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Lesson 23 決めたから
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次の日の朝の顔は最低だった。
むくんでしまっているうえ、目が真っ赤に充血していた。
それでもさいわいなことに目元の腫れだけはおさまったから、学校では普段の通りの元気な私で通すことにした。
出される朝食を普通に食べながら、私は背中を向けて台所に立つ母に声を掛けた。
「あのね。葵の家庭教師の件なんだけどね。やめてもいいかな?」
突然の申し出に、母は洗っていたものをガシャッと崩した。
「どうしたの、突然?」
「葵も忙しいみたいだし、私も高校は合格したんだし。それに……やっぱり年頃の娘と独身の男の人が密室で時間を過ごすって。お母さん的にもちょっと心配になるんじゃないかな……なんて」
「だって、葵君よ?」
葵君よ……という母の言葉に苦笑する。
そう。
だからイヤ。
だからダメ。
「葵がすっごくいい『お兄さん』だってわかってるけど、忙しいのに無理して仕事抜けてるって、この間言ってたからさ」
ウソだけど、ウソではないことを母に言う。
母はその言葉に「そうねえ」と腕組みした。
「みっちゃんも言ってたわねえ、そんなこと。帰って来ても部屋にこもって仕事しっぱなしとかって。向こうからの申し出で甘えてしまったけれど、もうそろそろ潮時かしらねえ」
『あんた自身がそう言うんじゃあねえ』とつけ加え、母は小さくため息をついた。
「本当にいいの? これから大学受験もあるのよ?」
「葵に甘えてばっかいたら、葵が婚期のがしちゃうよ?」
「それもそうね。葵君があんたを貰ってくれるってわけじゃないしねえ」
母の何気ない言葉が突き刺さる。
だけど私はカラカラと笑い飛ばした。
「葵なんてオッサンだもん。私のほうからお断りだよー」
痛くて、痛くて、じんわりと目頭が熱くなる。
「じゃ、葵君にはお母さんから言っておくわね」
母はそれ以上聞くことも、言うこともなかった。
そのことにホッとして、私は「ありがとう」となんでもないように笑った。
これでいい。
これで葵にこれから会わずに済む。
ふたりで過ごすこともなければ、これ以上傷口が広がるような心配もなくなる。
「ごちそうさまー!」
キレイになったお皿をその場に残して、席を立った私はリビングに置いてあるカバンを掴むと靴を履いて外へ出た。
隣の家を見上げてしまう。
葵を探してしまう自分に、ズキズキと胸だけが痛みを訴える。
葵はどう思うだろう?
突然カテキョをやめることになって、どう思うだろう?
怒るだろうか?
それとも――笑ってバイバイって、手を振られるのだろうか?
葵の笑顔が脳裏に浮かぶと自然に強く唇を噛んでいた。
遊びのつき合い。
ただのつまみ食い。
でもどこかで……あれは誤解だと思いたい自分がいて、心底ため息が出る。
振り切るように前を向いて歩く。
視線の先にこちらに向かってやってくる松永の姿を見つけて、私は急いで顔を作った。
風を切るように自転車を走らせてやってくる松永が本当の気持ちに気づかないように笑顔を貼りつけた。
もう忘れると誓った。
こんな私を好きでいてくれる松永を悲しませるようなことにだけはなりたくないから。
やってくる松永に手を振ると、向こうも大きく手を振り返してくれた。
遠くから「おはよう」の元気な声が返ってくる。
違う声。
聞きたい声よりも少し高い声。
それでも、私は元気に「おはよう」と声を飛ばす。
やってきた松永が自転車を降りて私の隣に並んだ。
自転車を押して、二人で歩く。
高校生らしい彼氏、彼女の姿。
この姿を……葵はどこかで見つけるんだろうか?
