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Lesson 19 空と地面
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日曜日。
今日は松永とデートすることになっている。
もちろんのことながら葵にはそんなことはひとつも言っていない。
言ったらどうなるかを想像するだけで怖くて言えるわけがない。
この間のお仕置きをまたされるかと思ったら、なんだか少しビクついている。
キスは嫌いじゃない。
むしろ好きなんだと思う。
いつもと違う感じの荒いキスだってドキドキしたし、何度も何度も思い出した。
夢の中までも葵にああやって攻められ、ひとり悶々としたもの。
――でも、ダメ。
とまんなきゃダメだって思う。
流され続けちゃダメだって……
服を選びながら何度も鏡の前に立つ。
松永となら大人ぶらなくていい。
普段の自分のままでいいような気がする。
友達?
それよりは少し女らしさを強調したい気もする。
どうせデートするのなら、松永にドキドキしてもらったほうが楽しいかも……なんてことを考えるあたり、私はストレスがたまっているのかもしれない。
ミニスカートにレギンス。
定番とも言える組み合わせを選んで私は鏡の前に立った。
この間の葵との食事のときとは違う等身大の私がそこに映っている。
「いいよね?」
誰になにを許してもらう必要もないのだけれど、自然にそんな言葉が口を突いていた。
窓の外をこそっとうかがう。
今日は絶対に葵には会いたくない。
よしっ!
とりあえず、外にいる気配はなし。
今のうちだとばかりに階段を駆け降りる。
「行ってきまーす!」
キッチンで洗い物をしている母へ声を掛けると、勢いよく外へ出る。
待ち合わせの場所は駅前。
バス停までは歩いていかなければならない。
もう一度、玄関の門までゆっくりと近づいて、左右確認する。
葵はいない。
影も形もない。
なにもこんなにコソコソしなくてもいいのだけど、なにがあっても会いたくないのだから気は抜けない。
仮にばったり出くわしても、友達と遊びに行くと言えば済むはずだ。
だけど葵は鋭いし、私は壊滅的にウソがへたくそだし、触らぬ神に祟りなし。
落ち着け、私。
とにかく、葵に会わなければいいのよ。
それなのに、『こういうときに限って』とはよく言ったもので。
「あれ、ずいぶんとお洒落しちゃって? お出かけかな?」
あれだけ警戒したのがまったく意味のないものになっている。
スーツ姿の葵が隣の家の玄関先にいて、通りがかった瞬間にそんな声が降ってきた。
この男。
私の知らない間に盗聴器でも仕掛けているんじゃないのかと疑いたくなるタイミングのよさに、ため息しか出てこない。
「あー。千波と……ショッピング?」
なぜそこで『疑問形』になる、私。
痛い。
痛過ぎる。
葵はと言えば「ふーん」と相槌打ちながら、目を細め笑っている。
「ショッピングねぇ……」
疑われている。
これは絶対に疑われている。
「あー。気晴らし?」
またも『疑問形』になる。
バカだ。
どうしようもないほどバカだ。
そんな私に葵はハッハッハと大きく笑って見せた。
「良いんじゃない? 今回のテストの悪さは俺のせいでもあるしね」
行っておいでとひらひら手を振られる。
「ちょっと待って! なんでテスト悪かったって知ってんの?」
葵は少し首を傾げて見せて、一瞬空のほうへと視線を泳がせてから。
「あー。勘?」
私の真似をして語尾を疑問形にする葵にイラっとして強く睨みつける。
「そんな怖い顔すんなって。せっかくお洒落して可愛いのに、もったいないぞ?」
ゆっくり私に近寄ってきてさりげなく去り際に頬にキスを落としていく。
軽く触れるだけ。
ほんのりと軽く触れたかなと思うほどの軽いキスを葵はあまりにも簡単に落としていく。
「ちょ……!?」
思わず触れられた場所に手を置いて、去っていく葵の後姿を振り返って見る。
「葵!」
呼びとめる私に葵は立ちどまり、「ん?」と顔だけこちらに向けた。
「それ、お守りね」
「は?」
「変な男に捕まらないように。俺からのお守り」
『なかなか貰えないよー』なんてことまで言うと、葵は背中ごしにまたひらひら手を降ってそのまま行ってしまった。
「……松永は……変な男じゃないわよ……ねえ?」
自問して、納得して、でもなんだか胸が苦しくて。
葵は気付いているのかな。
気になりながら葵が行った方向とは逆のほうへと足を向ける。
けれど一歩が重すぎる。
葵があんなことするからだ。
葵に会わなければこんなふうにならないのに、なぜかものすごく悪いことをしに行くみたいに感じる。
――やめる?
