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Lesson 4 不毛な昼休み
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眠たくて、眠たくて、大きなあくびが一つこぼれ出た。
原因は決まっている。
葵のせいだ。
だって結局あの後気になりすぎて眠れなかったのだから。
「寝不足?」
向かいの席でお弁当をつつきながら、日本人形みたいに真っ黒なストレート髪の。
同性から見たって明らかに美人と言える親友の松本千波がそう聞いた。
「んー。ちょっとねぇ」
落ちてくる瞼をなんとか押し上げながら、進まない箸でおかずを転がす。
食気よりも明らかに眠気のほうが勝ってて、当然ながら油っこい『から揚げ』なんか喉を通ってくれるわけがなく。
私の箸にもてあそばれて、弁当箱の隅から隅を行き来している。
「原因ってカテキョ?」
鋭く切れる目ががっちり私を見つめている。熟れたさくらんぼをほうふつとさせる赤い唇から嫌な単語が飛び出した。
カテキョ。
カテキョ。
原因はカテキョだけど、カテキョじゃない。
「から揚げ、可哀そうだよ」
そう声を掛けられて顔をあげる。
中学からの同級生、私の親友である川端《かわばた》千波《ちなみ》が私の箸の先を指さしている。
箸の先で衣がすっかり脱げてしまったから揚げがいじけていた。
「あ……食べる?」
なんて問う私に千波は「重症ね」とこぼすと、自分のお弁当を口に放り込んだ。
「で、カテキョになんかまた言われたの?」
鋭い視線と一言に思わずギクリと体が硬直する。
――なんか言われたって訊かれてもなあ。
『続きはテストの後』みたいなことだとか『キスしたくない?』だとか、不毛なことをたくさん言われすぎて、どれを伝えていいのかわからない。
「んー。なんかきっと、からかわれてんだよねえ、私」
可哀そうなから揚げをつまみ上げて、しぶしぶ口の中へ入れる。
衣の油っこさがなくなったお肉はとっても柔らかくて、むしろ突いて正解だったのかもしれない。
「だから、なんで?」
「キス……したくないかって聞かれた」
「したらいいじゃない」
「なんでそうなるの?」
「だって、したいんでしょ?」
黒髪ボブの日本人形みたいな悪友様はにっこりと笑う。
「別にしたくないもん、あんなたばこ臭い男と」
学校の自販機で買ったいちごオレの紙パックにストローを刺してから口をつけた。甘いいちごとミルクの味が口の中いっぱいに広がっていく。
「間、あったけど?」
「うるさいっ。千波のイジワルッ!」
横をプイッっと向く私をなだめるように千波は「カワイイね」と笑った。
「もうっ! 他人事だと思って!」
「じゃあさ。カテキョ以外の男とキスしてみたら?」
千波の突拍子もない言葉に一瞬頭の中が真っ白になった。
――カテキョ以外の男? 葵以外?
「そんな男、思いつかない」
そう答える私に、千波はくすりと小さく笑って窓際のほうを指差した。
「ゴロゴロしてるじゃない? 頼めば喜んでみんなしてくれると思うよお。陽菜子、意外と男子に人気あるんだし、チャンスよ!」
怖ろしいことをシレッと言いきった千波が指した方向を見る。
学ラン姿の男子共が山のようにいて、紙パックジュースやら、売店のパンやらを手にして大笑いしている。
「たばこ臭くはないと思うけど、違う臭いはするかもね」
そう言って千波は可笑しそうにクスクス笑う。
たばこ臭くはない。
でも違う臭いはする。
それはちょっと想像したくない。
「……同級生とか……なんかパス」
「じゃあ、やっぱりカテキョとするしかないじゃない」
またしても千波は整った顔に悪魔の笑顔を浮かべた。
けしかけてるのか?
楽しんでるのか?
それともその両方か?
正論だけど、同級生とっていうのはイメージがわかない。
――どんなキスなんだろう? 葵とのキスは……
そこまで考えてハッと我に返る。
――ダメ! 思いだすな、陽菜子!
