かちょもふっ~課長と始めるもふもふライフ~

恵喜 どうこ

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第14話 課長は被害者です

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 悪いことは一度で終わらないとはよく言ったものだ。
 なぜこんなにもピンチが続いてしまうのだろう。
 ここは極寒の地なのだろうかと思えるくらいに身も心も芯から凍りついてしまっている。
 なぜなら俺の祈りが神様にまったく届かなかったのだから。

「誤解です、専務」

 俺よりも前に妹尾が専務に向かってそう言っていた。
 頼むから事を大きくしないでくれと心の中で祈りまくっていた。
 にもかかわらず、神様はなんと無慈悲なのだろう。

「誤解だと?」

 阿修羅の形相が、地獄の閻魔大王に変化している。
 いや、もうどっちもどっちだとは思うが、専務の怒りで地球が真っ二つに割れてしまうのではないかと感じるくらいには逼迫《ひっぱく》した状況に陥っている。
 しかし、こうした状況にも妹尾は動じない。
 ニコニコと四月の温かな風に揺れるたんぽぽのように愛らしい笑顔を向けて「ええ」と大きくうなずいたのだから。
 大物すぎる。
 怖いもの知らなさすぎ。
 こいつには怯むという言葉はないのだろうか。

「課長は被害者です」

「ね!」と満面の笑みで、妹尾は俺に同意を求めてきた。
 頬の筋肉がプルプルと震えてしまう。
 ちゃんと笑顔を作れているだろうか。
 そんな俺達に向かって、切れ味抜群の日本刀のように鋭い視線を専務は投げて寄越した。

「なにを寝ぼけたことを言っているんだ! 被害者は私の娘の萌香だ。泣いて訴えて来たんだぞ!」

 普段はクールで寡黙な専務である。
 しかし、今回はそうはいかないらしい。
 大切な一人娘が泣きついてくれば、黙っていられなくなるのも理解はできる。
 萌香はおそらく事実をねじ曲げて伝えている。
 そして専務は言われたままを鵜呑みにして、俺のところにやってきたんだろう。
 娘がどんな性格で、どんな振る舞いをしてきたのかをここで説明すべきだろうか。
 それとも目の中に入れても痛くないかわいがり方が娘をわがままにさせていますよと正直に伝えるべきなのか。
 
 どちらにしても絶望的な未来しか見えない。
 ここで俺がどんな言い訳を並べたとしても「貴様が不甲斐ないせいだ!」と反論されるのは目に見えている。
 だからこそ、これ以上傷口を抉るようなことはしてはならないのだ。

「ここ! ほら、ここ! 見てください! これ、娘さんがやったんですよ! もうすごいキレのあるパンチだったんですから! ね、課長?」

 妹尾が俺の腕を掴み、口元を指さす。
 腫れが引いてはいるけれど、くっきり浮かぶ赤い痣。
 それを「ほらほら、みてみて」と彼は周りにもアピールする。

 笑えない。
 本当に笑えない。
 火に油を注ぎまくっている。

「殴られるようなマネをしたんじゃないのか! 力づくで萌香を」
「そんなわけないじゃないですか! 課長は誰よりも紳士です! 世界一優しい人です! 男の中の男です! その証拠にこの子を育てるって言ってくれたんです!」

 ずずいっと印籠を見せるみたいに専務に向かって係長を見せつける。
 係長が「頭が高い! 控えおろう!」とでも言いたげに「みぃ!」と力強く鳴いた。

 最悪だ。
 専務が目を見開いて係長を見ている。
 その口元がぶるぶるとブルドーザーのごとく震えている。
 顔がみるみるうちに真っ赤になる。
 色づいた旬のいちごよりもずっと赤い。

「それはなんだ?」
「係長です」

 ちょっと前に同じやりとりを見た気がする。
 しかし今回は相手が悪すぎた。
 妹尾の答えに専務の顔がますます固まっていく。

「係長じゃないだろう。その猫はなんなんだ?」
「課長の係長です」

 妹尾君。
 その説明ではわかりません――できることなら妹尾を連れてダッシュで逃げたい。

「貴様! 私をおちょくっているのか!」

 ガタンッと激しく椅子を倒して、専務が立ちあがった。
 ツカツカと妹尾に歩み寄ってくる。
 普通はこうなる。
 酒井部長がレアケースだっただけだ。
 しかし妹尾は一歩も引かない。
 自分には非がないと思っているのか。
 いや、そもそもどうしてこんなに専務が怒ってしまったのか、理由が彼にはわからないのだろう。
 それを部長も察知したのか。

「遠藤専務! これには事情が!」

 専務を呼びとめる。
 専務は振り返り、燃える目で部長を激しく睨みつけた。

「事情とはなんだ! 神聖なるオフィスに害虫を持ってくるとは何事だ!」
「害虫じゃありません! 子猫です!」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」

 怒りが頂点に達した専務が妹尾に向かって拳を振り上げる。

 ――ダメだ! 

