1 / 26
第1話 バレンタインの贈り物
しおりを挟む
2月14日バレンタイン。この日は俺にとって苦痛でしかない。
「課長! いつもお疲れ様ですっ!」
女子社員からの頂きもののチョコレートの箱が山積みになった俺のデスクから向こう側が見えなくなる。
今年はいくつ貰っただろう。
これを必死になって一年かかって食べる俺の苦悩を部下たちは知らない。
「ああ。ありがとう」
甘いものが得意じゃない。中でもチョコレートは一番苦手としている。
しかし部下からの好意を無下にもできない。ましてや苦手なんて絶対に口にできない。
40歳独身、彼女なし。
180cmの高身長に、そこそこ整った顔立ちのおかげで、社内では独身女性の最後の砦と言われている。
仕事ができるクールで優しい上司として通ってしまっている俺としては、部下に弱みは見せられない。
甘い匂いに耐えながら、俺は用意していた紙袋の中へひとつ、ひとつ丁寧にしまっていたときだった。
「小宮山課長!」
勢いよく名前を呼ばれて手をとめる。
「ん?」と顔を上げると、にこにこと頬肉をゆるめた男子社員が20㎝四方の小さなダンボールを持って立っていた。
「なんだ、妹尾。おまえも誰かにチョコをもらったのか?」
ふわふわした綿毛のような茶色の髪に童顔の妹尾隆成《りゅうせい》、入社四年目の27歳。
年齢よりもずっと年下に見える愛らしいルックスにやわらかな物腰の中性キャラで女子社員に人気の彼は、俺の問いかけにふるふると小動物のようにかわいらしく首を振った。
「課長へのバレンタインの贈り物です!」
二つのつぶらな目をキラキラと輝かせ、俺の前にダンボールをずずいっと差し出してくる。
急いで俺は周りに視線を走らせた。女子社員達が好奇の目で俺達を見ている。
中にはひそひそと耳打ちし合っている者までいる。
「そうか。ありがとう」
この場に漂う異様な空気を早く回収してしまいたくて、ダンボールを受け取る。
思ったよりズシッと重みがある。
予想していなかった重みに体勢を崩し、箱を落としそうになる。
「あっ。ダメ!」
妹尾が慌てて手を伸ばす。
その指先が俺の手の甲に触れる。至近距離で彼と見つめ合う。
刹那、空気が張りつめる。
周りにいる社員たちが固唾を飲んで見守っている。
おそらく箱を落としそうになったことに対する緊迫感――ではないと思われる。
「みぃ」
薄く張った氷の上を歩くときみたいな緊張感が走るオフィスで、か細い鳴き声があがる。
「なにか言ったか、妹尾」
「いえ、ぼくじゃないです。その子です」
「その子ってなんだ?」
「箱の中の子です」
妹尾が笑う。無邪気な顔で。
俺の手の中にあるダンボールをまっすぐに指している。
恐る恐る箱の蓋を開ける。
何度かまばたきをする。
何度もまばたきをくり返す。
しかし見えるものは変わらない。
いや、変わらなかったのだ。
「なんだ、これは?」
「バレンタインの贈り物です」
妹尾が答えた。おそろしいほど真顔で。
「猫に見えるが?」
「子猫です」
箱の中にはホワイトチョコレートのような白色のふわふわ毛玉が入っている。
耳としっぽだけはクリーム色をしているのだが、どこから見ても猫だ。
手のひらサイズの小さな猫。
アクアブルーのつぶらな目が俺をじっと見つめている。
「なんでチョコじゃないんだ?」
「だって課長、チョコ嫌いだから」
躊躇なく答える妹尾に俺は絶句する。
誰にも言っていないことを言い当てられた。
そうだ。コイツは鋭い観察眼を持っていたんだった。
「ちょ、ちょっとこっち来い!」
俺は片手でしっかり子猫入りのダンボールを抱えると、妹尾の手首を掴んでオフィスを出た。
これ以上、俺がしている努力を無駄にされてはならない。
俺は早足に会議室へ向かった。
背にした扉の向こうから「きゃーっ!」という黄色い奇声がドッと上がったのは、この際聞かないことにした。
