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Lesson 7 王子様はご満悦?
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「はぁあ……」
大きなため息をついて机に突っ伏す私の頭を、コンコンと突くヤツがいる。
顔を上げるのも面倒で、私はそのまま無視することに決めた。
こういうときの相手はほぼ千波で確定だ。
「なあ」
ところが予想していた人物とは違った。
反射的に頭を上げた私の目に飛び込んできたのは、机の上にあごを乗せるような格好で座る爽やかな男子の顔で、思わず「あっ……」と声がもれた。
罪悪感が押し寄せる。
――すっかり忘れてたっ!
『家に着いたら連絡くれよ』
と言われていたのをいまさら思い出しても仕方ない。
昨日はイライラとモヤモヤでぐちゃぐちゃになっていたから、夕飯食べた後はスマホはいっさい見なかったし、風呂にも入らずに眠ってしまったのだ。
気持ちの切り替えができないまま朝を迎えて、結局スマホは確認せずに放置していた。
「俺、めっちゃ心配してたんだけど」
松永は眉間にしわを湛えて不機嫌そうに言葉を紡いだ。
悪いことしたなとは思うけど、別に彼氏でもなんでもないのだし。
いや、それでも約束破った私が悪いのか?
でも、昨日は本当になにもかもが面倒になっていたから仕方ないじゃないかと喉まで出かかってごくりと飲み込んだ。
その原因のひとつはおまえなんだと言ってしまいたい自分がいて、もう一度飲み込む。
「ごめん。ちょっといろいろ考えごとしちゃってて」
そうやって言い訳を口にする私に相手はもっと眉間のしわを深くした。
「それって『あのこと』が原因?」
こそこそと周りに聞こえないような小さな声で彼が訊いた。
間違いじゃない。
『引き金』になったのは間違いないのだけど、あくまでも要因であって原因じゃない。
それに、だ。
葵との『秘密のキス』の話は絶対に目の前の男子には話せない。
右手の指先にピリリと小さな電流が駆け抜ける。
静電気みたいに一瞬だけ痛んで、じわじわとしびれる。
葵との昨日の一件を思い出したとたんに体が反応する。
――バカバカバカバカ! 私のバカ! 松永のバカ! そうよ。忘れよう。なかったことにすればいいの。思い出さなければいいのよ!
なのに、思い込もうとするほどドツボにはまる。
思考の真ん中でグルグル回りつづけている昨日の出来事。
目の前に穴があったら、まっさきにその記憶を埋めるのに、そんな都合のいい穴はなかなか脳内にはできてはくれない。
悶々とする胸の内を吐露することもできずに沈黙を続ける私とは対照的に松永は、眉間のしわを崩して満足げな笑みを浮かべていた。
――なんなの、この切り替えの早さ?
そう思う私に松永は「なら、いいや」と言った。
何が「なら、いいや」なのか説明してほしい。
「大霜が俺のことでちょっとでも悩んでくれたから」
にっこり。
「えっ?」
――それは……だいぶ違うんだけど。
否定するのもめんどくさいし、なによりこの笑顔に言葉が喉元でつかえてしまった。
松永は背筋をまっすぐ伸ばすと鼻歌交じりに廊下の男子集団の中へと消えていった。
「まずいわねえ」
背後に冷気を感じて身震いした。
もうわかりきっていて振り返る必要もなかったのだけど、予想通り、思いっきり笑みで口元を満たした千波が立っていた。
彼女は腕を組みながら私を見下ろしている。
そんな彼女の背中に黒いコウモリの羽のようなものが見えるのは気のせいじゃないだろう。
うん。
絶対に生えている。
「……盗み聞きなんて性質悪いわよ」
そう投げてまた机に体を投げ出す私の前の席にくるりと回り込んだ千波は、先ほどまで松永が座っていた椅子に優雅に座ってみせたのだった。
長い艶やかな黒髪が舞って、妖艶さに拍車を掛ける。
「ってか、なんで千波じゃないんだろう?」
私なんかより数倍、数十倍はキレイだし、絶対に男なら放っておけないと思うのに、なんでよりにもよって『王子様』と人気のあの松永は、私に寄ってくるのだろう。
「モテ期は大事にしたほうがいいわよ」
「モテ期?」
「人生に『2度』しかないみたいなんだから」
「松永のことを言ってるならまあ……そうかもしれないけど。モテるって、他に誰もいないじゃん」
「は? カテキョがいるじゃない」
「それこそ、大きな間違いだと思う」
葵は違う。
