かちょもふっ~課長と始めるもふもふライフ~

恵喜 どうこ

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第19話 ブーメランです

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 ピンポーン。ピンポンピンポンピーンポーン。

 目覚まし時計が鳴っているのだろうか。
 重いまぶたを押し上げる。視界がぼんやりと白んでいる。ハッキリしない頭を左右に動かして、周りを確認する。
 ああ、そうだった。
 調べ物をしていたんだ。
 それをまとめ終って、そのままデスクに突っ伏して眠ってしまったんだ。

 タイマーにしていたエアコンがすでに切れている。
 部屋の温度はいくつだろう。
 足元がスースーとして、思わずぶるりと全身が震えた。

 ピンポーン。ピポピポピンポーン。

 先ほどとは違うリズムで鳴る音に、ようやく頭が冴えてくる。
 充電が完了したスマホのアラーム音ではない。これは玄関の呼び鈴だ。
 寝室の壁に掛けたデジタル時計に目を向ける。
 6時30分を指している。
 こんな朝早くからイタズラする不道徳なヤツは誰だ! 
 こっちは30分ほどしか寝ていないというのに。
 よっこらしょと重たい腰を上げる。俺が起きたことに気づいた係長が布団の上で大きく伸びをした。猫の体は柔らかい。弓のようによくしなる。
 真似して伸びをした途端、腰からギクッと嫌な音がした。

「う……」

 よろめいて床に膝をつく。
 思った以上に体が衰えている。
 運動不足も相まってのことかもしれない。
 それにしても情けない。
 伸びをしただけなのに、腰を痛めるとは。40歳。もうムリができないお年頃。

 もう一度足に力を入れ直して立ちあがる。
 またしても呼び鈴が鳴る。
 こんな早朝にピンポンピンポン鳴らしたら、ご近所迷惑だろうに。

「まったく……」

 腰を抑えながら、寝室からリビングに向かう。玄関モニターを見て、盛大なため息を吐くことになった。
 まあ、そうだろうなとは思った。

「はい」

 モニター越しに声を掛けると、妹尾の威勢のいい声が機械を通して飛んできた。

「おはようございます、課長! 決戦の朝ということで、お支度の手伝いに参りました」

 シュタッと額に手を添えて、自衛隊さながらの挨拶をしてみせる彼は真顔そのものだった。

「今、開ける……」

 エントランスの施錠を解除する。数分も経たないうちに今度は玄関のインターホンが鳴った。

「開いてるぞ」

 あらかじめ玄関で待っていた俺は扉越しにそう声を掛けた。ゆっくりと扉が開く。
 ボストンバッグを肩に掛けたスーツ姿の妹尾は、黄緑と黄色のグラデーション柄のエコバッグを胸に抱えて満面の笑顔を俺に向けた。

「朝早くすみません! でも、居ても経ってもいられなくて」
「六時前だからな。インターホンを連打するのは近所迷惑になるだろう」

 俺の叱責に妹尾はハッとしたように目を見開いた。それから頭のてっぺんが見えるくらい深く腰を折って「申し訳ありません!」と大きな声で謝った。狭い玄関に彼の声が反芻する。

「だから、声がでかいって!」
「す、すみません! もしや、課長の身になにか起こったのではないかと心配になりまして! 後先考えずに何度も押しまくってしまいました!」
「なんで俺になにか起こるんだよ……」
「だって、二日続けて顔面なぐられていましたし。痛烈なパンチで脳みそが揺さぶられて、出血等が脳内で起きてしまう可能性がありましたから」

「本当にご無事で何よりです!」と彼は心からホッとしたとでも言いたげに頬を染めながら言った。
 そんな彼の健気な姿に俺の心臓がまたズクンッと深くいなないた。息ができなくなりそうだ。

「課長?」
「な、なんでもない。少し寝不足なだけだ」
「寝不足、ですか?」
「とにかく上がれ。玄関じゃ寒いだろう」
「あ、はい!」

 スリッパを出して、妹尾の前に置く。
 彼は丁寧に「お借りしますねー」と言ってから、スリッパに足を通した。
 彼を連れてリビングに行くと、係長が扉の前にちょこんと座っていた。
 妹尾の姿が見えると、彼はすぐに足元に絡みつく。
 頭から体までしっかりとこすりつける。八の字を描くみたいに何度も何度も、だ。

