肖像

恵喜 どうこ

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親子の肖像

異形のもの

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 深い闇に覆われた中、ちょうど四つん這いになったくらいの高さに、青白い少女の顔がぽっかりと浮かんでいた。
 くっきりした二重の目だった。青い色に近い白目の真ん中で輝く黒々とした大きな瞳。まっすぐ伸びた矢印のような鼻。肉の薄い唇。それらが整然と並んだ美しい容貌には小学生らしい幼さが見えない。年齢よりもずっと大人びている面立ちが返って仇となり、この世の物ならぬ禍々しい生き物に見えた。

 いや、実際のところ、コレは少女などではない。少女の顔をしたなにかだ。人間の動きには思えないのだ。
それはまるでからかうみたいにすうっ、すうっと残像を残しながら左右に動いた。動くたびに、目の上できれいにまっすぐ揃えられた前髪が横に流れるようにサラサラと揺れる。

 首だけの少女は下弦の月を描いた真っ赤な唇をぺろぺろと舐めたり、くふっ、くふっと奇妙な声を出したりして、興味深げにジロジロと見つめている。

 腰が完全に抜けてしまっていた。逃げ出したいのに体が動かない。
 首がにじり寄ってきて、股間のすぐ近くまで詰め寄られた。
 それは小首を傾げながら、媚びた目で見上げて来た。

「ちかね、ずうっとまってたんだよお。それなのに、なかなかきてくれなかったよねえ。ちか、すごおく、すごおく、さみしかったんだよお。ひとりでまってるの、くたびれちゃったんだよお」

 千佳と名乗った首は甘えた声を出した。幼い子供が構ってほしくて仕方ないときの口調のまま、鼻先がくっつくほど顔が近づいてきた。
 すると首は『はああああっ』と息を吐いた。鼻の奥をつんっと刺激する強烈な異臭を吸い込んだ途端、激しくむせた。少女はおかしくてたまらないといった様子でケタケタと頭を上下して笑いこけた。もう一度同じことをしようと口を開いた瞬間、思わず右手でその口を塞いだ。

 やあだああ……やめてよおおおお……いじわるしないでよおおおお

 千佳の首は塞いだ手の下でもごもごと声を上げた。そのまま左手を額に添えてグウッと力づくで首を押し返す――はずだった。
 ギョッと目を剥き、両手を見た。かなりの力を込めている証拠に、手は細かく痙攣している。それなのに動かない。ビクともしない。壁を押しているみたいに、微動だにしない。 
 ぞわりと全身が総毛だち、髪の毛穴までもが隆起した。思わず両手を引っ込めると、千佳はケラケラと可笑しそうに声を上げて笑った。

「あ~あ。せっかく髪の毛きれいにセットしたのにい。ひどいなあ」

 不平を口にしながら、その実、まったく不満そうではなかった。むしろ嬉々とした調子で、さあっと素早くその場から離れると、スルスルスル……と、立ちどころに天井近くに釣り下がった女の首の下まで移動してみせた。
 そのとき、不穏なものが見えた気がした。胴体らしいもの。小山のような丸い胴だった。そこから伸びた細長い棒のようなものがシャカシャカと忙しなく蠢いていた。あれはなんだ? 足? 一、二、三、四、五……六……七……八? 八本あるではないか!

 異形の姿。異形の物。千佳の首を頭につけた巨大な蜘蛛が、天井近くからこちらを見下ろしている。その体躯は大人をすっぽりと覆うほどの大きさだった。
 千佳が蜘蛛なのか。蜘蛛が千佳なのか。わからない。ただ、人間ではないものが目の前にいるという現実だけがある。

 ねえねえねえねえ。鬼ごっこしよ? ちかが鬼やるからあ。

 けけけけけけ……けけけけけ……

 頭上から無邪気な少女の声が降って来る。

「らない……俺は……らない」

 声がひっくり返る。震えが止まらない。頭の中は言葉で、文でいっぱいなのに、声として出てこない。

「やだよ」

 千佳の声がすぐそこでした。視界の端に、真顔の少女の顔がある。
 次の瞬間、ドンッと床になにかが落下してきた。つま先になにか固くて、冷たいものが当たる。
 恐る恐るそちらに目を向けたことを後悔した。つま先が女の鼻に触れていた。ひいいっと声にならない悲鳴を上げて、ズズッと後ろに退いた。追いかけるように首が転がる。首はごろんと一回転すると、白く濁りきった虚ろな目をこちらに向けた。

「これは……香奈枝なのか?」

 恐る恐る尋ねると、千佳はくふふふふっと笑った。

「しりたいよねえ。でも、ただではおしえてあげられないなあ」

 けけけけけ……けけけけけ……

 笑い声が癪に障った。拳でガンガンと床を殴りつけながら「ふざけるな!」と怒鳴りつけた。
  
「大人をからかうのもいい加減にしろ! さっさと答えろ! 香奈枝は無事なんだろうな!」

 怖さよりも怒りが増していた。理解しがたい現実に気持ちが振りきれてしまったせいなのかもしれない。
 千佳は嗤うのをやめた。不快そうに顔を歪めて睨みつけてくる。

「おまえ、じじいみたいでむかつく」
「え?」

 一瞬、なにを言われたのかわからず聞き返したが、千佳はその問いには答えなかった。顔をむっつりさせて「決めた」と吐いた。

「五分あげる。そのあいだにおねえちゃんをみつけられたら、いまのこと、ゆるしてあげてもいいよ。ただし、みつけられなかったら、ちかのすきにする。わかった?」
「なっ……そんな遊びには……」

 全部言い終わらないうちに、ポンッとなにか固いものを投げつけられた。慌てて受け取った瞬間「うわあああ」と投げられたものを取り落とした。足元に切断された女の腕が転がった。首を支えていた添え木のようにクロスした手の中に、自分のスマホが握られていた。画面にストップウォッチが表示されている。カウンターがグルグルと回っている。

「ここではちかがおうさまなの! おまえはちかにさからえないの! ほら。ぐずぐずしてると、じかんなくなっちゃうよ? おねえちゃん、みつけなくていいの? ねえねえねえねえねえねえ!」

 くふ……くふふふふふふふ……

「クソがっ!」

 足元に転がるスマホを腕ごと拾い上げると、暗闇の中に足を踏み入れた。途方もない闇。背中を追いかけてくる千佳の笑い声を振り払うように、一寸先も見えない闇の中を手探りで歩いていく。


 みつかるかなあ……みつかるといいなあ……

 けけけけけ……けけけけけけけけ……

 
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