あの人はからかってるだけだもの。
同じ世代に飽きて、ちょっとつまみ食いって、絶対にそんな感じだ。
そんなふうに考えるだけでまたイラッとした。
「またカテキョとなにかあったのね。で、今回はなに?」
相変わらず鋭い勘をしている千波をちら見する。
目が合った瞬間、にやりと笑われる。
見なきゃよかったと後悔したが遅い。
私は「いいなさい」という千波の口に出さない威圧的な言葉に押されてしぶしぶ吐いてしまう。
最近、千波は葵と同じ種の人間じゃないかと思えてきていた。
「キスしそうになったけどしなかった」
正確には伝えられなくて、なんとなく誤魔化しながらそう告げた。
キスはしそうになった。
だって、ねだったから。
でもしなかった。
正解は『してもらえなかった』ということだけど、それは自分のプライド的に言えない言葉。
言ってしまったら『負け』を認めたことになるような気がして、どうしてもそれだけは認めたくなかった。
事実、あのとき『キスしたい』と言ってしまったた時点で葵に『負け』たのだけど――
「たばこ臭いから嫌とか言ってなかったかな?」
痛いところを突かれる。
たしかに言った。
「昨日は……匂わなかった気がする」
思い出してみると、昨日の葵からはたばこの匂いがしなかった。
いつもの香水の匂いだけ。
――なんでだろう?
禁煙でも始めたんだろうか?
たばこの匂いがしない葵は、なんだか少し物足りない気もする。
「残念だったわねえ。で、松永とはどこまで行ったの?」
千波は淡々と葵の話から松永のほうへと話題転換をした。
結局のところ、千波はそっちの話のほうが聞きたいのではないかと勘繰った目を向ける。
彼女はそんな私に「情報は多いほうがいいのよ」なんて、また意地悪く笑ってみせた。
私は一度大きなため息をつくと「交換しただけ」と答えた。
「なんの?」
「LINE」
その答えに千波はずいっと顔を近づけてきて。
「ほんとにそれだけ?」
と迫力満点の目で私の目を見つめて尋ねてきた。
「ガチで……それだけ」
言ったところで千波が納得するはずもない。
こういうとき葵だったら上手く切り抜けたり、誤魔化したりできるんだろうなあとか思ってしまう。
――もう、やだやだやだやだ!
葵、葵、葵、葵。
私の頭の中が葵で密になっている。
――私、ハマってるのかな?
何に?
葵に?
……それは絶対にイヤ!
「で、本当はどこまでなの?」
「話さなきゃダメ?」
上目遣いで千波に尋ねる。
「話さなきゃダメ」
高圧的な視線でやり返されて、結局しぶしぶ重たい口を開いた。
「キス……されかけた」
「それだけ?」
うっ……と言葉に詰まる私。
どこまでウソがつけないのか。
いや、千波の迫力が凄すぎるんだ……と負ける自分を必死に擁護してみる。
「ここには……された」
トントンと……昨日松永の唇が触れた部分を指して見せる。
千波は私を見つめた後で、廊下の松永のほうへと視線を走らせた。
「単純ね、アイツ」
気の毒に……とでも言いたげな千波の視線に私は苦笑する。
たしかに松永は単純だと思う。
わかりやすい分、子供っぽくて憎めない。
そんなストレートな松永にちょっぴりドキッとしたのも事実なわけだし。
「あんまり罪、作らないほうがいいわよ。ヒナには『カテキョ』っていう『立派』な『彼氏』がいるんだから」
「千波。葵は『カテキョ』だけど『彼氏』じゃないから」
冗談じゃない。
なんでそうなるんだろう。
葵は『彼氏』じゃない。
『彼氏』なんかじゃない。
葵は葵。
それ以上でも以下でもない。
「とりあえず、テストだけは気を引き締めなさいよ。じゃないと『カテキョ』にまた意地悪されるわよ」
「うぅ……」
テストは来週。
明日、明後日は葵のみっちり『個人授業』。
考えただけで頭が痛い。
テストの成績の良し悪しは、本当にその後の葵の行動に大きな影を落としかねないから。
「テストかあ……」
私は大きなため息をつきつつ、明日なんか来なければいいのにと――心の中で何度も何度もつぶやいた。
大きなため息をついて机に突っ伏す私の頭を、コンコンと突くヤツがいる。
顔を上げるのも面倒で、私はそのまま無視することに決めた。
こういうときの相手はほぼ千波で確定だ。
「なあ」
ところが予想していた人物とは違った。
反射的に頭を上げた私の目に飛び込んできたのは、机の上にあごを乗せるような格好で座る爽やかな男子の顔で、思わず「あっ……」と声がもれた。
罪悪感が押し寄せる。
――すっかり忘れてたっ!