「いい子にしてた、係長?」

 妹尾の問いかけに係長は誇らしげに「みぃ」と胸を張って答えた。そんな彼のあごの下をこしょこしょとなでた妹尾が「ところで」と俺に向き直った。

「どうして寝不足なんですか?」
「ん? まあ、あれだ。今日のプレゼンの捕捉事項をまとめていたんだよ」
「補足事項、ですか?」
「ああ。相手は遠藤専務他、管理職だからな。どんな質問にも答えられるように情報を集めていたんだよ。ほら、おまえも言ってたじゃないか。どんな些細な情報も集めろって」
「はい。お祖父様の教えですね!」
「調べていたら、猫を取り巻く事情とか、今の社会とかいろいろ考えさせられてな。俺の闘志になんか火が着いちまってさ」

 ほうほうと興味深げに妹尾は目を大きくして相槌を打つ。それから俺に抱えていたエコバッグを差し出した。

「なんだ、これは?」
「今日の戦闘衣裳です」
「パンツか?」
「それも入ってます」
「それも?」

 俺の質問を妹尾は華麗にスルーして「ぼくは朝ごはん作ってきますから、課長は顔洗って、髪の毛整えてきてください」と台所へ行ってしまった。その後を係長が走って追っていく。
 飼い主は俺のはずだが、どう考えても妹尾になついている。
 本当に俺が飼っていいものなのか。
 とはいえ、係長との生活は手放しがたいし……

 エコバッグを座椅子に置いて、洗面所に向かった。
 鏡に映った自分の老け込んだ顔に冷水を浴びせる。
 寝不足で半開きだった目がしっかりと開く。
 それでもクマはしっかり残っている。

 ――気合いだ! 誠一郎!

 パチンッと両手で思いっきり頬をはたいたことを後悔した。
 昨日殴られた左頬が痛い。
 いや、口腔内が痛い。
 噛んでしまった口の中の粘膜に口内炎ができている。
 痛む頬をすりすりと撫でて再びリビングに戻ると、テーブルにはとタマゴサラダがはさまったクロワッサンが用意されていた。

「クロワッサンか」
「うちの実家の料理長から課長への激励品です。猫が大好きで、事情を話したら作ってくださいました」
「そう、か……」

 実家の料理長って。
 遠藤専務のところといい、裕福な家庭ではお抱えの料理長がいるのが普通なのだろうか。

 座椅子に腰を下ろそうとして、エコバッグの中に視線が落ちた。
 真っ赤な物が飛び込んでくる。いや、赤しかない。

 そろっと手を伸ばし、中身を摘まみ出す

 ひとつ目は赤い靴下。二つ目は赤いワイシャツ。三つ目は――

「妹尾くん。これはなんですか?」

 俺の向かいに座って、グラスに牛乳を注いでいる妹尾に三つ目の物品を見せながら問う。彼は「え?」と驚いた声をあげたあとで「パンツですよ」と答えた。

「それはわかる。形を尋ねているんだが」

 ボクサーでもトランクスでもない。ましてブリーフでもない。
 彼が持ってきたのは……

「ブーメランです」

 しかもTバックですね。

「お祖父様がちょうどいらして、事情お話したら選んでくださったんです。やはり、ここ一番ではブーメランしかないと。収まり具合が他と圧倒的に違うそうです。あとTバックはさらに身が引き締まるそうで」
「そう、か……」

 今度、妹尾の実家に行くことがあったら、絶対にそのお祖父様に言ってやろうと思う。これ以上、孫に妙なことを吹き込むな――と。

 ブーメランパンツをエコバッグへ戻して、俺はクロワッサンをほおばる。
 風味豊かなバターの香りが広がる。
 芳醇で濃厚な生地に舌鼓を打ちつつ、『赤い彗星』と呼ばれた赤がものすごく似合っている某メジャーアニメキャラがふと頭に浮かんだ。
 彼もブーメランパンツだったのだろうかなんて思いながら、俺は深いため息を吐いた。


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