松永と一緒にいながら、笑いながら、それでも頭のどこかで葵のことを考えてしまう自分をいさめる。
本当の『決別』を、『けじめ』をきちんとつけなければダメだなと思いつつ、私は松永の手を握りしめた。
むくんでしまっているうえ、目が真っ赤に充血していた。
それでもさいわいなことに目元の腫れだけはおさまったから、学校では普段の通りの元気な私で通すことにした。
出される朝食を普通に食べながら、私は背中を向けて台所に立つ母に声を掛けた。
「あのね。葵の家庭教師の件なんだけどね。やめてもいいかな?」
突然の申し出に、母は洗っていたものをガシャッと崩した。
「どうしたの、突然?」
「葵も忙しいみたいだし、私も高校は合格したんだし。それに……やっぱり年頃の娘と独身の男の人が密室で時間を過ごすって。お母さん的にもちょっと心配になるんじゃないかな……なんて」
「だって、葵君よ?」
葵君よ……という母の言葉に苦笑する。
そう。
だからイヤ。
だからダメ。
「葵がすっごくいい『お兄さん』だってわかってるけど、忙しいのに無理して仕事抜けてるって、この間言ってたからさ」
ウソだけど、ウソではないことを母に言う。
母はその言葉に「そうねえ」と腕組みした。
「みっちゃんも言ってたわねえ、そんなこと。帰って来ても部屋にこもって仕事しっぱなしとかって。向こうからの申し出で甘えてしまったけれど、もうそろそろ潮時かしらねえ」
『あんた自身がそう言うんじゃあねえ』とつけ加え、母は小さくため息をついた。
「本当にいいの? これから大学受験もあるのよ?」
「葵に甘えてばっかいたら、葵が婚期のがしちゃうよ?」
「それもそうね。葵君があんたを貰ってくれるってわけじゃないしねえ」
母の何気ない言葉が突き刺さる。
だけど私はカラカラと笑い飛ばした。
「葵なんてオッサンだもん。私のほうからお断りだよー」
痛くて、痛くて、じんわりと目頭が熱くなる。
「じゃ、葵君にはお母さんから言っておくわね」
母はそれ以上聞くことも、言うこともなかった。
そのことにホッとして、私は「ありがとう」となんでもないように笑った。
これでいい。
これで葵にこれから会わずに済む。
ふたりで過ごすこともなければ、これ以上傷口が広がるような心配もなくなる。
「ごちそうさまー!」
キレイになったお皿をその場に残して、席を立った私はリビングに置いてあるカバンを掴むと靴を履いて外へ出た。
隣の家を見上げてしまう。
葵を探してしまう自分に、ズキズキと胸だけが痛みを訴える。
葵はどう思うだろう?
突然カテキョをやめることになって、どう思うだろう?
怒るだろうか?
それとも――笑ってバイバイって、手を振られるのだろうか?
葵の笑顔が脳裏に浮かぶと自然に強く唇を噛んでいた。
遊びのつき合い。
ただのつまみ食い。
でもどこかで……あれは誤解だと思いたい自分がいて、心底ため息が出る。
振り切るように前を向いて歩く。
視線の先にこちらに向かってやってくる松永の姿を見つけて、私は急いで顔を作った。
風を切るように自転車を走らせてやってくる松永が本当の気持ちに気づかないように笑顔を貼りつけた。
もう忘れると誓った。
こんな私を好きでいてくれる松永を悲しませるようなことにだけはなりたくないから。
やってくる松永に手を振ると、向こうも大きく手を振り返してくれた。
遠くから「おはよう」の元気な声が返ってくる。
違う声。
聞きたい声よりも少し高い声。
それでも、私は元気に「おはよう」と声を飛ばす。
やってきた松永が自転車を降りて私の隣に並んだ。
自転車を押して、二人で歩く。
高校生らしい彼氏、彼女の姿。
この姿を……葵はどこかで見つけるんだろうか?
松永と一緒にいながら、笑いながら、それでも頭のどこかで葵のことを考えてしまう自分をいさめる。
本当の『決別』を、『けじめ』をきちんとつけなければダメだなと思いつつ、私は松永の手を握りしめた。
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