『家に着いたら連絡くれよ』
と言われていたのをいまさら思い出しても仕方ない。
昨日はイライラとモヤモヤでぐちゃぐちゃになっていたから、夕飯食べた後はスマホはいっさい見なかったし、風呂にも入らずに眠ってしまったのだ。
気持ちの切り替えができないまま朝を迎えて、結局スマホは確認せずに放置していた。
「俺、めっちゃ心配してたんだけど」
松永は眉間にしわを湛えて不機嫌そうに言葉を紡いだ。
悪いことしたなとは思うけど、別に彼氏でもなんでもないのだし。
いや、それでも約束破った私が悪いのか?
でも、昨日は本当になにもかもが面倒になっていたから仕方ないじゃないかと喉まで出かかってごくりと飲み込んだ。
その原因のひとつはおまえなんだと言ってしまいたい自分がいて、もう一度飲み込む。
「ごめん。ちょっといろいろ考えごとしちゃってて」
そうやって言い訳を口にする私に相手はもっと眉間のしわを深くした。
「それって『あのこと』が原因?」
こそこそと周りに聞こえないような小さな声で彼が訊いた。
間違いじゃない。
『引き金』になったのは間違いないのだけど、あくまでも要因であって原因じゃない。
それに、だ。
葵との『秘密のキス』の話は絶対に目の前の男子には話せない。
右手の指先にピリリと小さな電流が駆け抜ける。
静電気みたいに一瞬だけ痛んで、じわじわとしびれる。
葵との昨日の一件を思い出したとたんに体が反応する。
――バカバカバカバカ! 私のバカ! 松永のバカ! そうよ。忘れよう。なかったことにすればいいの。思い出さなければいいのよ!
なのに、思い込もうとするほどドツボにはまる。
思考の真ん中でグルグル回りつづけている昨日の出来事。
目の前に穴があったら、まっさきにその記憶を埋めるのに、そんな都合のいい穴はなかなか脳内にはできてはくれない。
悶々とする胸の内を吐露することもできずに沈黙を続ける私とは対照的に松永は、眉間のしわを崩して満足げな笑みを浮かべていた。
――なんなの、この切り替えの早さ?
そう思う私に松永は「なら、いいや」と言った。
何が「なら、いいや」なのか説明してほしい。
「大霜が俺のことでちょっとでも悩んでくれたから」
にっこり。
「えっ?」
――それは……だいぶ違うんだけど。
否定するのもめんどくさいし、なによりこの笑顔に言葉が喉元でつかえてしまった。
松永は背筋をまっすぐ伸ばすと鼻歌交じりに廊下の男子集団の中へと消えていった。
「まずいわねえ」
背後に冷気を感じて身震いした。
もうわかりきっていて振り返る必要もなかったのだけど、予想通り、思いっきり笑みで口元を満たした千波が立っていた。
彼女は腕を組みながら私を見下ろしている。
そんな彼女の背中に黒いコウモリの羽のようなものが見えるのは気のせいじゃないだろう。
うん。
絶対に生えている。
「……盗み聞きなんて性質悪いわよ」
そう投げてまた机に体を投げ出す私の前の席にくるりと回り込んだ千波は、先ほどまで松永が座っていた椅子に優雅に座ってみせたのだった。
長い艶やかな黒髪が舞って、妖艶さに拍車を掛ける。
「ってか、なんで千波じゃないんだろう?」
私なんかより数倍、数十倍はキレイだし、絶対に男なら放っておけないと思うのに、なんでよりにもよって『王子様』と人気のあの松永は、私に寄ってくるのだろう。
「モテ期は大事にしたほうがいいわよ」
「モテ期?」
「人生に『2度』しかないみたいなんだから」
「松永のことを言ってるならまあ……そうかもしれないけど。モテるって、他に誰もいないじゃん」
「は? カテキョがいるじゃない」
「それこそ、大きな間違いだと思う」
葵は違う。
あの人はからかってるだけだもの。
同じ世代に飽きて、ちょっとつまみ食いって、絶対にそんな感じだ。
そんなふうに考えるだけでまたイラッとした。
「またカテキョとなにかあったのね。で、今回はなに?」
