かちょもふっ~課長と始めるもふもふライフ~

恵喜 どうこ

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第15話 SMクラブに通っています

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 猫の有用性――それを示すことができなければ会社を辞めなければならないというミッションに取り組んでから、すでに三時間が経過していた。
 その間、俺は猫に関するサイトを片っ端から検索して、猫を飼うことのメリットやデメリットを調べていた。
 かなり多くのサイトを検索してみたが、どのサイトも大抵同じことを言う。
 デメリットで多く上がっていたのは経済面や躾の難しさだった。やはり生き物だ。金は掛かる。

 猫一匹の一カ月あたりの飼育費用は五千円が平均だ。
 これだけで年間六万円の出費となる。
 それに加えて去勢や避妊費用が平均して一万円くらい。
 年に一回の予防接種の費用が五千円くらい。
 病気や怪我になれば都度医療費が必要になる。
 通う病院によって費用が変わるといえど、保険がきかないのは同じだから実費である医療費は、経済的な負担がやはり大きい。
 若いうちはいいとして、年を重ねてくれば病気や怪我になりやすい。
 今後健康を保った状態で15年以上生きることを想定しても、子供ひとりを育てるのとなんら変わらない費用がかかってくる。
 つまるところ、予算がなければ動物は飼育できないということになる。

 また犬と違って従順でもない。
 もちろん、飼い主になつく猫もいるみたいなのだが、犬とはかなり様子がちがってくるらしい。
 きちんと躾すれば号令で従わせる犬のようにはならないと言うのだから困りごとは山のように出てくる。

 オフィスで飼育となると、大切な書類をどう守るかも考えなければならない。
 それならケージから出さなければいいのだろうが、出たいと鳴くことが集中力をそぐと言われてしまっては本末転倒なわけだ。
 働いている人間だけでなく、猫にまでストレスを背負わせるわけにはいかない。
 病気のリスクを上げてしまい、出費の要因となる。
 これは非常にまずい。

 じゃあ、逆にメリットはと言えば、サイトで調べてみて多い意見は『かわいい』とか『癒される』ということだった。
 しかしこれではあまりにも抽象的すぎる。

 かわいいからどうした? 
 癒されるからなんだ? 

と専務なら斬り返してくるに違いない。

 それにプレゼン相手は管理職の皆さまだ。
 会社の利益となる部分を示さなければどうやっても反対意見に傾くのは目に見えている。
 もっと具体的に、数字で会社の生産性が上がることを証明しなければならない。
 となると、ここはやはり妹尾も言っていたストレスや痛みの軽減を押すべきだろう。
 だが、これも数字で示さねば意味がない。

「参ったな」

 髪を掻きむしる。
 そう言えば、部長も昔から壁にぶつかるとよく頭を掻いていた。
 そのせいであんなに髪が薄くなってしまったのかもしれないなんて考えたら、はたっと手がとまった。
 禿げるわけにはいかない。
 少なくとも独身のうちは。
 いや、恋人がいないうちは絶対に禿げるわけにはいかない。
 カツラ着用なんてもってのほかだ。

「大丈夫ですか、課長? あんまり掻きむしると禿げちゃいますよ?」

 俺のデスクに淹れたてのホットコーヒーのカップを置きながら、妹尾が言った。
 禿げるとか言うな、禿げるとか!
 年齢的に気にしていることなんだから!

「お困りみたいですが、やっぱり難しいんでしょうか?」
「ん? まあな。おまえが言うように、猫を飼ったことでストレスが減るという部分で攻めたいんだが、どうにもデータが足りなくてな」

 サイトにはアメリカの研究機関で実証されているだの、科学的に証明されただのという話は載っている。
 だが、これを自社に置き換えて想定しなければ、あそこまで怒った専務を納得させることなどできないだろう。

「せめて喫煙者とか、持病のある社員の人数とかわかったら、また違うのになあ」

 コーヒーを飲む。
 砂糖が入っていないから、苦味が一気に口の中に広がった。
 いつもよりも苦味が濃いと感じるのは、苦い思いでいっぱいだからなのかもしれない。
 はあ……と机の上に突っ伏す。
 ぬいぐるみの置物みたいに、俺のデスクに座る係長の顎の下をちょこちょこと撫でる。
 やわらかな毛が指先をすべる。彼が俺を心配するようにちろっとざらついた舌で指を舐めた。