ぞわりと背筋に走る悪寒にも似た感覚に、私は固く目をつむった。
――考えるな! 考えるな! 考えるな!
「なあ、大霜」
そんなときに割り込んでくる声に私は目を開いた。
ゆっくりと声のしたほうへ顔をむけると、真っ黒に焼けた肌のしょうゆ顔男子が一名、真っ白い歯を惜しげもなく出して笑っていた。
彼は隣の席の机にどっかり腰を下ろしてこっちを見ている。
「それ、いらないなら俺にくれよ」
私のお弁当の中の『から揚げ』を見つめながら、松永裕也が言った。
高校1年からずっと同じのクラスメート。
ハンドボール部の次期キャプテンにこの間指名されたとかいう、スポーツ大好きな彼は女子からも男子からもそこそこ人気があるらしいけど。
私にはその魅力がすこしもわからない。
――だって、子供っぽく見えるんだもん。
他の女子が松永に夢中になる理由がわからなくて、首を捻りまくる。
たしかに見た目はカッコいい部類だけど。
休み時間は他の男子とワーワー騒いでるし、スポーツに関してはウザいくらい熱血だし、勉強がすごくできるわけでもない。
トータル点数は上の下?
イイ線はいってる。
ただ私の恋愛対象合格ラインにはいないってだけで……
「なあ、食べんの? くれんの? どっちだよ?」
松永が身を乗り出してそう問う。
――そんなにお腹が空いてるのかな?
「どうぞ」
弁当箱を差し出す私に、松永は首を振る。
欲しいと言うからあげるのに、なんで首を振るのかさっぱりわからない。
「食べさせて」
「は?」
「お箸でほら、あ~んって」
大きく口を開けて、右手でここと指示する。
――めんどくさっ!
そう思いつつ、私は言われるまま最後の一個の『から揚げ』を松永の口へ放り込んだ。
松永はこれ以上ないってくらい顔をくしゃくしゃにして笑いながら『から揚げ』を堪能している。
「サンキューな!」
食べ終わると満面の笑顔で挨拶をして、窓際の男子共の群れの中へと戻っていった。
「なに、アイツ。そんなにお腹空いてたのかな?」
弁当の蓋を閉じて前に目を向ける。
絶対に関わっちゃいけないなと思わせるオーラを放った千波が、にんまりと極悪な笑みを湛えている。
「狙ったわね、松永」
「は?」
もぐもぐとおかずを詰め込んだ口に、千波は悩ましいほど妖しい笑みを湛える。
こういう顔しているときの千波の考えは、大抵私にとってはプラスじゃない。
「間接キス」
「は?」
「あんたってばとことん鈍いよね」
呆れた一言が痛いくらい胸に刺さる。
鈍くないと言い返せない。
「松永にしとく?」
小悪魔はなおも囁く。
『松永にしとく?』という問いに答えられるほど、私は松永というクラスメートに興味があるわけではない。
ちらりと名前の挙がった本人を見る。
そんな私の行動を予測でもしていたのか、こちらに顔を向けた松永と目が合った。
すると直後ににっかりと白い歯を見せた『王子様スマイル』で彼が笑ったのだ。
満面の笑みに悪意はないし、策略めいたものもない。
心からの素直な笑顔はあのイジワルカテキョ男とはまったく違う正反対の笑顔。
つと、松永の唇に目が行った。
ほんのりピンクのふっくらした唇は、薄くて形のいい葵のものとはまた違う。
から揚げを食べたせいなのか、ちょっと照りっとしている唇にくすぐったい気持になった。
『間接キス』という千波の言葉が蘇ってきて、少し胸が踊る。
松永とキスがしたいわけじゃない。
――キスをしろというのなら……
自分の唇に触れてみる。
潤って弾んだ感触が私の指先に当たっている。
『キス……したくない?』
頭の中に、葵のあの声とあの目がフラッシュバックする。
熱のこもった激しいキスを想像して、顔が火照りだす。
それを悟られないように、急いで机に顔を突っ伏した。
