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第8話 お風呂がわきましたよ

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「それにしてもすごいパワフルな美人さんでしたね」

 お粥を食べる俺の隣で、萌香の手作りトリュフを口に入れて妹尾が言った。

「それ、うまいか?」
「はい、すごくおいしいです。まるでプロが作ったみたいです。彼女さん、お料理上手なんですね」
「いや、萌香は料理はてんでダメだった。それもおそらく彼女の手作りじゃない。彼女の家にいる料理長が作ったんだろう」
「お金持ちなんですね」
「ああ。遠藤専務の娘さんだからな」

 俺の言葉に妹尾が「ああ」と小さくうなずいた。

「誰かに似ているなあと思ったんですが、専務の娘さんだったんですね」
「萌香が一目惚れしたらしくて、専務に頼まれたんだ。一年付き合ったが、二か月前に彼女のほうからお断りされた。まあ、よかったと思ってる」
「そうかもしれませんね。課長なら実力で出世できると思いますし」

 妹尾はそう言ってトリュフをまたひとつ口に入れた。
 口の中で溶かしながら「別れた原因はなんだったんですか?」と尋ねた。

「課長がフラれる理由がぼくには思いつかなくて」
「まあ。いろいろだろうな。仕事優先だし、連絡もマメじゃないし。オシャレな店も知らないし、気の利いたセリフも言えないし。だからこんな年まで結婚できないんだろうけど」
「そうでしょうか? 課長は仕事できるし、家は広いし、優しいし。ぼくと違ってめちゃくちゃ男らしくてかっこいいのになあ」
「女が求めるのはおまえみたいなタイプだと思うよ。俺は恋愛落第者だから」

 仕事で力を使いきってしまうから、プライベートはぐったりだ。
 たまの休日は家でぐだぐだしていたい。
 しかし20代前半の女の子は許してくれない。

 毎日会いたい。
 デートしたい。
 あの店連れていって。
 この服買って。
 ドライブしよう……エトセトラ。

 正直、そんな生活に俺は疲れ果てていた――のだと思う。
 彼女が嫌いなわけじゃない。
 だけど世代の差をどうにも埋められなかった。
 別れて思うのは申し訳ないということだけだ。
 彼女の思っていたように恋愛関係を維持してあげられなかったのは、俺の男としての度量が足りなかったせいだから。

「これからは係長がいますから、絶対に楽しいことばかりですよ!」
「そうだな」

 女性という生き物と向かい合うより楽かもしれない。
 そうなると、俺の婚期はますます遠のきそうなのだが……
 事実、世間でもよく言われている。独身が生き物を飼うと結婚したくなくなるのだと。
 結婚願望が強くない俺からしたら、丁度よかったのかもしれないが――

 向かいに座る妹尾を見る。
 彼は今日俺がもらったチョコレートを次から次に開けて食べ比べをしている。
 とても楽しそうで、おいしそうだ。
 そんな彼を見て自然に口元がゆるむ。
 萌香ともこういう関係であったなら、もう少し長くつき合えたのかもしれない。

「どうかしましたか、課長?」
「いや、なんでもない」

 俺はごちそうさまと丁寧に手を合わせた。
 そのとき台所から『もすぐお風呂がわきます』というアナウンスが聞こえてきた。
 妹尾が空になった鍋と茶碗を片づけに台所へ行く。
 数分後、「課長、お風呂がわきましたよ」と片付けを終えた彼がエプロンを外して俺に告げた。

「先に入っていいぞ。おまえはお客様なんだし。まあ、夕飯まで作ってもらってお客様っていうのも変だけどな」
「とんでもないです。ごはんくらいじゃ足りないくらいです。でも、やっぱり先にというのは気が引けます」

 すると彼はなにかを思いついたらしく、ぽんっと手を打った。

「一緒に入れば順番をゆずりあわなくてもよくなりますね!」

 彼の提案に俺は口にしていたミネラルウォーターをぶっと軽く吹き出した。
 少し気管支に入ってしまい、ゲホゲホとむせこむ。

「大丈夫ですか、課長!」

 妹尾が俺の背中をさすろうと近寄ろうとするのを必死に制止する。

「だ、大丈夫だから。そ、それに二人一緒はいくらなんでもまずいだろう。か、係長がいるんだから」

 妹尾が俺の膝の上で丸くなって眠る係長を見て「そうでした」とうんうんとうなずいた。

「課長の家に来て、ぼく、ちょっと浮かれてますね。係長のことを忘れかけてました」

 照れたように頬を赤らめて彼が笑う。
 コイツのこういう言い回しが全方位に誤解を招くのだろう。
 これまでどれだけの人間が彼の言葉にどぎまぎさせられ、もやもやした気持ちを抱いたのだろう。
 自覚していないところがまた恐ろしい。

「と、とにかくだ。俺も早く入って休みたいから。とっとと入ってこい」
「はい。そうさせていただきます。それでは」

 丁寧に三つ指を立てて頭を下げると、着替えをバッグから取出して彼は風呂場に向かった。
 再びひとりになって、俺ははあとこれまでよりもずっと深いため息をついた。
 俺の足の上で気持ちよさそうに眠る係長の首元をこそっと触る。
 くすぐったかったのか、係長が小さく身をよじった。

「係長……か」

 ひとりでいる時間が長かったから、生き物と一緒にいるという現実が夢みたいに感じる。でも悪くない。

 テレビをつけてバラエティ番組を見ていると「課長」と声をかけられた。

「お風呂、ありがとうございました。いいお湯でした」

 タオルを首にひっかけた妹尾が俺の隣に座る。石鹸のいい香りが俺の鼻孔をくすぐった。

「課長の家のボディーソープとかシャンプーとかすごくいい匂いするんで、使うときにちょっと緊張しちゃいました」
「なんで緊張するんだよ? 別に高いの使ってるわけじゃないぞ?」
「憧れの人と同じ匂いになるんだなって思ったら、緊張しますよ」

 ごまかすようにへへへと笑って、妹尾は頭をタオルでゴシゴシと拭いた。
 ビールを飲んだ後以上に俺の体が熱くなる。
 なぜか彼の首筋やあごのラインに視線が向いてしまう。
 風呂上りでほんのり赤みを帯びた首が妙になまめかしい。

「ふ、風呂行ってくる。係長を頼む」

 眠っている係長を妹尾に押しつけて俺は急いで風呂場に向かった。
 どうかしている。
 彼は同性だ。
 なのにどうしてか、変な目で彼を見てしまう。

「疲れが溜まってるな。そうだ、疲れがたまってるんだよ!」

 脱衣所でぞんざいに服を脱ぎ捨てて、湯かけもせずに浴槽へ入った。
 顔の半分が隠れるまで湯に浸かる。
 丁度いい温度だ。
 妹尾が入ったあとのお湯。
 そんなことを思っただけでのぼせてしまいそうだった。

 ――あああああっ! 不毛すぎる!

 妹尾の笑顔を掻き消すように俺はぎゅうっと目をつぶると、頭のてっぺんまでお湯に浸かるように一気に潜った。
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