「課長! いつもお疲れ様ですっ!」
女子社員からの頂きもののチョコレートの箱が山積みになった俺のデスクから向こう側が見えなくなる。
今年はいくつ貰っただろう。
これを必死になって一年かかって食べる俺の苦悩を部下たちは知らない。
「ああ。ありがとう」
甘いものが得意じゃない。中でもチョコレートは一番苦手としている。
しかし部下からの好意を無下にもできない。ましてや苦手なんて絶対に口にできない。
40歳独身、彼女なし。
180cmの高身長に、そこそこ整った顔立ちのおかげで、社内では独身女性の最後の砦と言われている。
仕事ができるクールで優しい上司として通ってしまっている俺としては、部下に弱みは見せられない。
甘い匂いに耐えながら、俺は用意していた紙袋の中へひとつ、ひとつ丁寧にしまっていたときだった。
「小宮山課長!」
勢いよく名前を呼ばれて手をとめる。
「ん?」と顔を上げると、にこにこと頬肉をゆるめた男子社員が20㎝四方の小さなダンボールを持って立っていた。
「なんだ、妹尾。おまえも誰かにチョコをもらったのか?」
ふわふわした綿毛のような茶色の髪に童顔の妹尾隆成《りゅうせい》、入社四年目の27歳。
年齢よりもずっと年下に見える愛らしいルックスにやわらかな物腰の中性キャラで女子社員に人気の彼は、俺の問いかけにふるふると小動物のようにかわいらしく首を振った。
「課長へのバレンタインの贈り物です!」
二つのつぶらな目をキラキラと輝かせ、俺の前にダンボールをずずいっと差し出してくる。
急いで俺は周りに視線を走らせた。女子社員達が好奇の目で俺達を見ている。
中にはひそひそと耳打ちし合っている者までいる。
「そうか。ありがとう」
この場に漂う異様な空気を早く回収してしまいたくて、ダンボールを受け取る。
思ったよりズシッと重みがある。
予想していなかった重みに体勢を崩し、箱を落としそうになる。
「あっ。ダメ!」
妹尾が慌てて手を伸ばす。
その指先が俺の手の甲に触れる。至近距離で彼と見つめ合う。
刹那、空気が張りつめる。
周りにいる社員たちが固唾を飲んで見守っている。
おそらく箱を落としそうになったことに対する緊迫感――ではないと思われる。
「みぃ」
薄く張った氷の上を歩くときみたいな緊張感が走るオフィスで、か細い鳴き声があがる。
「なにか言ったか、妹尾」
「いえ、ぼくじゃないです。その子です」
「その子ってなんだ?」
「箱の中の子です」
妹尾が笑う。無邪気な顔で。
俺の手の中にあるダンボールをまっすぐに指している。
恐る恐る箱の蓋を開ける。
何度かまばたきをする。
何度もまばたきをくり返す。
しかし見えるものは変わらない。
いや、変わらなかったのだ。
「なんだ、これは?」
「バレンタインの贈り物です」
妹尾が答えた。おそろしいほど真顔で。
「猫に見えるが?」
「子猫です」
箱の中にはホワイトチョコレートのような白色のふわふわ毛玉が入っている。
耳としっぽだけはクリーム色をしているのだが、どこから見ても猫だ。
手のひらサイズの小さな猫。
アクアブルーのつぶらな目が俺をじっと見つめている。
「なんでチョコじゃないんだ?」
「だって課長、チョコ嫌いだから」
躊躇なく答える妹尾に俺は絶句する。
誰にも言っていないことを言い当てられた。
そうだ。コイツは鋭い観察眼を持っていたんだった。
「ちょ、ちょっとこっち来い!」
俺は片手でしっかり子猫入りのダンボールを抱えると、妹尾の手首を掴んでオフィスを出た。
これ以上、俺がしている努力を無駄にされてはならない。
俺は早足に会議室へ向かった。
背にした扉の向こうから「きゃーっ!」という黄色い奇声がドッと上がったのは、この際聞かないことにした。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる