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Lesson 11 まるで子犬

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 校門前に着くころにはすでに松永の姿があった。
 よほど急いで来たらしい。
 肩で息をした彼は満面の笑みを浮かべて手を振っていた。
 そんな姿に子犬が重なる。
 尻尾を振って喜ぶ子犬……松永はそんなイメージ。

「急に悪かったな」

 真っ赤になった彼の額にはうっすら汗が滲んでいる。

「べつに……気にしなくていいよ」

 一人でいる気分ではなかったし、なによりあの部屋にいる気分ではなかったわけだし……
 松永からのLINEはタイムリーだっただけ。

「んじゃ、行く?」
「あ……うん」

 松永がそう言って歩き始めたから、私もその後ろをゆっくりとついて行く。

「なあ」

 空に浮かんだ白い雲をぼんやり眺めながら歩く私に、松永は立ちどまって尋ねてきた。

「なんかあった?」
「な……なんで?」
「なんでって。んなもん、普通わかんだろうが」

 松永はコリコリと頭をかいて小さくため息をついた。

「大霜っぽくないから」

 よく分からないことを言うヤツだ。
 私らしくないってどういう意味だろう?
 私らしくないって何を指すんだろう?
 だいたい、そんなに親しくもない松永にどうして私のことがわかるのだろうか?

「意味不明」
「そういうところが大霜らしくないっての」

 そう答えた松永がグイっと思いきり私の手を引っ張った。

「つき合ってやる」
「は?」
「何があったかなんてもう聞かない。気晴らしにつき合ってやるから、んな顔するな」
「ちょ……松永! 何言ってん……」
「泣きそうな顔、俺の前ではすんな!」

 そう言ったまま、松永は私をぐんぐん引っ張りながら前を向いて歩いていた。
 握られた手がすごく熱くて、強くて、大きくて、私はその手を振りほどけなかった。
 ベンチに手を繋いだまま並んで座り、学校近くの停留所で駅に向かうバスを待った。
 松永は私のほうを見ないように足を組んで、そこに肘を立てて顎を乗せていた。
 むっとしたような顔をしている彼を盗み見ると、苛立っているように足が小刻みに動いている。

「ごめん」
「謝るな。今、必死で押さえてんだから」

 グッとさらに強く手を握りしめられる。


「うん……」

 返す言葉がそれしかなくて、私はうつむいた。

 ――早くバスが来ればいいのに。

 ここでじっとしているのは、あまりにも息苦しい。

「だあああっっ!」

 突然、大きな声で叫ばれて思わず顔を上げた。
 松永はこれでもかというくらいガシガシ頭を掻いた後で「ごめん」と私に思いっきり頭を下げた。

「空気重すぎ。俺が耐えられん」

 コロコロ変わるところは、葵とは違った意味で掴みにくい。
 そんな松永の姿に自然に口元が緩んだ。

「いいよ。原因作ったのって私だもん。松永は悪くない」
「だよな」
「黙ったままだと余計気になっちまって。聞くな聞くなって暗示かければかけるほどドツボにはまるし。つーか、大霜が悪い。泣きそうな顔は反則すぎ」

 松永は私の顔を見て白い歯を見せて笑った。

「しかも自覚ないんだよな、そういう顔してるっての。俺が悪い狼だったら食べちゃってるよ、まぢで」

 うんうんとうなづきながら、松永はまくしたてるように話す。
 空気を少しでも変えようとしてくれている彼の優しさに、ちょっと胸がしめつけられる。

「『男はどんな小さなチャンスも狙ってる』んじゃなかったの?」
「それは時と場合による。俺は弱みにつけ込むことは絶対にしない。反則っぽい。それ、スポーツマンとしては絶対に踏めないタブーってかんじだな」
「松永って」
「ん?」
「いいヤツだよね?」

 意地悪などこかの大人に比べたら、松永はめちゃくちゃいいヤツだと思う。
 自分に真っすぐっていうか。
 ううん、人に対しても真っすぐ。
 曲がってない。
 真っ白。
 そんなイメージだから子犬なのかもしれない。
 汚れがない。
 だからみんなが言うんだろうか、王子様だと。

「それ、ガチで傷つくんだけど」

 はああああと大袈裟なくらい松永は大きくため息をつく。

「なんか悪いこと言った?」
「まぁ、そんなもんだよな」

 そう言って松永は繋いでいない残った片手でピシャッと自分の頬を叩いて見せた。

「松永?」
「うっし。バス来た。行こう」

 引っ張られるように立ちあがり、やってきたバスに乗り込む。
 一番後ろの席に並んで腰を下ろした。

「大霜のこと、いいって思っているヤツ多いの知ってる?」

 不意に投げられた質問が思いもよらなくて首がもげそうになる。
 そんな話まったく聞いたことがない。
 大きく『知らない』と首を振って見せると「だよな」と松永は返した。

「夏くらいから急に大霜キレイになったからだと思うんだけどさ」

『夏くらい』という言葉にドキリと胸が震えた。
 それは……あの日のことが引き金になっているということなんだろうか?

「なんか女っぽくなったんだよな、前よりもさ」
「そ……そんなことないんじゃない?」

 声が上ずる。
 ちょっとしたことでも動揺する自分の内面の脆さに嫌気がさす。

「いや、絶対に女っぽくなった。俺が言うんだから間違いない」

 そう自信たっぷりに胸を張るけれど、どうしたらそんな自信が生まれるのかをこっちは知りたい。

「だからさ、大霜も気をつけたほうがいいと思うぜ。俺みたいなヤツばっかじゃないからな、男は!」

 急にこっちを向いて松永は力説する。
 繋いだ手にさらに強さが加わった。

「でも、安心しろ! 変な男が近づかないように、俺、大霜のこと守るから」

 真っすぐブレない目が私を射抜く。

「俺が絶対に大霜のこと守ってみせるから」

 真っすぐブレない気持ちが私の心に届く。

 トクン、トクンって小さく鳴っているのは何の音だろう?

「いいよな?」

 真っすぐなブレない言葉に否定の言葉なんて乗せられない。


「う……ん」

 どこかで罪悪感みたいなものが生まれながらも、私はなんとなく松永に引き込まれていく。
 熱のこもった手は微かに湿り気を帯びる。

 これは私の汗なのか。
 それとも松永の汗なのか。

 終点の駅に着くアナウンスに松永が降車ボタンを急いで押した。
 横顔を覗き見る。
 葵も長いけど、松永のまつ毛も長い。
 葵は少しカールが掛かっていて量が多いけど、松永のまつ毛は彼自身をそのまま表しているようにまっすぐ伸びている。

 松永に手を引かれ、駅近くのゲームセンターに入る。

「大霜、こういうところって来る?」
「プリクラとUFOキャッチャーしかしたことない」
「じゃ、今日は違う遊びだな」

 そう言うと、松永は少し奥のほうに私を連れて行く。
 松永がチョイスした遊びに私はちょっと困惑する。

「ねえ、太鼓の達人って……」
「なーに、言ってんの? ストレス発散には持って来いなんだぜ、これ」
「でも、やったことないもん」
「大丈夫だって。かんたんモードでやればいいし。見ながら叩けばいいし。はい、持って。両方で叩かなくても1本でぜんぜんいいから」

 無理やり、ばちを持たされる。

「松永は得意なの?」

 コインを入れる松永に尋ねると「まあね」と答えた。
「小学生の弟がいんだよね、俺。で、家でよくゲームはしてっから」
「弟……いるんだ?」
「ひとりっ子っぽくは見えねーだろう?」
「まあ……面倒見はよさそうだもんね」
「だろ?」

 ばちを操作しながら松永は画面に向き合って設定をしていく。

「うーん、大霜ができそうなやつはと……んじゃ、わかりやすそうなのでっと」

 そう言って松永が選んだ曲が『もりのくまさん』。
 もっと知っている曲いっぱいあったのに、なんでそのチョイスなんだろうなと思っていると「一番簡単なヤツだから」と松永は答えた。

「ノルマ達成できたらもう一曲できっからさ。とりあえず、慣れることからな」

 そう言って松永は『むずかしい』を選び、私には『かんたん』を選ばせる。

「とにかくタイミング良く叩けばいいし、リズムに乗ればなんとかなるからさ」

 松永は私にウィンクして、画面に顔を向ける。
 曲が始まる。
 私はなんとなく汗ばむ手にしっかりばちを握りしめると音楽に合わせ、画面に合わせ、太鼓をたたく。
 隣では余裕で両手ばちを振るう松永。

「いいよ、その調子」とか「大霜うまいじゃん」とか「コンボできてんじゃん」とか、とにかく褒められる。
 褒め殺しといってもいいくらい褒められる。
 でも、それはぜんぜん嫌味じゃなくて、むしろ心地いいくらい。
 松永がそう言うたびになんだかウキウキ心が浮いて、思わず笑いがこみあげてくる。
 画面だってにぎやかで楽しくて、夢中になって画面にしがみつくようにばちを振るっていた。
 松永のおかげで、『もりのくまさん』はノルマ達成できた私に、もう一曲できる権利が生まれる。
「んじゃ、今度はもう少し難しいのな」

 そう言って『夏祭り』を選択される。
 当然、松永は『むずかしい』で、私は『かんたん』。
 私はグッと握るばちに力を込める。
 隣で松永がクスッと笑い声を立てる。

「なに?」
「ん……あとで教える」
「なによ?」
「曲始まんぞ」

 はぐらかすように松永は前を向いてしまった。
 私も急いで前を向くと画面にリズムが刻まれる。
 それを必死に追う私。
 さっきよりもかなりアップテンポで、振り遅れたり、速かったりする。
 無事にノルマは達成したけれど、なんか良かったのか、悪かったのかわからない結果にちょっと凹む。
 ただのゲームだと思うのに、こういうところは負けず嫌いが出るらしく。

「はああ」

 ポロリとこぼれるため息に、松永はポンポンと頭を軽く叩いた。

「初めてにしては上出来」

 顔を上げる私に、ニッと松永は笑って見せた。

「がんばったのになあ。なんか……がんばったわりにできなかった気がするの」

 大げさなくらいに凹む私に、松永は「そりゃそうだよ」と答えた。

「大霜、力みすぎだもん」
「力みすぎ?」
「そ。こういうゲームってのはさ、適度に力抜かないとダメなんだって」

 カンカンと太鼓の縁を叩いて見せた後、ばちをしまいながら松永は言った。

「最近の大霜はなんかいっつも体に力が入ってるってかんじするからさ。もっとリラックスっていうか、肩ひじを張らずに大霜らしくいねーと疲れるだけじゃね?」

 あまりにもまっすぐに核心を突いてくるから、グラッと大きく心の船が揺れる。
 波にさらわれて、グラリグラリと傾いては戻る。
 真っすぐな松永の目が吸い込まれそうなくらいキレイに見える。

 ――なに考えてるの、私!

 だけど足元がグラグラ揺れ動いている気がしてならなかった。
 そんな私の手を自然に松永は握ると「ほら、次」と私を別のゲームへと誘った。
 ユラユラするのはきっと葵のせいだ。
 葵が好きって言うわけじゃ絶対にない。
 けど……ショックだった。

『この距離なくしてもいい?』

 そう言われたときにはこれ以上ないくらいに惹き込まれたし、重ねた唇にドキドキもした。
 すごく嬉しい気持ちがわき上がって、勉強もがんばろうかなと思っていた矢先に知らない顔をした葵を見た。

 誰なのか、気になって仕方がない。

 葵が自分だけに笑顔を向けるなんていうこと自体ありえないことなんだとわかっていても、わがままな私はその特権を自分だけのものにしたがっている。

 好き。
 違う。
 私の知らない葵がいるのが嫌なんだ。

 私の知らないところで知らない女の人といつもああやって笑っているのだろうかと思うと、胸がキリキリした。

 だから優しくされると揺れる。
 私はズルイ人間だから楽なほうへと流される。

「大霜! これやろう!」

 エアホッケーに誘われて夢中になって遊ぶ。

 もう考えない。
 考えていたって仕方ない。
 答えは出ないし、出せないもの。

 無邪気に笑う松永がキラキラして見える。

「うっし! 大霜下手過ぎだ―!」
「手加減しなさいよ、そう思うなら!」
「ダメ―! 俺、勝負事は手ぇ抜けないたちなんで!」
「性格悪っ!」
「んじゃ、また来て練習すればいいじゃん。そうしよー!」

 松永といるほうが、私……楽な気がする。

「おいおいおいっ! ぼやっとすんなよー!」
「不意打ちズルっ!」
「あはは、大霜のその顔かわいすぎー!」

 胸が小さく踊っている。
 その奥でかすかな熱が生まれる。
 松永の笑顔に、その言葉に気持ちが持ちあげられる。

「あっ、そうだ、大霜! 一緒に写真撮ろうぜ!」

 等身大のままの私で居られるこの時間が、背伸びをしないでいられるこの時間がすごく、すごく居心地がよくって、さりげなく当たる松永の頬の感触に私の胸が早鐘を打つ。

 手をつないだまま、私は松永と並んで彼のスマホの画面を見る。

「これ、大霜のLINEにも送っといたから」
「あ……りがと……」
「じゃ、帰ろうか?」

 1時間くらいの気晴らしを終えて、私たちはまたバスに揺られて学校の前に戻った。
 松永との距離が縮んでいく気がする。
 それはとても都合がよすぎることなんだけど、それでも私はその手を離せなかった。

「勉強、教えられなくてごめん」

 謝る私に松永はまた頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「甘えてたのは俺だから。勉強はひとりでがんばるよ。んで、大霜にもうちょっと見直してもらわないとな。このまんまだとスポーツバカってイメージ大だろうから」
「今日は本当にありがとう。月曜からのテスト、がんばろうね」
「おおっ! 息詰まったらLINEしような!」

 離れていく松永の手に名残惜しさも感じながら、それでも手を振って別れる。
 軽くなる気持ちと重たくなる足。
 振り返る私に松永は大きく手を振りながら笑いかける。
 そんな彼に小さく笑みと手を振り返しながら、私はまっすぐ家へと向かう。

 戻りたくない部屋。
 見たくない隣の家。

 ――葵はまだ仕事してるのかな?

 スマホを取り出そうとカバンをまさぐって、家に置いてきたことを思い出した。

 ――なにやってるんだ、私。

 葵のことで揺れてばかりいる自分に私は深いため息を吐いた。
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