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case2 浜崎千歳『恋せよ乙女、下着を捨てて』

第9話【計画実施】白夜様だ!

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 白夜という名の白猫と久能先生と別れた後、私はそのままランジェリーショップに足をのばした。
 久しぶりに自分で選べる。
 それだけでなんだかワクワクした。

 白と青のデザインのものを含めて7セット。
 普段使い用のプチプライス商品だったので、二万円でおつりがきた。
 勝負下着はまたの機会にすればよし。
 ひとまず今は彼から貰った物をすべて捨てることが優先だ。

 帰宅して真っ先にタンスに向かう。
 残しておいた下着をごっそりつかんで、ごみ袋に詰める。

「そう言えば、今着てるのも捨てなきゃいけないんだっけ」

 買ってきた白い下着と今身につけているものとを交換する。
 総レースの黄色の下着。
 
 ――でも、なんで黄色の総レースだってわかったんだろう?

 スカートをはいているわけじゃなかった。
 下着の話なんて一切していない。
 なのに今日の下着を当てられた。

 猫はなんでも知っていると言うけれど、透視能力でもあるんだろうか。

「強い思いが残りやすい……か」

 自社メーカーだからこその思い入れも、きっと彼にはあったんだろう。
 これをくれるときも、ものすごく長い説明をされた。
 どこの工場で生産されたとか縫製はどうのとか。
 興味がなかったから聞き流していたけれど――

「これで本当にさよならよ」

 ごみ袋にそのままポンッと投げ入れて袋の口を縛ろうとしたときだった。
 どこからともなく現れた黒い手がバシッと私の右の手首を掴んだのだ。

「ひいっ!」

 黒い手を振り払って急いでベッドに逃げ込んだ。
 そのまま布団に頭をつっこんで、かけ布団をひっかぶる。

『君のためなのに』

 布団の中なのに耳元で聞き覚えのある声がした。
 一気に全身総毛立った。

『なぜ捨てるの? なにがいけなかったの? ぼくはこんなにも君を愛しているのに』

 右の耳から聞こえた声が左耳に移動する。
 鳥肌がとまらない。
 いやな汗が噴き出してくる。
 
「いやいやいやいや! もう許して!」

 ありったけの声で叫んだ。
 ねっとりとまとわりついてくるような気配を背中にビンビン感じた。
 布団が恐ろしい勢いで引き剥がされる。
 急いで両耳を塞ぎ、首を振る。
 なにかおぞましいものが私の肩を掴んだそのときだった。
 ガラッと勢いよく窓が開いて、冷たい風がひゅうっと私の側を駆けていく。

「シャー!」

 猫が威嚇するときの声が聞こえた。
 ハッと顔を上げると、ゆっくり振り返る。
 私のすぐ背後に青年が立っていた。
 真っ白い長い髪が開いた窓から入ってくる風にさわりと揺れる。
 頭には白くて大きな三角耳がツンっと上向きに立っている。
 まるでさっき見た白猫が人間になったみたいだった。

「白夜?」

 三角耳がピクンっと反応した。
 耳だけがこちらに向く。
 飾り物の耳じゃないらしい。

「まちがえんな、愚民」

 彼が振り返る。
 顔は久能先生なのに、目の色がまったく違う。
 ブルーアイズ。
 その透き通る美しい目は大いに見覚えがあった。

「白夜様だ」
「ちょっと、ここ三階よ! どうやったらこんな高いところ……」
「助けにきてやったのにうるせえ女だな。俺様をそこらへんの人間どもと一緒にすんじゃねえ。これくらいの高さ、ちょちょいだ、ちょちょい」

 鋭くとがった牙を見せて、彼はシニカルに笑ってみせた。

「そ……それより、あれはなに!」

 白夜の前に人の形をした黒いもやが立っていた。
 右に左にと、不安定に揺れている。

「おまえの彼氏の生霊だ。まったく、もうちょっと男を見る目を養えよ」
「生霊!? まぢで!?」
『ちとせ……ちとせ……』

 もやが私の名前を連呼して、腕を伸ばしてくる。

「気安く呼んでんじゃねえよ、生霊風情が」

 シュンっと素早く白夜の手がしなった。
 鋭い爪が黒いもやを切り裂くと『ギャア!』と絶叫が上がる。
 片手を失ったもやが開いた窓からサアッと外へ逃げていく。

「本体もろとも成敗してやる!」

 もやを追った白夜はベランダの縁に四つん這いの姿勢で飛び乗った。
 そこから下を見て、躊躇なく飛ぶ。
 
 ――ちょっと待ってよ! こんな高さから飛べるわけないじゃない!