 ――ああ。癒される。

 いつもならここで俺はタバコを吸いに行っただろう。
 でも係長に触れると、吸いたい気持ちが吹っ飛ぶから不思議だ。
 大きな目でじっと見つめられると、思わずにやにやしてしまう。

「わかりました。データがあればいいんですね」
「え?」
「ちょっと行ってきますね」

 じゃあっと手を振って、妹尾が部屋を出ていく。
 どこへ行く気だ、あいつは。
 頼むから、変な問題を起こしてくるんじゃないぞ!
 そう思って待つこと15分。

「かっちょお~」

 るんるんとスキップするように軽い足取りで妹尾が俺のデスクにやってきた。

「ずいぶん早かったな」

 パソコンの画面を凝視しすぎて目が痛い。
しょぼしょぼとする目元を指で押さえながら妹尾に尋ねると、彼は俺の前にすっとA4冊子を差し出した。

「なんだ、これは?」
「課長が欲しがっていたデータです」

 にんまりとほほ笑みを湛える妹尾に促されるままに俺は冊子を開いた。
 びっしりと並んだ文字を追う。追う。お……

「妹尾、これは?」
「大木部長に言って、データをもらってきました」
「大木部長って……人事部に行ってきたのか!」
「はい」

 妹尾が持っていたのは社員の個人情報だった。
 名前に住所、生活歴。既往歴にこれまでの健診データやストレステストの結果まで載っている。

「どうやったらこんなもの……」

 人事部以外に流出することがあり得ない情報を、どうして妹尾に渡したのか――まさか、大木部長も猫友なのか。

「大木部長は週三回、N区のSMクラブ『クイーンズヒール』に通っているんですよ。実はですね、部長がいつも指名する『凜子女王様』は猫スキー仲間でして、『ねこねこふぁんたじあ』でよくお会いするんです」
「ちょちょちょちょっ! 妹尾!」
「はい?」
「もしかして、それを部長に言ったのか?」
「はい。協力していただけたら、凜子女王様に言って、おしおきたっぷりしてもらえるように口添えするって言ったら、泣いていらっしゃいました」
「それ、人事部のみんながいる前で言ってないよな?」
「いえ。みなさんいらっしゃいましたよ。就業中ですし」

 妹尾はケロッとしている。
 悪いことをした自覚はまったくない。
 ほとんど脅迫だというのに、彼自身はそう思っていない。
 大木部長が喜んで協力してくれたと思って喜ぶ姿はもはや悪魔だ。魔性だ。

 大木部長には心から同情する。泣きたくなる気持ちも嫌というほどわかる。
 大木人事部長と言えば、赤子も黙る鬼神だ。
 いかつい顔に大柄な彼が、SMクラブで女王様にあんなことやこんなことをされているなんて。
 しかも週三回も通っている。
 そんなことを部下の前で晒されたら、俺だったらその場で首を吊りたくなっただろう。
 彼の人事部での威厳が、いや社内での威厳が急降下することは目に見えていた。
 
 ――すみません、大木部長。

 俺が専務に喧嘩を売るような真似をしなければ、いや、会社で猫を飼うなんていうことにならなければ、知られたくない秘密を世に晒すようなことにはならなかっただろうに。

 それでもせっかく手に入れた個人情報は大切に使わせてもらうことにしよう。
 喫煙者数もわかる。
 ストレステストの結果も合わせれば、いいプレゼンができるに違いない。
 具体的な数字を乗せて、未来の展望を語れば、きっといける!

「助かった。本当にありがとう」
「はい!」

 えへへと照れくさそうに頬を赤らめて笑う妹尾は天使のようにかわいいが……俺は一抹の不安を抱く。

「なあ、妹尾」
「はい、課長」
「管理職全員の個人的な情報をいろいろ知っているなんてことは……さすがにないよな?」

 俺の質問に妹尾は「え?」と目をまん丸にさせた。パチパチと長いまつ毛が上下する。

「悪かった。忘れてくれ」

 そうだよな。そんなわけがない。
 いや、もしも彼がそんなに情報を持っていたら怖すぎるだろう。
 しかし天井を見上げながら、妹尾は思いっきり両方の口角を上げて言ったのだ。

「個人的な情報かどうかはわかりませんけど……人間版ねこねこネットワークの情報はたしかに侮れないかもしれませんね」

 そんな彼にぞくりと背中が寒くなったのは言うまでもない。
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