クスッと小さく笑う千波の声が聞こえたけれど、聞こえないふりをした。
葵の唇も言葉も全部振り払うように――
原因は決まっている。
葵のせいだ。
だって結局あの後気になりすぎて眠れなかったのだから。
「寝不足?」
向かいの席でお弁当をつつきながら、日本人形みたいに真っ黒なストレート髪の。
同性から見たって明らかに美人と言える親友の松本千波がそう聞いた。
「んー。ちょっとねぇ」
落ちてくる瞼をなんとか押し上げながら、進まない箸でおかずを転がす。
食気よりも明らかに眠気のほうが勝ってて、当然ながら油っこい『から揚げ』なんか喉を通ってくれるわけがなく。
私の箸にもてあそばれて、弁当箱の隅から隅を行き来している。
「原因ってカテキョ?」
鋭く切れる目ががっちり私を見つめている。熟れたさくらんぼをほうふつとさせる赤い唇から嫌な単語が飛び出した。
カテキョ。
カテキョ。
原因はカテキョだけど、カテキョじゃない。
「から揚げ、可哀そうだよ」
そう声を掛けられて顔をあげる。
中学からの同級生、私の親友である川端《かわばた》千波《ちなみ》が私の箸の先を指さしている。
箸の先で衣がすっかり脱げてしまったから揚げがいじけていた。
「あ……食べる?」
なんて問う私に千波は「重症ね」とこぼすと、自分のお弁当を口に放り込んだ。
「で、カテキョになんかまた言われたの?」
鋭い視線と一言に思わずギクリと体が硬直する。
――なんか言われたって訊かれてもなあ。
『続きはテストの後』みたいなことだとか『キスしたくない?』だとか、不毛なことをたくさん言われすぎて、どれを伝えていいのかわからない。
「んー。なんかきっと、からかわれてんだよねえ、私」
可哀そうなから揚げをつまみ上げて、しぶしぶ口の中へ入れる。
衣の油っこさがなくなったお肉はとっても柔らかくて、むしろ突いて正解だったのかもしれない。
「だから、なんで?」
「キス……したくないかって聞かれた」
「したらいいじゃない」
「なんでそうなるの?」
「だって、したいんでしょ?」
黒髪ボブの日本人形みたいな悪友様はにっこりと笑う。
「別にしたくないもん、あんなたばこ臭い男と」
学校の自販機で買ったいちごオレの紙パックにストローを刺してから口をつけた。甘いいちごとミルクの味が口の中いっぱいに広がっていく。
「間、あったけど?」
「うるさいっ。千波のイジワルッ!」
横をプイッっと向く私をなだめるように千波は「カワイイね」と笑った。
「もうっ! 他人事だと思って!」
「じゃあさ。カテキョ以外の男とキスしてみたら?」
千波の突拍子もない言葉に一瞬頭の中が真っ白になった。
――カテキョ以外の男? 葵以外?
「そんな男、思いつかない」
そう答える私に、千波はくすりと小さく笑って窓際のほうを指差した。
「ゴロゴロしてるじゃない? 頼めば喜んでみんなしてくれると思うよお。陽菜子、意外と男子に人気あるんだし、チャンスよ!」
怖ろしいことをシレッと言いきった千波が指した方向を見る。
学ラン姿の男子共が山のようにいて、紙パックジュースやら、売店のパンやらを手にして大笑いしている。
「たばこ臭くはないと思うけど、違う臭いはするかもね」
そう言って千波は可笑しそうにクスクス笑う。
たばこ臭くはない。
でも違う臭いはする。
それはちょっと想像したくない。
「……同級生とか……なんかパス」
「じゃあ、やっぱりカテキョとするしかないじゃない」
またしても千波は整った顔に悪魔の笑顔を浮かべた。
けしかけてるのか?
楽しんでるのか?
それともその両方か?
正論だけど、同級生とっていうのはイメージがわかない。
――どんなキスなんだろう? 葵とのキスは……
そこまで考えてハッと我に返る。
――ダメ! 思いだすな、陽菜子!
