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case2 浜崎千歳『恋せよ乙女、下着を捨てて』

第6話【インテーク】あなたの下着、呪われてますよ?

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「あなたの下着、呪われていますよ」
「はい?」

 恥かしさなんて欠片もない淡々とした口調で、目の前の青年が言った。
 艶やかな黒髪をきっちりとひとつで縛った清潔感のある彼の年齢は二十代後半だろうか。
  涼しい目元がとても理知的な印象を与えるのに、言っていることが残念すぎる。 
 思わず呆けた顔で彼を見る。

「よろしければ少しお話しませんか?」

 新手のナンパだろうか。
 身長が高く、モデルのように顔立ちの整った青年だ。
 黒の細身のスーツを美しく着こなしている。
 ナンパするほど女性に困っているようにはとても見えない。
 それに、だ。
 仮にナンパだとして、なぜ猫を連れているのだろう。
 連れている? 
 この解釈は間違っている。
 正確に言えば、頭に猫を乗せているのだ。
 ほうっとため息が出てしまいそうなくらいに美しいブルーアイズに、雪のような真っ白い毛の猫を頭に乗せたまま、彼は私に話しかけてきた。
 肩乗りの猫なら動画サイトで見たことがある。
 だけど、帽子さながら頭に生きている猫を乗せている風変わりな人間を生まれてこのかた見たことがない。

「ごめんなさい。時間がないので」

 ウソをついた。
 時間ならたっぷりある。
 デート相手となる彼氏とは一週間前に別れた。
 心が疲れている今だからこそ余計に変な男とかかわりあいたくない。
 たとえそれが、誰もが振り返るようなとびきりのイケメンであろうとも。
 そのときだ。
 彼が「イタッ!」と小さな声をあげた。

「白夜さん、そんなに怒らないでくださいよ。突然声をかけたのはこちらなんですから。それにどう考えても私、ド変態にしか見えないじゃないですか? これもそれも全部白夜さんのせいなんですよ? 頭の上に乗るのはやめてくださいって何度言ったらわかるんですか!」

 誰に話しかけているのだろう。
 キョロキョロと辺りを見回してみる。
 立ちどまって話をしている相手は私しかいない。
 けれど明らかに会話の相手は私じゃない。
 『頭の上に乗るのはやめてください』と言っていることから、頭の上にいる白猫に言っているっぽい。
 すると、またしても彼が「イタッ!」と声をあげて頬をさする。
 よくよく見ると、頭の上にいる白猫のしっぽがよくしなるムチのように動いていた。
 どうやらあの猫が主人である彼の頬をはたいたらしい。

「すみません。主人がどうしてもあなたと話すと譲ってくれないので、ちょっとお時間いただけますか? どこからどう見ても怪しいのは承知の上なんで」
「主人って……あなたでしょ?」
「いえいえ、とんでもない。彼が私の主人の白夜さんです。私は彼の相棒ってだけでして。イテッ! ちょっと、相棒のなにが悪いんですか! 下僕なんて絶対に言いませんからね! 言っちゃってるけど!」

 彼は頭の上で香箱座りをする白猫に向かってノリツッコミをしている。

「……あなた、本気で言ってるの?」
「ええ。もちろん。あっ、下僕じゃないですからね。相棒!」

 彼はニコリとほほえんで『下僕』という言葉を思いきり否定した。
 本気で思っている様子だ。
 どうやら相当、イタい人らしい。

「私、本当に時間がないので……」

 踵を返す。
 これ以上関わったら、こちらまでイタい人になりそうだから。

「あっ! ちょっと! 最近変わったことなかったですか? ここ一週間の内です! 電車を待っていたら誰かに背中を押されて線路に落ちかけたとか……」
「え……!?」

 思わず振り返って、じっと彼を見る。
 どうして知っているんだろう? 
 三日前の出勤のときだ。
 電車を待ちながらスマホをいじっていたら、誰かに強く背中を押された。
 そのまま線路内に落ちそうになったのを、近くにいた人に助けられたのだ。

「ああ。やっぱりですね。あと、そうですねえ。信号待ちしていたら、誰かに背中を押されて車にひかれそうになったとかもあるでしょ?」
「なんでそれを!?」

 昨日のことだ。
 仕事が終わって駅に向かう途中、横断歩道で信号待ちをしていたら背中を押された。
 このときも周りにいた人がすぐに私を歩道に引っ張ってくれて命拾いしたのだ。

「もしかして、あなたが犯人!?」

 きつく睨みつけると「とんでもない」と彼は両手を左右に大きく振って否定した。
 
「いくらなんでも私はそんな卑劣なことしませんよ! でも、これじゃ信じてもらえないですよね」

 ややあと困ったように笑いながらスーツの内ポケットからアルミ製だろう、銀色の10cm四方のケースを取り出した。
 慣れた手つきで「こういう者です」と一枚の名刺を差し出す。
 名刺には『しろねこ心療所 久能くのう孝明こうめい』と黒文字で印刷されていた。

「しろねこ心療所? あなたドクターなの?」
「ドクターではないんです。悩める女性の味方ですね。困っている女性を見かけると声をかけろって言われてまして」
「誰に?」
「この人に」

 青年が頭の上の猫を指しながら答えた。
 やわらかなほほ笑みを浮かべた彼の頭の上で、目の座った白猫がぴくっとピンクの鼻を動かして「早く『うん』と言いやがれ」と、さも言いたげに私を見下ろした。

「本当に大丈夫なのよね?」
「大丈夫です。どんとこいだそうです」
「……わかったわよ」

 誰にも話せずにいた悩みはある。
 さらにここ最近の妙な出来事を、こうも的確に言われてしまっては従うしかなさそうだ。

「ありがとうございます! じゃあ、ここらにいい喫茶店があるんで、ご案内しますね。あっ、もちろん、私がおごりますから」
「そんなことはいいから! さっさと案内して!」

 ほほ笑んだ彼の頭の上のしろねこが同調するみたいに「ウナア」と鳴いた。
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