体の調子が悪くなったとか言ったら、きっと松永だったら許してくれる。
でも、それもきっと甘えなんだろうな。
松永の気持ちを知っているからできる甘えなんだと思ったら、足をとめられなかった。
それに約束はやぶりたくない。
松永のめちゃくちゃ嬉しそうな笑顔を思い出したら使命感にも似たモノが心に湧きあがった。
駅前までのバスに乗り込む。
揺られながら、またぼんやりと頬に触れる。
『お守り』
そんなお守りよりもたしかなものが欲しいのに、私の欲しい本物を葵はくれない。
たった一言でいいのに――
いつになったら貰えるのかな?
貰ったら……私はどうするつもりなんだろう?
松永とデートなのにワクワクするはずの気持ちはなくて、考えるのが葵のことばかりになっている。
――バカ陽菜子!
あんなろくでもない大人の男の何がいいの?
それはとても正論なんだけど……さりげないキスも、大人なキスも、あの意地悪く笑った顔も、長い指とまつ毛もすべて私の心をくすぐって離さない。
『次は終点~』
バス内のアナウンスに我に返る。
なんのためにバスに乗ったのか、その目的を忘れたら絶対にダメだ。
今日は松永とデートするんだ。
デートして、楽しんで、それでなにかわかればいい。
なにか掴めればいい。
そんなことを思って席を立つ。
駅前の噴水の前に、すでに松永は来ていた。
約束の五分前。
なんとなくソワソワと落ちつきなく周りを見回している松永に、くすっと小さな笑みが漏れた。
かわいい!
どっかの誰かさんも私と同じ年の頃は、あんなふうにソワソワしていたんだろうか?
いつか松永もどっかの誰かさんみたいに自信に溢れ、たばこなんか吸ってぼんやり待つようになるのだろうか?
「おまたせ」
「おぅっ」
照れたように少し視線を外しながら挨拶を返す松永に、やっぱり小さな笑みが漏れてしまう。
「なんだよっ」
「んー。いつもと違うかんじするからさ」
「仕方ねーだろがっ! ……私服の大霜、かわいすぎんだから」
耳まで真っ赤。
そんなふうに照れ笑いする松永に、ほわっと胸が温かくなる。
「松永もかわいいよ?」
言った途端、むくれた顔がこちらを見る。
「ぜんぜん嬉しくねーけど?」
笑う私の目の前に、松永は勢いよくグッと手を差し出した。
「ほらっ、行こう」
その手をそっと掴む。
運動している手。
ちょっとマメの痕の残るごわついた手。
それが私の手を引く。
葵の手は運動していない手だと改めて思ってしまう。
――男子の手はみんなこうなのかな?
松永の隣を歩く。きっと傍から見れば、私たちは彼氏彼女に見えるんだろうなとか思いながら、そのことにほんの少しだけ、ズキリと胸が痛んだ。
「なあ、大霜、観たい映画ある?」
「んー? どうだろう? 面白そうなのなにかあるの?」
「さあ? でもデートっていうと映画な気がしないか?」
「んー? デートってしたことないからわかんないや」
リードされっぱなしに慣れているせいなのか、こうやって聞かれるとデートでどこに行きたいとか、なにしたいとかというのがあんまり浮かばない。
映画も嫌いではないし、プランがないならそれでも構わない気がした。
「ほんとは遊園地とか行きたかったんだけどさ」
「お小遣いピンチってこと?」
「ふたり分はさすがになあ……バイトしてねーから」
こういうとき学生って痛いわ。
「じゃあ、今日はすべて割り勘ってことで」
私の提案に、松永がかるくうなだれる。
「それはダメだよ。オレが誘ったんだから」
こういうところはきっと若くても『男』なんだな。
「学生のうちからがんばんなくったっていいじゃない? そのうち大人になって社会出るようになったら、死ぬほど相手に奢んないといけないんだよ?」
そんな私に松永は大きく何度も瞬きをして見せて「大霜ってさあ」と言った。
「ときどき、すげー大人に感じる」
そうなのかなぁ?