「白夜!」

 急いでベランダに飛び出して下を見る。
 彼は美しい姿勢で二回転すると、音も立ることなく、しなやかに着地したのだけど……

「ウギャアッ!」

 別の悲鳴が上がったのは、彼の着地と同時だった。
 しっかり見ると、彼の足元にスーツ姿の男がひとり倒れている。
 というか、踏みつけられている。

「う……そ」

 一週間前に別れた彼だった。
 急いで玄関に引き戻り、靴をはく。
 階段を駆け下りて、二人の元に向かった。
 白夜に踏みつけにされた彼は私がやってくると苦しそうな顔で腕を伸ばした。

「千歳……助けて……」

 弱々しい声で助けを求める彼の背中をダンっと白夜が力強く踏みつけると、短いうめき声がもれた。

「千歳。ちゃんと言ってやれ。おまえなんか嫌いだと」
「え?」
「それくらいハッキリ言わなきゃ、コイツには伝わらねえ。別れたいとか、下着なんかいらないとかじゃなくて、コイツ自体が嫌いなんだとちゃんと言え。男ってやつは女よりもずっと未練たらしい弱い生き物なんだ。ケジメをしっかりつけてやらなけりゃ、この先も生霊がつきまとうことになるぞ」

 白夜は憐れみの目を彼に向けていた。
 涙目になった彼が私の名前をくりかえし口にしている。

「私、あきらことが嫌いなの。あなたの選んだ下着も趣味じゃなかった。私はセクシー系より、かわいい系のほうが好きだったの。あなたとは趣味も性格も合わないの。もう、おしまいにして」
「全部、君のためだったのに……」

 グッと彼が地面の砂を握りしめた。
 そんな彼の背中から白夜は飛び降りると、顔の横に足を広げてしゃがんだ。
 地面に突っ伏す彼の顔を強引にあげさせると「おいっ、こら」と言った。

「本気でアイツが好きなら怖がらせたり、命狙ったりしてるんじゃねえよ」
「彼女はぼくのものだ!」
「生意気言ってんじゃねえよ、人間風情が! 自分の趣味を押しつけて、支配下に置こうなんて器がちっせえんだよ! いいか。今度コイツに手を出してみろ。命どころか、魂も塵にしてやるからな!」
「ひいっ!」

 あまりの迫力に圧倒された彼は急いで立ち上がると、土も払わずに走って逃げて行ってしまった。

「やっぱりスーツだと動きづらいな」

 パンパンとズボンの裾を白夜がはたく。
 姿は久能先生なのに、やっぱり中身はあの白猫みたいだ。

「どうやったら、あのピュアでいじらしい先生がこんなやんちゃになっちゃうわけ?」
「ああ? 憑依術っていう古式ゆかしい呪術のたまものだ。っていうか、なんだその『ピュアでいじらしい先生』って! あいつのどこがピュアでいじらしいんだ! ただの奥手の腰抜けじゃねえかよっ」
「ねえねえ、それよりさ。夢みたいだわ。私、霊感ないから、こういうのも初体験だったもの」
「勝手に俺様の話をスルーしてんじゃねえよ。あとな、俺様をそこらへんの低俗な霊どもと一緒にすんじゃねえ。気分が悪くなる」
「じゃあ、あなたは何者なのよ?」
「は? そんなの決まってる」

 長い髪を払い、ブルーの目を細めて彼は笑った。
 「白夜様だ」と言って――

「じゃあ、俺様は忙しいから帰るから。下着は燃えるごみの日にきっちり出せよ!」
「あっ。ねえ、お礼は? お金持ってくるから」

 部屋へ戻ろうとする私に「いらねえよ」と彼は面倒臭そうに言い放った。

「その代わり新しい恋をしろ。ただし、今度はちゃんと男を選べよ?」
「それだけ?」
「それだけ」

 背中を向けたまま『バイバイ』と軽く手を振って、彼、『白夜様』は行ってしまった。

「新しい恋をしろ……か。そうしたら、あなたにまた会えるかな、白夜様」

 小さくなっていく彼を見送りながら、私はそんなことをつぶやいていた。
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