおぶしを取り出した。
 
「このかつおぶしもすごくおいしいんですよねえ。見えなくなるまでかけてくれって大将にはいつもわがまま聞いてもらってまして。まさかこんなふうに別で用意していただけるとは……大将は本当にお優しいなあ」
「あの……それは彼《・》の気持ちだそうです」
「彼?」

 久能先生と白夜様が私をじっと見つめる。
 二人揃ってまんまるな目をして見つめてくるものだから、思わずプッと吹きだしてしまった。
 こんなところまで揃ってしまうところを見ると、本当に彼らは心が通じ合っていると感じずにはいられない。

「実はあの事件の後からよくたこやきを買うようになって。仲良くなったんです、屋台の店主の彼と。つき合うことになったのは昨日からなんですけど」
「え!? 本当ですか! それはおめでたい! ねえ、白夜さん?」

 ちらりと久能先生が白夜様を見る。
 まんまるだった目がとがった三角形に変化する。
 どうやらご機嫌を損ねてしまったらしい。

「彼にこれまでのいきさつを包み隠さずきちんと話したんです。そうしたら彼、聞きながら『つらかったねえ』って大泣きして。すごく優しい人で、いつの間にか好きになってて。今日、お二人に会いに行くことを話したら、彼がぜひ持って行ってくれって。本当は一緒に来たかったみたいですけど、日曜は稼ぎ時だから仕方なく」
「やっぱり女性は優しい男性がいいんですよねえ。それに比べて白夜さんは超がつくツンデレの上にとことん口が悪いですから。女性にはモテませんねえ。ああ、残念、残念」

 たこやきの器の蓋を待ちきれない様子でカリカリと白夜様が掻く。
 こちらの話は聞きたくない。
 さっさと開けろと言っているみたいだ。

「こういうときは上手にスルースキル使うんですからねえ」

 そんな白夜様をからかうようにクスクスと笑いながら久能先生が蓋を開けるとその上へかつお節をたっぷりかけた。
 すっかり冷めてしまっているたこやきを気にすることなく白夜様は口をつけた。
 まずはたっぷりかかったかつお節を堪能する。

「それにしても会社まで辞めることはなかったんではないですか? あなたを苦しめた上司は会社から解雇されたわけですし」
「そうかもしれません。でも、固執するほど思い入れもないですから」

 課長はあのあと犬飼刑事さんが呼んだ救急車によって緊急搬送された。
 警察の取り調べに対しては『ある日突然、欲望が抑えきれなくなった。どんどんエスカレートしてしまった。女性たちには申し訳ないことをした』と人が変わったように謝罪の言葉も口にしたと聞いた。
 私以外の女性からの訴えもあって課長の悪事は明るみに出ることになったけれど、社外に不祥事がもれるのを恐れた会社側はトカゲのしっぽ切りのごとく課長を解雇した。
 私にも事件をこれ以上大事にしないようにと口止め料が出されたくらいだ。
 この会社は根本から腐っている――ということにやっと気づいた私は会社を辞めた。
 もちろん、会社側が提示した慰謝料という名の退職金はしっかり頂戴して。

「私、彼の屋台を手伝うつもりなんです。当面、生活費に困ることもないですし。二人で日本一のたこやき屋にしようって、新しい目標もできましたしね」
「そうですか。がんばってください! 私たちもまた買いに行きますね」
「はい!」

 はっきりと力強く返事をしたとき「お待たせいたしました」と私を案内してくれた女子高生が紅茶の入ったカップをシルバートレーに乗せてやってきた。
 彼女が縁側にトレーを置く。

「ああ! これ、桜町公園のたこやきだ! 店主さんもすごいイケメンで、話題なんですよね! いつもすごい行列だから買えないって、私たち女子高生は泣いてるんですけど、久能先生たちっていっつもこれ食べてるんですよね? 特に白夜様は……かつお節めっちゃ多いし! かつお節メインじゃないですか、これ……」

 白夜さんの隣に腰を下ろす愛華ちゃんが、脇に置かれたたこやきの入っていたビニール袋のロゴと白夜さんの器を見て叫んだ。

「彼女の彼氏さんらしいですよ、店主さん」
「ええっ! すごい!」

 彼女が大きな目をキラキラさせて私を見つめる隣で、白夜さんが面白くなさそうな顔を一瞬こちらに向けた。
 気恥ずかしくて私は急いでたこやきの器を手にすると「愛華ちゃんもおひとつどうぞ」と手渡した。

「はい! いただきます! やった! あっ、写真撮って友達に見せなきゃ!」

 彼女はたこやきの器を受け取ると、膝の上に乗せた。
 それを狙うように白夜さんが小さな顔を近づける。
 彼女は「だぁめ!」と白夜さんとたこ焼きの間に腕を差し入れた。
 ぷうっと白夜さんのかわいらしい鼻袋が広がる。

「私のをどうぞ、白夜さん」

 自分の分をそっと差し出す。
 白夜さんは「いらない」というようにたこやきには目もくれず、長い手をぺろぺろと舐めはじめた。

「本当に素直じゃないんですから! もらえばいいのに……」

 やれやれと肩をすくめて久能先生が苦笑した。
 置かれたカップを手に取って「それでは」と声を掛ける。
 たこやきを膝の上に乗せた愛華ちゃんも急いでカップを手に取る。
 私も同じようにカップを手にした。

「小池さんと彼氏さんのしあわせな前途を願って、乾杯」
「乾杯!」

 小さくカップを掲げてから口をつける。
 甘酸っぱいブルーベリーの味が口の中に広がっていく。

「だからダメだってば!」

 愛華ちゃんのたこ焼きを死守する必死な声が響く。
 白夜様がエジプト座りの姿勢で「ウナア」と不満げにひと鳴きした。

 ――よこせ、愚民!

 そう言いたげに――



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