たぶん、それは間違いなくあの男の影響だと思われる。
だって私、葵といるときにお金を出したことがないから。
それに言われたことがある。
『学生さんにお金出させる訳にはいかないよ』と。
その言葉を聞いたとき『大人の男って大変だな』と思ったんだもの。
でも、それがあの夏の日のホテルでの会計でのときの一言なんてことは、誰にも言えない秘密事項だけれど……
「とにかく、今日は割り切っていこうね」
「じゃぁさ、ボーリング行かね?」
言いながら松永はボールを転がすようなしぐさをして見せた。
久しぶりだなあと思いつつ、私はうなずく。
「よっしゃー! いいとこ見せないとなー」
松永は大はりきりで、スキップでもしかねないほどに足どりが軽くなっている。
にこにこと緩みっぱなしの松永の顔に日の光が当たる。
真っすぐ伸びるまつ毛にも等しく落ちる日の光に、私は目を細める。
――まぶしい。
笑った顔がすごくまぶしいの。
輝く横顔には憂いなんてものはなくて、あんまりにも瑞々しいから手を伸ばしたくなる。
――こんな感じなのかな?
そんな考えがふと頭をよぎる。
葵が私を見たとき、こんな感じに見えるのだろうか?
だから手を伸ばしたくなったのだろうか?
だから触れたくなったんだろうか?
「大霜?」
瞳と瞳がぶつかって、私はパッと前を向く。
「おっし、私も頑張らないとなー」
松永に触れたいと思う私を抑制するように、私は前を向く。
なんか、あっちこっちに行き過ぎだ。
葵のことでいっぱいになっているはずの頭と心がほんのちょっとだけ揺れる。
目に見えて、触れられて、届けてくれる。
そんなちょっとしたことが嬉しくて、胸が躍る。
気持ちが透けて見えるから、見えるほうへと引き寄せられる。
吸い込まれたその先に見えるものが欲しくて手を伸ばす。
私は思った以上に貪欲だ。
空を見る。
見上げた空は薄水色で、白い雲が少しだけ浮かんでいる。
高い空は掴めない。
まるで葵みたいだ。
地面に視線を落とす。
触れられるそこにあるもの。
いつでも踏みしめられ、そこにある。
手を伸ばさなくてもいいし、背伸びをしなくてもいい。
歩く地面はそう――きっと松永だ。
自然と強く握られる手に、こもる熱に、どうしてなのかドキドキと鼓動し始める胸を抑えられなくなる。
――本当にダメなヤツだ、私。
「大霜、走るぞっ! 時間もったいねーもんな」
「うん」
一緒にいると楽しい。
ほっとする。
息が抜ける。
自然に笑える。
泣かなくてもいいし、脅えなくてもいい。
緊張もしないで済む。
いつもの私でいられる、この場所がすごく落ちつく。
松永に手を引かれて走る。
葵のキスをその風に吹き飛ばすように――
今日は松永とデートすることになっている。
もちろんのことながら葵にはそんなことはひとつも言っていない。
言ったらどうなるかを想像するだけで怖くて言えるわけがない。
この間のお仕置きをまたされるかと思ったら、なんだか少しビクついている。
キスは嫌いじゃない。
むしろ好きなんだと思う。
いつもと違う感じの荒いキスだってドキドキしたし、何度も何度も思い出した。
夢の中までも葵にああやって攻められ、ひとり悶々としたもの。
――でも、ダメ。
とまんなきゃダメだって思う。
流され続けちゃダメだって……
服を選びながら何度も鏡の前に立つ。
松永となら大人ぶらなくていい。
普段の自分のままでいいような気がする。
友達?
それよりは少し女らしさを強調したい気もする。
どうせデートするのなら、松永にドキドキしてもらったほうが楽しいかも……なんてことを考えるあたり、私はストレスがたまっているのかもしれない。
ミニスカートにレギンス。
定番とも言える組み合わせを選んで私は鏡の前に立った。
この間の葵との食事のときとは違う等身大の私がそこに映っている。
「いいよね?」
誰になにを許してもらう必要もないのだけれど、自然にそんな言葉が口を突いていた。
窓の外をこそっとうかがう。
今日は絶対に葵には会いたくない。
よしっ!