「専務!」

 酒井部長がラガーマンだった巨体を揺らし、専務をとめようとタックルの姿勢に入る。
 妹尾が係長を守るように体を小さくして抱え込む。

――ダメだ! 守らないと!
 
 瞬間的に俺は彼らの前に割り込んだ。
 傷つけるわけにはいかない。
 係長も、妹尾も! 
 部長は……たぶん、大丈夫。

「んあっ!」

 視界に火花が飛んだ。
 痛烈な一発だった。
 クリーンヒットした専務の拳が俺の頬にめり込んでいる。
 昨日に続けて二発目である。
 そして同じ場所。
 唇の端が切れて、また血の味がした。
 よもや親子そろって同じ場所を殴られるなんて思いもしなかった。
 熱い。痛い。泣きたい。

 重心を失った体がふらりとよろめいた。
 それでも「なにくそ」と両足を踏ん張って、倒れることだけは回避する。
 ここで格好悪く転倒するわけにはいかない。
 弱いものを守るのは男としての義務だし、なにより部下たちの前でこれ以上の失態は晒せない。

 たかが課長。
 されど課長なんだ、俺は!

 ぐいっと切れた口の端を拭い、まっすぐに体を起こす。
 怒り心頭の専務に向かって「申し訳ありません!」と90度に腰を折った。
 しかしすぐにまた上半身を起こし、今度は睨みを利かせて見下ろす。

「猫を会社で飼うための説明責任を怠ったことに関しては、上司である私に非があります。子猫を会社で飼うことを許可したのは私です。彼は悪くありません」

 専務がむっとした表情で俺を睨みあげる。
 ここで負けるわけにはいかない。

「会社で猫を飼うことの有用性をきちんと説明させてください!」
「なに!?」
「理由なく、猫を捨ててこいと言うのであれば、私は専務をパワハラで訴えます。出るところに出て勝負します。なんなら、今回のこと、娘さんに殴られた件と一緒に傷害罪として警察に訴える覚悟です!」
「小宮山、貴様……」

 ギリギリと唇を噛みながら、専務は俺を睨みつけた。憎しみの炎が専務の目に宿っている。

「明日の管理職会議で、きっちり説明いたします。慈悲深い専務のことです。その機会を与えてくださいますよね?」

 薄く笑みを引く。
 どれくらい睨み合っただろう。
 専務が「ふんっ」と鼻を鳴らした。

「そこまで言うのならいいだろう。しかし、明日の会議で賛同を得られなかった場合は、辞職も厭わないんだろうな?」
「はい。元より覚悟の上です!」

 係長と妹尾を守るためには致し方ない。
 自分が火ぶたを切ったのだ。
 死ぬ気でやるしかない。

「そうか」

 専務がわかったとうなずく。怒りはいくぶん収まったものの、その目から憎しみは消えていない。

「明日を楽しみにしている」

 そう吐き捨てて、専務は大股に部屋を出ていった。

「専務! お待ちください!」

 酒井部長が慌てて専務を追いかけて部屋を出ていった。
 しんと静まり返った途端、俺はその場にすとんっとへたり込んだ。
 腰が抜けた。
 ほっと息を抜いたら、緊張が解けて足に力が入らなくなってしまった。

「大丈夫ですか、課長!」

 妹尾が膝を折って、俺を見る。
 コリコリと頭を掻き「まいったな」とつぶやいた。
 専務に喧嘩を売ってしまった。
 専務だけじゃない。
 酒井部長を除く管理職全員を敵に回すことになってしまった。
 しかも自分の進退まで賭けて。

「課長、かっこよかったです」

 目をうるうるさせて妹尾が俺を褒めた。
 係長も妹尾と同じく目を潤ませて俺を見つめている。
 そんな係長に手を伸ばす。
 俺の指先を係長のざらざらとした紙やすりみたいな舌が優しく舐めた。

「なあ、妹尾」
「はい、課長」
「係長は会社に必要かな?」
「ええ、絶対に」

 妹尾が力強くうなずいた。

「そうか。それならなにがなんでもわかってもらわないとな」
「はい!」

 がっちりと妹尾と握手を交わす。
 猫の有用性を証明する――
 その最大のミッションを遂行するために、俺はよしっと膝を叩くとゆっくりと立ちあがった。
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