相変わらず鋭い勘をしている千波をちら見する。
目が合った瞬間、にやりと笑われる。
見なきゃよかったと後悔したが遅い。
私は「いいなさい」という千波の口に出さない威圧的な言葉に押されてしぶしぶ吐いてしまう。
最近、千波は葵と同じ種の人間じゃないかと思えてきていた。
「キスしそうになったけどしなかった」
正確には伝えられなくて、なんとなく誤魔化しながらそう告げた。
キスはしそうになった。
だって、ねだったから。
でもしなかった。
正解は『してもらえなかった』ということだけど、それは自分のプライド的に言えない言葉。
言ってしまったら『負け』を認めたことになるような気がして、どうしてもそれだけは認めたくなかった。
事実、あのとき『キスしたい』と言ってしまったた時点で葵に『負け』たのだけど――
「たばこ臭いから嫌とか言ってなかったかな?」
痛いところを突かれる。
たしかに言った。
「昨日は……匂わなかった気がする」
思い出してみると、昨日の葵からはたばこの匂いがしなかった。
いつもの香水の匂いだけ。
――なんでだろう?
禁煙でも始めたんだろうか?
たばこの匂いがしない葵は、なんだか少し物足りない気もする。
「残念だったわねえ。で、松永とはどこまで行ったの?」
千波は淡々と葵の話から松永のほうへと話題転換をした。
結局のところ、千波はそっちの話のほうが聞きたいのではないかと勘繰った目を向ける。
彼女はそんな私に「情報は多いほうがいいのよ」なんて、また意地悪く笑ってみせた。
私は一度大きなため息をつくと「交換しただけ」と答えた。
「なんの?」
「LINE」
その答えに千波はずいっと顔を近づけてきて。
「ほんとにそれだけ?」
と迫力満点の目で私の目を見つめて尋ねてきた。
「ガチで……それだけ」
言ったところで千波が納得するはずもない。
こういうとき葵だったら上手く切り抜けたり、誤魔化したりできるんだろうなあとか思ってしまう。
――もう、やだやだやだやだ!
葵、葵、葵、葵。
私の頭の中が葵で密になっている。
――私、ハマってるのかな?
何に?
葵に?
……それは絶対にイヤ!
「で、本当はどこまでなの?」
「話さなきゃダメ?」
上目遣いで千波に尋ねる。
「話さなきゃダメ」
高圧的な視線でやり返されて、結局しぶしぶ重たい口を開いた。
「キス……されかけた」
「それだけ?」
うっ……と言葉に詰まる私。
どこまでウソがつけないのか。
いや、千波の迫力が凄すぎるんだ……と負ける自分を必死に擁護してみる。
「ここには……された」
トントンと……昨日松永の唇が触れた部分を指して見せる。
千波は私を見つめた後で、廊下の松永のほうへと視線を走らせた。
「単純ね、アイツ」
気の毒に……とでも言いたげな千波の視線に私は苦笑する。
たしかに松永は単純だと思う。
わかりやすい分、子供っぽくて憎めない。
そんなストレートな松永にちょっぴりドキッとしたのも事実なわけだし。
「あんまり罪、作らないほうがいいわよ。ヒナには『カテキョ』っていう『立派』な『彼氏』がいるんだから」
「千波。葵は『カテキョ』だけど『彼氏』じゃないから」
冗談じゃない。
なんでそうなるんだろう。
葵は『彼氏』じゃない。
『彼氏』なんかじゃない。
葵は葵。
それ以上でも以下でもない。
「とりあえず、テストだけは気を引き締めなさいよ。じゃないと『カテキョ』にまた意地悪されるわよ」
「うぅ……」
テストは来週。
明日、明後日は葵のみっちり『個人授業』。
考えただけで頭が痛い。
テストの成績の良し悪しは、本当にその後の葵の行動に大きな影を落としかねないから。
「テストかあ……」
私は大きなため息をつきつつ、明日なんか来なければいいのにと――心の中で何度も何度もつぶやいた。
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