とりあえず、外にいる気配はなし。
今のうちだとばかりに階段を駆け降りる。
「行ってきまーす!」
キッチンで洗い物をしている母へ声を掛けると、勢いよく外へ出る。
待ち合わせの場所は駅前。
バス停までは歩いていかなければならない。
もう一度、玄関の門までゆっくりと近づいて、左右確認する。
葵はいない。
影も形もない。
なにもこんなにコソコソしなくてもいいのだけど、なにがあっても会いたくないのだから気は抜けない。
仮にばったり出くわしても、友達と遊びに行くと言えば済むはずだ。
だけど葵は鋭いし、私は壊滅的にウソがへたくそだし、触らぬ神に祟りなし。
落ち着け、私。
とにかく、葵に会わなければいいのよ。
それなのに、『こういうときに限って』とはよく言ったもので。
「あれ、ずいぶんとお洒落しちゃって? お出かけかな?」
あれだけ警戒したのがまったく意味のないものになっている。
スーツ姿の葵が隣の家の玄関先にいて、通りがかった瞬間にそんな声が降ってきた。
この男。
私の知らない間に盗聴器でも仕掛けているんじゃないのかと疑いたくなるタイミングのよさに、ため息しか出てこない。
「あー。千波と……ショッピング?」
なぜそこで『疑問形』になる、私。
痛い。
痛過ぎる。
葵はと言えば「ふーん」と相槌打ちながら、目を細め笑っている。
「ショッピングねぇ……」
疑われている。
これは絶対に疑われている。
「あー。気晴らし?」
またも『疑問形』になる。
バカだ。
どうしようもないほどバカだ。
そんな私に葵はハッハッハと大きく笑って見せた。
「良いんじゃない? 今回のテストの悪さは俺のせいでもあるしね」
行っておいでとひらひら手を振られる。
「ちょっと待って! なんでテスト悪かったって知ってんの?」
葵は少し首を傾げて見せて、一瞬空のほうへと視線を泳がせてから。
「あー。勘?」
私の真似をして語尾を疑問形にする葵にイラっとして強く睨みつける。
「そんな怖い顔すんなって。せっかくお洒落して可愛いのに、もったいないぞ?」
ゆっくり私に近寄ってきてさりげなく去り際に頬にキスを落としていく。
軽く触れるだけ。
ほんのりと軽く触れたかなと思うほどの軽いキスを葵はあまりにも簡単に落としていく。
「ちょ……!?」
思わず触れられた場所に手を置いて、去っていく葵の後姿を振り返って見る。
「葵!」
呼びとめる私に葵は立ちどまり、「ん?」と顔だけこちらに向けた。
「それ、お守りね」
「は?」
「変な男に捕まらないように。俺からのお守り」
『なかなか貰えないよー』なんてことまで言うと、葵は背中ごしにまたひらひら手を降ってそのまま行ってしまった。
「……松永は……変な男じゃないわよ……ねえ?」
自問して、納得して、でもなんだか胸が苦しくて。
葵は気付いているのかな。
気になりながら葵が行った方向とは逆のほうへと足を向ける。
けれど一歩が重すぎる。
葵があんなことするからだ。
葵に会わなければこんなふうにならないのに、なぜかものすごく悪いことをしに行くみたいに感じる。
――やめる?
体の調子が悪くなったとか言ったら、きっと松永だったら許してくれる。
でも、それもきっと甘えなんだろうな。
松永の気持ちを知っているからできる甘えなんだと思ったら、足をとめられなかった。
それに約束はやぶりたくない。
松永のめちゃくちゃ嬉しそうな笑顔を思い出したら使命感にも似たモノが心に湧きあがった。
駅前までのバスに乗り込む。
揺られながら、またぼんやりと頬に触れる。
『お守り』
そんなお守りよりもたしかなものが欲しいのに、私の欲しい本物を葵はくれない。
たった一言でいいのに――
いつになったら貰えるのかな?
貰ったら……私はどうするつもりなんだろう?
松永とデートなのにワクワクするはずの気持ちはなくて、考えるのが葵のことばかりになっている。
――バカ陽菜子!
あんなろくでもない大人の男の何がいいの?
それはとても正論なんだけど……さりげないキスも、大人なキスも、あの意地悪く笑った顔も、長い指とまつ毛もすべて私の心をくすぐって離さない。
『次は終点~』
バス内のアナウンスに我に返る。
なんのためにバスに乗ったのか、その目的を忘れたら絶対にダメだ。
今日は松永とデートするんだ。
デートして、楽しんで、それでなにかわかればいい。
なにか掴めればいい。
そんなことを思って席を立つ。
駅前の噴水の前に、すでに松永は来ていた。
約束の五分前。
なんとなくソワソワと落ちつきなく周りを見回している松永に、くすっと小さな笑みが漏れた。
かわいい!
どっかの誰かさんも私と同じ年の頃は、あんなふうにソワソワしていたんだろうか?
いつか松永もどっかの誰かさんみたいに自信に溢れ、たばこなんか吸ってぼんやり待つようになるのだろうか?
「おまたせ」
「おぅっ」
照れたように少し視線を外しながら挨拶を返す松永に、やっぱり小さな笑みが漏れてしまう。
「なんだよっ」
「んー。いつもと違うかんじするからさ」
「仕方ねーだろがっ! ……私服の大霜、かわいすぎんだから」
耳まで真っ赤。
そんなふうに照れ笑いする松永に、ほわっと胸が温かくなる。
「松永もかわいいよ?」
言った途端、むくれた顔がこちらを見る。
「ぜんぜん嬉しくねーけど?」
笑う私の目の前に、松永は勢いよくグッと手を差し出した。
「ほらっ、行こう」
その手をそっと掴む。
運動している手。
ちょっとマメの痕の残るごわついた手。
それが私の手を引く。
葵の手は運動していない手だと改めて思ってしまう。
――男子の手はみんなこうなのかな?