ぞわりと背筋に走る悪寒にも似た感覚に、私は固く目をつむった。
――考えるな! 考えるな! 考えるな!
「なあ、大霜」
そんなときに割り込んでくる声に私は目を開いた。
ゆっくりと声のしたほうへ顔をむけると、真っ黒に焼けた肌のしょうゆ顔男子が一名、真っ白い歯を惜しげもなく出して笑っていた。
彼は隣の席の机にどっかり腰を下ろしてこっちを見ている。
「それ、いらないなら俺にくれよ」
私のお弁当の中の『から揚げ』を見つめながら、松永裕也が言った。
高校1年からずっと同じのクラスメート。
ハンドボール部の次期キャプテンにこの間指名されたとかいう、スポーツ大好きな彼は女子からも男子からもそこそこ人気があるらしいけど。
私にはその魅力がすこしもわからない。
――だって、子供っぽく見えるんだもん。
他の女子が松永に夢中になる理由がわからなくて、首を捻りまくる。
たしかに見た目はカッコいい部類だけど。
休み時間は他の男子とワーワー騒いでるし、スポーツに関してはウザいくらい熱血だし、勉強がすごくできるわけでもない。
トータル点数は上の下?
イイ線はいってる。
ただ私の恋愛対象合格ラインにはいないってだけで……
「なあ、食べんの? くれんの? どっちだよ?」
松永が身を乗り出してそう問う。
――そんなにお腹が空いてるのかな?
「どうぞ」
弁当箱を差し出す私に、松永は首を振る。
欲しいと言うからあげるのに、なんで首を振るのかさっぱりわからない。
「食べさせて」
「は?」
「お箸でほら、あ~んって」
大きく口を開けて、右手でここと指示する。
――めんどくさっ!
そう思いつつ、私は言われるまま最後の一個の『から揚げ』を松永の口へ放り込んだ。
松永はこれ以上ないってくらい顔をくしゃくしゃにして笑いながら『から揚げ』を堪能している。
「サンキューな!」
食べ終わると満面の笑顔で挨拶をして、窓際の男子共の群れの中へと戻っていった。
「なに、アイツ。そんなにお腹空いてたのかな?」
弁当の蓋を閉じて前に目を向ける。
絶対に関わっちゃいけないなと思わせるオーラを放った千波が、にんまりと極悪な笑みを湛えている。
「狙ったわね、松永」
「は?」
もぐもぐとおかずを詰め込んだ口に、千波は悩ましいほど妖しい笑みを湛える。
こういう顔しているときの千波の考えは、大抵私にとってはプラスじゃない。
「間接キス」
「は?」
「あんたってばとことん鈍いよね」
呆れた一言が痛いくらい胸に刺さる。
鈍くないと言い返せない。
「松永にしとく?」
小悪魔はなおも囁く。
『松永にしとく?』という問いに答えられるほど、私は松永というクラスメートに興味があるわけではない。
ちらりと名前の挙がった本人を見る。
そんな私の行動を予測でもしていたのか、こちらに顔を向けた松永と目が合った。
すると直後ににっかりと白い歯を見せた『王子様スマイル』で彼が笑ったのだ。
満面の笑みに悪意はないし、策略めいたものもない。
心からの素直な笑顔はあのイジワルカテキョ男とはまったく違う正反対の笑顔。
つと、松永の唇に目が行った。
ほんのりピンクのふっくらした唇は、薄くて形のいい葵のものとはまた違う。
から揚げを食べたせいなのか、ちょっと照りっとしている唇にくすぐったい気持になった。
『間接キス』という千波の言葉が蘇ってきて、少し胸が踊る。
松永とキスがしたいわけじゃない。
――キスをしろというのなら……
自分の唇に触れてみる。
潤って弾んだ感触が私の指先に当たっている。
『キス……したくない?』
頭の中に、葵のあの声とあの目がフラッシュバックする。
熱のこもった激しいキスを想像して、顔が火照りだす。
それを悟られないように、急いで机に顔を突っ伏した。
クスッと小さく笑う千波の声が聞こえたけれど、聞こえないふりをした。
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