松永の隣を歩く。きっと傍から見れば、私たちは彼氏彼女に見えるんだろうなとか思いながら、そのことにほんの少しだけ、ズキリと胸が痛んだ。
「なあ、大霜、観たい映画ある?」
「んー? どうだろう? 面白そうなのなにかあるの?」
「さあ? でもデートっていうと映画な気がしないか?」
「んー? デートってしたことないからわかんないや」
リードされっぱなしに慣れているせいなのか、こうやって聞かれるとデートでどこに行きたいとか、なにしたいとかというのがあんまり浮かばない。
映画も嫌いではないし、プランがないならそれでも構わない気がした。
「ほんとは遊園地とか行きたかったんだけどさ」
「お小遣いピンチってこと?」
「ふたり分はさすがになあ……バイトしてねーから」
こういうとき学生って痛いわ。
「じゃあ、今日はすべて割り勘ってことで」
私の提案に、松永がかるくうなだれる。
「それはダメだよ。オレが誘ったんだから」
こういうところはきっと若くても『男』なんだな。
「学生のうちからがんばんなくったっていいじゃない? そのうち大人になって社会出るようになったら、死ぬほど相手に奢んないといけないんだよ?」
そんな私に松永は大きく何度も瞬きをして見せて「大霜ってさあ」と言った。
「ときどき、すげー大人に感じる」
そうなのかなぁ?
たぶん、それは間違いなくあの男の影響だと思われる。
だって私、葵といるときにお金を出したことがないから。
それに言われたことがある。
『学生さんにお金出させる訳にはいかないよ』と。
その言葉を聞いたとき『大人の男って大変だな』と思ったんだもの。
でも、それがあの夏の日のホテルでの会計でのときの一言なんてことは、誰にも言えない秘密事項だけれど……
「とにかく、今日は割り切っていこうね」
「じゃぁさ、ボーリング行かね?」
言いながら松永はボールを転がすようなしぐさをして見せた。
久しぶりだなあと思いつつ、私はうなずく。
「よっしゃー! いいとこ見せないとなー」
松永は大はりきりで、スキップでもしかねないほどに足どりが軽くなっている。
にこにこと緩みっぱなしの松永の顔に日の光が当たる。
真っすぐ伸びるまつ毛にも等しく落ちる日の光に、私は目を細める。
――まぶしい。
笑った顔がすごくまぶしいの。
輝く横顔には憂いなんてものはなくて、あんまりにも瑞々しいから手を伸ばしたくなる。
――こんな感じなのかな?
そんな考えがふと頭をよぎる。
葵が私を見たとき、こんな感じに見えるのだろうか?
だから手を伸ばしたくなったのだろうか?
だから触れたくなったんだろうか?
「大霜?」
瞳と瞳がぶつかって、私はパッと前を向く。
「おっし、私も頑張らないとなー」
松永に触れたいと思う私を抑制するように、私は前を向く。
なんか、あっちこっちに行き過ぎだ。
葵のことでいっぱいになっているはずの頭と心がほんのちょっとだけ揺れる。
目に見えて、触れられて、届けてくれる。
そんなちょっとしたことが嬉しくて、胸が躍る。
気持ちが透けて見えるから、見えるほうへと引き寄せられる。
吸い込まれたその先に見えるものが欲しくて手を伸ばす。
私は思った以上に貪欲だ。
空を見る。
見上げた空は薄水色で、白い雲が少しだけ浮かんでいる。
高い空は掴めない。
まるで葵みたいだ。
地面に視線を落とす。
触れられるそこにあるもの。
いつでも踏みしめられ、そこにある。
手を伸ばさなくてもいいし、背伸びをしなくてもいい。
歩く地面はそう――きっと松永だ。
自然と強く握られる手に、こもる熱に、どうしてなのかドキドキと鼓動し始める胸を抑えられなくなる。
――本当にダメなヤツだ、私。
「大霜、走るぞっ! 時間もったいねーもんな」
「うん」
一緒にいると楽しい。
ほっとする。
息が抜ける。
自然に笑える。
泣かなくてもいいし、脅えなくてもいい。
緊張もしないで済む。
いつもの私でいられる、この場所がすごく落ちつく。
松永に手を引かれて走る。
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